以前、「卒業式の詩と死」という
ブログ記事を書いた。
息子の高校の卒業式で聴いた
谷川俊太郎さんの詩についての話だ。
息子が卒業したのは、都立豊多摩高校。
谷川さんの母校である。
ただし、ご本人は学校が嫌いで、
戦後の混乱期だったこともあり、
ろくに登校していなかったという。
今でいう不登校の生徒だったらしい。
その谷川さんがOBとして、
1968年の卒業生の要請を受け、
「あなたに」という長編詩を創作して贈った。
以来、半世紀以上にわたって読み継がれてきており、
2015年の息子の卒業式の時も
ラス前に演劇部の生徒が朗誦した。
長いので、最後のフレーズのみ引用する。
あなたに「火のイメージ」を贈り、
「水のイメージ」を贈り、最後に「人間のイメージ」を贈る、
という構成だ。
あなたに
生きつづける人間のイメージを贈る
人間は宇宙の虚無のただなかに生まれ
限りない謎にとりまかれ
人間は岩に自らの姿を刻み
遠い地平に憧れ
泣きながら美しいものを求め
人間はどんな小さなことにも驚き
すぐに退屈し
人間はつつましい絵を画き
雷のように歌い叫び
人間は一瞬であり
永遠であり
人間は生き
人間は心の底で愛しつづける
――あなたに
そのような人間のイメージを贈る
あなたに
火と水と人間の
矛盾にみちた未来のイメージを贈る
あなたに答は贈らない
あなたに ひとつの問いかけを贈る
けっして上手な朗誦ではない。
しかし、圧倒的な言葉の連なりに、
会場は神聖な空気に包まれた。
こんな体験ができた子供も親も
本当に幸福だったと思う。
今も胸に残響している。
半世紀経とうが、1世紀経とうが、
色褪せるどころか、ますます鮮烈になるイメージ。
命の息吹溢れる言葉、呼吸し鼓動する詩。
日本最高峰の詩人・谷川俊太郎さんの
ご冥福をお祈りします。
龍神様の水を飲むと、どんな病気でも治ってしまうそうな。
んだで、おら、母ちゃんに頼まれて、
箱根の山まで龍神様に水もらいに来ただ。
昔ばなしの孝行息子よろしく、
九つの頭を持つ龍が吐き出す
「龍神水」を汲むだけのために箱根までやって来た。
頼んだのは母ちゃんでなく、カミさんだけど。
——というのは半分うそで、
「月曜に箱根に取材に行くよ」と言ったら、
「じゃついでに箱根神社に行って水汲んできて」
と言われたのだ。
この箱根神社(九頭龍神社)は芦ノ湖のほとり。
バスと歩きで小一時間掛かったが、
朝から出かけて昼過ぎには仕事が終わったので、
ちょっと足を伸ばして出かけてきた。
水筒1本とペットボトル2本に「龍神水」を詰める。
なんでもこの水、開運の水らしい。
辰年ももうすぐ終わりだし、
この辺で運気を上げておくと、
いいことあるかもしれない。
元箱根港のバス停(土日ならその一つ手前に
「箱根神社入口」があるが、平日は通過)から
芦ノ湖沿いにてくてく行って鳥居をくぐり、
まっすぐ進んで右手が89段の階段。
箱根神社につながるこの階段を登ると
「厄(89)落とし」ができるらしい。
階段を上り切ったところにあるのが、箱根神社本殿。
その横にあるのが、九頭龍神社新宮で、
2000年、わずか24年前に出来たばかりの新しいお宮だ。
九頭龍神社の本宮はここから3キロあまり離れていて、
けっこう歩くし、時間がないと行けない。
そんな箱根の観光客のニーズに応えて(?)
こちらの境内に新宮が建てられたという。
そんなご都合主義でいいのか?
と、ちょっと疑念も湧いたが、
ここでブレててもしかたがない。
「龍神水」は箱根山から湧き出ている霊水で、
”口にすることで不浄を洗い清めてくれる”といわれている。
恋愛運、家内安全・開運につながると大人気。
と、スピリチュアル系のサイトに書いてあったが、
この日、水を汲んでいるのは僕ひとり。
次々と容れ物を取り出して、水を智めていく様子を、
回りで東南アジア系の観光客が、
ぽかんとした顔で眺めていた。
ちなみに平日の箱根は外国人観光客もりもり。
日本人は3割から、せいぜい4割くらいか。
今年も残りひと月半を切った。
初詣に行く前に、龍のいるところに行って、
締め詣でをしておくといいかもよ。
というわけで、龍神水はまだ冷蔵庫に眠っている。
せっかくわざわざ汲んできたありがたいお水なので、
使うのがもったいない。
と言って死蔵させてしまうのが一番もったいないので、
明日、手を合わせていただきます。
もう7年ほど前だが、「最期の晩餐」をテーマにした
ラジオドラマのシナリオを書いた。
ミステリー仕立てにしたのがウケたのか、
コンクールで2回最終選考まで残ったが、
いずれも受賞には至らなかった。
いずれノベライズしようと目論んでいるが、
あっという間に月日が経って、
まだそのままほったらかしにしてある。
これはやはり誰もが興味を持つ、
おいしい題材らしい。
ドイツのホスピスで食事を提供しているシェフが
「人生最後の食事」という本を出しているし、
終活関係の仕事をやっていると、
ネット上で割と頻繁に見かける。
こうしたアンケート調査には
すすんで参加したくなる人が多いようだ。
単純に自分の好物を回答する人が多いと思うが、
そこに何か自分の記憶など、精神的なものを絡めて、
「あの時、その場所で、あの人と食べた○○」
という人も少なくない。
でもきっと「あの人」がいっしょにいなければ、
その食事の味を再現するのは難しい。
時間や場所も同様だ。
いくらその食事を作るのが超一流のシェフでも、
それは絶対不可能なのだ。
人生の最後に何を食べようか。
そう思い巡らせることは、
自分の人生を振り返る究極の終活だ。
ただ、いえるのは、
「最期にあれが食べたい」と言って、
意識的に最後の食事を選択し、口にできるのは、
まれに見る幸福者である、ということ。
そもそも死を前にした人は、
食欲などない。
僕の父親も母親も、
最期の数日間はほとんど何も食べられなかった。
母の最期の時、僕は介護士に
「食べたくないのなら、
無理に食べさせようとしないでください」
と頼んだ。
人は生きるためにめしを食う。
食は生きるエネルギーの源。
これから死んでいく人には不要なものなので、
食欲など湧くはずがない。
だから「最期に何を食べたいか?」という質問自体が、
夢みるファンタジーの世界の産物なのである。
それでも人は自分に、他の人に問わずにはいられない。
「あなたは人生の最期に何を食べたいですか?」
そうして人は記憶を辿り、ファンタジーの世界に没入する。
そんなことを考えると、死ぬまで人間は面白い。
信州では精進料理や長野産長寿料理などをいただいたが、
気がつくと、最近、食に関しては、
ヴィーガンおせちやら、
グルテンフリーレストランやら、
菜食指向・ヘルシー食指向の記事ばかり書いている。
カミさんがアレルギーだの、
刺激物に弱いと言った事情があり、
付き合っているうちに自然とそちらの
ベクトルに傾いていく。
しかも義母と一緒に暮らし始めてからは、
日々の食事をどうしても彼女の好み(甘辛和食)
に寄せていくので、
あまり本来の自分の好みを主張しなくなった。
僕の本来の食味は、辛いの大好き、刺激物大好き、
こってり大好き、油物・揚げ物大好き!
のはずだった。
ところがつい2週間ほど前、
カミさんとでなく、友人と一緒だったこともあって、
「あー、今日は久しぶりに
思い切りこってりしたラーメンが食いてえ!」
という脳の奥地から響いてくる叫びに従って、
九州とんこつラーメン屋に入り、
メニューのなかでいちばんこってりしていそうな、
マー油とニンニクたっぷりのやつを食ったところ、
途中で「これはヤバイぞ」という
心の声ならぬ胃腸からのアラームが。
なんとかぜんぶ平らげたものの、
家に帰った後、胸やけがしてしかたがない。
さらにその晩から翌日にかけて
腹を下してしまった。
頭の中は、まだ10代・20代の自己イメージが躍動していて、
健康だの、ヘルシーだの、しゃらくせえ!と一蹴し、
「カレーライスを5杯おかわりするオレ」
「焼き肉をガツガツ食いまくるオレ」
「コロッケとメンチカツを交互に10個ぱくつくオレ」
「角煮が乗ったこってりラーメンに、
餃子と半ラーメンをおともにして全部たいらげるオレ」
などが思わぬ拍子に飛び出してきて大暴れする。
が、現実の胃腸はもうとてもそれについていけない。
もう昔とは違うのだ、と現実を見つめ直し、
ひどい目に遇ってから反省するのだが、
未熟者なので、幻想に翻弄される悪癖を直せずにいる。
とは言え普段は、さすがに若者向けの
肉がっつりメニューの看板を見ても
心動かされることは少なくなったが。
肉食でも、菜食でも、ジャンキー食でも、
毎日おいしく食べられることは健康の証、生きる喜び。
感謝していただきましょう。
「わたしゃ殺生しないと生きられない。
だから、ご供養のために灯篭を寄進したいのです」
そう言って人間に化け、
長野の山中から善光寺参りをしに来たのはムジナ。
ところが泊まった宿坊「白蓮坊(びゃくれんぼう)」で
お風呂に入ってうっかり正体を現したところを、
宿坊の坊さに見られ、あわてて飛び出して山へ逃げ帰ってしまった。
そんなムジナを不憫に思った住職は、
ムジナの代わりに境内に灯篭を建ててあげた。
そんな昔ばなしが残る白蓮坊には、
今、入口にかわいい「むじな地蔵」が立っていて、
人目を集める「招き地蔵」「招きムジナ」になっている。
時に妖怪扱いされるムジナには、
タヌキ説とアナグマ説がある。
どちらも雑食性なので、
他の生き物を殺生するのは同じだが、
人に化けるというパフォーマンスから考えると、
ここではタヌキ説が有力だろう。
像もやはりアナグマではなく、タヌキに見える。
いずれにせよ、
こうしたユーモラスな昔ばなしが残るほど、
善光寺は動物に対しておおらかな場所である。
さすがに本堂のなかや建物の中には入れてもらえないが、
境内にはタヌキの親戚であるイヌが大勢散歩している。
仲見世通りのお店には「招き犬(豆柴)」もいた。
ネコも何匹か住み着いていて、
夜になると出て来るらしい。
そういえば「牛に引かれて善光寺参り」という
有名なことわざも残っている。
仏さまの聖域は、どんな人間も、どんな動物も、
ウェルカム状態なのだ。
訪れたのがちょうど七五三の季節だったので、
かわいい着物を着た子どももあふれていて、
昼間は宗教施設というよりも、
子どもや犬が遊ぶポップアートゾーンみたいな
イメージのところだった。
おおらかな気持ちになることが
ごりやくにつながるのだろう、きっと。
べつにガチで信心しなくても、
近所の神社やお寺の前を通った時、
神さまなり、仏さまなりに
日常的に手を合わせていると、
いいこと、いろいろあるかもよ。
長野は唐辛子の名産地。
ということで、善光寺の門前には
江戸時代から続く唐辛子製造販売の老舗
「八幡屋磯五郎(はちまんや いそごろう)」がある。
250年の歴史を経て、近年、
ポップでお洒落な唐辛子屋に生まれかわった同店には、
これまたしゃれたカフェが併設されている。
その店「横町カフェ」で特徴的なのは、
やはり辛い物のメニューが豊富なこと。
「七味唐辛子=和のスパイスと捉えた新しさ」と、
「七味唐辛子の伝統と信州の風土」を
感じてもらう店舗づくりを心掛けているという。
というわけで頼んだのは、
あい掛けカレー。
この店には、黒・緑・赤の3種のカレーがあるが、
それぞれ、大辛・辛口・中辛という感じ。
さすがに黒=大辛は厳しいだろうと思い、
緑と赤の2種類を掛けたカレーに。
これだけでも十分からい。
以前は辛いものが大好物だったが、
最近は、カミさんと義母に食味を合わせて、
マイルドなもの・どっちかというと甘口のものばかり
食べているので、すっかり辛味に弱くなった。
こってり系・油物などにも
急速に苦手石井が芽生えている。
さてこちら、横道カフェのカレーは辛いが、
写真の通り、野菜がたっぷり乗っかっていて、
イマ風ヘルシーメニューである。
感動するほどではなうが、普通においしい。
テーブルには隣りの唐辛子屋で売っている
バラエティ豊かな唐辛子がずらり。
パッケージもポップなデザインで、
「唐辛子=和スパイス」であることを強調している。
カフェなので、辛い物ばかりでなく、
ちゃんとコーヒー・紅茶やスイーツも用意されている。
面白いお店なので、
ぜび、長野・善光寺に行ったら寄ってみてください。
長野旅行では善光寺の宿坊に泊まった。
夕食は精進料理。
特に美味しかったのが「鰻のかば焼きもどき」。
豆腐と長芋を材料にしているそうで、
さすがに鰻とは思わないが、
食感と味はそれっぽくてGood。
これなら何枚でも食べられる。
ほかに手前のお椀に入った
グレーの「そばプリン」が秀逸。
プリンという名だが、スイーツでなく、立派におかず。
茶わん蒸し的なイメージだ。
こちらの宿坊「尊勝院(そんしょういん)」は、
善光寺で39ある宿坊の一つ。
昭和の時代まではどこも大賑わいだったようだが、
最近ではあまり泊まる人がなく、
3割程度しか稼働していないらしい。
交通が発達した今日、
東京からだと善光寺参りなど、
ほとんど日帰りでOKだ。
ただ「お朝事(早朝参拝、お数珠頂戴)」
「十夜会(この時期だけやっている夜の法事)」
などは泊まらないと参加できない。
お宮だったら伊勢参り。
お寺だったら善光寺参り。
江戸時代の人たちは「一生一度」と謳ったが、
齢を取ると宗教がいいものに思えてくる。
(おかしな新興宗教には用心するけど)
さらにあんまり肉や魚を
がつがつ食いたいという欲求が薄れて
精進料理なども好きになる。
善光寺があるから、というわけではないだろうが、
長野の菜食はなかなかのクオリティである。
やはりトランプが大統領に返り咲いた。
これは僕の印象だが、
ビヨンセやレディガガの応援よりも、
イーロン・マスクの応援のほうが効果があったようだ。
Xをやっている人は、この数か月。
おそらく毎日のようにマスクの
トランプ応援投稿を目にしていただろう。
音楽や映画も大事だが、
人権や多様性や差別なき社会も大事だが、
それよりも今日のメシ、寝床、
明日・明後日・来年を暮すカネだ。
文化よりもビジネスなのだ。
寂しいことだが、そういう時代になっている。
トランプが当選したことで。
株価や仮装通貨の値が上がって、
金持ちはますます肥え太る。
マスクもそういう目論見があって、
多額の援助金を出してトランプを支持をしたようだ。
そういう意味ではアメリカ経済は成長するだろう。
けれども、一般の人はその恩恵に与れるだろうか?
難しいと思う。
政治のトップが変わったからといって、
上層のわずかな人たちが儲かり、
その下、9割方の人たちが沈んでいくという経済構造は、
ほとんど変わらないに違いない。
それはアメリカだけでなく、
日本やヨーロッパも同じだ
それでもトランプのカリスマ性は、
とりあえず、多くのアメリカ人に
一定の安心感をもたらすだろう。
経済力と伝統的な文化を尊重する
「アメリカ・ファースト」。
トランプはその思想のもとに
世界をし直そうとするだろう。
ウクライナやガザの戦争にも何らかの解決策が生まれて、
かりそめの平和が訪れる可能性も小さくない。
日本はたぶんうまく付き合っていくと思う。
それがこれからの4年間で起きること。
そして、そこまでがトランプ大統領の役割。
ではその後は?
かなり不気味だが、
今を生き延びなくては明日はない。
生き延びながら考えていくしかない。
亀戸~大島界隈で運動特化型のデイサービスをやっている
「あづまや/わかったグループ」が、
今月1日に亀戸駅前に新店舗をオープンした。
1Fは1号店と同じ、
要介護者用のサーキット方式トレーニングだが、
2Fは常圧低酸素ジム[3po」になっている。
低酸素ジムは、
もともとアスリートのために開発された施設で、
一口で言えば、高地トレーニングの環境を模し、
気圧はそのままで、
酸素濃度だけを低くするというシステムを備えている。
常圧のまま、部屋のなかを低酸素化し、
体に負荷を与えることで、細胞を良質化。
わずかな運動量で大きな運動効果を生み出すことが
最大の特徴だ。
目的を、運動選手のトレーニングから
一般の人の健康維持に変えたこの施設が
今、急速に普及し始めているという。
効果としては、
病気になりにくい。
骨折などの怪我が早く治る。
疲れにくくなる。
まら、睡眠が深くなる。
肌つやが良くなる。
血流が上がるので、体が冷えにくくなる
といった事象が報告されている。
過去10年ほどの間、この低酸素ジムの普及に努めている、
フィットネス業界の専門家の話によれば、
現在、東京では25カ所ほどが
一般向けに開設されているそうだ。
ただし、これを介護事業として展開するのは、
ここが日本で初めてとのこと。
これまで運動特化型デイサービスで
実績を上げてきた
「あづまや/わかったグループ」だからこそ、
取り組める事業とも言えるだろう。
超高齢化社会が到来し、「人生100年時代」になった。
とはいえ、寝たきり状態で長生きするのは
本人も周囲も辛い。
問題は実際の寿命よりも、
元気で動き回れ、自分の頭で考えられる
「健康寿命」であることに
異議を唱える人はほとんどいないだろう。
病気にならない。予防する。
いわゆる「未病状態」をできる限り保つ。
健康であり続ける。
この事業は、そうした高齢者・高齢者予備軍の意識に
焦点を置いた、画期的な試みといえるだろう。
ちなみにこの施設の名前
「3Po(さんぽ)」の3つのPoは、
「Potential(潜在能力を引き出す)」
「Puwerful(元気を保つ)」
「Positive(前向きに生きる)」
僕が見学したのは、プレオープンの日だったが、
実際にオープンしてどんな状況になっているのか、
また今月後半に取材に出向く予定だ。
わが「恐怖」の原点。
かつて子どものマンガに確実に
「恐怖」というジャンルがあった。
その創始者であり、第一人者であり続けたのが、
楳図かずおだった。
小学校の低学年の頃、
わりとお金持ちの、仲の良い女友だちがいて、
その家によく遊びに行っていたのだが、
そこに楳図マンガが連載されていた
「少女フレンド」(だと思った)が揃っていて、
その置き場所には怖くて寄りつけなかった。
「リング」の貞子が
テレビの中から抜け出してきたように、
雑誌の中から「へび女」とか「ミイラ先生」が
這い出してくるのを想像していたのだろうと思う。
その後、少年漫画誌で「猫目小僧」とか、
「半魚人」とか「恐竜少年」とか、
いろいろな楳図製恐怖マンガを読んだが、
なぜか少女系のほうが圧倒的に怖かった。
「女は怖い」という、僕の感情のOSは、
楳図かずおによって生成されたのかもしれない。
うちの母親がもっと美人で優しかったら、
「この人、へび女にならないだろうな」
と思ったかも‥だが、幸か不幸か、
あんまりそういう雰囲気の人ではなかったので
助かった(?)
いっしょに住んでいた若い叔母は
ちょっとその方面の雰囲気を持っていたような気がする。
それにしてもあんな怖いマンガを
毎日、描きまくっていた、
当時の楳図かずおの頭の中は
いったいどうなっていたのだろう?
ご本人は「ぜんぜん怖くなんかないですよ」と
言っていたが、自分なら気が狂いそうだ。
その後、ギャグやSFの分野でも
とんがった才気を見せつけ、傑作を量産。
しかもそうした恐怖、怪奇、ギャグ,SF、
ファンタジーなど、それぞれの要素が
重層的にクロスオーバーし、
誰にもまねできない「楳図ワールド」を構築した。
そして、その核には「人間」がいて、
人間が奥底に持つカオスのようなものについて
考えさせられる。
楳図かずおは人間の深いところを、
その不可解で不可思議な在り方を、
とことん掘りまくることによって、
最も原始的な感情である「恐怖」をベースとした
独自の世界をつくり上げたのだ。
そういう意味で
「まことちゃん」は「猫目小僧」の弟であり、
「おろち」は「へび女」の娘であり、
「漂流教室」と「14歳」「わたしは真吾」などは、
同列に展開するパラレルワールドになっている。
個人的に最も胸に刺さったのは、
連作オムニバス「おろち」の「秀才」だ。
「おろち」は、不滅の存在である少女
(萩尾望都「ポーの一族」のバンパイアに似ている)が
時空を旅して、人間界のさまざまな時代・場所で、
人間同士の感情が絡み合って起こるドラマに
関わっていくという話。
「秀才」はそのかなの一遍で、
教育ママとその息子の物語だが、
それまで持っていた「オバケマンガ」の概念を破る
深い人間ドラマに驚愕した。
読んだのが小学校高学年で、
大人のドラマに興味を持ち始めた時期だったので、
よけい感動したのかもしれない。
「秀才」は今でも十分通じるドラマで、
現代社会における母親という存在の
愛の深さゆえの罪深さを描き出した傑作だ。
まちがいなく歴史に名を留める漫画家・芸術家。
日本のマンガ文化の重要なパーツとなる孤高の作家。
そして最後まで自分のぶっ飛んだ個性を貫き通した
楳図かずお先生。
人間の怖さ・驚くべき世界を見せてくれてありがとう。
ご冥福を祈ります。
11月の花はリンドウ。
行きつけの花屋さんをモデルにした小説を書いてる。
1万字~1万5千字程度の短編にしようと
夏の暑くなり始めた頃から書き出したのだが、
いろいろ話が展開し、
途中で止まったりして、かれこれ4カ月。
2万5千字を超えたところで
やっと完成のめどが立ってきた。
年内には何とか出版できそうだ。
今年は春先に長編を1本書き上げたので、
あとは短編を2~3本書こうと思っていたが、
かなり苦戦した。
ちょっとと体力が落ちて疲れやすくなり、
感情の流れの混乱がうまく収拾できないことが増えた。
小説は普段書いている文章と違って、
事実を綴ったり、理屈をこねたりするだけでなく、
それらと合わせて
自分の感情を掘り起こす作業だと思っている。
ぜひ表現してみたい感情があって、
それを登場人物のセリフにするために、
ストーリーや場面設定を作る場合もある。
逆に思いついたストーリーに引きずられて、
すっかり忘れていた感情がよみがえったり、
まったく思いもかけなかった感情が
登場人物のセリフに乘って現れたりする。
どっちも面白いが、根気よく書き続けないと出てこない。
アスリートと同じで、
つねに体のコンディションを整えていないと、
自分の感情と格闘できないのだ。
最近は最初のプロットを作る段階で、
AIと会話してヒントを得たりする。
感情を引き出せるストーリー作りのためなら
AIに手助けしてもらうのもよし。
そうして作ったものを何本か塩漬けしてある。
僕たちは日々、
自分の感情をあまり表に出さないように
コントロールしながら生活している。
読む相手がいる限り,SNSでも
感情全開でぶちまける、というわけにはいかない。
感情を抑えつつうまくやっていくためには
いろいろな方法があるが、
小説というフィクションの形にして
表現するという仕事は、
ひとりでできるし、場所も問わないし、金もかからない。
小説はただ感情をぶちまけるのでなく、
ストーリーやキャラクターとともに
一つの作品として形にするので、
よりクリアな記録して、貴重な人生の記憶として
遺すことができる。
今、小説は誰にでも書ける。
文才なんていらない。
僕がそのいい例である。
自分で面白いと思えるアイデアがあれば、
AIの助けを借りて、
オリジナルストーリーを作ってみればいい。
それが人にウケるかどうか、
読んでもらえるかどうかは、また別の話だけど。
アメリカ大統領選は、大接戦が伝えられているが、
間近になって、トランプ圧勝の予感がしてきた。
そう感じてしまったのは、
カギを握ると言われているペンシルバニア州に住む
ベネズエラからの移民の男性が、
トランプ支持を強く訴えているのを、
テレビで見たからだ。
彼がトランプを支持する理由は、
「移民問題よりも経済対策のほうが大切だ」から。
一人の意見だが、多くのアメリカ人の意見を
代弁しているように思えた。
しかも彼は、トランプの敵であるはずの移民である。
結局、アメリカ人が選ぶのは、
理想や清潔さや国際政治に対する責任よりも、
目の前のカネと仕事の問題なのだ。
けれども、その移民の男性を批判する気にはならない。
彼、そして多くの労働者たちにとって
切実な問題だ。
貧困でまともな生活ができない状態では、
いくら正義の話や理想論を聞かされても、
前向きに考えることはできないだろう。
片や民主党は、ハリウッド俳優や大物ミュージシャンたちが
支持を表明し、応援をしている。
しかし、僕には何かむなしく見える。
ああしたセレブたちのファンは大勢いるだろうが、
一生カネに困らない大金持ちたちの訴えを
「はい、そうですね」と聞くものだろうか?
ファンであることと、投票行動は別である。
それにセレブ達に支持されるほど、
カマラ・ハリスに大物感・やり手感がない。
比べちゃ悪いが、彼女の言動を垣間見る限り、
ヒラリー・クリントンのような
強さ・リーダーシップが感じられないのだ。
アメリカ社会の実情は知らないが、
ドジャース対ヤンキースの
MLBワールドシリーズの入場券が、
外野の立見席でさえ、数十万円に値上がった
という話を聞いて、
やっぱりこの国はクレイジーだと思った。
みんなの娯楽・みんなのお祭りであるはずの野球が
金持ちじゃないとリアルに体験できない状況に、
大多数の労働者は、やってられない感を
抱いたのではないか。
格差社会の大きさ、貧困層の過酷さは、
日本の比ではないのだろう。たぶん。
それがこの4年間の民主党政権で、
好転したという話は聞こえてこない。
世界情勢も混とんとするばかりである。
トランプが再選されたら、どうなるのろう?
今後の僕たちの生き方にも
けっこう大きな影響がありそうな気がする。
「マイナビ農業」で取材・執筆した
「ヴィーガンおせち」の記事がアップされた。
https://agri.mynavi.jp/2024_10_30_286955/
千葉県香取市の「アクスクリー」
という会社が運営するお惣菜店
「畑の台所まんぷくさん」が提供。
「ヴィーガン」と銘打つからには、
卵も、バター・チーズなどの乳製品も、
かつおやいりこなどの魚のだしも、
動物由来の食品は一切使わない。
それでおいしいものを作るには、
かなり高度な調理の技術とセンスがいる。
このお惣菜店は、そのへん定評と信頼があり、
聞くところによると、先月後半から受付を始めて、
すでにけっこう注文が入っているようだ。
奇しくも今日、11月1日は「世界ヴィーガンデイ」。
ベジタリアンは食に関しての菜食主義。
動物を殺さなければOKなので、
卵や乳製品を口にすることは認められる。
対してヴィーガンは食に限らず、
“動物から搾取して生きることを否定する”という
一種の哲学・ライフスタイルの在り方のムーブメント。
なので食に限らず、
毛皮・ウール・革製品などを身に着けることも
すべてNGだ。
たぶんその他にも、動物の脂を使った製品とか、
羽毛布団やダウンジャケットなどもすべてダメだ。
そんなこと現代文明の中で可能なのか?
そう思ったあなた、そうです僕も同感です。
たまにシャレでヴィーガン料理を
体験してみる分にはいいけど、
アレルギーもないのに、
毎日、肉・魚・卵・乳なしでやってられるか!
いったい何を食えばいいんじゃ!
でも、そう考えてしまうあなたや僕は、
すでに「旧人類」「20世紀型世代」
の域に入っているのかもしれません。
近い将来、人類の蛮行を正し、
この星の平和を守るために、
地球政府の運営権をAIが握ったとしよう。
20世紀までの人類の罪業を学習したAIは、
持続可能でクリーンな社会をつくるために、
これ以上、動物から搾取することは
まかりならん!
そんなルールを設けるかもしれない。
そしたら、タンパク源やエネルギー源はすべて植物性に、
肉も魚も工場生産の
人工的なフェイクフードになるかもしれない。
つまり地球人口が皆ヴィーガンになる日が来る。
そんな可能性もゼロではない。
というのは毎度おなじみの僕の妄想だが、
時代の要請に応じて人間の脳は
いくらでも変わる。
もしも「この先、人類が地球で生き残るためには
ヴィーガンにならなくてはいけない」
という、やむにやまれぬ必要が生まれたら、
一夜にして人間はそれまでの習慣を捨て、
新しい習慣を身に着けられるだろう。
というのも、また妄想なのだけど、
新年を迎える際に新しいことに挑戦するのはいいことだ。
おせち市場はこの10年あまりで大きく成長したが、
そろそろみんな、あれこれ手を変え品を変え
出してくる高額・贅沢おせちに飽きてくるころである。
この際、2025年の正月は、
「ヴィーガンおせち」を味わいながら、
人類の未来、地球の未来に思いをはせてみては
いかがでしょう?
競争社会の中でまじめな人、
がんばる人、向学心がある人ほど、
だまされたり、ひどい目に遇いやすい。
「あなたは政府やら大企業やら、
世のなかの権力者の言うことに騙されているのです。
または昭和時代の大人が言っていた
常識に縛られているのです。
『そんなうまい話があるわけない』
『ラクして儲けられるはずがない』
『汗水たらして働くことをバカにしてはいけない』
というやつです。
これらはみんなウソか、時代遅れの人生訓です。
それに縛られている限り、人生はどん底のままです。
わたしたちはそうした呪縛から自由になり、
いまや月○百万円に稼ぐことに成功しています。
あなたはいつまで労働搾取され続けるのですか?
いつまで奴隷の身分に甘んじているのですか?
さあ、私たちと一緒に自由になって稼ぎましょう!」
と、人生のどん底から這い上がったとかいう
逆転サクセスストーリーを持つ人たちの、
こんなメッセージをちょくちょく目にする。
この20年あまりの間、
世の中に大量の自己啓発本、自己啓発セミナー、
また、それらに関連するネット情報が出された。
そのなかには、あなたは政府やら大企業やら、
社会の権力者に騙されている、
と警鐘を鳴らすものが少なくない。
それ等の元ネタに悪意はないのだろうが、
歪めて解釈してしまっている人は
大勢いるかもしれない。
そうした概念を頭に入れて、
世の中の情報を見るようになった。
搾取とか、奴隷とか、刺激的な言葉は印象に残る。
自分は大切な情報を知らないがために
大損している愚か者なのだ。
なんとか逆転しなくては。
そう考える人たちが大勢生まれてしまったのではないか?
投資サギやインチキマルチなどに引っ掛かって
大金をだまし取られたり、
人生半ば放棄して闇バイトをやっちゃう人たちの中には、
そうした「愚か者の大逆転」をもくろむ大人、
さらにその子供が大勢いるような気がする。
世の中の仕組みの真実を知るのは容易ではない。
たしかに僕たちは誰かに搾取され、
奴隷にされている部分があるのかもしれない。
そう考えて発奮するのはいいが、
またそこでだまされたり、
自己放棄、人生放棄しては、愚か者二乗である。
そうならないためには、お金以外の分野の
価値観を作ることしかないように思う。
それが何なのかは人それぞれだから、
ひとりひとりが自分にとって何が一番大事なのか
考えるしかないけど、
勝ち負けとか、金持ちか貧乏人かとかの
二元論にこだわっていると、
頭がおかしくなって、ろくなことにならない。
負けてもいいとか、夢なんか諦めてもいいとか、
資本主義社会のなかで自由に生きるとか、
ちがった意味での自己啓発をしていこう。
土曜日に亀戸に行った帰り、
立憲民主党の野田代表が
駅前で演説しているのに出くわした。
大勝おめでとう。
でもだいじょうぶかな?
15年前の政権交代。
「悪夢の民主党政治」と、
安倍元首相は繰り返し、国民に刷り込んだ。
確かに悪夢だったかもしれない。
旧民主党が失態を繰り返し、
「やっぱり変えてもだめだ~」と、
国民を失望させた罪は大きい。
もともと変わるのが大嫌いな日本人が、
ますます政治を変えることに消極的になった。
おかげであの時は、自民党のアピールが説得力を持った。
そして目先だけの経済政策がウケて、
多くの国民が安倍政権を支援した。
それに乗じてこの10年あまり、
裏金問題をはじめ、やりたい放題。
「1億総活躍社会だ!」
「みんな100まで幸福に生きよう」
なんて美談が語られる一方で、
若者も高齢者もカネのことで頭がおかしくなり、
振り込め詐欺、投資サギ、インチキビジネス、
果ては闇バイトによる強盗殺人が横行する
社会になってしまった。
「悪夢の自民党政治」の成果。
これまた「失われた10年」ではないか?
しかし、これはこの10年あまりのことだけでなく、
昭和・平成と続いてきた、
この政党の生活習慣病みたいなものである。
僕の人生に匹敵するほど
長期にわたって築きあげた利権構造は、
ちょっとやそっとで崩れない。
今回の選挙で立民が大躍進したが、
野党第一党ということで、自公政権にお灸をすえるために
仕方なく投票したという人もすくなくないだろう。
けど、「お灸をすえる」なんて、
甘っちょろい、のんびりしたことを
言っていられる状況なのか?
かつてのトラウマもあるし、
そもそも立民に野党を束ねる力がないので、
すぐに政権交代には繋がらないだろう。
これからどうなっていくのか、
まず見守るしかないのだが、
このひどい状態を作り出した最大の原因は、
53%という、前回を下まわる低投票率がある。
いくらネットが普及し、SNSが広まっても、
結局、政治のことなど、みんな他人事だから、
情報などあってもなくても同じなのだ。
だけど政治を、生活の基盤となる社会構造を
いつまでも無視できるのか?
経済問題のみならず、
ロシア、北朝鮮、中国の動きなど、
国際情勢もやばいし、
アメリカももしトランプが再選されたら・・
という不安がある。
イスラエルとパレスチナの戦争も
まったく影響がないわけがない。
そして、今回の選挙ではほとんど触れられなかった
少子高齢化問題や教育問題。
耳障りの良い美文フレーズばかり聞かされて、
こうして手をこまねいているうちにも、
僕たちはどんどん齢を取っていく。
いやがおうでも、日本にも何か大きな変化が迫っている。
自分を含め、変化がきらいな日本人も、
近いうちにまた、
何らかの悪夢を見なくてはならない。
そんな覚悟も必要なのではないかという気がしてしまう。
毎月、ウェブサイトのコラム記事で
世界の終活映画の紹介をしているが、
フランスの近年の代表的な終活映画が
「パリタクシー」だ。
あらすじはシンプルで、これから施設に入居するという
92歳のおばあちゃんが、自分が住んでいた家から施設まで
タクシーに乗り、回り道をして、自分が暮らしてきた
パリの街を周遊するという物語だ。
タクシードライバーは当然、ひと癖ある中年男。
(変な奴が絡まないと、映画として面白くない)
いいおっさんだが、年齢は彼女の半分の46。
いわば息子と孫の中間みたいな、微妙な年齢設定である。
フランスも高齢化社会が進んでいるので、
こうした設定も面白く見える。
そしてまた、彼は当然のように、人生に問題を抱え、
経済的トラブルに苛まれている。
それでも救いは、彼がなんとか家族を守りたいと
考えているところだ。
しかし、タクシードライバーのギャラでは、
とても短期間にこのトラブルを解消しようにない。
つまり、追い詰められているのである。
しかし、ご安心を。
彼はけっして闇バイトに手を染めたり、
乗客であるおばあちゃんを脅したり殺したりして
カネを奪ったりしない。
これはそうした類のブラックなドラマでなく、
コメディ要素の強いヒューマンドラマである。
だから、こうした映画のお決まりで、
最初、ぎくしゃくしていた二人の仲は
しだいに打ち解け、おばあちゃんは
自分の思い出を彼に物語るようになる。
じつはその内容が、かなりブラックである。
僕が驚いたのは、彼女が若い時代、
1950年代のフランスでは、
まだひどい女性差別がまかり通っていたことだ。
何となくではあるが、20世紀にあって、
芸術・文化が発達したフランスは、
世界で指折りの先進的な国で、
女性が大事にされていたーーというイメージがあった。
この映画で語られていることは、
たぶん史実に基づいていることだと思うので、
かなり意外だった。
ほとんど昭和日本と変わらない。
もっとひどいぐらいである。
そして、彼女がより悲惨なのは、
暴力をふるった夫だけでなく、
可愛がった息子にも裏切られてしまうこと。
息子の裏切りは、当時のフランス社会の
現実を象徴しているのだろう。
普通のおばあちゃんのように見えたのだが、
ヘヴィなドラマを抱え、社会の差別と闘って
92歳まで生き延びたのだ。
厳しい人生だったが、
それでも私は良い時代を生きたと、彼女は語る。
そんな彼女の心情を表すかのように、
全編にわたって古いジャズが心地よく流れていく。
最後はとても心あったまる終わりが待っている。
てか、こんなおとぎ話みたいなオチって、
いくらヒューマンタッチの終活映画とは言え、
今どきアリ?みたいな感じ。
でも、人生がこんなおとぎ話で終わるならいい。
観た人の多くが、きっとそう言うと思う。
今年4月に学生時代の友だちが亡くなったので、
先週、同級生を集めて「偲ぶ会」をやった。
訃報を聞いた時は、そうでもなかったが、
こうした会を開いたり、追悼文を書いたりすると、
その友だちが、この世界にいなくなったという事実が、
後を追ってじわじわと体に沁み込んでくる。
まったく思いがけないことだったが、
おかげでこの1週間ほどメンタル不調に陥った。
20歳の頃、いっしょに劇団を立ち上げた仲間だったので、
ちょっと特別な存在だった。
ただ、20代後半以降は
これといって親しく交流していたわけではない。
年賀状で近況報告をやりとりしていただけだ。
出会って5年間ぐらいがすべてと言ってもいいくらいだ。
若い時代は損得勘定抜きで、
いろんなやつと付き合っていた。
「抜き」というより、アホだったので、
どうすれば損で、どうすれば得なのかが
そもそもわかっていなかったと思う。
けれどもそうしたアホな時代の思い出こそが、
ここまで生きてくる間、
心を満たす財産になっていた。
そして、この財産は一生残り続けるのだろう。
もし、認知症になったら、
社会人としての分別や損得勘定は忘れてしまっても、
アホな連中と演劇をやった記憶だけは残るのかも。
心の底から楽しんで、一生懸命やったことは、
きっとずっとそのままだと思う。
Where is a Dog?
「犬はどこにいるの?」というのが店名。
吉祥寺にあるグルテンフリーのカフェで、
「ヴィーガンライス」を食べた。
肉に見えるのは大豆ミートだ。
日本人の主食はコメだが、
昨今のパン、麺類、パスタの人気を考えると
半分とまではいかないまでも、
主食の3~4割は小麦由来が
占めているのではないかと思う。
けれども、この小麦が
健康トラブルのもとになっている人が意外と多いようだ。
もともと小麦を主食としている欧米人が、
小麦がアレルゲンとなっていることに気付き、
グルテンフリーのムーブメントが広がっている。
それなのに、伝統的にコメと大豆を食し、
世界に冠たるグルメ大国にもなっている日本が、
この方面にひどく疎いのはなぜだろう?
しかもグルテンフリー食品は、ずいぶん高価で、
あまり気軽に手を出せるものではない。
もっと気軽にグルテンフリーや
ヴィーガン料理を食べたい・体験したい
という人は多いのではないか?
そうした人にとって、
ユニークな店が多い吉祥寺は
探索のし甲斐があるのでないかと思う。
さて、「犬はどこにいるの?」というこの店、
入ってみると、店内はネコだらけ。
でも、この中に一匹だけ犬がいる。
ぜひ一度、犬を見つけに行ってください。
東京博善の「ひとたび」というオウンドメディアで、
毎月、「世界の終活」に関するコラム記事を書いている。
その記事で毎回、最後のパートで
「終活映画」を紹介しているのだが、
その大半が、主人公が旅をする映画、
ロードムービーである。
「はじまりへの旅」/アメリカ
https://eiga.com/movie/83862/
「君を思い、バスに乗る」/イギリス
https://eiga.com/movie/96989/
「パリタクシー」/フランス
https://eiga.com/movie/98840/
「ノッキング・オン・ヘブンズドア」/ドイツ
https://eiga.com/movie/47692/
死を意識した人、人生の終わりが見えた人は、
少なくとも映画というフィクションのなかでは
皆、旅に出る。
それは過去を検証する旅、
他者とのつながりを確かめる旅、
そして、この世における自分の存在を
再認識する旅である。
「わたしは本当にこの世界で生きて来たのだ」
と、登場人物は思う。
そこに文学性・ドラマ性を見出し、
エンタメ性を掛け合わせたのが終活映画だ。
そして、彼ら・彼女らは
こんどはあちらの世界に旅立っていく。
僕たちの人生は、割とどうでもいいものに縛られ、
時間の大半を、家や仕事場に留まって
浪費しているのではないか、と思うことがある。
仕事や家族が「割とどうでもいいもの」
というのは乱暴だし、批判があると思うが、
僕たちは自分を大事にするためにも
しょーもないしがらみから逃れて、
日常から離れた「旅」を大事にした方がいい。
観光旅行のような経済の消費行動動ではなく、
自分の人生を形づくる自由な旅。
出ようと思えば、それは明日からでも出られる。
人生は思ったよりもずっと短い。
「人生の最後に旅をしよう」
そう思いついた時には、
もう頭も体も心も動かないかもしれないのだから。
葬式に来た人たちが思わず「ワハハ」と笑ってしまう
遺影がいいなと思った。
というのも、今日、義母と散歩に行ったら、
珍しく写真を撮らせてくれたからだ。
写真を撮られるのがきらいで、
これまで何度カメラ(スマホ)を向けても
そっぽを向くばかり。
しかたないので、盗撮(?)を繰り返していた。
今日は天気もよかったし、
一昨日、美容院に行って
ヘアスタイルもきれいになっていたので、
ベンチに座っていた時、
何の気なしにスマホカメラを向けてみたら、
どういう風の吹き回しか、
みずからおどけたポーズを取り、
まともに正面から撮影に応じてくれた。
おお、初めてと言っていいくらい
よいポートレート写真。
子どもみたいに
かわいくてひょうきんである。
晩飯の時に、
「これ、遺影にどう?」と言って
カミさんに見せたら、笑って大喜び。
部屋に飾るにもいい感じだ。
葬式に来た人たちが笑い、
家族の心を明るくできる、
自分のもそういう遺影がいい。
もうすでにだいぶ自由だけど、
死ぬときはもっと自由。
そう考えると、死も怖くない。
演劇をやっていたので、むかしは演劇をよく見た。
しかし最近は、
・義母の介護・面倒で、
仕事以外ではめったに家をあけられない。
・観劇料が高い。
・その割に面白くない。
あるいは面白い芝居が少ないように思える。
3つの理由で、劇場に足を運ぶことは
年に1,2度しかない。
とは言え、演劇には人一倍興味がある。
受け持つ生徒の顔と名前を一発で覚えるという
離れ業をやったのにもかかわらず、
5年生女子から「キモ先生」と言われて
意気消沈してしまった小学校の臨時教師Kくんは、
この秋、演劇発表会の演出をやっている。
彼は大学時代、サークルで演劇をやった経験があるので、
それにもとづき、5年生相手に腹式呼吸やら、
舞台に立った時の目線のことなど、
ビシバシ指導をしているというのだ。
上演する芝居の内容はよく聞いていないが、
小学校なので、もちろん全員参加。
ただ、役者をやりたくない子は、
裏方でもOKなので、
照明や小道具係などを希望するらしい。
登場人物は村人1、2.3・・・みたいな役が多く、
あまり目立ちたくない子は、やはりこれらを希望。
でも、こういう機会に超積極的な、
自己主張の強い子は必ずいる。
このテの子ども、スポーツ分野は男子が多いが、
演劇などの文化・芸能系は、圧倒的に女子だ。
話を聞くと、どうやら主役は女の子で、
魔法を使えるお姫様うんぬんと言っていたので、
「アナ雪」みたいな話なのだろうか?
やる気満々、「あたしはスターよ」
みたいな女の子が3人、
クラス内オーディションで選ばれた。
面白かったのが、女の子の役なのに、
主役の立候補者の中に、男の子がいたという。
僕たちの時代には考えらえなかった。
なかなか勇気のある子だ。
彼はセリフも演技もけっこううまかったようだが、
プロの世界ならいざ知らず、
学校教育の一環である演劇発表会で
ヒロイン役に男の子を配役するわけにはいかない。
残念ながら、彼は落っことされて、
村人1、2.3・・・にされてしまったようだが、
どんな子なのか、なんだかとても気になった。
小学5年生の演劇発表会。
どんな役を希望するのか、
どんな役・どんな係に就くのか、
何かその子のこれからの人生を
暗示しているようにも見える。
もちろん、この時点ですごく引っ込み思案で、
村人1をやっていた子が
数年先に突如覚醒し、大スターになったり、
照明係をやっていた子が
そのままメカ系の道でイノベートして
有力ベンチャーになったりとか、いろいろあり得る。
勉強やスポーツの場とは違う、
可能性の舞台が、演劇の場には広がっている。
むかし、猛毒の大腸菌O157が流行した時、
その原因がカイワレダイコンにあると報道されて
大さわぎになったことがある。
そこで誤解を解き、
カイワレダイコンの安全性をアピールするため、
当時の厚生労働大臣はじめ、政治家のお偉方が
テレビカメラの前でカイワレダイコンを食べ、
その安全性をアピールするという
パフォーマンスをやった。
正直、ちょっと無理してがんばっているなと思ったが、
(少なくともおいしそうには見えなかった)
とりあえずそれでことは収まった記憶がある。
さて、そこで今月から始まった、
高齢者に対する
「レプリコン(自己増殖型)ワクチン」の接種。
その安全性や副反応の影響が懸念されており、
「レプリコンワクチン接種者は立ち入りお断り」という
病院があちこちに現れている。
このワクチン接種者が呼吸すると、
有害な感染性生物学的毒素が大量にばらかまれ、
近くで同じ空気を共有する人の
健康を害するリスクが高まるからだ。
危険性は国内外の多くの専門家によって指摘されている。
そもそも欧米ではこのワクチンは認可されていないのに、
日本は受け入れてしまった。
でも、ただでさえ働き手が減っているのに、
働き盛りの若い年代に
健康リスクを負わせることはできない。
なら、生産性の低い高齢者
(および、基礎疾患のある人)ならどう?
高齢者なら「感染症の理数を減らせますよ」と、
理由づけられるし。
そこでなんかあっても「お齢ですから」と、
原因特定されにくいし。
ちょうどいいモルモットになるんじゃね?
それでどうなるか、様子を見ましょう。
というわけで、高齢者への接種が決まったらしい。
というのは僕が勝手にでっちあげた
バックストーリーだけど、
そんなに間違っているとは思えない。
うちにも義母のところにご案内が来たが、
受けさせるつもりはない。
これだけあちこちで「ヤバイ」と言われているので、
先に挙げたカイワレのように、
政治家のお偉方がテレビカメラの前で
ワクチンを接種して「安全・安心です」
とアピールでもすればいいのに、
その気配すらない。
ということは???
打つ・打たないを決めるのはその人自身だが、
ワクチンの毒素が周囲に
ばらまかれるという話を聞いては、
「どうぞご自由に」とはいえない。
高齢者の皆さん、モルモットになっていいですか?
人類の役に立つのなら、
子どもたちの明日への礎になるなら、いいですか?
小学校で臨時教師をしているK君は、
先日から5年生を担当することになった。
彼は1回会っただけで、
クラス全員の顔と名前を覚えられるという特技の持ち主。
大人の社会では優秀な人、
もちろん、学校の先生としても優秀と認められるはず。
だが、男子は「「せんせー、スゴっ!」
と、素直に賞賛してくれたが、
女子は「せんせー、キモっ!」
たしかに一発で30人余りの
顔と名前を記憶できる能力は、
執念とか執着心とか、
ちょっと異常性の強い気質と結びつくのかもしれない。
驚異だけでなく、脅威の目で見られたのだろうか?
この年頃は女の子の方が成長が早く、
大人にリーチしている。
男の子は単純にその人の能力を評価するだけだが、
女の子はどうも、それを通り越して、
その人の人間性全体を見抜く力があるのかもしれない。
「おまえ、変態×オタク×ストーカー野郎と
みられたんじゃねーの?」
と、冗談交じりで言ったら、
K君、ちょっと動揺していた。
僕は彼を頭脳明晰な好青年だと思っているが、
少なくとも大谷選手的な
明るいスポーツマン風ではない。
それに大半の男は、何かのきっかけで、
変態、オタク、ストーカーになる可能性は持っている。
おそらくそこを突かれての「キモっ!」なのだろう。
それにアニメやマンガなどの影響で、
日本は世界一のロリコン大国になっている。
ふだん生活していると、気が付かないが、
リアルでも、バーチャルでも、
巷にこれだけかわいい美少女が溢れている国は、
世界のどこにもないだろう。
じつはそれが日本の観光資源の一つになっていて、
オタクな外国人旅行者を引き寄せてもいる。
たぶんこうした環境が
彼女らの心に微妙に影響を及ぼしているのではないか。
というのが僕の見立てである。
いずれにしてもK君には
この生意気な女の子たちにめげず、
なんとか手なずけて
先生としてがんばってほしい。
そして、くれぐれも本物の変態に変身しないことを
祈っている。
チョウチョと言えば春を連想するが、
夏の終わりから9月にかけて、
近所の公園でやたらとチョウチョを
多く見かける。
この時期、トンボが多いのはわかるが、
なぜチョウチョ?
それに暑さが残っているせいか、
セミ(ツクツクホウシ)もまだがんばっている。
猛暑で季節感がめちゃくちゃだが、
何はともあれもう10月で、
今年も残り3か月と思うと、
心穏やかでいらえなくなるが、。
1日3分深呼吸して、
自然の美しいものを見れば
きょうも1日豊かな気分になれる。
テレビにネットに、美しい努力、ドラマチックな成功、
カッコいいヒーロー・ヒロインが蔓延している。
「大借金・大地獄から人生大逆転して、今は大金持ち。
あなたも私にあやかってみませんか?」
って、毎日のようにメッセージが来るけど、
そんなサクセス野郎・ビジネスできちゃった女が、
マンボウの卵みたいに
うようよいてたまるかっつーの!
こういう美辞麗てんこ盛りの似非成功話、
あやしい金持ち自慢のクソ美談をぶっ飛ばし、
本当に頑張っている人、
ちゃんと人生やってる人たちを描く、
電子書籍のノンフィクションシリーズをスタートします。
コストゼロで、取材先の広告になり、
僕自身も楽しく稼げる
ウィンウィンのセルフ新企画。
いよいよ第1号の取材を開始しました。
リリースは年内。しばらく待っててね。
興味のある方は、ぜひご連絡ください。
犬を自由に操る女装のダークヒーロー。
壮絶なアクション。
監督は「ニキータ」「レオン」のリュック・ベッソン。
ということで、ベッソン特有の
妙に重量感のあるアクションシーン、
そして、目を覆いたくなるような暴力・殺人シーンが
先行して頭に浮かんで、
しばらくためらっていたが、やっと見た。
良い意味で裏切られた。
「ドッグマン」(2023年)は、人間の美しさ、
そして、犬の美しさを描いた、すごくいい映画だ。
これはAmazonPrimeでなく、
映画館で観るべきだったかもしれない。
何と言っても、主役ダグラスを演じる
ケイレブ・ランドリー・ジョーンズが魅力的。
少年時代、彼は父と兄に虐待されて
犬小屋に放り込まれて生活することになり、
障害を負いながらやっと脱出する。
その後、養護施設で、のちにシェイクスピア女優になる
養護員の女性に芝居を通して生きる喜びを学び、
彼女に恋をして成長する。
しかし、そんな彼に世間は決してやさしくない。
やがてドラッグクイーンとなって歌って
アイデンティを保つ一方で、
犬たちと生活するために犯罪に手を染める。
そうした変化の在り様・人間形成の在り様を
じつにビビッドに演じ描く。
また、紹介文や予告編などから、
犬たちは恐ろしく凶暴で、獰猛で
野獣的な犬を想起させるのだが、
意外にもけっこう可愛いのが多い。
随所に人を襲うシーンがあり、
クライマックスのギャングとのバトルでは
それこそ壮絶な闘いを繰り広げるが、
けっしてリアルには描かれず、
ここで出てくる犬たちは、
ファンタジーの領域にいる生き物のように見える。
動物愛護団体の視線もあるので
襲撃・戦闘シーンは、
あまりリアルには描けないという
事情もあるのかもしれない。
ベッソンの映画はアクションやバイオレンスばかりが
取りざたされる感があるが、
彼のドラマづくりは、
いつも人間の美しさ・崇高さを追求している。
そういう意味では、
アクションで売り出す前の出世作「グランブルー」で
前面に出ていたファンタジー性こそ、
ベッソン映画の真髄・醍醐味なのだと思う。
この映画では最後にそれが表出される。
ラスト5分は本当に美しく、
ダグラスは人間を卒業して神になるかのようだ。
そして犬たちがダグラスを導く
天使のように見えて涙が出た。
「DOGMAN」は「GODMAN」。
アナグラムになっているのだ。
一つ気になるのは、全体の雰囲気が
「ジョーカー」(2019年)によく似ていること。
こちらも主役ジョーカー(アーサー)を演じた
ホアキン・フェニックスの怪演が見ものだが、
「児童虐待」「障がい者差別」「貧困との戦い」
これらを物語の根底のテーマに
置いているところも同じだ。
別にパクリだとは思わない。
こうした個人的問題と社会的問題が
ダイレクトにつながって感じられる点が現代的で、
映像系であれ、文学系であれ、
エンタメコンテンツに求められている
現代的役割の一つなのだろうと思った。
ちなみに「ジョーカー」の続編、
『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』が
来月、10月11日(金)劇場公開。
なんとレディー・ガガが共演する。
「週末の懐メロ第6巻」無料キャンペーンは
本日15:59で終了しました。
ご購入ありがとうございました。
よろしければレビューをお寄せください。
お待ちしております。
4年かけて全6巻、完結。
サブスクでも読めますので、ぜひ、どうぞ。
テレビドラマ「飛びだせ!青春」の主題歌で
1972年の大ヒット曲。
当時の「青春教」のテーマソングと言えるかもしれない。
僕も中1で声にぶち当たり、すっかり洗脳された。
ロックを聴くようになってからは、
なんだか恥ずかしくて聴けなかったのだが、
何十年ぶりかにちゃんと聴いてみると、
とても良い歌だ。
この歌から50年余りが経ち、
豊かで平和なニッポンでは、
齢など関係なく、誰もがためらうことなく
「青春」を謳歌できる社会になった。
たとえば、子育てを終えたお母さんは、
精神だけなら18歳の娘と同級生になったって
とがめられない。
社会人として最低限のルールさえ守っていれば、
自分のその時の気分や都合で
大人と子供を行ったり来たりもできる。
50代・60代・70代でも
精神年齢は10代・20代でいられるし、
また、そうした在り方が奨励されたりもする。
(あなたはどうですか?)
人生100年時代は、一生青春時代。
でもこれって考え直すと、
いつまでもずっと思春期が続くということ。
生活環境も価値観も
めまぐるしく変わっていくこの世界で
僕たちはどう生きるのか?
君たちはどう生きたいのか?
鬱陶しい悩みを抱えて、
死ぬまで歩き続ける覚悟をしなくちゃならないかもね。
20世紀ポップミュージックの回想・妄想・新発見!
音楽エッセイ集
週末の懐メロ 第6巻
9月23日(月・祝)まで
無料キャンペーン実施中!
同窓会のコピーライティングの仕事を頼まれた。
同窓会のために
わざわざコピーライティングやロゴデザインを
依頼するくらいだから、
とても大規模なものだ。
もちろん、クライアントの名前は言えない。
フリーランスになってしばらくの間、
2000年頃までは割とこうした系統の仕事があったのだが、
今回は久しぶり。
何かちょっと若がえった感じがする。
最近、コロナ禍明けの世界の変わりように
ちょっとまごつき、
なんだか64歳でこの世に新しく生まれた
錯覚にとらわれることもある。
まるで映画の「ベンジャミン・バトン」みたいに。
生まれた時は年寄り。
成長するにつれて若くなり、
最期は子どもになって人生の幕を閉じる。
この間、歌手のテイラー・スウィフトが
ハリス大統領候補支持を表明したが、
その時にのニュースで、
彼女の飼い猫の名前も
「ベンジャミン・バトン」だと知った。
(3匹飼っているうちの1匹らしい)
たぶん、あの映画からとったのだろう。
ネコとファンタジーはお似合いだ。
僕もネコのように生きたいと思って、
その希望に忠実に生きてきたが、
その思いは齢と共にますます強まっている。
脳みそを10代・20代に戻すために
同窓会は特効薬。
さりげなく、明日1日ニャンばって考えてみる。
20世紀ポップミュージックの回想・妄想・新発見!
音楽エッセイ集
週末の懐メロ 第6巻
9月23日(月・祝)まで
無料キャンペーン実施中!
お彼岸6日間連続無料キャンペーン実施中
9月23日(月・祝)15:59まで。
この機会をお見逃しなく!
20世紀ポップミュージックの回想・妄想・新発見!
ブログ「DAIHON屋のネタ帳」で
2020年10月から2024年3月まで毎週連載した
「週末の懐メロ」を書籍化。
楽曲やアーティストを解説、
あるいはロック史・音楽史を研究、
といった大それたものではありません。
主観9割・偏見まみれの音楽エッセイ集です。
僕と同じ昭和世代・20世紀世代にはもちろん、
21世紀を生きる若い世代のお宝発掘のための
ガイドブックとしても楽しんでほしい。
良い音楽、好きな音楽をあなたの心の友に。
最終の第6巻は♯149~♯180を載録。
もくじ
149 僕のリズムを聴いとくれ(オエ・コモ・ヴァ)/サンタナ
150 わたし、あなたに何をしたの?/リサ・スタンスフィールド
151 アメリカンバンド/グランド・ファンク・レイルロード
152 涙のバースディ・パーティ/レスリー・ゴア
153 ザ・ラストリゾート/イーグルス
154 夢のカリフォルニア/ママス&パパス
155 孤独な影/ジャパン
156 青春の日々/ニコ
157 ワイルドサイドを歩け/ルー・リード
158 嵐が丘/ケイト・ブッシュ
159 マイ・スウィート・ロード/ジョージ・ハリスン
160 ナッシング・コンペア2U/シネイド・オコーナー
161 限りなき戦い/ペイジ&プラント
162 天国への扉/フェアポート・コンベンション
163 戦士/シナジー
164 エヴリウェア/フリートウッド・マック
165 2ハーツビート・アズ・ワン/U2
166 天使のささやき/スリー・ディグリーズ
167 ジャンプ/ヴァン・ヘイレン
168 今日突然に/カーヴド・エア
169 ロケットマン/エルトン・ジョン
170 ラヴィン・ユー/ミニー・リパートン
171 僕たちの家/クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング
172 追憶/バーブラ・ストライサンド
173 ザ・ウェイ・イット・イズ/ブルース・ホーズビー
174 世界の重みを手に持つ少女/エディ・リーダー
175 ババ・オライリー/ザ・フー
176:ヒーローズ/デヴィッド・ボウイ
177 危機/イエス
178 ラミア/ジェネシス
179 放浪者(エグザイルス)/キング・クリムゾン
180 オールウェイズ・リターニング/ブライアン・イーノ
全32編載録
台本ライター・福嶋誠一郎のホームページです。アクセスありがとうございます。
お仕事のご相談・ご依頼は「お問い合わせ」からお願いいたします。