新型コロナウィルスはペルリの黒船か?

 

うるう年なので存在する2月29日。

本来は1日プレゼントされたような、
うれしいおまけの日なのですが、
新型コロナウィルスによる大混乱の日に。

 

どうやってごはん食べていけばいいのやら

今朝、義母を迎えに来たデイサービスのスタッフ30代男性。

ちょっとナイーブなイメージの、見ようによってはイケメンで、
けっこう義母のお気に入りです。

 

いつも出掛ける前にトイレに入るので、
しばし待つ間、新型コロナウィルスの感染について話しました。

「学校が突然休みになってしまったので、
もしやこっちも・・と思って焦りました」

 

そうですか、心配してくれてありがとう、

と心の中で感謝した次の瞬間、

「仕事が何週間もなくなっちゃったら、
どうやってごはん食べていけばいいのやら」

なんだよ、利用者じゃなくて自分のこと心配してんのかーー

と、べつに腹を立てたわけではありません。

 

そりゃそうだよね。

介護の現場は、彼のような非正規雇用のスタッフで回っています。
実働なしで給料が保証されるわけではありません。

 

国会議員の年間報酬1割を感染対策予算に

次々と中止になるイベントや、

アミューズメント施設、飲食店などのスタッフも同じ。
ちなみに僕もフリーランスなので、そのへんの事情は同じです。

 

多くの人にとっては感染の不安と同じくらい、
経済の不安、生活の不安を抱えて3月を迎えなくちゃいけない。


現にすでに倒産したり、

危機に瀕している会社もたくさんあるようです。

政府はそうした人たちに補填云々と言ってるけど、


「非常事態に際して国会議員の年間報酬
ひとりあたま1割を対策予算に回します」とか、

ドン!とそれくらいのことは言えんのかい。

 

安倍さんもこの大ピンチは、
すべての疑惑・不祥事を払しょく・挽回する
最終最大のチャンスなんだから、
命をかけて取り組んでほしい。

 

外敵襲来による強制的社会変革

2020年は変革の年とか前々とか言われていて、
ポスト・オリンピック、パラリンピックは
どうなるんだろうと論議されていましたが、
いきなりウィルスという外敵の襲来によって
強制的に社会の変革が迫られたような感じです。

まさしく幕末の浦賀。ペルリ提督の黒船襲来。

 

ついでに言うと、
タイミング悪く家のトイレットペーパーが切れそうになったので、
買いに行ってみたら、どこのスーパーやドラッグストアも

もぬけの殻。


ま、昨夜のニュースで覚悟はしていましたが・・・。
節約して使えば、あと1週間くらい何とか持つかな。

 

報道機関としては黙っているわけにいかないので
しかたないんだろうけど、
ああいう報道があると、
いくら「冷静に行動してください」と言っても無駄。

 

●正義は弱しの情報化社会

冷静な行動は正しいことだけど、

「こっちは紙がなくなっちゃったらと困るのよ。
いちいちきれいごとに付き合ってられまへん」
という声と行動に圧倒されている。


そんなわけで「正義は弱し」。

 

加えて言うと、例の誤報SNS、じつは誤報じゃなくて、
買い占めて転売して稼いでやろうという奴が仕掛けたのでは、
という話が出ています。

 

そりゃきっと本当だろうなと思ってしまう情報化社会。
そういう世界で僕たちは生きていかねばなりません。
ゴミ情報の濁流に流されず、清く正しく、愉快に面白く。

 


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新型コロナウィルスは「2020年の挑戦」?

 

とりあえずは笑いましょう。
笑って免疫力UPです。


武漢の話、クルーズ船の話が
もはや遠い昔ばなし。
1週間前はまだのんきに構えていたけど、
あれよあれよという間に大変なことになってしまいました。


かつての特撮ドラマ「ウルトラQ」屈指の傑作エピソード
「2020年の挑戦」とは、
人類に対する新型コロナウィルスの脅威のことだったのか。
55年前に作られたあのスリルとミステリーに溢れた物語が、
この現実のメタファーだったような気がしてなりません。


2020年の挑戦。
おまえたちはどう変わるんだ?
人間の社会は変革を求められているのかも知れません。


と、まあ大げさに書いてみましたが、
深刻ぶって考えていてもしかたありません。
感染・発症しなくても
仕事をなくしたり、
生活がめちゃくちゃになったりして、
追い詰められる人も続出しそうです。


でも、笑いましょう。
とりあえずは笑いましょう。
笑って免疫力を強化して、
2020年の挑戦をドン!と受けて闘いましょう。

 


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どうぶつドーナツはおいしいが、不景気が心配だ

 

元住吉にお店のある「イクミママのどうぶつドーナツ」。
これはペンギンちゃん。
グレーの色は黒ゴマの色です。


一見、やたらカラフルでジャンキーっぽいけど、
食べてみると、ぜんぜん甘ったるさがなく、
めちゃくちゃおいしい。

 

色もグレーは黒ゴマ、緑は抹茶、
黄色はカボチャ、ピンクはイチゴなど、
みんな食材の色を活かしています。

 

ところで、この横浜に来る患者さんの中にも
コロナウィルスにかかってしまった人がいて
予約キャンセルになったとのこと。
もはやすっかり蔓延状態です。


これを契機にテレワークなんかも進みそうだし、
会社の働き方・仕事の在り方ももすっかり変わりそうです。

それはいいけど、ウィルスのせいで経済は大ダメージ必至。
オリンピック景気どころか、
とんでもない不景気にならなければいいが・・・
と、かなり心配になってきました。

 

ちなみにどうぶつドーナツは下記ホームページから

通販で買えます。マジおいしい。

 


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人間の魂の純粋性の回復について

 

義母は認知症になり、記憶を失い、通常の社会性も失っています。
知性も半分失ってしまった、と言ってもいいでしょう。


それは人間の魂の純粋性を回復する過程なのかも知れない、
と思う時があります。
だけど残念ながら、
純真な子どもに戻れるわけではない。

 

今日は一緒に井の頭公園へ。
池で白鳥のボートに乗りました。
僕にとってもチビの頃の息子と乗って以来なので、
たぶん20年ぶりくらい、

 

足漕ぎボートなので、一緒に漕いでと言っても、
「わたしなんかできないわよ」と、やろうとしない。

 

それで僕が一人で漕いで運転していると、
ものの10分もしないうちに
「お兄さん(僕のこと)、疲れちゃうから戻りましょう。
もう十分よ」と言い出します。

 

ボートから降りて「何か飲みましょう」と言うと、
「いいわよ。お金ないし・・・」

 

この一連の言動に義母の人生が集約されているように
思えてなりません。

人間の生まれ持った魂は、
この世で生きる何十年かのうちに、
お金のことやら、家族のことやら、競争のことやら、
いろんな目に遭って損なわれてしまう。

 

特に義母のように昭和を丸ごと生きた女性の大半は
男尊女卑の考え方も植え付けられているようで、
僕に対しては随分へりくだった態度を取ります。
逆にそれでちょっとイラついたり、
悲しくなったりもします。

 

だけど今さらどうにもなりません。
どんなことで心を痛めつけられ、
そこまで謙虚、というか半ば自虐的
になってしまったのかわかりませんが、
そういうやり方で一生懸命生き抜いてきたのだから。

 

義母の魂の純粋性は、
昭和歌謡を歌ったり、
こうやって公園などを歩いて
子どもや犬を見ることで回復されるのかなと思います。

そういう意味で子どもの存在は偉大です。
ワンちゃんも。
僕ができるのは、

少しでも多くそうした機会をつくることだけです。


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日本人は新型コロナウィルスに心を支配されてしまったのか?

 

本全国、新型コロナウィルスの脅威にさらされている?
どうもリアルにそう感じてなかったのですが、
今日はひどく心配な光景に出会ってしまいました。

 

以前住んでた永福町の駅前には

「大勝軒」という人気ラーメン屋があります。
ラーメンファンなら知らない人はいないと言うほどの名店で、
昼時や晩飯時になるといつも長蛇の列。

僕が住んでいた25年余りの間、
それが途絶えることはありませんでした。
そのへんのポッと出のラーメン屋なんぞ及びもつかない

王者の貫禄。
まさにキング・オブ・ラーメンです。

 

で、今朝10時ごろ、その近所を通ったらすでに大勢の人ーー
ゆうに50人は並んでいるので、
おや、今日はなんか大勝軒のキャンペーンでもあるんだろうか?
そういや3連休だし、相変わらずすごいなぁと思っていたら、
これがとんでもない勘ちがい。

 

大勝軒はまだ開店しない。
なんといっても朝の10時。
開店したのはその少し先にあるドラッグストア
「マツモトキヨシ」だった!

 

そうかと即座に納得し、自分の勘違いを恥じ、
やっぱり新型コロナウィルス対策かと思って
並んでいる人たちに声をかけてみました。

 

「マスクを買いに来たんですか?」
「・・・」

 

なにも言わない。
中年のおっさん、おばさん、高齢のじいさん、ばあさん、
計4人に声をかけてみたが、みんな黙ったまま、

魂が抜けたような、くら~~~い顔をして突っ立ている。

 

おれ何か失礼なことをしたのかな?
単に「マスクですか?」と聞いただけなんだけど・・・。


「なんだ、この野郎」と睨みつけることさえしない。
「なれなれしく聞いてくるんじゃねーよ、このボケ!」
と怒鳴り飛ばされたのなら、まだ安心できたんだけど・・・。

 

それ以上、聞きまわるのはやめて、
ちょっとカメラを引いて、その行列をロングで見てみました。


どの人もなんだか亡者のごとく夢うつつ、といった感じ。

自分は何でここに並んでいるのか、わかってないんじゃないか。
みんなが並んでいるから、一応自分も並んでおくか。
そうすりゃちょっとは安心だし。
どうもそんなことで並んでいるとしか思えない。

 

これだけ連日、テレビでネットで、
コロナ、コロナ、またコロナと言ってるので、
しゃーないのかなという気もするけど、
情報を活かすのでなく、
情報に脳を汚染されてしまっている。

これではウィルスに「どうぞわたしの体にお入りください」

と言ってるようなものです。

 

新型コロナウィルスに、

体より先に心を支配されてしまった人たち。
悪いけど、僕にはそう見えてしまいました。

 

昨日はよく食べてよく眠って体力を維持することが
防衛のために大切だと書いたけど、
その前に心の持ちようが大事なのでhないでしょうか?

 

病は気から。
「新型コロナウィルスめ、来るなら来てみろ、
このすっとこどっこい。
ガツンと一発くらわして、返り討ちにしてくれるわ」
ぐらいの心意気が必要だよね。

 

どうせ手洗いぐらいしか有効な防御策なんて
わからないんですから、
この際、精神論とか根性論で乗り切ったほうがいいです。

 

マスクをして暗い顔しているより
1日3回「コロナなんぞに負けへんでエ!」と叫ぶのが
実はいちばんの予防です。

 

さあ、あなたも1日3回、叫びましょう。


「コロナなんぞに負けへんでエ!」

 

叫ぶのが嫌なら、鏡を見て笑って自分に語り掛けましょう。
「ええ顔してるで、あんた。コロナなんぞに負けんといてね」
これで体にバリヤーが張れますよ。

 


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新型コロナウィルスに感染せずに 平々凡々と日常を送れる人こそラッキーマン

 

カミさんが手拭いを使ってマスクを作りました。
この人は僕と違って、マメで器用です。
「1枚300円で受注生産して儲けるか」と提案したけど、

即座に却下。

 

それにしてもすっかり新型コロナウィルスに支配されてしまった
2月の日本。
もうこうなると、イベントはおろか、
仕事に行っても、スーパーに買い物に行っても、
近所の図書館に行っても、
かかるときはかかってしまう。

 

情報を見ていると、
症状なくても感染しているかも知れなし、
もともとの引きこもりだったらいざしらず、
具合も悪くないのに
家の中で何週間もじっとしていられる人なんて
めったにいません。

 

政府の言うことなどもまったくあてにできないし、
感染するかしないかは、
こうなるともう運でしかないような気がします。

 

競馬もパチンコも宝くじもダメ。
ビジネスチャンスにも巡り合えず、ぜんぜん儲からなくても、
何事もなく平々凡々と日常を送れることが
幸運ということになるのか?

 

だけどピークはまだまだこれから先、4月、5月という話。
お花見は外だからいいのだろうか?

いずれにしても毎日しっかりごはんを食べて、
しっかり眠って健康状態を良好に保つことこそ
最大の防御。
そうするしか打つ手がありません。


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恐竜男と大福娘は6600万年前の夢を見る

 

恐竜が大好きな男と大福が売り物の和菓子屋の娘は

幼なじみだった。
幼稚園に通っていた頃まで、ふたりは犬っころにように、
いつもいっしょにじゃれあって遊んでいた。
おとなになったら結婚しようと約束までしていた。

 

だがじつは男はそんなことより恐竜に夢中だった。
彼らの暮らすその山間の集落の近くには大きな湖があり、
そこには謎の生き物が住んでいるという伝説があった。

 

「それはね、絶対に恐竜なんだよ」
彼にそう言ったのは、一つ年上のお寺の住職の息子だ。

1000年以上の歴史を持つそのお寺には、
湖に住む怪物の伝説がいくつも残されているという。

男と住職の息子は夢を見た。
1億年のはるか昔、

この集落の一帯を巨大な恐竜が歩き回っている姿を。

 

そんな男たちのバカげた夢に、
和菓子屋の娘も付き合った。
娘はいつもおやつにお店の美味しい大福を持ってきてくれた。
そして一緒に耳をすませて聞いた。
白亜の空にとどろく咆哮を。

学校に入り、年頃になり、だんだんおとなになるにつれ、
いつかそれは恐竜時代ほども遠い過去の記憶になっていった。

 

時は過ぎ、恐竜男も、和菓子屋の大福娘も、お寺の住職の息子も
まともな社会人になった。

恐竜男は東京の大学へ行き就職して働いていた。
が、会社がつぶれ、付き合っていた女と別れ、
もう東京暮らしに嫌気がさしていた。

 

和菓子屋の娘は関西の大学に行き、
そこで出会った、明治の文明開化期から続く
由緒ある神戸の有名洋菓子店の
ボンボンと結婚して玉の輿に乗った。
ところがそいつは最悪のDV男で、
家のしきたりにもついて行けず、結局離婚した。

 

寺の息子は、修行して寺を継ぐべく副住職になった。
しかし檀家はどんどん減り、お布施も減り、
今や寺の修繕費も賄えない状態だ。

 

恐竜男は一つの野望を持った。
故郷で民泊を開こう。


というのは、彼の故郷が
隠れたパワースポットとして地味ながら、
近年じわじわと観光拠点として知られてきている―ー


という話を、たまたま居酒屋で知り合った
スコットランドから来たバックパッカーの
マイケルから聞いたからだ。

 

マイケルの実家はインヴァネスで
フッシュアンドチップス屋をやっているという。
彼の興味は、おいしいフッシュアンドチップスと、
イギリスからのスコットランド独立運動と、
日本のラーメンとパワースポットにある。
そして「歴史は変わる」が彼の口癖だった。

 

インヴァネスと言えばネス湖観光の拠点の街。
「僕はすべての日本人に言いたい。ネス湖を見て死ね、とね」
と、マイケルは言い残し、スコットランドへ帰っていった。

 

大福娘の育った和菓子屋ももう店をたたむ
一歩手前に追い詰められていた。
離婚した彼女は子どもを抱えて戻ってきていた。


「恐竜大福」「恐竜団子」「恐竜饅頭」を
名物にして売りたいという野望を持っていた。

 

二人はお寺の息子を巻き込んで、
観光事業によって過疎化が進む故郷
をよみがえらせる事業計画を立てる。
そのカギとなるのが、かの恐竜伝説だ。

 

彼らの脳裏に子どもの頃の思い出と、
太古の遺伝子の記憶が同時によみがえる。

「すべての日本人よ、恐竜を見て死ね」
そんなキャッチフレーズのもと、
3人は過疎化が進む故郷をよみがえらせようと活動を始めた。
その故郷再生プランは、彼らの人生再生プランと重なっていた。

 


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入棺体験であなたもよみがえる?

 

レインボーカラーの棺桶に潜って、
人生初の入棺体験。

 

今日は「月刊仏事」の取材で、
江東区・住吉にある「ブルーオーシャンカフェ」へ。

こちらは本業である海洋散骨事業と合わせて、
終活相談に乗る終活コミュニティカフェとして
人気になっています。

 

そのイベントの一つが入棺体験。
中に入ってフタを締める。
真っ暗だけど、ちょっとだけ光が感じられる世界。
周囲の声が、なんだか別の宇宙から聞こえてくるようです。

子どもの頃、押入れの中に入って遊んでいたことがありますが、
ちょうどあんな感じ。


洞窟の中とか、穴倉の秘密基地とか。
ぜんぜん怖くもないし、気持ち悪くもない。

むしろずっと入っていたいくらいの心地よさ。
ちょっとクセになりそうです。

 

ちなみに生きてるときに入棺すると
寿命が延びるとか。
再生するということでしょうか。
あなたも一度お棺に入ってRebornしてみては?

 


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人類を進歩させたのは「やばい食べ物」

 

今度はエッセイを電子書籍で出そうと思って
自分のブログを漁っていたら、
2年前のバレンタインデーに
「チョコレートは“やばい食べ物”と言われていた時代もある」
といったことを書いていました。

 

考えてみると、人類発展の歴史とは
「やばい食べ物」を探し求める旅だったと言っても
過言ではありません。

 

そもそも塩が「人類最初の麻薬」とも例えられるくらい。
だから、縄文人なんかを基準に置いたら、
アルコールはもとより、
砂糖、胡椒、数々のハーブ、スパイス、コーヒー、タバコ、
そしてチョコレート(カカオ)も、
今、世の中にある嗜好品や調味料の類は、
みんな最初は「麻薬」みたいなものだった。

 

その麻薬を発見し、「こいつはやばい!もっとくれ」と
人々が求め、それに応じて大量生産し、
世界中に行きわたらせることによって、
経済も産業も文化も、この200~300年の間に大躍進。

現代の社会が出現し、今日の姿になったのは、
めっちゃ大雑把に言うと、そういうことではないでしょうか。

 

僕もチョコレートのない人生よりも、
ある人生のほうが好きなので、
現代に生まれてよかったと思っています。

 

ところで「やばい食べ物」というのは動物にもあるようで、
ネコを飼ってる人ならみんな知ってると思うけど、
「チャオちゅ~る」というのは相当やばいらしい。


街角のその辺で番張ってる獰猛なノラでも、
これさえあればイチコロで手なずけられると聞きました。
ほんと?

 

べつにマタタビが入っているわけでもないようで、
メーカーの長年の研究・努力の成果なのでしょう。

 

最近「ワンちゅ~る」というイヌ用のが出たそうだけど、
こっちもあのCMに出ているワンちゃんたちみたいに
食いつきがハンパないのだろうか?

 

今年のバレンタインデーは
社内の義理チョコはスルーして
かわいいネコちゃん・ワンちゃんに
ちゅーるをプレゼントする女性が増えてるとかいないとか。

 


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誕生の恐怖・思春期の恐怖・最期の恐怖

 

化け物は最初から化け物だとそんなに怖くないけど、
普通の人間だと思ってた人が化け物になってしまうと、
めちゃめちゃ怖い。

そんな恐怖を僕たちはすべからく体験しています。

 

とある子どもの本に、思春期の子どもたちにとって
体が変化することがどれだけ恐怖することか
書かれていました。

 

自分はどうなってしまうんだろう?
自分はどこへ行ってしまうんだろう?

 

僕にとってはもう遠い昔のことなので、
そんな感覚はほとんど残っていなかったのですが、
その文章によって忘れていたものが少しよみがえってきました。

 

最近はほとんどの学校できちんと性教育が行われていて、
子どもたちにも知識・情報があるわけですが、
やはり実際に自分の身に起こると、
理屈通りにはいかない。


自分もそうだけど、
周りの連中が変わっていくのも怖かった。

 

小さいころ仲が良くて、いつも子犬みたいに
じゃれあっていた幼馴染の女の子とも
まるで知らない者同士のようになってしまった。

男はまだそういう意識が希薄だけど、
女の子は劇的に変わるからなぁ。

 

ところで思春期の変化は人生の中で唯一、
記憶できる変化です。
実はそれ以前に母親の胎内から外界に出た、
つまり誕生というのも、人間の体の最初の変化。

なにぶん1回目だし、
たぶんとんでもない恐怖なんだと思います。


ほとんどの人はそんなの憶えちゃいないけど、
(しっかり憶えてたら生きちゃいられない)
潜在意識のどこかにそれは刻み込まれているんでしょう。

 

その2回の変化の恐怖を乗り越えて、
ここまでこの世で生きてきた僕たちにとって、
残された最終最大の恐怖が「死の恐怖」です。

 

でも何といっても3回目。
大人の心構えを持って準備していれば、
誕生の恐怖と思春期の恐怖に比べたら
そう大したことではないのかもしれない。

 

南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい・・・
そういうものにわたしはなりたい。
(宮沢賢治「雨ニモ負ケズ」より)

 


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生涯現役 還暦新聞少年

 

新聞少年が活躍していたのはいつ頃までだったのだろう?

 

そんな疑問に駆られたのは、今日、近所の100円ショップの
セルフサッカーコーナーで、こんな注意書きを見たからです。

 

「新聞紙は陶器を買ったお客様が使うものです。
それ以外の方がお持ち帰りするのはご遠慮ください」

 

つまり、買ったお茶碗などを包む緩衝材代わりに
置いてあるに、タダだからと何枚も持って行っちゃう人が
大勢いるらしいのです。

 

気持ちはわかります。
新聞紙ってあるとけっこう便利。
割れた陶器やガラスなどを包むのにも使えるし、
食器の油汚れなども拭き取れる。
子どもの学校でも図画工作などの時間で
かなり用途があります。

 

しかし。


こんな100円ショップの古新聞を持ち帰っちゃうってことは、
今、家の中に日常的に新聞がある家庭、
すなわち、新聞を購読している家庭が
めっちゃ少なくなっていることの表れなのではないか。

 

そもそも新聞の目的は

ガラクタの包み紙でも、汚れ落としでも、

子どもの図画工作用でもない。
情報を得る、ニュースを読む、
社会で何が起きているのかを知るためのものでした。

 

テレビやラジオと共存していた時代は、
速報性では劣るが、より深くその情報を吟味・考察するためには
新聞は不可欠なツールであると、
僕たちは教えられてきました。

 

その常識がインターネットの普及によって崩されてしまった。

かくいう僕も、前の家に引っ越したタイミングで
購読をやめてしまったので、

もう14年前に新聞を読む習慣を失ったことになります。

 

新聞を毎日読んでいるということは、
一種の知的ステータスの部分もありましたが、
もはやそれもなくなった今
(というか、もう20年近く前からなくなりつつあった)
月に4000円だか5000円だかの購読料を払って読もうという人は
激減してしまったのです。

 

ということは新聞配達員も消えゆく職業。
調べてはいませんが、かつては街の中いたるところにあった
配達所はどんどんなくなっているのではないでしょうか?

 

昭和の時代、て新聞配達は少年や若者の仕事。
その職場である配達所は、そんな少年・若者のために、
まかないが出たり、住み込みで働かせてくれるところが
たくさんありました。

たぶん、団塊の世代の人などは
小中学生の頃にアルバイトでやっていたという人も

多いのではないかと思います。

 

僕が小学生の頃(昭和40年代)は、

そうした新聞少年が活躍していていた末期の時代かもしれません。

 

確かクラスで2~3人はやっていたし、
僕も夏休みなどにその友達を手伝って、
販売所で牛乳やジュースやお菓子をもらった記憶があります。

 

また、あまり経歴を問われないので、
わけありの経歴を持つ社会のはぐれ者たちが
集まってくる職場として、

小説や映画の舞台の一つにもよく使われました。

 

いまや絶滅の危機にさらされる販売所で仕事をするのは、
最近、年寄りばかりという話です。

還暦をとっくに過ぎた、かつての新聞少年たちが、

サケのように生まれ故郷に回帰しているんでしょうか。

 

どう考えても労働条件はあんまりよくないし、賃金も安いはず。
それでも元新聞少年たちにとっては、
若かりし頃が思い出せて、ありがたい職場なのかも。

 

こうやって現在の通販→宅配と同様、
わざわざ店まで買いに行くのでなく、
家まで配達してくれる底辺の労働者がいたから、
日本の新聞ビジネス、新聞文化は栄えてきたのでしょうね。


それにしても“生涯現役”というとカッコいいけど、
要は“死ぬまで働かなアカン”という時代がもう来ています。


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大人になるための終活、 未来と一体化するためのエンディング

 

「月刊仏事」の仕事がレギュラーワークになってから
早や4年経ちました。
エンディング業界の他のメディアからもお声が掛かり、
3月からそちらも始めることになりました。

 

いつも目の前のことをこなすのが
精一杯で、じつはこの業界のことを
よくわかっているわけではありません。

そこで改めてこの業界のいろんな記事や
会社のサイトに目を通しています。

 

そこで考えてしまうのが、

一般の人たちがこれだけ葬儀だの終活だの
エンディングだのといったことを抵抗なく
口にするようになったのは、なぜだろう?
ということ。

 

すごく前向きに解釈すれば、
自分の身が滅び、自分のj終っても人生が終わっても、
子どもたち――未来の世代がいるからOKだ、安心だ
と信じられるから。

未来との一体化ができるから。

 

つまり年齢が行くことによって
エゴから解放され、1ステージも2ステージも
人間として成長する人が増える。
未来との一体化した人たちでいっぱいになる。

高齢化社会とはそういう社会である―ー


業界の企業理念の項目に書かれている文章を読んでいると、
そうしたイメージを抱きます。

 

では現実はーー
もちろんそうなっていません。

企業理念などの文言は理想論だと言ってしまえば
それまでだけど、少しはそういう境地へ向かって
進んでいこう、成長していこうとするのが、
“いい齢をした大人”の姿ではないか。

 

せっかくの高齢化社会、
せっかうの人生100年時代、
死ぬための終活ではなくて、
大人になるための終活をする人が
増えればいいなと思います。

 


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茶トラのネコマタと金の林檎 本日より無料キャンペーン

 

おとなも楽しい少年少女小説。
子どもも面白い大人小説。
短編なので、すぐ読める。
と同時に読みごたえもあります。
今日の心のおやつ、休日のお酒のおつまみにどうぞ。

おりべまことは、僕の創作時のペンネームです。

 

2月14日(火)12時まで無料です。
https://www.amazon.co.jp/ で
「茶トラのネコマタ」と入れて検索してみてください。
電子書籍はスマホやタブレットがあれば読めます。

 

★購入方法 

①https://www.amazon.co.jp/
にアクセスしてAmazonのアカウントを作って下さい。
すでに持ってる人はそのまま使えます。
 
②Kindleアプリ(電子書籍リーダー)をインストールしてください。
GooglePlayかAppStoreでダウンロードしてインストールします。
これはもちろん無料です。
これを入れれば、スマホでもタブレットでも読めます。
 
③Amazonのアカウントとパスワードを入れて
kindleアプリ(電子書籍リーダー)にログインしてください。

 

★こんな内容

20代半ばで独立起業し、6畳一間のアパートの自分の部屋で探偵事務所を開いた私立探偵・飛田健太(とびた・けんた)。

 

その健太のもとにホームページ経由で、開業以来、最高のギャラが発生する難事件の依頼が飛び込んだ。
山中に埋められた、時価数億円に上る金の林檎の捜索。

健太は相棒である便利屋の中年男・六郎を連れ、“なんちゃってホームズ”のいでたちで現場に飛ぶ。


そこに現れたのは茶トラのネコのようなオレンジ色の髪をし、魔女のような真っ黒な服に身を包んだミステリアスな高齢女性。健太はその依頼人に“茶トラのネコマタ”というあだ名をつける。

 

ネコマタの目撃談によれば、10月の第3日曜日の夕暮れ時、黒服・黒メガネの4人組の男たちがこの山にやってきて、どこかから盗み出してきた大量の金の林檎を埋めていったという。


しかし、明らかに彼女の話はおかしい。
これはかつて女優だったという女の空想か?幻想か?妄想か?

健太と六郎は、その話を信じたふりをして、山中の雑木林に入ってスコップを振るい、肉体労働に精を出すことになった。
はたしてこの難事件はどんな“解決”に至るのか?


それぞれ心に傷を負った若者、中年、年寄りが織りなす、コミカルでファンタジックな探偵小説。

 

短編。24,000字(原稿用紙60頁)。

 

健太と六郎はしょーもないやつらですが、
若い時分から付き合っている僕の友達です。
二人とともに金の林檎を探してみてください。

 


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茶トラのネコマタと金の林檎/おりべまこと 出版

 

おりべまこと電子書籍第2弾。
「茶トラのネコマタと金の林檎」を出版しました。

 

要領が分かったので、
今回はらくらくアップロード。
審査もゆうべ就寝前に出しておいたら、
寝ている間にパスして、今朝にはもう販売が始まっていました。

 

内容はこんな感じ。

 

20代半ばで独立起業し、6畳一間のアパートの自分の部屋で

探偵事務所を開いた私立探偵・飛田健太(とびた・けんた)。
その健太のもとにホームページ経由で、開業以来、

最高のギャラが発生する難事件の依頼が飛び込んだ。


山中に埋められた、時価数億円に上る金の林檎の捜索。

健太は相棒である便利屋の中年男・六郎を連れ、

“なんちゃってホームズ”のいでたちで現場に飛ぶ。


そこに現れたのは茶トラのネコみたいなオレンジ色の髪をし、魔女のような真っ黒な服に身を包んだミステリアスな高齢女性。
健太はその依頼人に“茶トラのネコマタ”というあだ名をつける。

 

ネコマタの目撃談によれば、

10月の第3日曜日の夕暮れ時、

黒服・黒メガネの4人組の男たちがこの山にやってきて、

どこかから盗み出してきた大量の金の林檎を埋めていったという。


しかし、明らかに彼女の話はおかしい。
これはかつて女優だったという女の空想か?幻想か?妄想か?

健太と六郎は、その話を信じたふりをして、
山中の雑木林に入ってスコップを振るい、
肉体労働に精を出すことになった。


はたしてこの難事件はどんな“解決”に至るのか?
それぞれ心に傷を負った若者、中年、年寄りが織りなす、
コミカルでファンタジックな探偵小説。短編。
24,000字(原稿用紙60頁)。

 

8日(土)正午から12日(火)正午まで

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どうぞよろしく。


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認知症に学ぶ変化への対応と人間の根っこ

 

過去や実績にこだわらず、時代の変化に柔軟に対応する。

ビジネス本などでよく言われていることですが、
2020年を迎えて1か月。
これまで以上の大きな変化が訪れているような気がします。

そんなとき、認知症の義母のスタイルが参考になります。


なにせ次々といろんなことを忘れてしまうので、
瞬間瞬間を生きている。

「いつもそう言ってるでしょ」
なんてセリフは通用しない。
昨日のことも、1時間前のことも憶えてないんだから。

 

言い換えると、これはつねに自分が
フレッシュな状態でいるということです。
つまり、いつも新しい自分。

 

もちろん、それだとまともな社会生活は送れないわけだけど、
そういう人といっしょに暮していると、
「過去や実績にこだわらず、時代の変化に柔軟に対応する」
という言葉をしっかり自分の中に刻み込めます。

 

今朝もデイサービスに行く日なのに、
「あなたと一緒じゃないと出掛けない」とか言い出したので、
こりゃいかんなと思い、お迎えが来るちょっと前に、
「手紙を出すので一緒にポストまで行きましょう」と言って
外に連れ出しました。

(毎週火曜はカミさんが鍼灸治療の仕事で朝いないので、
送り出しは僕の仕事)

 

ほんの10分くらいですが、一回りして戻ってきたら
お迎えの車が到着。
そうしたら「出かけない」と言ってたことなど
ケロッと忘れて、バイバーイと出発してホッとしました。

 

駄々をこねる子どもをなだめて保育園に送るのと同じですが、
子どもと違うのは、やっぱり高齢者には「過去」があること。
いわば自分の人生の「根っこ」があることです。

 

認知症になろうが何だろうが、
その人間の根っこ、
この世の中に数十年生きて地に伸ばした根っこは
最期までけっして枯れません。

 

それはまた、誰でも自分以外の人間にはなれないということ。
世の中の役に立つ人間、求められる人間になろうという
向上心は大切ですが、
世間の情報、人の言うことにふりまわされて
根こそぎ倒れてしまわないよう
気をつけたほうがいいです。

 

こうしたことを義母から日々、学んでいます。
これからますます変わる2020年代。
なるべく頭の中を軽くして、流れに乗ることも大事ですが、
自分の根っこをつかんでおくことは、もっと大事だと思います。


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ビートルズのセッション音源から名曲の生い立ちを知る

 

作業中はいつもYouTubeでいろんな音楽を聴いているが、
一番多いのは、たぶん、
レッド・ツェッペリンやビートルズのセッション、
デモテープ、リハーサル音源だ。

このあたりの音源を聴いていると、当
時、親しんだ名曲の数々はこんなふうに生まれて育ったのか、
ということがたどれて面白い。

 

ビートルズは1969年1月、

ゲットバックセッションというのをやって、
ここから「アビイ・ロード」「レット・イット・ビー」という
2枚の名盤と映画「レット・イット・ビー」が生まれている。

 

このテープはそのセッションの中でも特に面白いもの。
 「ザ・ロング・アンド・ワインディングロード」を

ボサノバ風に歌っていたり、
「ストロベリーフィールズ・フォーエバー」の

ピアノの弾き語りが入っていたり、
「レディ・マドンナ」をロックンロールでやっていたり、
デビュー曲の「ラブ・ミー・ドゥ」まで遊び感覚でやっている。
ジョン・レノンのソロアルバムに入っていた

「ジェラスガイ」も歌っている。

「サムシング」など、完成版よりいいじゃんと思えるくらいだ。

 

いちばん面白いのは「ドント・レット・ミー・ダウン」や

「ディグ・ア・ポニー」における
ジョン・レノンの超絶的なふざけっぷり。

 

ジョン・レノンという人は、

ビートルズのリーダーだっただけでなく、
いろんな人間的な面を見せて、40歳で夭折してしまったので、
いまだに究極のロックレジェンドして語り伝えられているが、
彼の最も本質な部分は、ここに現れている気がする。

 

ジョン・レノンはヒーローでも、聖人でも、
子どもや家族を大事にする家庭人でもなく、
ふざけるのが大好きな、やんちゃな子どもだ。

 

その子どもが世界のに聴衆に受けて

大スターになってしまったために、
歯止めが利かなくなってしまった。


表向きは華やかだったが、
サージェントペパーズの頃には、
かなり精神的にヤバイ状態になっていたようだ。
もう誰も彼を止められない。

 

それを唯一、諫めることができたのが、
オノ・ヨーコという年上の日本人女性だった。
これらのセッションを聞きながら、
ヨーコさんはレノンにとって、良くも悪くも
母親のような存在だったのではないかと思う。

 


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バレンタインギフトは歴女ねらいの戦国武将チョコ

 

2月の暦といえば節分、建国の日、バレンタインデー、
今年から天皇誕生日も加わりました。

子どもの頃、「この子は浩宮様より1カ月早く生まれたの」
なんて妙な紹介のされ方をしたことを思い出しました。
正確には1カ月と2日です。


そういえば幼馴染でよく遊んでいた女の子の誕生日が
ドンピシャ、2月23日でした。
「この子は浩宮様とおんなじ誕生日!」
だからなに? という感じだけど。

 

それはさておきバレンタインデー。
大河ドラマも2週遅れで始まりましたが、
久々の男が主人公戦国武将もの(「真田丸」以来?)。
だからということからか、
戦国武将チョコギフトがスーパーに並んでいました。

 

織田信長には森蘭丸、
明智光秀には細川ガラシャ、
真田幸村には猿飛佐助など、
それぞれの武将(のチョコセット)に、
スペシャルパートナー(???)として、
1個だけ特別なチョコ(お酒入りらしい)が
入っているなど、工夫がされています。

 

歴女の購買欲をそそる商品。
彼氏を武将に見立てて贈るのか?
それとも自分でコレクションするのか?
いずれにしてもちょっと面白いので、
僕にも誰かくれないかな。
カミさん・・・期待薄。

 


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取材して書くには文章力よりも 相手のいいところを発見する力が大事

 

こんなんで記事になるんですか?」
と、取材先の人が心配そうに訊きます。

きょう行ったネギ農家の人もそうでした。
ここのところ、そういう取材先が多い。

裏事情があって、その部分は書かないでくれとか、
クライアントの要望・イメージに合ったような
話はできないとか、
そもそも大して話すことがないとか、
いろいろです。

 

しかし、そこをなんとかするのが、
プロのライターだし、
実際ほとんどの場合、何とかなります。
ちゃんと商品(記事/文章)にします。

 

何とかならないのは、
相手がどうしようもなく嫌なやつの時でしょうか。

勘違いしている人が多いけど、
(取材して書く)ライターに必要なのは、
文章力よりも、その相手を好きになれる力です。

商品やサービスのことを書く場合も、
それについて語る担当者を好きになることです。

そこまでいかなくても、

「相手のいいところ、好きになれるところ、
面白いと思えるところを発見する力」と
言ったほうがいいでしょうか。

あとは取材時だけじゃなく、その前後も丁寧に、
そしてある程度フレンドリーに接すること。

 

正直、今回の仕事はだいじょうぶだろうか・・
と、帰りの電車でちょっと不安になったけど、
帰宅して夜になったら、
取材したお二人からメールが来ていました。

お二人とも今日の取材について、
素直な文章で感想を述べてくださっている。

 

もちろん、これはいただきます。
ヘンに自分の文章とか、
オリジナリティみたいなものにこだわらず、
こだわらず、いいものはしっかりパクる。

 

これもまた良い商品(記事、文章)の秘訣です。

 


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