村上春樹の初期作品を再読する:「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」

 

 「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」は、僕を含む古くからの村上春樹ファンの間で最も人気の高い作品ではないかと思います。

 

 意識の世界「ハードボイルドワンダーランド」と無意識の世界「世界の終わり」。

 双方がシンクロして進行するこの物語は、素晴らしくエンターテインメンタブルで、とても自然に受け入れられました。

 

 でも今、読み返してみて驚くのは、その後訪れる1990年代の精神分析・心理学ブーム、さらに2000年代に入ってからの脳科学ブーム――これらによって精神科学、脳科学の知識が巷に浸透した――のはるか前に、この物語は書かれているということ。

 

 さらに言うと、主人公の「私」は「計算士」という職業で、これはいわば「コンピュータ人間」。コンピュータがやる情報処理の仕事を脳内でやる、という職業です。

 

 今ならそう突飛な発想ではないかもしれませんが、発表当時の1985年は、インターネットやケータイ、スマホどころか、まだパソコンが世間に普及する10年も前。やっとホームビデオが一般家庭向けに発売されたばかりの頃です。

 

 これもまたすごい先見性です。

 でも、読んでいる僕たちは「すごくススンデいる」なんて全く意識せず、ごくフツーにその世界観を受け入れ、小説を楽しんでいました。

 

 この“ごくフツーに受け入れ、楽しめる”というところが村上作品のすごさだと思うのです。

 

 これ以降、村上作品はファンタジー系にしても、「ノルウェイの森」のようなリアリズム系にしても、どれも「狂気」を描くことになります。

 なにげない日常を少しつっついてほじくり返す、あるいは皮をベロンとむくと、そこにあるのは狂気と暴力の世界。

 

 じつは処女作の「風の歌を聴け」からそうだった。それがこの作品から顕著になった。

 ということを今回の再読から改めて感じとりました。

 

 そして、僕たちはそうした「狂気」を狂気と感じられなくなった世界で生きている、といえます。“”

 僕たちはすべからく“21世紀の精神異常者”になっているのだろうなと思います。

 

 先週、新作長編「騎士団長殺し」が発売され、徹夜で並んで買ったという男性がニュースの取材に「村上作品は心の支えです」と話していました。

 

 村上氏の紡ぎ出す物語が、どれもこれもなぜ現代人の「心の支え」になり得るのか、いずれまた、いろいろ読み返して考えていきたいと思います。

 

 ところで、この作品には一角獣やピンクのスーツを着た太った娘とともに、「やみくろ」という、とてもこわーいメタファーが出てきますが、僕はどうしてもこの語感から「のらくろ」を連想してしまって、こわいのだけど何だか可愛くてポップ。そこがまた村上作品の魅力の一つになっているのです。

 

 というわけで、とりあえず今回の再読シリーズはここまで。

 



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村上春樹の初期作品を再読する:「羊をめぐる冒険」

 

 この再読にあたって、最初に読んだのがこの作品でした。

 前回も書きましたが、村上氏は最初の2作の出来に不満を持っていて、今のところ、外国語に訳することは許可していません。

 

 なので海外ではこの「羊をめぐる冒険」が第一作として認知されています。

 

 これは作者自身が、本格的な小説家としてのキャリアの出発点をこの作品としているということです。

 

 そこには「物語作家として生きたい」という深いこだわりがあるのだと思います。

 

 3部作最終巻「羊をめぐる冒険」は、(出だしには少しその名残があるものの)前2作の散文詩系の書き方から一変、ミステリーの要素を含んだ物語スタイルになりました。

 

 「耳のモデル」「いるかホテル」「羊博士」そして「羊男」など、古くからの村上ファンにおなじみの魅力あふれるメタファーがあふれ、村上ワールド全開といった趣です。

 

 こうしたメタファーとしてのキャラクターがいろいろ出てきて、読者に何かを訴えられるのも、物語としての枠組みがしっかり構築されているからです。

 

 

 かつて読んだときは、ずいぶんシュールリアリスティックで入り組んだストーリーだなと思いましたが、その後発表された重層的な構造の作品をいくつも読み慣れているので、わりとシンプルな感じがしました。

 

 物語としての深み・広がりは近年のものにはかないませんが、この作品の持つみずみずしさは何ものにも代えがたい。

 きっとそれは、初めてこの作品と出会った時の20代前半の自分の心象が作品世界に投影されているからでしょう。

 

 読者がそれぞれの心象を投影できる行間があるところが、村上作品のいちばんの特徴なのではないかと思います。

 

 そして、この物語を締めくくる最後の5行――とても簡素な文章で綴られた5行は、村上春樹全作品中、僕にとって最も印象深いラストシーンです。

 その深い余韻は、35年経った今読んでも、なんら色あせていません。

 

 

 僕は川に沿って河口まで歩き、最後に残された五十メートルの砂浜に腰を下ろし、二時間泣いた。そんなに泣いたのは生まれて初めてだった・・・(P405)

 

 “50メートル”“2時間”といった具体的な数字を使った表現が、このファンタジックな物語に不思議なリアリティを与えています。

 

 おとなが(子供もだけど)2時間も泣くことなんて、あり得ないとは言いませんが、人生でそう何度もあることではありません。

 

 2時間という具体的な表現に「ずっと」「長い間」「一晩中」といった抽象的な表現にはない、きっぱりとした重みがある。

 

 そのきっぱりとした重みが、村上作品独特のリアリティになり、たくさんのファンの心をつかんだのだと思います。

もちろん、僕もそのひとりで、村上作品のリアリティが心のどこかに根を張り、時間をかけてじわじわといまだに育て続けている。

 

 そしてこの後、まるで河口で川の水と海の水が入り混じるように、ファンタジーのフィールドとリアリズムのフィールドが相互に通じ合う世界が構築されていくのです。

 


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船村徹さんの告別式:またひとつ昭和にさようなら

昨日はまた鎌倉新書のウエブサイト「いい葬儀」の取材で、船村徹さんの告別式に行ってきました。

 

https://www.e-sogi.com/magazine/?p=8310

 

「昭和歌謡の大作曲家」ですが、正直、いまいちピンときません。

 もちろん知っている歌もいくつかあるし、「王将」は子供の頃の愛唱歌でしたが。

 僕を含むメディアの取材陣にとっては、数ある情報の一つですが、

 

 ところが、それは若い世代(僕はべつに若くありませんが)の話。

 団塊の世代以上の人たちにとっての船村さんは、僕たちにとってのサザンオールスターズにも匹敵する存在です。

 

 会場の外に集まっていたファンの皆さんにマイクならぬ、ICレコーダーを向けると、よくぞ聞いてくれた!という感じで、いかに船村さんの曲が素晴らしいか、いかに自分たちがその歌を愛しているかを熱く語ってくれました。

 

 昭和歌謡の大作曲家は、僕を含む現場のメディアの取材陣にとっては、数ある情報の一つですが、彼らにとっては自分の人生とともに生き、自分の心を歌にしてくれた、かけがえのない存在なのです。

 

 皆、ひとしきり話すと一様に「これでまた昭和が終わっちゃうねぇ」と寂しそうでした。

 

 もう平成になって30年近くたつけれど、彼らの中ではまだ昭和は終わっていない。

 昭和文化を創った著名人たちが一人ずつこの世を去っていくたびに、ひとつずつ、ゆっくりと昭和は終わっていくのです。

 

 


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村上春樹の初期作品を再読する:「1973年のピンボール」

 

 「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」と続く最初の三作は3部作となっています。

 ただ、最初から3部作という構想の下に書いたわけでなく、第一作の設定・キャラクターをそのまま使って話を広げ、深めた結果としてそうなった、のだと思います。

 

 村上春樹という作家は、もともとすごい発想の持ち主でもなく、斬新なテーマを時代や状況に応じて、さまざまなスタイルで縦横無尽に描く、というわけでもありません。

 

 当時の世間での(失礼ながら)「チャラいトレンディ作家」というイメージとは真逆に、むしろ愚鈍と言えるほどコツコツと地道に、自分の内部を掘り下げ、一作一作実績を積み重ねながら、作品世界を構築していきました。

 そのことがこの初期3部作で如実に示されていると思います。

 

 第1作で村上作品の特徴として印象的だったポップでちょっとファンタジックななメタファー(暗喩)は、第2作で208・209というシリアルナンバーみたいな数字のトレーナーを着た双子の姉妹、伝説のピンボールマシン「スリーフリッパーのスペースシップ」など、より魅力的なキャラクターやアイテムの形となって、作品世界を彩ります。

 

 また、後年の作品で、パンドラの箱を開けたみたいに出てくる狂気・暴力・グロテスクで残酷な描写も、まだ控えめながら現れます。

 

 今回の再読では、やはり3部作の2作目という位置づけを意識して読んだせいか、1作目と3作目とのブリッジになっているという印象が強かったです。

 

 散文詩的な「風の歌を聴け」からスタートしたこの作家は、3作目「羊をめぐる冒険」で物語作家に変貌を遂げました。

 

 この「1973年のピンボール」は前半は前作と同じく、散文詩のような書き方がされていますが、後半、主人公が幻となってしまったピンボールマシンを捜索するくだりになると、俄然、物語性を帯びてきます。

 

 そして、閉鎖された養鶏場の巨大な冷蔵倉庫の中で、その幻のマシン「スターシップ」を含む、50台ものピンボールマシンと遭遇する場面は、まるで映画のクライマックスシーンのように鮮やかな映像になって読み手の心に入り込んでくるのです。

 

 まだまだ浅く短く、シンプルなストーリーテリングですが、そこには確実に次作へのステップ、物語作家への脱皮の予兆が見て取れます。

 

 というか、実際は、作者自身が「これだ!」と、自作からこれからやるべき課題・可能性を見つけたのではないかと思うのです。

 

 ちなみに村上氏は、最初の2作の出来に不満を持っていて、今のところ、外国語に訳することは許可していません。

 自分の中では、いわば「習作」という位置づけにしているのでしょう。

 

 しかし、僕は「羊をめぐる冒険」と合わせた3部作として捉えると、その価値は大きく上がり、作家としての成長のプロセスもよく見えるので、訳さないのはなんだかもったいない気がするのです。

 

 久しぶりに出会った208・209の双子の姉妹はなんだかとても懐かしく、可愛くて、愛おしかった。

 バスに乗って、あの二人はどこへ行ったのだろう?

 


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村上春樹の初期作品を再読する:「風の歌を聴け」に潜む21世紀の僕ら

 

 最近、むかし読んだ本を再読したいと思うことが多くなりました。

 一度だけ読んだもの、遠い昔に読んだものは忘れてしまっているのです。

 忘れたものなど、さして自分にとって重要でないので、基本的にそのままほったらかしでいい、そうでなきゃ人生、いくら時間があっても足りないのですが、「あれはいったい何だったんだろう・・・」と思えるものがいくつもある。

 もう一度、目を通さなくてはいけないと駆り立てられ、1年ほど前から、それまで何十年もほこりをかぶっていた本を開いています。

 

 村上春樹の初期作品を読み始めたのは昨年の12月からで、読み始めるとすぐ「騎士団長殺し」という新作長編のリリースが発表されました。そういえば発売はもう今週末(2/24)です。

 おそらくまたひと騒ぎあるでしょう。

 新作長編を出すたびにニュース番組で採り上げられる作家は、村上春樹をおいて他にはいません。

 

 40年近く前、デビューした時、こんな世界的作家になると想像できた人はほとんどいないでしょう。

 デビューしてしばらくの村上春樹は、当時、バブル前夜の「ビンボー日本が終わり、金持ち日本が始まる」といった時代の空気を象徴する、流行作家・風俗作家――世間の評価もそんな感じだったし、僕の印象もそうでした。

 

 全体に軽く、乾いていて、いろんな商品のブランド名が散りばめられ、ちょっと知的なワードも埋め込まれ、なんとなくポップでナウい雰囲気が若者にウケている。

 

 それが村上春樹という作家のイメージでした。

 

 でも今回、デビュー作の「風の歌を聴け」を再読してみて、やはり当時、僕は上面しか読んでいなかったということを痛感させられました。

 

 ページをめくると、ぶわっと1980年代初頭の空気が吹き出し、なんとなく浮かれてたような気分が甦ってくる。

 文章の流れは小説というより散文詩に近く、キレのいいドライビールのような感じ。当時はそれがカッコよく、読む側はそれで終わっていた。それでいいと思っていた。

 

 だけど今読むと、その文章の裏・行間には、日本の経済が上り詰め、社会が熟した後―1990年代から今日にまで至る退廃、閉塞感、絶望感の萌芽のようなものが孕まれているのです。

 もちろん、のちの歴史を知っているから、そう読めるのでしょうが、。

 

 人間が長い旅路の果てにやっとたどり着いた豊かな現代社会が、あっという間に熟し、腐り、衰退していく。その裏に蔓延る、見えざる暴力・謀略。

 

 そんな中で、無力感に苛まれながら、なかば諦めたり、うんざりしながら、それでも一縷の望みを抱いてなんとか生きていこうとする「ぼく」「わたし」。

 でも、それを真正面からストレートに描いていたら、読む側も書く側もすぐにギブアップしてしまう。

 だから、ユーモアや一種のファンタジーのような要素を加えて表現する。

 

 いろいろスタイルを変え、メタファーを駆使し、バリエーションを増やし、スキルアップもしてきたけれど、そうした村上作品のテーマは、この約40年前の第一作から終始一貫していると思います。

 

 そして村上作品が日本のみならず、外国でも人気を博しているのは、彼の抱えるテーマが世界的に共通しているからでしょう。

 

 欧米各国でみずからのアイデンティティを守るために保護主義化の傾向が強まっているのは、成熟して腐り始めた世界をリセット・初期化したいという潜在意識の顕れかも知れません。

 

 たった40年で僕たちはずいぶん遠くまで来てしまった――

 この当時の村上春樹ならそんな書き方をするでしょうか。

 


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スーパーマーケットをめぐる冒険旅行

 

●スーパーよりどりみどり

 

 主夫なのでスーパーへ頻繁に行きます。

 うちの周囲――自転車で10分程度の圏内に10軒以上のスーパーがひしめいており、どこをご利用するかはその日の気分次第、という恵まれた環境なので、いつもとっかえひっかえ、あっちゃこっちゃに出没しています。

 

 ちゃんとデータを取っているわけではありませんが、だいたいどこがどんな品揃えになっていて、何が安いのかは頭にインプットされています。

 

 規模の違いもありますが、それぞれ個性があって、ダントツにここの品物・品揃えがいいとか、ダントツにここが安いとかはありません。

 それぞれ長所・短所があり、乳製品が安いなと思うところは、生鮮食品が少々高めだったり、全体的にお値段リーズナブルだけど、肉の品揃えが気に食わねえとか、何曜日は〇〇スーパーは魚が安いが、▽▽スーパーは野菜が安いとか、バラエティに富んでいます。

 

 おそらく各店、スパイを送りこんで他店の状況をリサーチしているのでしょうね。舞台裏の情報戦争は熾烈を極めていそうです。

そうでもないかなぁ( ´艸`)

 

 例外は三浦屋と成城石井。まぁ、どちらももともと高級志向なので。

 僕にとってこの2店は「ハレの日御用達」というところでしょうか。

 ちなみに成城石井のプレミアムチーズケーキの美味しさは絶品です。

 最近はクルミ入りとか、ブルーベリー入りとか、いろんなシリーズが出ていて嬉しい限り。ハレの日しか買いませんが。

 

●その日の店を選ぶ条件

 

 共通点もあって、だいたいどこも午前中に行くと、割引品がたくさん出ています。

 もちろん、賞味期限が迫っているものとか、節分やバレンタインなどイベントデーの売れ残り、季節的に市う品入れ替えのため・・・といった品々ですが、廃棄される運命から救うべく、積極的に購入しています。

 

 今日どこへ行くかは、

・時間的な余裕(歩いて3分と自転車10分では、やはりだいぶ違う)

・その日の体調(米、ダイコンやキャベツなどは重くてかさばるので、それなりの準備・心構えが必要)

・何を買うか

・どっかに行ったついでに寄れるか

 

 などの条件と、その日の気分を考え合わせて決めます。

 

●スーパーは社会科の学校

 

 スーパーは社会の縮図のようなところがあります。

 

 店内に並ぶ生鮮食品、アメリカ、中国、ベトナム、インドネシア、ブラジル、ロシア、ヨーロッパ各国・・・世界中から集まっている。

 国産でも、沖縄から北海道まで日本全国から。

 「国産」の表示もくせ者で、どういう経緯で「国産」になったかも単純ではない。

 また、なんでも国産が好まれるかというと、全然そんなことはなく、中にはイタリア産やスペイン産のうほうが好まれることも。

 で、なぜかイタリアやスペインなんかだと食品の安全性云々の話題は聞かれない。それだけ信頼が厚いということ?

 

 食品メーカーもスーパーの棚をめぐるライバル社との競争は熾烈。

 あ、あのメーカーのが消えて、代わりにこっちのが入ったとか、あの商品そろそろ飽きたなと思っていたら、パッケージが代わった、リニューアルした、とか、売れ行きや状況を見計らって、新商品投入のタイミングを決めたりとか、涙ぐましい企業努力が感じられます。

 

 値段の付け方もいろいろ気になるところです。

 

●スーパーに来ている人たちは面白い

 

 商品以上に面白いのが、それぞれのお店にいる人たちです。

 お客は当然、生活者。生活のために(食材などを求めて)スーパーにやってくる。でも来た以上は少しでも楽しみたいと、みんな考えています。

 そんな人たちが子供から年寄りまでウロウロしています。

 

 子供はスーパーが大好き。だいたいルンルンはしゃいでイキイキしています。

 ダダこねられて頭にきているお母さんもよくいますが、よほど迷惑かけてない限り、大目に見てやってほしいと思います。

 とくに赤ちゃんみたいな小さい子は泣いてもしかたないよね。

 あんまり申し訳なさそうに周囲に気を遣っているのを見ると、かえって気の毒になります。

 

 ここ数年でぐんと増えたのが、高齢の男性。

 「なんでおれはこんなところにいるんだ?」とでも言いたげな雰囲気の人から、十分買い物慣れした人まで、ちょっと見ただけでランキングできちゃいます。 やっぱり、スーパー通いにもスキルが必要です。

 

 車いすの人も増えました。介護ヘルパーの人が陳列された商品についてあれこれ説明したり、尋ねたりしているシーンにもよく出くわします。

 

 お年寄りや障害のある人たちはやっぱりお店が混まない午前中が多いです。

 

 お昼時にはスーツをかっこよくキメたお兄さんたちも、遠足に来た小学生のようにワイワイ弁当やパンを選りすぐっていて、これもまた笑えます。

 

●働く人たちの事情

 

 働く人たちの側も興味深い。

 昨今の労働事情・格差社会の現状が如実に反映されているようです。

 じつは妹が(離れて暮らしているので近所ではありませんが)スーパーのおばさんをやっていて、実家に帰るたびに裏事情をいろいろ話してくれます。

 その多くはグチですが・・・。

 この方面の話は長くなりそうなのでまた別の機会に。

 ちなみに最近はパートだの、バイトだのという呼び名はあまる使わず、パートナーとかクルーとかいうところが多いようであす。

 おばさん・おじさんのプライドを傷つけず、いかに気分よく働いてもらえるかが、店長・マネージャーの力量・才覚と言えるでしょう。

 

●いやしとエンターテインメントのスーパー

 

 ちなみに、あるお店でやたら男の客がよく並ぶレジがあって、見るとそこでは美人の若いお母さん(だと思う、たぶん)がレジ打ちをやっている。

 もちろん、ぼくも並びます。声も可愛らしく、接客も上手。思わず「おつりはいりませんから」と言いたくなります。

 いろいろよけいなものまで買ったりして。

 

 彼女がいるうちは、その店ばかりに通っていました。

 ところが、ある時からいなくなってしまい、心にドーナツのような穴がぽっかりとあいてしましました。

 そして、その後しばらくしてから、その店の店長が替わったという話を聞きました。

 もしや、これは店長との不倫? それが発覚して飛ばされたのか?

 人生、どこで何が起きるかわからんなぁ。

 ・・・といったスキャンダラスな妄想も含めて、スーパーは楽しい。

 

 一度、一日かけて各店をじっくり観察して回るスーパーツアーをしようと企画を練っています。

 みなさんも仕事に疲れたり、人生に退屈したりしたら、ぜひ近所のスーパーへ行って、買い物する振りをしてブラブラ店内を旅してT歩いてみてください。

 

 ただ、時々、思いがけず顔見知りと会って「あら、フクシマさん」と声を掛けられると、ドキッ!としちゃいますけどね。

 「あ、いや、なんか、ここで売っている油揚げが好きなもんで」とか言って、テキトーに笑ってごまかします。

 

 あるいは「きのうのお昼頃、〇〇にいたでしょ」とか言われて、見られていたか~! やばいです~となったり。

 別に何かやましいことしているわけじゃないんだけどね。

 

 


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藤村俊二さんの「献花の会」 おヒョイと逃げても味になる

 

 昨日は鎌倉新書の仕事で、先日亡くなった藤村俊二さんの「献花の会」の取材に行ってきました。

 

 祭壇は白とグリーンに統一され、献花はすべてカスミソウ。

 カスミソウが藤村さんの人生のテーマになっていたようです。

 

 俳優なら目立ちたい精神がないはずはないのですが、自分は真ん中でバラのように目だって咲き誇る存在ではないと悟り、そこを掘り下げたところに、藤村さんの成功の理由があったように思います。

 

 わきで目立たないからこそ却って目立つ、とても軽いのにすごい存在感があるという、あとにも先にもない、突出した個性を身に着け、自分のポジションを守り通しました。

 

 そうした生き方は、若い頃、日劇ダンシングチームのメンバーとして1960年代の欧米を巡った時に、欧米のダンスのレベルの高さに圧倒されて、「おれにはムリだ」と、その道を断念した――という一種の挫折と関係していると思います。

 

 「逃げるな」「あきらめるな」とよく言われますが、一度志したその道を究められる偉大な人など、ほとんどいない。

 また、そんな偉大な人だらけになってしまっては、世の中、息苦しくてしようがない。

 

 要はその逃げ方・あきらめ方の問題。

 はた目には愛称通り、ヒョイヒョイと生きてきたように見える藤村さんだって、どこ立ち位置を置くか、どうすれば自分が輝けるか、その部分ではすごく葛藤し、闘ってきたのだと思う。

 

 「闘う」なんて暑苦しい言葉は、藤村さんに似合わないけどね。

 

 好きなことしたい。でも生活していかなきゃいけない。

 そのはざまでみんな生きて、自分の人生をつくっていきます。

 

 藤村さんの挫折は、当時は逃げとか、あきらめとか言われたかも知れないけど、時が満ちればそれは、かけがえのない「経験」となり、最終的には俳優としての、おいしいスパイスになって、おおぜいの人を楽しませてくれたのだと思います。

 


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むかしのコロッケ、みらいのコロッケ、まあるいコロッケ

 

★コロッケはやっぱり「むかし」だ

 

 むかしむかし、「むかしのコロッケ」がありました。

 と言ってもそんなに大昔のことではなく、つい1年くらい前までです。

 うちの近所のスーパーマーケットで、それは毎週月曜日と火曜日に「広告の品」として1パック2個入り100円で売っていたのです。

 

 かなり大きなコロッケでした。

 そして大きいだけじゃなく、本当にむかし、僕が子供の頃、近所の肉屋で買ってきて食べていたコロッケのように、素朴で懐かしくて、おいしいコロッケでした。

 それを1パック2個食べたらおなかいっぱいになって、とても幸せな気持ちになりました。

 つまり、僕はその「むかしのコロッケ」が大好きだったのです。

 

 それになんと言っても、ネーミングがすてきです。

 「むかしのコロッケ」。

 ほのかな郷愁とともに食欲がそそられます。

 それに健康的で安心して食べられるイメージがあります。

 

★みらいのコロッケ、食べたい?

 

 これが「みらいのコロッケ」だったらどうでしょう?

 みんなが大好きな「みらい」ですが、食べ物に使うと、なんだか新種の添加物が入っていないかな?とか、

 もしや最先端バイオテクノロジーを駆使した“絶対に遺伝子組み換えだとはバレない”遺伝子組み換え技術を使って育てたジャガイモを原料にしているのではないかな、とか、

いろいろな疑惑を生み出しそうです。

 

 こと、食べ物のネーミングに関しては、安心、安全、健康、おいしい、やさしい、家族団らん・・・と、圧倒的に「むかし」の方が圧勝。「みらい」は完敗です。

 

★むかしのコロッケはこうして生まれた

 

 それにしてもこのネーミングはそれだけの理由なのだろうか?

 もっと何か深いドラマが「むかし」の裏にあるのではないだろうかと、僕は想像を巡らせました。

 

 こんなにおいしいコロッケなのだから、作っている人が気になります。

 僕の推理では、その人はやはりお肉屋さんなのではないかと思います。

 

 むかしむかし、明治時代から続く東京の下町の老舗お肉屋さんのおやじです。

 昔馴染みのお客さんたちに支持されて何とかやってきたものの、時代の激変を受けて商店街自体が傾斜し、さらに不運なことに病気でしばらくお店を休業したのがきっかけで、経営が行き詰まってしまいました。

 そして、ついにおじいさんの代から続いてきた由緒ある店を閉めることになってしまったのです。

 

 意気消沈するおやじに、うちの近所のスーパーチェーンの幹部になっていた友人が声をかけました。

 「あの味をうちの店の総菜として売り出さないか。

 いいギャラ出すぜ」

 

 こうしておやじは高額年俸で契約し、スーパーの厨房に入り、自慢のコロッケを揚げるようになり、たちまちそのおいしさがわが町の近所で評判になり、僕たちの心をがっちりつかんだのです。

 

★むかしのコロッケ消滅の真相

 

 ところが、この「むかしのコロッケ」は昨年3月末を最後に、もう月曜・火曜の「広告の品」として出てこなくなりました。

 なぜか?

 

 僕にはその理由に心当たりがあります。

 このスーパーの、道路を挟んだ斜め向かいに八百屋に毛のはえたようなミニスーパーがあったのですが、そこがちょうど昨年3月末に閉店してしまったのです。

 八百屋に毛のはえたような・・・と表現しましたが、品揃えは少ないものの、一応、肉も野菜も生鮮食品は一通り売っていて、どれも安くて品もそんなに悪いわけじゃない・・・ということで、じつは僕もどっちかというとそっちのミニスーパーでよく買い物をしていました。

 

 けれども月曜と火曜は「むかしのコロッケ」100円セールがあるので、大きいスーパーの方へ行く。行ったら、コロッケだけでなく、つい、ついでに何か買ってしまう。

 じつはスーパーにとって、このコロッケを2個100円、つまり1個50円で売るなんて、おやじの年俸を含むコストを考えたらとんでもない話なのです。本当はその倍の値段をつけたいのに。

 

 つまり、「むかしのコロッケ」は、ライバルのミニスーパーに対抗するための赤字覚悟の商戦ツールだったのです。

 しかしライバルが去れば、大きいスーパーはもう安心。もう無理して100円セールをやる必要もない。

 おやじは自由契約になり、どこかよその町へ行ってしまった。

 しかし、お客から「あのコロッケはどうしたんだ?」という声が届きます。

 

★まあるいコロッケ登場。だが・・・

 

 そこでスーパーは「むかし」に代わる新製品として「まあるいポテトコロッケ」というのを売り出しました。

 名前の通り、まんまるのコロッケ。そういえば、小学校の頃にこんなまんまるコロッケを食べたような記憶が・・・。

 かわいいネーミング、そして大人のノスタルジーをくすぐるような売り方ですが、「むかしのコロッケ」と比べると、味もボリュームもインパクトが数段劣り、よく言えばかわいい感、悪く言えば子供だまし感は否めません。

 

 というわけで、「むかしのコロッケ」は僕たちの記憶の中で生きる伝説となってしまった。

 ああ、また、食べたい。むかしのコロッケ。

END

 


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同じものでも立場によって違うものに見えるということを5本指靴下から学んだ

 

カミさんの5本指ソックスを洗濯したら、「この絵柄はバンザイしているオバケなのかな?」と思いました。

 履く人の目線から見るとそう見える。

 もしかしら、おでこに模様のあるキューピーかもしれない。

 そう思って見つめると、ますますそう見えてきます。

 

 ところが、この靴下を履いた人と向き合った人の目から見ると・・・

 バンザイおばけはワンちゃんなのでした。

 そういえば、他の指にはイヌの足あとが。

 

 文字通り、立場がひっくり返れば、同じものが違うものに見える。

 うーん、こんなところで哲学を勉強させていただくとは・・・。

 

 カミさんは鍼灸師で小児鍼をやっているので、この靴下は子供の患者さんにウケるのだそうです。

 逆バージョンで、バンザイおばけ靴下だったらウケるかなぁ。

 

 


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犬から、ネコから、人間から、ロボットからの卒業

 

 今年もお年玉年賀はがきは1枚も当たりませんでした。

 僕にはこういうくじ運はないようです。

 でも、年賀状を見返していると、脳にふくらし粉が入ったように、ぷうっと妄想が膨らみました。

 

 今年の年賀状でお友達の犬が2匹、犬を卒業したことを知りました。

 

 片や、以前作った「犬のしつけマニュアル」に出演してくれた、ますみさんちのなずなちゃん(ポメラニアン)。

 

 片や、一度もあったことなかったけど、毎年、干支にちなんだコスプレで楽しませてくれたチエさんちのゴン太くん(柴犬、それともミックス?)

 

 ささやかながら、お世話になった2匹の犬にどうもありがとう、とつぶやいた後、犬を卒業した犬はどこへ行くのだろう?そして次は何になるのだろう? という疑問にとらわれました。

 

 もしかしたら人間になって、今度は自分が犬を飼うのでしょうか?

 それとも天使になって、飼い主を見守ってくれるのでしょうか?

 あるいは先祖返りしてオオカミになって、荒野を駆けるのでしょうか?

 それともやっぱりまた犬に生まれ変わるのでしょうか?

 

 あれこれ学校教育を批判する人は大勢いますが、それでも日本人は学校というものが大好きです。

 その大きな理由の一つに「卒業」があるからです。

 卒業して次のステージに行く。もう一つ高いところへ昇る。

 大空のように無限の可能性が広がる世界。

 ――もしかしたら、そうした卒業という夢を抱くために、学校というものの存在価値があるのかもしれません。

 

 「卒業」という言葉を口にするとき、僕たちの心の中には、涙雨の後に過去と未来とをつなぐ大きな大きな虹がかかるのです。

 

 それは本当に美しい虹です。

 だから僕たちは、悲しい別れにも、いや、だからこそ「卒業」という言葉を使う。良いことだと思います。

 

 最近は、人間の場合も「人間卒業」とか「人生を卒業する」とか言います。

 人間は卒業したらどこへ行くのだろう?

 次は何になるのだろう?

 

 ロボットはロボットを卒業したら人間になるのでしょうか?

 これはストーリーとしてスジが通るなぁ。

 でも、品行方正で正しいことしかしなかったロボットが人間になったら、

 「これが人間らしさだ」とか言って、悪さをいっぱいしたり、自堕落な生活を送るかもしれない。

 

 ネコはどうだろう?

 なんとなく、犬は人間より下なので、卒業して人間になるというのは道理にかなっている気がしますが、ネコは人間と対等、それどころか、人間より上、というフシもありますね。

 

 全国各地でネコがニャアと神通力のようなものを使ったり、神秘的なお導きをしかおかげで、人間を救ったという話は枚挙にいとまがありません。

 だから猫神様として祀られたり、招き猫になったりする。

 ネコはもともと神様に近いので、ネコを卒業せず、ずっとネコのままなのかもしれません。

 

 楽しい妄想をさせてくれて、なずなちゃん、ゴン太くん、本当にありがとう。

わん。

  


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公務員の仕事は障害者にまかせよう

 

 受験シーズン。就職シーズン。

  最近、私立大学では就活学生のニーズに応じて、よく公務員試験の準備説明会を開いています。人気なんですよね、公務員。

 でも、その光景を目の当たりにすると「公務員って、大卒の健常者である必要があるのだろうか?」と思ってしまうのです。 

 

 公務員って職域は広いけど、基本は社会貢献の仕事。公僕です。

 もちろん最初は下っ端のパシリから始まるんでしょうけど、大学出たばかりの、社会のことをろくに知らない若い衆にふさわしい仕事なのでしょうか?

 フリーターでも何でも何年か、社会で揉まれてきた人の方がまだしも役に立つのではないだろうか?

 

 ま、学歴のことはさておき、健常者でなくてはならないのか、について。

 

 僕は公務員のうちの半分は、障害のある人が就くべき仕事だと思います。

 警官や消防、自衛隊などは身体能力が必要なので、これは健常者でないと務まらない。

 でも、いわゆる事務系の職域なら、最近はコンピュータ技術が進歩し、いろいろな設備が整えられているので、障害者でも健常者と大差なく、業務をこなせると思います。

 

 すでに一定の採用枠が設けられていますが、少なすぎるのではないか。

 少なくとも僕は役所関係のところにいって障害のある人が働いているところを見たことがありません。

 それとも地域によってはたくさん採用しているところもあるのかなぁ。

 

 企業に障害者を採用させようという動きも最近活発だけど、企業の場合は熾烈な競争したり、利益を上げなくてはならないというプレッシャーがあります。

 業種や経営の考え方によるけど、雇用するにはリスクが高い場合が多く、限界があるのではないでしょうか。

 

 ずいぶん前に障害者を雇用しているという、従業員100人くらいの企業に取材したことがあります。

 トップに、あるいは当の社員に聞いたわけではないので、真相はわからないけど、担当者へのインタビューからは、なんとなく「慈善事業をやっています」というニュアンスが感じられました。

 

 もちろん、それでも雇わないより大マシなんだけど、障害者の人たちだってそんな慈善やお情けなどで雇用されたくなんかないよね。

 

 公務員の仕事が障害者に適した職場だと思うのは、競争に勝とう、利益を上げようと、しゃかりきに頑張る必要のないこと。

 今後、とても大切になる弱者目線で街づくり、また、いろいろな施策・システムづくりを考えられること。

 そして、何よりも多くの人に働いている姿を見せられ、コミュニケ―ションもること。

 

 役所や公的施設は、不特定多数の市民が足を運ぶところです。

 そこで多くの人たちが、障害者と健常者がいっしょに働くシーンを目の当たりにできるのは、とても情報価値が高いと思うのです。

 

  人間は視覚から大半の情報を得ます。

 ウエブやパンフレットなどで「障害のある人もともに暮らせる社会を」などと美しい理念を訴えるのもいいけど、社会の模範たる公務員の世界で、そのものズバリの協働の光景が「これが当たり前なんだよ~ん」と展開していれば、自然と人々は納得でき、脳もそういう方向に調整されていくのではないでしょうか。

 

 さらに身近に障害者のいない健常者は、障害のある人とどう関わったらいいかよくわかっていない。

 へたに同情するようなことを言ってしまったら失礼になるのでは・・などと考えてしまってコミュニケーションできない。

 それがスタッフと利用者という立場なら悩まずコミュニケーションできます。そうしたコミュニケーションに慣れていけば、どんどん双方の溝は埋まっていくのではないでしょうか。

 

 「1億総活躍社会」と言っているけど、本気でそういう社会をデザインするのなら、まず、公務員の障害者枠を全体の半数に広げたらどうでしょう。

 そう難しいこととは思えないんだけど。

 


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