一昨日は酉年の話をしたので、当然、本日は来年の干支・戌年の話だワン。
この間、京王線に乗ったら全車両が秋田犬に占拠されていました。
数年前から秋田県のキャンペーンで大人気。
戌年を迎えて、ますます活躍しそうです。
その秋田犬の話によると、秋田では大みそかの夜になまはげが来るとか。
「泣いてる子はいねーが」という、あのなまはげです。
あんなのがいきなり家の中にドヤドヤ入ってきたら、そりゃ小さい子は泣いてしまうに決まっています。
子供を泣かすのが、なまはげのミッションかと思っていたのですが、なんと、大人にも!
「なまけものはいねーが」と脅すというのです。
これは知らなかった。
泣いてる子だけじゃなく、怠け者も糾弾されるとは!
もし今晩、やれやれお疲れさんと一杯やって、ゴロゴロこたつで寝転がって紅白なんかを見ている時に、いきなり「なまけものはいねーが」となまはげが入ってきたらどうする?
「いや、おれは今年一年、一生懸命がんばった。
だから今夜は疲れを癒すためにこうして飲んでる。自分へのご褒美なんだ。怠けてなどいるものか!」
と、きっとあなたは抗弁するでしょう。
けれども相手はなまはげです。
そんな言い訳など聞いてくれるわけがありません。
「本当に怠けてなかったか、胸に手を当ててよーぐ考えろ」
そう迫られたら自信がぐらぐら揺らぐに違いありません。
おれは自分では頑張っていると思ってたけど、それはただの思い込みじゃないのか?
実はすごく大切なところで怠けていたのではないだろうか?
自分がやるべきことを忘れているのではないだろうか?
そうなのです。
仕事の納期や、雑用の期限、支払い期日はしっかり守っているからと言って、人生で自分がやるべきことのタイムリミットまで守れるとは限らない。
そもそも人生の締め切りがいつなのかは分からない。
でも逆に言えば、毎日あくせく働いてるばかりじゃだめ。
たまには怠けていないと、そんな心の声を聴くこともできません。
なまはげとなまけものはナマナマコンビで良い友だちなのかも。
そういえば今年の元旦、僕のブログは「神ってるナマケモノ」の話で始まりました。
ナマケモノで始まり、ナマケモノで終わる2017年。
2018年も「翔るナマケモノ、走るナマケモノ、神ってるナマケモノ」を合言葉に怠けつつ、与太話を書いていこうと思います。
いつも読んで頂いている皆さん、どうもありがとう。
良いお年を。
酉年ももうすぐ終わり。
先月東京しゃもの取材でお会いした、生産組合の組長・浅野養鶏場の浅野さんは齢80ながら、パラグライダーで空を飛ぶ鳥人でした。
その浅野さんの言葉が耳に残っています。
「鳥のように自由に生きたかったんだ。
それを母親に言ったら『じゃあ勤め人にはおなりなさるな』と言われたんだよね。
だから自分で養鶏をやろうと思った」
いまや大学も就活工場と化す時代だけど、
戦後の混乱期・食糧難の時代を経験した人が、こんなセリフをさらりと言うとやっぱりカッコいい。
それで尊敬する専門家に話を聞きにいったところ、
空を飛ぶ鳥は体重を軽く保つ必要がある。
そのため、最小の筋肉で最大の飛翔エネルギーを生み出せるよう、身体の構造が進化した。
だから常に新鮮な酸素を必要とする。
飛べなくなった鶏もその生命の原理は同じ。
なので鶏を飼うなら常に風が良く通る土地でやるべき。
そんな話から現在の秋川の地に養鶏場を開いたといいます。
その後、日本の市場にブロイラーが入り、席巻されたけど、浅野さんはアメリカが仕掛けたブロイラー戦略に乗らず、国産の採卵鶏にこだわり、やがて東京しゃもの開発に協力。
今も生産組合の組長を務めています。
昼間は1万羽の鶏たちの世話をし、夜は絵を描き、声楽をやる芸術家的生活。
厳しいけれども楽しい、楽しいけれども厳しい。
それがフリーランスの人生。
鳥のように自由に。
僕たちには空を飛ぶための翼があることを忘れてはいけない。
今年読んだ一冊。 村上春樹の「騎士団長殺し」。
村上作品の中で最も子供の存在がクローズアップされた作品と感じた。
「海辺のカフカ」は15歳の少年が登場するが、こちらは子供というより自ら主体となって物語の中で動く主人公――主体であり、いわば冒険する若者だった。
片や「騎士団長殺し」では客体としての子供が強調されている。
なので正確に言うと、「子供に対する大人の気持ち」がテーマと言えるのかも知れない。
それを象徴するのは免色渉(めんしき・わたる)という登場人物である。
髪が真っ白な50代の男で、小田原界隈の豪邸に住み、銀色のジャガーに乗っている。
頭脳明晰で、常に筋トレをしているので年齢の割に身体能力も高い。教養もあって礼儀正しく、料理や家事もうまく、何でもこなせてしまうジェントルマン。
それも 単なるお金持ちでなく、おそらくはIT関係ビジネスの成功者で、「こうすればうまくいく」とか「免色流成功法則」とかいったビジネス書・自己啓発書の一つや二つは出していそうだ。
まさしく若者も中高年も、現代の人たちが皆、ああなりたいと目標にするような人物、こういう人とお近づきになりたいと願う人物――要するにカッコいいトレンディな男なのである。
ところがこの世間的には申し分ない男が、内部にとんでもないカオスを抱えている。
人生のある日、彼は自分のオフィスで急に姿を現した恋人と交わる。
その時を最後に彼女とは二度と会えず、別れてしまったのだが、のちに妊娠・出産していたことを知る。
しかし、彼がそのことを知った時、彼女はすでにこの世におらず、13歳の美しい娘が残されていた。
生まれた時期から逆算すると、その娘は自分の子供に違いないと考えるのだが、確かめる手段がない。
いきなり現れて自分が父親かも知れないから、とDNA鑑定しろと言うこともできない。
やや下賤な言い方をすると、彼は発情したメスに種付けをさせられた。
しかし、生まれた子が本当に自分の種からできた子で、自分の遺伝子を宿しているのか、つまり自分は未来に繋がっていけるのかどうか、底なしの不安に陥ってしまったのだ。
人がうらやむほどの富とステータスを持ちながら、その自分の娘と思しき13歳の少女に対する執着心は、ほとんどストーカーのそれである。
普通なら人生で人が求めるもののすべてを得ているのに、それらすべてよりはるかに重いものを手に入れることが出来ず、心に大きな穴があいてしまっている。
それを埋めるべく、あの手この手を使い、主人公もその手段の一つにされる。
こうした免色のアンバランスは感情と行動が、絵描きである主人公の人生が絡み合って、奇妙な日常とその下――潜在意識の世界との両面でドラマが展開していく。
そこにはいろいろなテーマが読み取れるが、中心に「子供」があることは間違いない。
出てくる子供は、この13歳の少女と、主人公の、まだ言葉も喋れない幼い娘の二人。
どちらも女の子で、出番が特に多いわけではないが、とても印象付けられる。
子供が劇中に出てくると、不思議と良い意味での「余白」を感じる。
その今生きている人間が知り得ない余白が未来を想起させ、イメージを広げるのだ。
この間も書いたけど、やっぱり人間は、子供がいない世界、子供がいない状況に耐えられないのだろう。
問題は血のつながりにこだわって血縁でないと許せないのか、そうでなくもっと鷹揚に子供を未来として考えられるのか。
村上さんもあと何本長編を書けるだろう・・・と漏らした、と聞いている。
体も相変わらず鍛えておられるようだし、まだまだ何本も書いてほしいけど、年齢的に子供の存在、今の世界との関係性が気になっているのかも。
うちのじいさんは明治の寅年生まれで、名前を寅平という。
出身地は東京らしいが、丁稚奉公とかいろいろやっているうちに、だんだん西へくだり、静岡にいたばあさんと駆け落ちして、豊橋辺りに移り住み、最後は名古屋までやってきた。
その寅平じいさんがクリスマスになると、必ず僕を相手にぶつくさ言った。
「なんで日本人が西洋の正月なんか祝わんといかんのじゃ。腹立たしい」
でもそういう寅平じいさんは、カレーライスとかトンカツとかケーキとかの洋食が大好きで、じつは結構西洋通であることを僕は知っている。
「でもじいちゃん、クリスマスは子供がプレゼントをもらえるから僕は好きだな」
「ああ、三太九郎か」
「三太と九郎じゃない。そんな漫才コンビみたいな名前じゃないよ。プレゼントを持ってくるのはサンタクロースっていうんだよ」
「わしが子供の頃は三太九郎って名前じゃった。北国の翁って言われとってな」
「オキナってなに?」
「じじいという意味じゃ」
「じゃ、じいちゃんもオキナ?」
「ま、そういうことじゃ。どうもおまえはこの西洋の正月が好きなようじゃから、きょうは一つ、わしが三太九郎になって話をしてやろう」
というわけで、この話は僕が5歳の頃、寅平翁が語ってくれたクリスマスプレゼントである。
●お茶目信長スイーツ伝説
日本におけるサンタクロース――三太九郎というのは明治時代になって登場したのかと思いきや、その歴史は意外と深く、安土桃山時代まで遡ります。
オリジナルはなんと織田信長だというのです。
天下統一にまい進していた頃の信長は「荒ぶる神」として怖れられていましたが、その反面、まるで少年そのままのようなお茶目なところもあったという信長。
甘い物、要するに現代でいうスイーツが大好きでした。
そのお茶目信長スイーツ伝説の白眉が、安土城で徳川家康をもてなした「安土献立」と、それにまつわるエピソード。
安土城で徳川家康をもてなした「安土献立」によると、美濃柿――今も岐阜県美濃地方の名物である甘い干し柿がデザートとして食膳を飾っておりました。
好物を食べてご機嫌になった信長はパティシエとなって、家康にみずから甘くて香ばしい「麦こがし」(麦を原料としたお菓子)のお菓子をふるまったそうです。
それが、かの本能寺の変のわずか2週間前。
天下統一の野望はまさしくスイートドリームとして消えた・・・というところでしょうか。
●宣教師らのスイーツ布教、コンペイトウ外交
さて、そこからまた遡ること数年前。
12月の夜に宣教師から耳にしたのが、西洋にはクリスマスなるキリスト生誕のお祭りがあるということ。
ちなみに宣教師らがお土産として差し出す南蛮菓子、特にコンペイトウが信長の大好物だったという記録が残っています。
これもまさしくスイーツ布教、コンペイトウ外交。
しゃぶしゃぶ、カリカリと甘いコンペイトウをほおばり、かじりながら信長が話に耳を傾けていると、南欧の地ポルトガルから遠く北ヨーロッパに布教に出向いた仲間の話を覚えていた宣教師の一人が、こんなことを伝えました。
「北国の森の中には、仙人のような翁が暮らしており、クリスマスには貧しい女・子供たちに施しを授けて回るというのです」
どうやらこの話は、自分たちの布教活動をPRするための出まかせだったようですが、信長、その翁にいたく興味を持ち、
「してその翁とやらはどんな名だ?」
「はい、サンタクロースと申します」
「三太九郎? そういえばわしが子ども頃の世話役に三太という男がおって、よく柿を食わせてくれた。それに九郎というのは、かの源義経の通り名じゃ。こいつは縁起が良い。
ではそのクリスマスの夜に、わしが三太九郎に扮して、菓子を配るというのはどうじゃ」
●信長三太九郎と赤鼻のおサル
そんな、殿が・・・なんて止める家臣が、ワンマン経営の織田家にいるはずがありません。
木下藤吉郎などはいの一番に賛同の声を上げて、
「御屋形様、それは素晴らしいお考えであります。
なんならこのサルめが、三太九郎のお供に扮しましょう」と言って跳び上がり、その場にあった朱書きの顔料を鼻の頭に塗りたくりました。
それを見た信長、立ちあがって喜び、
「よいぞよいぞ。おまえは赤鼻のサルじゃ。ワハハハ・・・」
というわけで、宣教師らに南蛮渡来の赤い衣装を持ってこさせ、白い髭を付け、赤鼻のサルをお供にし、三太九郎となって、城中の家来や女・子どもに南蛮菓子を景気よくふるまったとか。
もとより手柄を立てた家来のご褒美に、また、死んだ家来の子供を慰めようと好物の干し柿をプレゼントしていたという信長ですから、この日の三太九郎はコンペイトウのように目がキラキラしていました。
●家康、三太九郎を葬る
この日、赤鼻のおサルとなった藤吉郎は、信長の死後、豊臣秀吉として天下を手中にしましたが、派手なこと・賑やかなことが大好きなので、自分もこの三太九郎に扮する行事を毎年続けていました。
が、この習慣を辞めさせたのが「織田がこね、豊臣がついた餅を、徳川ただ食らう」と揶揄された天下人・徳川家康。
質実剛健、浮かれた騒ぎが嫌いな家康は、この信長・秀吉が続けてきた三太九郎の行事を、まさしく「なんで日本人が西洋の正月なんか祝わんといかんのじゃ。腹立たしい」と、即刻禁止しました。
これにはもちろんクリスチャンの反乱を抑える目的もありました。
こうして江戸に幕府が開かれて260年、クリスマスもサンタクロースも、まるでそんなののは一切この国に存在しなかったように扱われることになったのです。
じつはこの話にはまだ続きがあるのですが、それはまた来年。
という寅平じいさんの話を思い出した今年のクリスマス。
皆さん、楽しく過ごされたでしょうか?
じつはこのこの話にはまだ続きがあるのですが、それはまた来年。
皆さん、楽しいクリスマスを――
と言っても、日本はイブが終わると、すぐに大みそか・正月モードに移行しちゃうんだよね。
いずれにしても今日いっぱいはまだメリークリスマス。
この季節になると、どうしたって来年の運勢が気になるのが人情です。
運の良し悪しは人生を大きく左右します。
子どもだってそれは同じ。
てか、そういうことには実は大人よりもうんと敏感に神経をとがらしている。
自分にはどんな能力があって、どう生きていけるのか。
特に小学生はめちゃくちゃそういうことを気にしていて、悲しいかな、10歳を過ぎるころには自分の力の限界をある程度知ってしまう。
ケンカでもスポーツでも勉強でも、自分がどれくらいのレベルにいるのか、ある程度見えてきてしまいます。
子供の夢は無限だなんて、無責任に大人は言うけど、そんな話を真に受ける子どもは、せいぜい小1くらいまででしょう。
サンタって本当は・・・と言いだすのと同じくらいでしょうか。
もちろん「自分はこの程度か」と悟った後から本当の勝負が始まるわけだけど。
なので、じゃあ運はどうだ?となる。
僕の愛読書の一つ「少年アキラ」(ゆうきえみ:作)はそれがテーマです。
時代設定ははっきり示されてないけど、どうやら昭和40年代後半(1970年代前半)あたりの、どこかの街。
なんとなく「ちびまる子ちゃん」と共通する世界観です。
ガキどもが学校帰りにたむろする駄菓子屋に、秋のある日、ドドン!と「金くじ」なる黄金の福引みたいなくじ引きマシンが出現。
子供らは夢中になり、一等の超合金ロボットを手に入れるために命を懸けてくじ引きに挑むという物語です。
主人公のタカシはちょっと気の弱い、あんまり運も良くなさそうな男の子。
それにタイトルにもなっているアキラという、ちょっとワルっぽい転校生が絡み、友情のような、そうでもないような関係になっていく。
なんとか一山当てて逆転を狙う、うだつの上がらないチンピラコンビみたいにも見えます。
出てくるのはなぜか男子ばっかり。
こういう非合理なことにエキサイトするのは男の専売特許ということでしょうか。
作者のゆうきさんが女性なので、バカバカしいことに血道を上げる男の気質に憧れるのかも。
「命を懸ける」というのは、けっして大袈裟な表現ではありません。
大人にとっては「そんな下らないことやってる暇があったら勉強しろ」とい
うようなことも、子どもにとっては自分に未来があるかどうか確かめる大きなイニシエーションのようなものだったりします。
それぞれの家庭の事情なども描かれ、物語に陰影をつけているけど、主軸はタカシやアキラをはじめとするしょーもないガキどもと、その前にぬりかべのように立ちはだかる憎たらしい駄菓子屋の親父との対決。
しかし、クライマックスでその対決が劇的に転換し、何とも言えない切なさとなって胸にしみこみます。
ああ、こうやって僕たちは子供時代をサバイバルして来た。
こうやって挫折の痛みに耐えるために心に鎧を着こむことを覚えてきたんだなぁとしみじみ。
児童文学だけど、大人が読むと全然違う楽しみ方ができると思います。
福島敦子さんの絵も絶妙な味があって、アキラの表情など歪んでて邪悪で、それでいて三下のヘナチョコっぽくて、好きだなぁ。
でも自分は運がいいのか悪いかなんて、実は最後の最後まで分からない。
けどそれも、何とかカッコだけは大人になって、ここまで生き延びてこられたから言えることなのかも知れません。
いずれにしても皆さんも僕も、新年が良い年になりますように。
先週、日経新聞に建設機械メーカー、コマツの元社長・安崎暁さんが広告を出しました。
がんに侵され、余命が短いことを医者に宣告されたとのと。
延命治療はしないと決めて、それならと元気なうちにご縁のあった人たちにお会いしたいので、「感謝の会」を開くという内容。。
企業のトップを極めた人の、まだあまり前例のない、ご本人主催のいわゆる「生前葬」です。
というわけで「月刊仏事」も記事にしたいというので、今日は赤坂アークヒルズ「ANAインターコンチネンタルホテル」へ取材に。
大宴会場に約700人のお客さんが訪れました。
メジャーな新聞に広告を出したので(ご本人は広告はやりすぎだったかも・・・と後からおっしゃっていましたが)、このクラスの人になると社会的反響もすごく、ネット上で「カッコいい」とか「豪傑」とか言うこと言葉が行き交いました。
それだけ終活に興味を持つ人が増えているということでしょうか。
でもご本人はそんな気負った風情もなく、にこやかに宴を楽しまれていたようです。
中締めで、東京最古の連による「阿波踊り」も登場(ご出身が徳島なので)。会場を巻き込んで大盛り上がり。
でも途中、お囃子が「ふるさと」のメロディーラインに変わり、長老がソロで踊るシーンがあってちょっと泣けた。
開会中は取材・インタビュー禁止だったので、終宴後、別の部屋で記者会見。
最後に僕が「一個人に戻って何かやり残したことはありますか? この後、残された時間でやりたいことは?」と質問するとゴルフの話になり、「ホールインワンはヘタくそな人ができえるんです。僕は今までホールインワンを4回やった。5回目やったらホテルオークラのが大宴会場を貸し切ってパーティーをやる予定だったんだけど・・・・」と笑顔で語ってくれました。
人の顔は本当に好きな事の話をするとき、何とも言えない輝きを放つ。
幻になった5回目のホールインワンを胸に、充実した最後の日々を送っていただきたいと思います。
うちの前は車が通れないほどの狭い小道になっています。
で、日中、2階で仕事をしていると、窓の下からタタタタと、とても軽いリズムの小走りの足音が聞こえてきます。
「あ、きたな」と思うと、カチャリと音がして門が開き、ピンポーンとチャイムが鳴ります。
うちのカミさんが受け答えすると、明るい、はしゃいだ子供の声が聞こえます。
うちは1階が鍼灸院になっていて、カミさんが小児鍼をやっているので、営業日はほぼ毎日のように何人か子供がやってきます。
足音のリズムと最初にドアを開けた時に発する声は、みんなに通っていながら、一人一人個性があって楽しい。
僕は診療しているところには、いっさい顔を出さないので、どんな子が来ているのかは、彼女の話を通してしかわからないけど、音と声だけで想像するのも楽しいものです。
僕は結構恵まれた環境にいるんだろうなと思います。
子供を育てたことのある人でも、大きくなってもう子育てと関係なくなると興味を失ってしまい、子供の声がうるさく感じられるようです。
だから近所に保育園や幼稚園を建てる話が出ると、必ずと言っていいほど反対運動が起こる。
いろいろその人たちなりの事情があるのだろうけど、それでは寂しいのではないかなと思います。
だいぶ前に読んだ小説で、英国のミステリー&SF作家のP・D・ジェイムズ(女性)が書いた「人類の子供たち」という作品がありました。
世界中で子供が生まれなくなった世界を描いたもので、これはすごく面白った。
子供いない世界――どこへ行っても子供の声を、足音を聞けない世界は、どんなに豊かで便利で娯楽に溢れていても、おそらく氷に閉じ込められた中で暮らしているような絶望感や孤独感に苛まれるのではないかと思います。
自分との血のつながりがあるとかないとか、関係ない。
「わたしたちの子供がいる」と思えることが大切なのだと思います。
でもきっと、そういうことはこの小説の世界みたいに失ってみないと本当にはわからないんだろうな。
昨日は昔やっていた劇団の飲み会でした。
6年ぶりくらいだったと思います。
声をかけた中から約半分の8人が集結。
全員、外観はかなり劣化しましたが、頭の中はあっという間に30年以上バック。
楽しかったけど、あの頃はこんなふうになっているなんて、まったく想像できなかったなぁ。
もうこの世にいないやつもいるし。
たまたまだったのですが、ちょうど36年前の今日(12月4日)が旗揚げ公演の初日でした。
新宿ゴールデン街のすぐそばにあったスペースデンというキャパ100人の小さな小屋で自作を上演しました。
当時はパソコンはおろか、ワープロもまだ普及していない時代で、台本はわら半紙にガリ版刷りでした。
後年、メンバーの一人が残っていた台本をパソコンでデータ入力してくれたものが、今、手元にあります。
サン・テグジュペリの「星の王子様」をもモチーフにしていて「子供でも観られますか?」という問い合わせがあったのを覚えています。
話は「星の王子様」とは似ても似つかぬものだったけど、読み返してみると、今では考えられないほどのエネルギーに満ちている。
この後もいろいろ書いて、構成やら表現技術やら、客観的にうまく見せることは多少上達したと思うけど、どれもこれ以上のものになっていない気がします。
いったいなんでこんなものを書いたのか、書けたのか、芝居ができたのか、自分でも不思議でしかたない。
でもきっと、これは仲間がいたから書けたんだな、そのバリエーションで今までもの書いて生きてきたんだな、と思います。
もう36年も経っちゃったけど、この際、年月は関係ない。
昨日会った7人をはじめ、死んでしまったやつも含めて、本当にあの頃の仲間には感謝したい。
そして、単なる青春の思い出でなく、なんでこんな話を書けたのか、自分の中にあるものをもっと解明していきたい。
台本ライター・福嶋誠一郎のホームページです。アクセスありがとうございます。
お仕事のご相談・ご依頼は「お問い合わせ」からお願いいたします。