今回は韓国のアシアナ航空の、ひとり往復9万円弱なりのエアチケットで旅行。発着はヒースロー空港第2ターミナルでした。
この第2ターミナルは2014年にリニューアルオープンしたばかりだそうで、またの名を「Queens Terminal」といいます。
これまで成田もヒースローも、他国の空港でも、そこは単なる飛行機の発着所であり、通り過ぎる場所であり、お土産屋やカフェが並ぶ場所で、特にこれといった印象を受けたことは一度もありませんでした。
しかしこの「Queens Terminal」は、なかなかモダンなつくりでメッセージ性も豊かな施設になっています。
到着ロビーに行く途中、「Weklcome」というポスターが壁に貼ってあり、利用者を出迎えるのは万国共通ですが、ここではそのポスター1枚1枚にミュージシャンやら、ビーフイーター(ロンドン塔の番兵)やら、ポリスマンやら、エンジニアやら、ロンドンの街中で見かける人たちが映っています。
人種・性別・年齢の区別なく10人ほどの人たちが自分のキャラクターを押し出し
、それぞれ満面の笑みでWeklcome!と語り掛けるポスターはなかなかの迫力で、広告効果抜群です。
「これからロンドン劇場でお楽しみくださいな」と、演劇の登場人物らが言っているような、そんなイメージを抱かせます。
人間の感情豊かな表情が発信するメッセージというのは、とても強烈で多弁なんだなと改めて感じました。
アシアナ航空の発着ゲートは、空港の端っこにあって随分と歩かなくてはいけないのだけど、ここもただ単に移動するだけの空間にしていません。
プロムナードの途中には、1946年に開港したヒースローの歴史(と同時にこの70年近くのイギリスの歴史)が写真で分かりやすく描かれていて、これもなかなか楽しめました。
世界中の多くの人が知っている、エリザベス女王の戴冠式、ビートルズ、デビッド・ボウイ、LIVE AIDなどのUKロックのヒストリー、ロイヤルウェディング、さらに2012年のロンドン五輪まで。
写真で誰にでもわかりやすく表現されており、来た人がヒースローに、ひいてはロンドン、英国にさりげなく親しみと関心を抱けるよう工夫しています。
これにはちょっと感心しました。
ロンドンには世界の首都としての歴史的建造物や物語の舞台がたくさんあるし、地方にもその地方独自の歴史・文化があり、美しい自然があり、観光資源は豊富に揃っています。
けれども以前はその素材の持つ力自体に頼っていて、何も手を加えないのがいいのだ――といった方針があったのではないかと思います。
なので、僕が住んでいた30数年前は「先祖の遺産で食っている」と揶揄されることもしばしばありました。
で、このままじゃいかんと国の中枢の人が気付いたのでしょう。
あるいは民間企業から働きかけがあったのかもしれません。
いつ、どこで、どんな街づくりプロジェクトが発令されたのかは知りませんが、これらの遺産をどう有効活用し、次世代に繋げていくかが――といったことが割と真剣に検討されたのではないでしょうか。
その結果、古いものを残しつつ、この第2ターミナル同様、街全体(特に観光エリア)にいろいろな種類の物語が編み込まれ、リニューアルデザインされたのだと思います。
こうしたことは以前来た2001年にはかなり進んでいたと思いますが、僕の中ではまだ1980年代のイメージが残っていたせいか、そんなに強くは感じませんでした。
しかし今回はさすがにブランクが大きかっただけあって、とても強く感じとることができました。
もちろん、そのために失われた良いところ――無理やり化粧をしなくてもいいではないかと思えるところ――もいくつかあるわけですが。
いずれにしてもこの国が、グローバル化の進展とネット社会の進展によってケタ違いに増えた観光客を、どんどん招き入れ、観光で収入倍増をもくろんでいることは明白です。
なのであちこち楽しむにはお金がたくさんかかることは覚悟しなくてはなりませんが、飛行機代は昔より安く手に入るようになったので、そこはチャラになっていると考えた方がいいでしょう。
一介の観光客としては高いアドミッションを払う分、たっぷり楽しんで元を取ってやろうという根性が大切です。
旅も自分のテーマとか目的とか条件とか予算とかを統合し、できるだけ自分用にカスタマイズして楽しむ時代。
ロンドンみたいな観光都市はそれにしっかり応えてくれると思います。
ロンドンから帰ってきました。
お天気が悪いということで定評あるロンドンですが、僕が滞在した20日~27日の間、ご覧の通り晴れっぱなしです。
1995年も、2001年も同じ6月に行ったので、この23年間、ロンドンのイメージは完全にピーカンから変わらず。
雨が降ってたのっていつのことだっけ? という感じです。
天気は良いのはいいのだけど、暑いの何の。
これでは日本と変わらない。
おまけにこの国は冷房というものを使わないので、かなりバテました。
今回のロンドン行きはカミさんにカミつかれて、メンドくさいけど、しゃーない行くかと重い腰を上げて出かけたのですが、めちゃくちゃ楽しかった。
もともと観光都市なのだけど、オリンピックもあったせいでしょう。
すっかり洗練されてポップ度がUPして素敵な街に様変わりしていました。
なんというか街全体がテーマパークみたいになってて、観光客には本当に楽しい街だと思います。
最後に来た2001年からずっと進化していたし、ましてや僕が暮らしていた1980年代なかばとは全然ちがう街になっていました。
いろいろ新発見・再発見もあって、またイギリスの近代史など勉強したいなと思うところもいっぱいで、なんだかすっかりリセットという感じです。
何がどう変ったのか、そう短くは言えないので、リアルタイムで情報発信しなかった代わりに、「ちょっとビンボーな観光客」として、「昔の生活者」の視点をちょっと交えて、1ヵ月ほどの間、いくつかのコンテンツに分けて五月雨式に旅行記を書いていこうと思います。
おヒマと興味があったら読んでください。
おたのしみに~。
ドタバタと仕事を終わらせて旅支度も整いました。
が、スーツケースを先に送って、いつも仕事で使っているスリーウェイのバッグ一つなので今ひとつ気分が盛り上がらない。
というわけで、最初にロンドンに行った時のことを思い出してみました。
1985年8月。あの日航ジャンボ機墜落事故の1週間前でした。
なぜか友だちがわざわざ成田まで見送りに来てくれて、いま思えばドラマごっこをしていたような感じでした。
乗り込んだのはアエロフロート・ソ連航空。
サッカーワールドカップをやってるロシアじゃないですよ、ソ連です。
まだペレストロイカ前夜で、ゴルバチョフが登場する前の話です。
評判は最悪の航空会社でしたが、乗り心地も機内食もそうひどくはありませんでした。
ただし、スッチーさんたち(今はキャビンアテンダントですが)は超不愛想。
強烈だったのはトランジットでモスクワ空港に降りた時。
節電しているのかなんだか、やたら暗くてがらんとしていて、まるで巨大な倉庫のようでした。
そこでカチンコチンの無表情なソ連兵が銃を構えて乗客に「早く行け」とかなんとか指示していました。
「やあ」と笑って挨拶したら、「バカヤロ、なに笑ってんだ」と女性兵士に叱られました。これホント。
なんだか古い映画のようにあの時の映像がよみがえってきます。
ロンドンに行くのになんでソ連の話なんかしているのか?
まあいいでしょう。
ちなみに今回はアリアナ航空なのでソウルでトランジットです。
じつは明後日から月末までロンドンへ行きます。
20代の頃、2年半ほど暮らしていて、帰ってきてからも新婚旅行をはじめ、3~4年に1回くらいは言ってましたが、今回はなんと17年ぶり。
海外旅行も17年ぶり。すごいブランクです。
1週間前に顔面負傷はするわ、つい三日前に予約していたAirBBの家にキャンセルくらい、ドタバタしました。
でも懐かしの町Shephers Bush(この近くのホテルの日本食屋で働いていた)に宿が取れてよかった。
昨日スーツケースを宅配便で送ってひと段落。
忙しくて準備はほとんどカミさんまかせで、いろいろIT化した現代旅行事情・ロンドン事情についていけてません。
いやー、どうなることやら。楽しみです。
農業やエンディング関係の仕事をしていると、たびたびLGBTの話題に出会います。農業の方はライフスタイルとして相性がいい・・・といえばいいのでしょうか。デザインなどの仕事と並行してやっているという人もいて、ちゃんとブログやホームページでもカミングアウトしています。
エンディングのほうは昨年あたりから急に増え始めたような気がします。
やっぱり悩み相談ですね。お寺などで議論の場がちょくちょく設けられているのを耳にします。
性転換したお坊さんもいて、性的マイノリティの人たちの駆け込み寺を作るっていることも話題になっています。
寛容になったのかどうかわかりませんが、いずれにしても社会全体がそうしたマイノリティの人たちの声を聴こうと動いているようです。
なんでも日本人も13人に一人がLGBTとかで・・・ホントなんだろうか?
LGBTと言ってもいろいろなスタイルぎょうで、そこのところ、僕はまだちゃんと理解できていません。
そういえばロンドンにいた時、ゲイのおじさんに誘惑されたことふがるけど、その人はちゃんと妻子もいたなぁ。
それでふと思い出したのが、20代後半の頃、ふられた女の子のこと。
半年ほどシナリオ講座に通ったことがあるのだけど、その時いっしょに受講していた子で、その時はボンクラで気が付かなかったけど、どうも彼女はレズビアンだったのではないかと。
何か根拠があるわけではないのですが、たいして美人ではないけど不思議な魅力のあってすごくモテる子で、知っているだけでも僕以外に若い奴からおっさんまで3人の男が言いよっていましたが、みんなフラれていました。
かといって彼氏がいる様子もなく、オトコそのものが嫌いのでは・・・という印象を受けました。
僕はふられたけど、それでそんなに傷ついたわけでなく、なぜかその後も自然に20年以上も友だちづきあいしていました。
息子がチビだったころ、一度会わせたことがあるのだけど、妙によくなついて「私、この子とは友達になれそう」とか言っていました。
5~6年前から毎年来ていた年賀状が来なくなり、ぷっつり音沙汰が絶えてしまったのけど、どうしているのやら。
恋人と外国へでも飛んだのか・・・。
たぶん少し幻想が混じっていると思いますが、LGBTの人たちは(と一括りにできないと思いますが)僕たちには見えない何かが見えるのではないかと思います。
また、人生のあちこちで生きづらさを感じている分、生きることについて、死後のことまで、僕たちなどよりも深くまじめに考えているのではないかと思います。
お気にかけて頂き、ありがとうございます。
本日、CT検査の結果が出て、顔も頭も骨に異常なしとのこと。
大事に至らず、ほっと一安心しました。
擦過傷もだいぶ回復してきたものの、右目の周りは真紫色。
あちこち腫れたり、(比喩ではなく物理的に)歪んだりしていて、ちょっとまだ人前に出るのは憚られる顔になっています。
好奇心旺盛な方のために顔出ししようかとも思いましたが、不快になる方のほうが多いだろうと思ってやめときます。
見ても、生きる勇気が湧くとか、明日への希望につながるとか、そんなことないしね。
今週はなるべく外出を控え、引きこもって原稿書きをしていたいと思います。
※画像と文章は特に関係ありません。タイトルの「顔出しNG」で画像を調べてみたら、こんなのが出てきたので使ってみました。ちょっとホラーテイストですが、なかなか可愛い子です。河村友歌ちゃんというモデルだそうです。
突然のアクシデントですっかりタガが崩壊。
普段、ケガや病気に慣れていないのと慢性的睡眠不足が原因かと思います。
今日は予定の仕事もキャンセルして1日中家で寝ていました。
ひつじなんぞ数えなくても、寝られるわ寝られるわ。
月並みな話で恐縮ですが、いてもは大して意識していないのですが、弱体化した状況に陥ると、いっしょに住まう家族のありがたみをひしひしと感じます。
前も書いたけど、若い頃は孤独なんぞ気にならなかったけど、齢を取るとやっぱりそうな言えなくなります。
ひとりだったらこれはきついだろうなと。
そういう意味では気が弱くなっているのかと思います。
今、独居老人と好奇心むき出しの子どもの話(設定としては湯本香樹実の「夏の庭」みたいな)を考えているんだけど、その登場人物の気持ちになれそうです。
ま、命に別条があるわけでなし、とんでもない重症というわけでもないので、こういう経験も必要なのかも。
今朝、自転車で走行中転倒し、顔面を強打。
メガネが吹っ飛び、前歯が砕け、二目とみられぬ顔に・・・
というのは冗談ですが、擦過傷の他、顔面骨折の疑いもあるとか(そんなに痛くないのだけど)で、近所の外科から渋谷の病院を紹介されて出向き、顔と頭のCTを撮りました。
CTは初体験。今はスキャニング専門の病院もあるんですね。
というわけで数日安静を促されましたが、いずれにしても現在は人前に出られる顔じゃなくなっています。
人生いろいろあるもんだ。
と、のんきなこと言ってる場合じゃなく、交通事故には気をつけましょう。
人魚姫は船から身を投げて海の泡となって消える運命だったのに、幸か不幸か、人間の姿のまま、声を失ったまま生き延びた。
四半世紀が過ぎ、15歳だった少女は中年となり、1962年のアメリカ・ボルチモアの宇宙科学研究所で清掃員の職を得た。
自宅のアパートと職場を往復する淡々とした毎日。
風呂場で自慰に耽るときだけ、失われた人魚だった頃の記憶がかすかによみがえる。
まだアメリカが「強いアメリカ」で、セクハラもパワハラも当たり前だったこの時代、障害を持ち、底辺の歯車として、しかも汚れ仕事で働く独身の中年女なんて社会は見向きもしない。
彼女のことを気にかけてくれるのは、いつもしょーもない亭主の愚痴ばかり言っている同僚の黒人女と、アパートの隣の部屋に住んでいて、若い男に失恋する、年老いた絵描きのゲイだけだ。
それでも彼女は自分がさして不幸だとも思わす、ささやかな日常を大事にして生きていた。
そんなある日、研究所にある特異な生き物が運ばれてくる。
その生き物――「アマゾンの半魚人」に出会ったことで、恋に焦がれる人魚姫の記憶がよみがえる――
という、改めて辿ってみると、とんでもなく奇をてらったストーリー。
ところが、これがいい。
甘く切ないラブストーリーをベースに、古典SF、ホラー、ファンタジーの要素が絶妙にブレンドされて、ちょっとコミカルだったり、エロチックだったり、といったスパイスもまぶされている。
すっかりツボにはまってしまった。
ヒロインは若くも美人でもないし、子供時代のトラウマのせいで声が出せないということ以外、生い立ちも謎のまま。
けれどもその感情表現は素晴らしく、ラストシーンは本当に人魚に帰っていくのではないかと思った。
また、1962年という「近過去」の設定もいい。
リアリズムとファンタジーのハーフ&ハーフが、ギリギリのバランスで成り立つ美味しい時代だ。
そしてまた、トランプ政権下の現代のアメリカを風刺しているかのような映画でもある。
こうした寓話性の高い物語は、よく「大人のおとぎ話」と呼ばれるけど、それで片付けるのはつまらないし、何だかもったいない気がする。
人間が生きる本質は思わぬところに隠れている。
それを見つけるためにも、こういう映画は役に立つのではないかと思う。
昆虫は子供(幼虫)から大人(成虫)になる途中の段階に「さなぎ」という形態がある。
なのに同じように変態するカエルにはそれがない。
手足のはえたオタマジャクシを、人は「オタマジャクシ」と呼ぶが、当のオタマジャクシは「おれもうカエルだい」と思っているかも知れない。
なんとなく思春期の人間に似ている。
人はいったいどうやって子供から大人に移行するのか、移行できたのか。すっかり忘れてしまったし、自分の子供に対してもほとんど気にかけなかったけど、今になると、もう一度探ってみたい気がする。
早稲田大学内に田んぼがあって生徒らが田植えすると聞いて、マイナビ農業の取材でやってきました。その名も「わせでん」。
大隈講堂の隣、大隈庭園の奥にあります。
どんな田んぼなのかと思ったら、直径5メートルくらいのかわいい「ドーナツ型」田んぼ。
ドーナツ型と言うのは、真ん中にポチッとサルスベリの島があるのです。
このサルスベリが由緒ある木だそうで、切るに切れなくてドーナツ型にせざるを得なかったということ。
2004年に開田した時はハート型に近かったそうで、それがだんだん凹みがなくなってきて、まぁるくなったとのこと。
毎年ここで苗を植えて、秋には約5キロのお米が収穫できるそうです。
田植えをするのは学生NPO「農楽塾」というサークルの子たちで総勢30名ほど。
今年は例年になく新入会員が多いそうで、女の子も男の子も泥んこの中に足を突っ込み、ワーワーキャーキャー。
見ていると可愛くて、こっちの心も💛、目も💕になってきます。
取材という大義名分のもと、こういうところにズケズケと入り込めるのは、ライターの特権と言えるでしょう。
大隈庭園に遊びに来ている一般の人たち――家族連れやお年寄りのグループもちょこちょこ覗きに来ていました。
地域に開かれたオープンキャンパスになっているので、基本的に誰でも庭園内は自由に出入りできます。
そのため土曜の午後は大学と言えどもまるで現代社会の縮図のように、若者(学生)一人に対して、年寄り5人と言う感じです。
おそらく新宿区で唯一の田んぼである「わせでん」。
来週は近所の幼稚園の子供たちがここで田植え体験をしに来るそうなので、少しだけそのスペースを残して1時間ちょっとで無事終了しました。
それにしてもホントに若さは財産です。
でも若い頃はそんなことには気が付かなくて、ザクザク無駄遣いしちゃうんだよね。
でもでもそれがいいんだよ。
若さを貯金や利殖のためにこせこせしたって面白くない。
「もっと有効に使えたかな」と後悔するくらいでちょうどいい。
そうした思いがあるからこそ人間の味が出ます。
農業もサークルもバイトも恋もいっぱいしてほしいと思います。
ついでに勉強も。
海の日だの、山の日だの、いろいろできて、とうとう6月だけ取り残されて「国民の祝日」のない月になってしまった。
この際、「雨降り記念日」とか「田圃の日」とか「カエルの日」とか、6月にも祝日を入れたらどうなのだろう?
そこで思い出したけど、皇太子が結婚したのは確か6月じゃなかったっけ?
雅子さんはジューンブライドだった気がする。
元号が変わったら6月に「結婚の日」を作ったらどうだろう?
少しは少子化対策に役立つかも知れないし。
それにしてもこの国にやたら祝日が多いのは、公に認められた日じゃないと休めないから・・・ってことなのだろうか。
べつに祝日じゃなくてもいいいから、テキトーに休みましょう。
というわけで、僕はフリーランスの特権で、今月の後半は久しぶりに大型連休させて頂きます。と言っても10日程度ですが。
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