なぜ日本ではカエルはかわいいキャラなのか?

 

 「かえるくん、東京を救う」というのは村上春樹の短編小説の中でもかなり人気の高い作品です。

 主人公がアパートの自分の部屋に帰ると、身の丈2メートルはあろうかというカエルが待っていた、というのだから、始まり方はほとんど恐怖小説。

 ですが、その巨大なカエルが「ぼくのことは“かえるくん”と呼んでください」と言うのだから、たちまちシュールなメルヘンみたいな世界に引き込まれてしまいます。

 

 この話は阪神大震災をモチーフにしていて、けっして甘いメルヘンでも、面白おかしいコメディでもないシリアスなストーリーなのですが、このかえるくんのセリフ回しや行動が、なんとも紳士的だったり、勇敢だったり、愛らしかったり、時折ヤクザだったりして独特の作品世界が出来上がっています。

 

 しかし、アメリカ人の翻訳者がこの作品を英訳するとき、この「かえるくん」という呼称のニュアンスを、どう英語で表現すればいいのか悩んだという話を聞いて、さもありなんと思いました。

 

 このカエルという生き物ほど、「かわいい」と「気持ち悪い」の振れ幅が大きい動物も珍しいのではないでしょうか。

でも、その振れ幅の大きさは日本人独自の感覚のような気もします。

 

 欧米人はカエルはみにくい、グロテスクなやつ、場合によっては悪魔の手先とか、魔女の使いとか、そういう役割を振られるケースが圧倒的に多い気がします。

 

 ところが、日本では、けろけろけろっぴぃとか、コルゲンコーワのマスコットとか、木馬座アワーのケロヨンとか、古くは「やせガエル 負けるな 一茶ここにあり」とか、かわいい系・愛すべき系の系譜がちゃんと続いていますね。

 

 僕が思うに、これはやっぱり稲作文化のおかげなのではないでしょうか。

 お米・田んぼと親しんできた日本人にとって、田んぼでゲコゲコ鳴いているカエルくんたちは、友だちみたいな親近感があるんでしょうね。

 そして、彼らの合唱が聞こえる夏の青々とした田んぼの風景は、今年もお米がいっぱい取れそう、という期待や幸福感とつながっていたのでしょう。

 カエル君に対するよいイメージはそういうところからきている気がします。

 

 ちなみに僕の携帯電話はきみどり色だけど、「カエル色」って呼ばれています。

 茶色いのも黄色っぽいもの黒いのもいるけど、カエルと言えばきれいなきみどり色。やっぱ、アマガエルじゃないとかわいくないからだろうね、きっと。

 雨の季節。そういえば、ここんとこ、カエルくんと会ってないなぁ。ケロケロ。

 


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家族ストーリーを書く仕事② 個の家族

 

  「これから生まれてくる子孫が見られるように」

 ――今回の家族ストーリー(ファミリーヒストリー)を作った動機について、3世代の真ん中の息子さん(団塊ジュニア世代)は作品の最後でこんなメッセージを残しています。

 彼の中にはあるべき家族の姿があった。しかし現実にはそれが叶わなかった。だからやっと安定し、幸福と言える現在の形を映像に残すことを思い立った――僕にはそう取れます。

 

 世間一般の基準に照らし合わせれば、彼は家庭に恵まれなかった人に属するでしょう。かつて日本でよく見られた大家族、そして戦後の主流となった夫婦と子供数人の核家族。彼の中にはそうした家族像への憧れがあったのだと思います。

 

 けれども大家族どころか、核家族さえもはや過去のものになっているのでないか。今回の映像を見ているとそう思えてきます。

 

 団塊の世代の親、その子、そして孫(ほぼ成人)。

 彼らは家族であり、互いに支え合い、励まし合いながら生きている。

 けれど、その前提はあくまで個人。それぞれ個別の歴史と文化を背負い、自分の信じる幸福を追求する人間として生きている。

 

 むかしのように、まず家があり、そこに血のつながりのある人間として生まれ、育つから家族になるのではなく、ひとりひとりの個人が「僕たちは家族だよ」という約束のもとに集まって愛情と信頼を持っていっしょに暮らす。あるいは、離れていても「家族だよ」と呼び合い、同様に愛情と信頼を寄せ合う。だから家族になる。

 

 これからの家族は、核家族からさらに小さな単位に進化した「ミニマム家族」――「個の家族」とでもいえばいいのでしょうか。

 比喩を用いれば、ひとりひとりがパソコンやスマホなどのデバイスであり、必要がある時、○○家にログインし、ネットワークし、そこで父・母・息子・娘などの役割を担って、相手の求めることに応じる。それによってそれぞれが幸福を感じる。そうした「さま」を家族と呼称する――なかなかスムーズに表現できませんが、これからはそういう家族の時代になるのではないでしょうか。

 

 なぜなら、そのほうが現代のような個人主義の世の中で生きていくのに何かと便利で快適だからです。人間は自身の利便性・快適性のためになら、いろいろなものを引き換えにできます。だから進化してこられたのです。

 

 引き換えに失ったものの中にももちろん価値があるし、往々にして失ってみて初めてその価値に気づくケースがあります。むかしの大家族しかり。核家族しかり。こうしてこれらの家族の形態は、今後、一種の文化遺産になっていくのでしょう。

 好きか嫌いかはともかく、そういう時代に入っていて、僕たちはもう後戻りできなくなっているのだと思います。

 

 将来生まれてくる子孫のために、自分の家族の記憶を本なり映像なりの形でまとめて遺す―― もしかしたらそういう人がこれから結構増えるのかもしれません。

 

 

2016・6・27 Mon


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家族ストーリーを書く仕事① 親子3世代の物語

 

 親子3世代の物語がやっと完成一歩手前まで来ました。

 昨年6月、ある家族のヒストリー映像を作るというお仕事を引き受けて、台本を担当。

足掛け1年掛かりでほぼ完成し、残るはクライアントさんに確認を頂いて、最後にナレーションを吹き込むのみ、という段階までこぎつけたのです。

 

 今回のこの仕事は、ディレクターが取材をし、僕はネット経由で送られてくるその音源や映像を見て物語の構成をしていきました。そのディレクターとも最初に1回お会いしただけでご信頼を頂いたので、そのあとはほとんどメールのやり取りのみで進行しました。インターネットがあると、本当に家で何でもできてしまいます。

 ですから時間がかかった割には、そんなに「たいへん感」はありませんでした。

 

 取材対象の人たちともリアルでお会いしたことはなく、インタビューの音声――話の内容はもとより、しゃべり方のくせ、間も含めて――からそれぞれのキャラクターと言葉の背景にある気持ちを想像しながらストーリーを組み立てていくのは、なかなかスリリングで面白い体験でした(最初の下取材の頃はディレクターがまだ映像を撮っていなかったので、レコーダーの音源だけを頼りにやっていました)。

 

 取材対象と直接会わない、会えないという制限は、今までネガティブに捉えていたのですが、現場(彼らの生活空間や仕事空間)の空気がわからない分、余分な情報に戸惑ったり、感情移入のし過ぎに悩まされたりすることがありません。

 適度な距離を置いてその人たちを見られるので、かえってインタビューの中では語られていない範囲まで自由に発想を膨らませられ、こうしたドキュメンタリーのストーリーづくりという面では良い効果もあるんだな、と感じました。

 

 後半(今年になってから)、全体のテーマが固まり、ストーリーの流れが固まってくると、今度は台本に基づいて取材がされるようになりました。

 戦後の昭和~平成の時代の流れを、団塊の世代の親、その息子、そして孫(ほぼ成人)という一つの家族を通して見ていくと、よく目にする、当時の出来事や風俗の記録映像も、魂が定着くした記憶映像に見えてきます。

 これにきちんとした、情感豊かなナレーターの声が入るのがとても楽しみです。

 

 

2016・6・26 Sun


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ゴマスリずんだ餅と正直ファンタじいさん

 

おもちペタペタ伊達男

 

  今週日曜(19日)の大河ドラマ「真田丸」で話題をさらったのは、長谷川朝晴演じる伊達政宗の餅つきパフォーマンスのシーン。「独眼竜」で戦国武将の中でも人気の高い伊達政宗ですが、一方で「伊達男」の語源にもなったように、パフォーマーというか、歌舞伎者というか、芝居っけも方もたっぷりの人だったようです。

 

 だから、餅つきくらいやってもおかしくないのでしょうが、権力者・秀吉に対してあからさまにこびへつらい、ペッタンコとついた餅にスリゴマを・・・じゃなかった、つぶした豆をのっけて「ずんだ餅でございます」と差し出す太鼓持ち野郎の姿に、独眼竜のカッコいいイメージもこっぱみじんでした。

 

 僕としては「歴人めし」の続編のネタ、一丁いただき、と思ってニヤニヤ笑って見ていましたが、ファンの人は複雑な心境だったのではないのでしょうか。(ネット上では「斬新な伊達政宗像」と、好意的な意見が多かったようですが)。

 

 しかし、この後、信繁(幸村=堺雅人)と二人で話すシーンがあり、じつは政宗、今はゴマスリ太鼓持ち野郎を演じているが、いずれ時が来れば秀吉なんぞ、つぶしてずんだ餅にしてやる・・・と、野心満々であることを主人公の前で吐露するのです。

 で、これがクライマックスの関ヶ原の伏線の一つとなっていくわけですね。

 

裏切りのドラマ

 

 この「真田丸」は見ていると、「裏切り」が一つのテーマとなっています。

 出てくるどの武将も、とにかくセコいのなんのttらありゃしない。立派なサムライなんて一人もいません。いろいろな仮面をかぶってお芝居しまくり、だましだまされ、裏切り裏切られ・・・の連続なのです。

 

 そりゃそうでしょう。乱世の中、まっすぐ正直なことばかりやっていては、とても生き延びられません。

 この伊達政宗のシーンの前に、北条氏政の最後が描かれていましたが、氏政がまっすぐな武将であったがために滅び、ゴマスリ政宗は生き延びて逆転のチャンスを掴もうとするのは、ドラマとして絶妙なコントラストになっていました。

 

 僕たちも生きるためには、多かれ少なかれ、このゴマスリずんだ餅に近いことを年中やっているのではないでしょうか。身過ぎ世過ぎというやつですね。

 けれどもご注意。

 人間の心とからだって、意外と正直にできています。ゴマスリずんだ餅をやり過ぎていると、いずれまとめてお返しがやってくるも知れません。

 

人間みんな、じつは正直者

 

 どうしてそんなことを考えたかと言うと、介護士の人と、お仕事でお世話しているおじいさんのことについて話したからです。

 そのおじいさんはいろんな妄想に取りつかれて、ファンタジーの世界へ行っちゃっているようなのですが、それは自分にウソをつき続けて生きてきたからではないか、と思うのです。

 

 これは別に倫理的にどうこうという話ではありません。

 ごく単純に、自分にウソをつくとそのたびにストレスが蓄積していきます。

 それが生活習慣になってしまうと、自分にウソをつくのが当たり前になるので、ストレスが溜まるのに気づかない。そういう体質になってしまうので、全然平気でいられる。

 けれども潜在意識は知っているのです。

 「これはおかしい。これは違う。これはわたしではな~い」

 

 そうした潜在意識の声を、これまた無視し続けると、齢を取ってから自分で自分を裏切り続けてきたツケが一挙に出て来て、思いっきり自分の願いや欲望に正直になるのではないでしょうか。

 だから脳がファンタジーの世界へ飛翔してしまう。それまでウソで歪めてきた自分の本体を取り戻すかのように。

 つまり人生は最後のほうまで行くとちゃんと平均化されるというか、全体で帳尻が合うようにできているのではないかな。

 

自分を大事にするということ

 

 というのは単なる僕の妄想・戯言かも知れないけど、自分に対する我慢とか裏切りとかストレスとかは、心や体にひどいダメージを与えたり、人生にかなりの影響を及ぼすのではないだろうかと思うのです。

 

 みなさん、人生は一度きり。身過ぎ世過ぎばっかりやってると、それだけであっという間に一生終わっちゃいます。何が自分にとっての幸せなのか?心の内からの声をよく聴いて、本当の意味で自分を大事にしましょう。

 介護士さんのお話を聞くといろんなことを考えさせられるので、また書きますね。

 

 

 

2016/6/23 Thu


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死者との対話:父の昭和物語

 

 すぐれた小説は時代を超えて読み継がれる価値がある。特に現代社会を形作った18世紀から20世紀前半にかけての時代、ヨーロッパ社会で生まれた文学には人間や社会について考えさせられる素材にあふれています。

 

その読書を「死者との対話」と呼んだ人がいます。うまい言い方をするものだと思いました。

 

僕たちは家で、街で、図書館で、本さえあれば簡単にゲーテやトルストイやドストエフスキーやブロンテなどと向かい合って話ができます。別にスピリチュアルなものに関心がなくても、書き残したものがあれば、私たちは死者と対話ができるのです。

 

 もちろん、それはごく限られた文学者や学者との間で可能なことで、そうでない一般大衆には縁のないことでしょう。これまではそうでした。しかし、これからの時代はそれも可能なことではないかと思います。ただし、不特定多数の人でなく、ある家族・ある仲間との間でなら、ということですが。

 

 僕は父の人生を書いてみました。

 父は2008年の12月に亡くなりました。家族や親しい者の死も1年ほどたつと悲しいだの寂しいだの、という気持ちは薄れ、彼らは自分の人生においてどんな存在だったのだろう?どんなメッセージを遺していったのだろう?といったことを考えます。

 

父のことを書いてみようと思い立ったのは、それだけがきっかけではありませんでした。

死後、間もない時に、社会保険事務所で遺族年金の手続きをする際に父の履歴書を書いて提出しました。その時に感じたのは、血を分けた家族のことでも知らないことがたくさんあるな、ということでした。

じつはそれは当り前のことなのだが、それまではっきりとは気が付いていませんでした。なんとなく父のことも母のこともよく知っていると思いすごしていたのです。

実際は私が知っているのは、私の父親としての部分、母親としての部分だけであり、両親が男としてどうだったか、女としてどうだったか、ひとりの人間としてどうだったのか、といったことなど、ほとんど知りませんでした。数十年も親子をやっていて、知るきっかけなどなかったのです。

 

父の仕事ひとつ取ってもそうでした。僕の知っている父の仕事は瓦の葺換え職人だが、それは30歳で独立してからのことで、その前――20代のときは工場に勤めたり、建築会社に勤めたりしていたのです。それらは亡くなってから初めて聞いた話です。

そうして知った事実を順番に並べて履歴書を作ったのですが、その時には強い違和感というか、抵抗感のようなものを感じました。それは父というひとりの人間の人生の軌跡が、こんな紙切れ一枚の中に納まってしまうということに対しての、寂しさというか、怒りというか、何とも納得できない気持ちでした。

 

父は不特定多数の人たちに興味を持ってもらえるような、波乱万丈な、生きる迫力に満ち溢れた人生を歩んだわけはありませんい。むしろそれらとは正反対の、よくありがちな、ごく平凡な庶民の人生を送ったのだと思います。

けれどもそうした平凡な人生の中にもそれなりのドラマがあります。そして、そのドラマには、その時代の社会環境の影響を受けた部分が少なくありません。たとえば父の場合は、昭和3(1928)に生まれ、平成元年(1989)に仕事を辞めて隠居していました。その人生は昭和の歴史とほぼ重なっています。

 

ちなみにこの昭和3年という年を調べてみると、アメリカでミッキーマウスの生まれた(ウォルト・ディズニーの映画が初めて上映された)年です。

父は周囲の人たちからは実直でまじめな仕事人間と見られていましたが、マンガや映画が好きで、「のらくろ」だの「冒険ダン吉」だのの話をよく聞かせてくれました。その時にそんなことも思い出したのです。

 

ひとりの人間の人生――この場合は父の人生を昭和という時代にダブらせて考えていくと、昭和の出来事を書き連ねた年表のようなものとは、ひと味違った、その時代の人間の意識の流れ、社会のうねりの様子みたいなものが見えてきて面白いのではないか・・・。そう考えて、僕は父に関するいくつかの個人的なエピソードと、昭和の歴史の断片を併せて書き、家族や親しい人たちが父のことを思い起こし、対話できるための一遍の物語を作ってみようと思い立ちました。

本当はその物語は父が亡くなる前に書くべきだったのではないかと、少し後悔の念が残っています。

生前にも話を聞いて本を書いてみようかなと、ちらりと思ったことはあるのですが、とうとう父自身に自分の人生を振り返って……といった話を聞く機会はつくれませんでした。たとえ親子の間柄でも、そうした機会を持つことは難しいのです。思い立ったら本気になって直談判しないと、そして双方互いに納得できないと永遠につくることはできません。あるいは、これもまた難しいけど、本人がその気になって自分で書くか・・・。それだけその人固有の人生は貴重なものであり、それを正確に、満足できるように表現することは至難の業なのだと思います。

 

実際に始めてから困ったのは、父の若い頃のことを詳しく知る人など、周囲にほとんどいないということ。また、私自身もそこまで綿密に調査・取材ができるほど、時間や労力をかけるわけにもいきませんでした。

だから母から聞いた話を中心に、叔父・叔母の話を少し加える程度にとどめ、その他、本やインターネットでその頃の時代背景などを調べながら文章を組み立てる材料を集めました。そして自分の記憶――心に残っている言葉・出来事・印象と重ね合わせて100枚程度の原稿を作ってみたのです。

 

自分で言うのもナンですが、情報不足は否めないものの、悪くない出来になっていて気に入っています。これがあるともうこの世にいない父と少しは対話できる気がするのです。自分の気持ちを落ち着かせ、互いの生の交流を確かめ、父が果たした役割、自分にとっての存在の意味を見出すためにも、こうした家族や親しい者の物語をつくることはとても有効なのではないかと思います。

 

 高齢化が進む最近は「エンディングノート」というものがよく話題に上っています。

「その日」が来た時、家族など周囲の者がどうすればいいか困らないように、いわゆる社会的な事務手続き、お金や相続のことなどを書き残すのが、今のところ、エンディングノートの最もポピュラーな使い方になっているようだ。

もちろん、それはそれで、逝く者にとっても、後に残る者にとっても大事なことです。しかし、そうすると結局、その人の人生は、いくらお金を遺したかとか、不動産やら建物を遺したのか、とか、そんな話ばかりで終わってしまう恐れもあります。その人の人生そのものが経済的なこと、物質的なものだけで多くの人に価値判断されてしまうような気がするのです。

 

けれども本当に大事なのは、その人の人生にどんな意味や価値があったのか、を家族や友人・知人たちが共有することが出来る、ということではないでしょうか。

そして、もしその人の生前にそうしたストーリーを書くことができれば、その人が人生の最期の季節に、自分自身を取り戻せる、あるいは、取り戻すきっかけになり得る、ということではないでしょうか。

 

 


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赤影メガネとセルフブランディング

 ♪赤い仮面は謎の人 どんな顔だか知らないが キラリと光る涼しい目 仮面の忍者だ

赤影だ~

 というのは、テレビの「仮面の忍者 赤影」の主題歌でしたが、涼しい目かどうかはともかく、僕のメガネは10数年前から「赤影メガネ」です。これにはちょっとした物語(というほどのものではないけど)があります。

 

 当時、小1だか2年の息子を連れてメガネを買いに行きました。

 それまでは確か茶色の細いフレームの丸いメガネだったのですが、今回は変えようかなぁ、どうしようかなぁ・・・とあれこれ見ていると、息子が赤フレームを見つけて「赤影!」と言って持ってきたのです。

 

 「こんなの似合うわけないじゃん」と思いましたが、せっかく選んでくれたのだから・・・と、かけてみたら似合った。子供の洞察力おそるべし。てか、単に赤影が好きだっただけ?

 とにかく、それ以来、赤いフレームのメガネが、いつの間にか自分のアイキャッチになっていました。自分の中にある自分のイメージと、人から見た自分とのギャップはとてつもなく大きいもの。

 独立・起業・フリーランス化ばやりということもあり、セルフブランディングがよく話題になりますが、自分をどう見せるかというのはとても難しい。自分の中にある自分のイメージと、人から見た自分とのギャップはとてつもなく大きいのです。

 とはいえ、自分で気に入らないものを身に着けてもやっぱり駄目。できたら安心して相談できる家族とか、親しい人の意見をしっかり聞いて(信頼感・安心感を持てない人、あんまり好きでない人の意見は素直に聞けない)、従来の考え方にとらわれない自分像を探していきましょう。

 


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ベビーカーを押す男

 

・・・って、なんだか歌か小説のタイトルみたいですね。そうでもない?

 ま、それはいいんですが、この間の朝、実際に会いました。ひとりでそそくさとベビーカーを押していた彼の姿が妙に心に焼き付き、いろいろなことがフラッシュバックしました。

 BACK in the NEW YORK CITY。

 僕が初めてニューヨークに行ったのは約30年前。今はどうだか知らないけど、1980年代のNYCときたらやっぱ世界最先端の大都会。しかし、ぼくがその先端性を感じたのは、ソーホーのクラブやディスコでもなでもなく、イーストビレッジのアートギャラリーでもなく、ブロードウェイのミュージカルでもなく、ストリートのブレイクダンスでもなく、セントラルパークで一人で子供と散歩しているパパさんたちでした。

 

 特におしゃれでも何でもない若いパパさんたちが、小さい子をベビーカーに乗せていたり、抱っこひもでくくってカンガルーみたいな格好で歩いていたり、芝生の上でご飯を食べさせたり、オムツを替えたりしていたのです。

 

 そういう人たちはだいたい一人。その時、たまたま奥さんがほっとその辺まで買い物に行っているのか、奥さんが働いて旦那がハウスハズバンドで子育て担当なのか、はたまた根っからシングルファーザーなのかわかりませんが、いずれにしてもその日その時、出会った彼らはしっかり子育てが板についている感じでした。

 

 衝撃!・・というほどでもなかったけど、なぜか僕は「うーん、さすがはニューヨークはイケてるぜ」と深く納得し、彼らが妙にカッコよく見えてしまったのです。

 

 

 そうなるのを念願していたわけではないけれど、それから約10年後。

 1990年代後半の練馬区の路上で、僕は1歳になるかならないかの息子をベビーカーに乗せて歩いていました。たしか「いわさきちひろ美術館」に行く途中だったと思います。

 向こう側からやってきたおばさんが、じっと僕のことを見ている。

 なんだろう?と気づくと、トコトコ近寄ってきて、何やら話しかけてくる。

 どこから来たのか?どこへ行くのか? この子はいくつか? 奥さんは何をやっているのいか?などなど・・・

 

 「カミさんはちょっと用事で、今日はいないんで」と言うと、ずいぶん大きなため息をつき、「そうなの。私はまた逃げられたと思って」と。

 おいおい、たとえそうだとしても、知らないあんたに心配されたり同情されたりするいわれはないんだけど。

 

 別に腹を立てたわけではありませんが、世間からはそういうふうにも見えるんだなぁと、これまた深く納得。

 あのおばさんは口に出して言ったけど、心の中でそう思ってて同情だか憐憫だかの目で観ている人は結構いるんだろうなぁ、と感じ入った次第です。

 

 というのが、今から約20年前のこと。

 その頃からすでに「子育てしない男を父とは呼ばない」なんてキャッチコピーが出ていましたが、男の子育て環境はずいぶん変化したのでしょうか?

 表面的には イクメンがもてはやされ、育児関係・家事関係の商品のコマーシャルにも、ずいぶん男が出ていますが、実際どうなのでしょうか?

 

 件のベビーカーにしても、今どき珍しくないだろう、と思いましたが、いや待てよ。妻(母)とカップルの時は街の中でも電車の中でもいる。それから父一人の時でも子供を自転車に乗せている男はよく見かける。だが、ベビーカーを“ひとりで”押している男はそう頻繁には見かけない。これって何を意味しているのだろう? と、考えてしまいました。

 

 ベビーカーに乗せている、ということは、子供はだいたい3歳未満。保育園や幼稚園に通うにはまだ小さい。普段は家で母親が面倒を見ているというパターンがやはりまだまだ多いのでしょう。

 

 そういえば、保育園の待機児童問題って、お母さんの声ばかりで、お父さんの声ってさっぱり聞こえてこない。そもそも関係あるのか?って感じに見えてしまうんだけど、イクメンの人たちの出番はないのでしょうか・・・。

 

2016年6月16日


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インターネットがつくるフォークロア

 

インターネットの出現は社会を変えた――ということは聞き飽きるほど、あちこちで言われています。けれどもインターネットが本格的に普及したのは、せいぜいここ10年くらいの話。全世代、全世界を見渡せば、まだ高齢者の中には使ったことがないという人も多いし、国や地域によって普及率の格差も大きい。だから、その変化の真価を国レベル・世界レベルで、僕たちが実感するのはまだこれからだと思います。

それは一般によくいわれる、情報収集がスピーディーになったとか、通信販売が便利になったとか、というカテゴリーの話とは次元が違うものです。もっと人間形成の根本的な部分に関わることであり、ホモサピエンスの文化の変革にまでつながること。それは新しい民間伝承――フォークロアの誕生です。

 

“成長過程で自然に知ってしまう”昔話・伝承

 

最初はどこでどのように聞いたのか覚えてないですが、僕たちは自分でも驚くほど、昔話・伝承をよく知っています。成長の過程のどこかで桃太郎や浦島太郎や因幡の白ウサギと出会い、彼らを古い友だちのように思っています。

 

家庭でそれらの話を大人に読んでもらったこともあれば、幼稚園・保育園・小学校で体験したり、最近ならメディアでお目にかかることも多い。それはまるで遺伝子に組み込まれているかのように、あまりに自然に身体の中に溶け込んでいるのです。

 

調べて確認したわけではないが、こうした感覚は日本に限らず、韓国でも中国でもアメリカでもヨーロッパでも、その地域に住んでいる人なら誰でも持ち得るのではないでしょうか。おそらく同じような現象があると思います。それぞれどんな話がスタンダードとなっているのかは分かりませんが、その国・その地域・その民族の間で“成長過程で自然に知ってしまう”昔話・伝承の類が一定量あるのです。

 

それらは長い時間を生きながらえるタフな生命エネルギーを持っています。それだけのエネルギーを湛えた伝承は、共通の文化の地層、つまり一種のデータベースとして、万人の脳の奥底に存在しています。その文化の地層の上に、その他すべての情報・知識が積み重なっている――僕はそんなイメージを持っています。

 

世界共通の、新しいカテゴリーの伝承

 

そして、昔からあるそれとは別に、これから世界共通の、新しいカテゴリーの伝承が生まれてくる。その新しい伝承は人々の間で共通の文化の地層として急速に育っていくのでないか。そうした伝承を拡散し、未来へ伝える役目を担っているのがインターネット、というわけです。

 

ところで新しい伝承とは何でしょう? その主要なものは20世紀に生まれ、花開いた大衆文化――ポップカルチャーではないでしょうか。具体的に挙げていけば、映画、演劇、小説、マンガ、音楽(ジャズ、ポップス、ロック)の類です。

 

21世紀になる頃から、こうしたポップカルチャーのリバイバルが盛んに行われるようになっていました。

人々になじみのあるストーリー、キャラクター。

ノスタルジーを刺激するリバイバル・コンテンツ。

こうしたものが流行るのは、情報発信する側が、商品価値の高い、新しいものを開発できないためだと思っていました。

そこで各種関連企業が物置に入っていたアンティーク商品を引っ張り出してきて、売上を確保しようとした――そんな事情があったのでしょう。実際、最初のうちはそうだったはずです。

だから僕は結構冷めた目でそうした現象を見ていました。そこには半ば絶望感も混じっていたと思います。前の世代を超える、真に新しい、刺激的なもの・感動的なものは、この先はもう現れないのかも知れない。出尽くしてしまったのかも知れない、と……。

 

しかし時間が経ち、リバイバル現象が恒常化し、それらの画像や物語が、各種のサイトやYouTubeの動画コンテンツとして、ネット上にあふれるようになってくると考え方は変わってきました。

 

それらのストーリー、キャラクターは、もはや単なるレトロやリバイバルでなく、世界中の人たちの共有財産となっています。いわば全世界共通の伝承なのです。

僕たちは欧米やアジアやアフリカの人たちと「ビートルズ」について、「手塚治虫」について、「ガンダム」について、「スターウォーズ」について語り合えるし、また、それらを共通言語にして、子や孫の世代とも同様に語り合えます。

そこにボーダーはないし、ジェネレーションギャップも存在しません。純粋にポップカルチャーを媒介にしてつながり合う、数限りない関係が生まれるのです。

 

また、これらの伝承のオリジナルの発信者――ミュージシャン、映画監督、漫画家、小説家などによって、あるいは彼ら・彼女らをリスペクトするクリエイターたちによって自由なアレンジが施され、驚くほど新鮮なコンテンツに生まれ変わる場合もあります。

 

インターネットの本当の役割

 

オリジナル曲をつくった、盛りを過ぎたアーティストたちが、子や孫たち世代の少年・少女と再び眩いステージに立ち、自分の資産である作品を披露。それをYouTubeなどを介して広めている様子なども頻繁に見かけるようになりました。

 

それが良いことなのか、悪いことなのか、評価はさておき、そうした状況がインタ―ネットによって現れています。これから10年たち、20年たち、コンテンツがさらに充実し、インターネット人口が現在よりさらに膨れ上がれば、どうなるでしょうか? 

 

おそらくその現象は空気のようなものとして世の中に存在するようになり、僕たちは新たな世界的伝承として、人類共通の文化遺産として、完成された古典として見なすようになるでしょう。人々は分かりやすく、楽しませてくれるものが大好きだからです。

 

そして、まるで「桃太郎」のお話を聞くように、まっさらな状態で、これらの伝承を受け取った子供たちが、そこからまた新しい、次の時代の物語を生みだしていきます。

 

この先、そうした現象が必ず起こると思う。インターネットという新参者のメディアはその段階になって、さらに大きな役割を担うのでしょう。それは文化の貯蔵庫としての価値であり、さらに広げて言えば、人類の文化の変革につながる価値になります。

 

 

2016年6月13日


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地方自治体のホームページって割と面白い

 

 

 ここのところ、雑誌の連載で地方のことを書いています。

書くときはまずベーシックな情報(最初のリード文として使うこともあるので)をインターネットで調べます。

 これはウィキペディアなどの第3者情報よりも、各県の公式ホームページの方が断然面白い。自分たちの県をどう見せ、何をアピールしたいかがよくわかるからです。

なんでも市場価値が問われる時代。「お役所仕事云々・・・」と言われることが多い自治体ですが、いろいろ努力して、ホームページも工夫しています。

 

 最近やった宮崎県のキャッチコピーは「日本のひなた」。

 日照時間の多さ、そのため農産物がよく獲れるということのアピール。

 そしてもちろん、人や土地のやさしさ、あったかさ、ポカポカ感を訴えています。

 いろいろな人たちがお日さまスマイルのフリスビーを飛ばして、次々と受け渡していくプロモーションビデオは、単純だけど、なかなか楽しかった。

 

 それから「ひなた度データ」というのがあって、全国比率のいろいろなデータが出ています。面白いのが、「餃子消費量3位」とか、「中学生の早寝早起き率 第3位」とか、「宿題実行率 第4位」とか、「保護者の学校行事参加率 第2位」とか・・・
 「なんでこれがひなた度なんじゃい!」とツッコミを入れたくなるのもいっぱい。だけど好きです、こういうの。 

 取材するにしても、いきなり用件をぶつけるより、「ホームページ面白いですね~」と切り出したほうが、ちょっとはお役所臭さが緩和される気がします。

 

 「あなたのひなた度は?」というテストもあって、やってみたら100パーセントでした。じつはまだ一度も行ったことないけれど、宮崎県を応援したくなるな。ポカポカ。

 

2016年6月12日


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タイムマシンにおねがい

 

 きのう6月10日は「時の記念日」でした。それに気がついたら頭の中で突然、サディスティック・ミカ・バンドの「タイムマシンにおねがい」が鳴り響いてきたので、YouTubeを見てみたら、1974年から2006年まで、30年以上にわたるいろいろなバージョンが上がっていました。本当にインターネットの世界でタイムマシン化しています。

 

 これだけ昔の映像・音源が見放題・聞き放題になるなんて10年前は考えられませんでした。こういう状況に触れると、改めてインターネットのパワーを感じると同時に、この時代になるまで生きててよかった~と、しみじみします。

 

 そしてまた、ネットの中でならおっさん・おばさんでもずっと青少年でいられる、ということを感じます。60~70年代のロックについて滔々と自分の思い入れを語っている人がいっぱいいますが、これはどう考えても50代・60代の人ですからね。

 でも、彼ら・彼女らの頭の中はロックに夢中になっていた若いころのまんま。脳内年齢は10代・20代。インターネットに没頭することは、まさしくタイムマシンンに乗っているようなものです。

 

 この「タイムマシンにおねがい」が入っているサディスティック・ミカ・バンドの「黒船」というアルバムは、1974年リリースで、いまだに日本のロックの最高峰に位置するアルバムです。若き加藤和彦が作った、世界に誇る傑作と言ってもいいのではないでしょうか。

 中でもこの曲は音も歌詞もゴキゲンです。いろいろ見た(聴いた)中でいちばんよかったのは、最新(かな?)の2006年・木村カエラ・ヴォーカルのバージョンです。おっさんロッカーたちをバックに「ティラノサウルスおさんぽ アハハハ-ン」とやってくれて、くらくらっときました。

 

 やたらと「オリジナルでなきゃ。あのヴォーカルとあのギターでなきゃ」とこだわる人がいますが、僕はそうは思わない。みんなに愛される歌、愛されるコンテンツ、愛される文化には、ちゃんと後継ぎがいて、表現技術はもちろんですが、それだけでなく、その歌・文化の持ち味を深く理解し、見事に自分のものとして再現します。中には「オリジナルよりいいじゃん!」と思えるものも少なくありません。(この木村カエラがよい例)。

 この歌を歌いたい、自分で表現したい!――若い世代にそれだけ強烈に思わせる、魅力あるコンテンツ・文化は生き残り、クラシックとして未来に継承されていくのだと思います。

 

 もう一つおまけに木村カエラのバックでは、晩年の加藤和彦さんが本当に楽しそうに演奏をしていました。こんなに楽しそうだったのに、どうして自殺してしまったのだろう・・・と、ちょっと哀しくもなったなぁ。

 

2016年6月11日


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「歴人めし」おかわり情報

 

 9日間にわたって放送してきた「歴人めし」は、昨日の「信長巻きの巻」をもっていったん終了。しかし、ご安心ください。7月は夜の時間帯に再放送があります。ぜひ見てくださいね。というか、You Tubeでソッコー見られるみたいですが。

 

 

https://www.ch-ginga.jp/movie-detail/series.php?series_cd=12041

 

 この仕事では歴人たちがいかに食い物に執念を燃やしていたかがわかりました。 もちろん、記録に残っているのはほんの少し。

 源内さんのように、自分がいかにうなぎが好きか、うなぎにこだわっているか、しつこく書いている人も例外としていますが、他の人たちは自分は天下国家のことをいつも考えていて、今日のめしのことなんかどうでもいい。カスミを食ってでの生きている・・・なんて言い出しそうな勢いです。

 

 しかし、そんなわけはない。偉人と言えども、飲み食いと無関係ではいられません。 ただ、それを口に出して言えるのは、平和な世の中あってこそなのでしょう。だから日本の食文化は江戸時代に発展し、今ある日本食が完成されたのです。

 

 そんなわけで、「おかわり」があるかもしれないよ、というお話を頂いているので、なんとなく続きを考えています。

 駿河の国(静岡)は食材豊富だし、来年の大河の井伊直虎がらみで何かできないかとか、 今回揚げ物がなかったから、何かできないかとか(信長に捧ぐ干し柿入りドーナツとかね)、

 柳原先生の得意な江戸料理を活かせる江戸の文人とか、明治の文人の話だとか、

 登場させ損ねてしまった豊臣秀吉、上杉謙信、伊達政宗、浅井三姉妹、新選組などの好物とか・・・

 食について面白い逸話がありそうな人たちはいっぱいいるのですが、柳原先生の納得する人物、食材、メニュー、ストーリーがそろって、初めて台本にできます。(じつは今回もプロット段階でアウトテイク多数)

 すぐにとはいきませんが、ぜひおかわりにトライしますよ。

 それまでおなかをすかせて待っててくださいね。ぐ~~。

2016年6月7日


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歴人めし♯9:スイーツ大好き織田信長の信長巻き

 

信長が甘いもの好きというのは、僕は今回のリサーチで初めて知りました。お砂糖を贈答したり、されたりして外交に利用していたこともあり、あちこちの和菓子屋さんが「信長ゆかりの銘菓」を開発して売り出しているようです。ストーリーをくっつけると、同じおまんじゅうやあんころもちでも何だか特別なもの、他とは違うまんじゅうやあんころもちに思えてくるから不思議なものです。

 

 今回、ゆかりの食材として採用したのは「干し柿」と「麦こがし(ふりもみこがし)」。柿は、武家伝統の本膳料理(会席料理のさらに豪華版!)の定番デザートでもあり、記録をめくっていると必ず出てきます。

 現代のようなスイーツパラダイスの時代と違って、昔の人は甘いものなどそう簡単に口にできませんでした。お砂糖なんて食品というよりは、宝石や黄金に近い超ぜいたく品だったようです。だから信長に限らず、果物に目のない人は大勢いたのでしょう。

 中でもは干し柿にすれば保存がきくし、渋柿もスイートに変身したりするので重宝されたのだと思います。

 

  「信長巻き」というのは柳原尚之先生のオリジナル。干し柿に白ワインを染み込ませるのと、大徳寺納豆という、濃厚でしょっぱい焼き味噌みたいな大豆食品をいっしょに巻き込むのがミソ。

 信長は塩辛い味も好きで、料理人が京風の上品な薄味料理を出したら「こんな水臭いものが食えるか!」と怒ったという逸話も。はまった人なら知っている、甘い味としょっぱい味の無限ループ。交互に食べるともうどうにも止まらない。信長もとりつかれていたのだろうか・・・。

 

 ちなみに最近の映画やドラマの中の信長と言えば、かっこよくマントを翻して南蛮渡来の洋装を着こなして登場したり、お城の中のインテリアをヨーロッパの宮殿風にしたり、といった演出が目につきます。

 スイーツ好きとともに、洋風好き・西洋かぶれも、今やすっかり信長像の定番になっていますが、じつはこうして西洋文化を積極的に採り入れたのも、もともとはカステラだの、金平糖だの、ボーロだの、ポルトガルやスペインの宣教師たちが持ち込んできた、砂糖をたっぷり使った甘いお菓子が目当てだったのです。(と、断言してしまう)

 

 「文化」なんていうと何やら高尚っぽいですが、要は生活習慣の集合体をそう呼ぶまでのこと。その中心にあるのは生活の基本である衣食住です。

 中でも「食」の威力はすさまじく、これに人間はめっぽう弱い。おいしいものの誘惑からは誰も逃れられない。そしてできることなら「豊かな食卓のある人生」を生きたいと願う。この「豊かな食卓」をどう捉えるかが、その人の価値観・生き方につながるのです。

 魔王と呼ばれながら、天下統一の一歩手前で倒れた信長も、突き詰めればその自分ならではの豊かさを目指していたのではないかと思うのです。

 

2016年6月6日


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歴人めし♯8 山内一豊の生食禁止令から生まれた?「カツオのたたき」

 

 「豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だったころ、琵琶湖のほとりに金目教という怪しい宗教が流行っていた・・・」というナレーションで始まるのは「仮面の忍者・赤影」。子供の頃、夢中になってテレビにかじりついていました。

 時代劇(忍者もの)とSF活劇と怪獣物をごちゃ混ぜにして、なおかつチープな特撮のインチキスパイスをふりかけた独特のテイストは、後にも先にもこの番組だけ。僕の中ではもはや孤高の存在です。

 

 いきなり話が脱線していますが、赤影オープニングのナレーションで語られた「琵琶湖のほとり」とは滋賀県長浜あたりのことだったのだ、と気づいたのは、ちょうど10年前の今頃、イベントの仕事でその長浜に滞在していた時です。

 このときのイベント=期間限定のラジオ番組制作は、大河ドラマ「功名が辻」関連のもの。4月~6月まで断続的に数日ずつ訪れ、街中や郊外で番組用の取材をやっていました。春でもちょっと寒いことを我慢すれば、賑わいがあり、かつまた、自然や文化財にも恵まれている、とても暮らしやすそうな良いところです。

この長浜を開いたのは豊臣秀吉。そして秀吉の後を継いで城主になったのが山内一豊。「功名が辻」は、その一豊(上川隆也)と妻・千代(仲間由紀恵)の物語。そして本日の歴人めし♯9は、この一豊ゆかりの「カツオのたたき」でした。

 ところが一豊、城主にまでしてもらったのに秀吉の死後は、豊臣危うしと読んだのか、関が原では徳川方に寝返ってしまいます。つまり、うまいこと勝ち組にすべり込んだわけですね。

 これで一件落着、となるのが、一豊の描いたシナリオでした。

 なぜならこのとき、彼はもう50歳。人生50年と言われた時代ですから、その年齢から本格的な天下取りに向かった家康なんかは例外中の例外。そんな非凡な才能と強靭な精神を持ち合わせていない、言ってみればラッキーで何とかやってきた凡人・一豊は、もう疲れたし、このあたりで自分の武士人生も「あがり」としたかったのでしょう。

 できたら、ごほうびとして年金代わりに小さな領地でももらって、千代とのんびり老後を過ごしたかったのだと思います。あるいは武士なんかやめてしまって、お百姓でもやりながら余生を・・・とひそかに考えていた可能性もあります。

 

 ところが、ここでまた人生逆転。家康からとんでもないプレゼントが。

 「土佐一国をおまえに任せる」と言い渡されたのです。

 一国の領主にしてやる、と言われたのだから、めでたく大出世。一豊、飛び上がって喜んだ・・・というのが定説になっていますが、僕はまったくそうは思いません。

 なんせ土佐は前・領主の長曾我部氏のごっつい残党がぞろぞろいて、新しくやってくる領主をけんか腰で待ち構えている。徳川陣営の他の武将も「あそこに行くのだけは嫌だ」と言っていたところです。

 

 現代に置き換えてみると、後期高齢者あたりの年齢になった一豊が、縁もゆかりもない外国――それも南米とかのタフな土地へ派遣されるのようなもの。いくらそこの支店長のポストをくれてやる、と言われたって全然うれしくなんかなかったでしょう。

 

 けれども天下を収めた家康の命令は絶対です。断れるはずがありません。

 そしてまた、うまく治められなければ「能無し」というレッテルを貼られ、お家とりつぶしになってしまいます。

 これはすごいプレッシャーだったでしょう。「勝ち組になろう」なんて魂胆を起こすんじゃなかった、と後悔したに違いありません。

 

 こうして不安と恐怖、ストレスで萎縮しまくってたまま土佐に行った一豊の頭がまともに働いたとは思えません。豊富に採れるカツオをがつがつ生で食べている連中を見て、めちゃくちゃな野蛮人に見えてしまったのでしょう。

 人間はそれぞれの主観というファンタジーの中で生きています。ですから、この頃の彼は完全に「土佐人こわい」という妄想に支配されてしまったのです。

 

 「功名が辻」では最後の方で、家来が長曾我部の残党をだまして誘い出し、まとめて皆殺しにしてしまうシーンがあります。これは家来が独断で行ったことで、一豊は関与していないことになっていますが、上司が知らなったわけがありません。

 

こうして不安と恐怖、ストレスで萎縮しまくってたまま土佐に行った一豊の頭がまともに働いたとは思えません。豊富に採れるカツオをがつがつ生で食べている連中を見て、めちゃくちゃな野蛮人に見えてしまったのでしょう。

 人間はそれぞれの主観というファンタジーの中で生きています。ですから、この頃の彼は完全に「土佐人こわい」という妄想に支配されてしまったのです。

 

 「功名が辻」では最後の方で、家来が長曾我部の残党をだまして誘い出し、まとめて皆殺しにしてしまうシーンがあります。これは家来が独断で行ったことで、一豊は関与していないことになっていますが、上司が知らなったわけがありません。

 

 恐怖にかられてしまった人間は、より以上の恐怖となる蛮行、残虐行為を行います。

 一豊は15代先の容堂の世代――つまり、250年後の坂本龍馬や武市半平太の時代まで続く、武士階級をさらに山内家の上士、長曾我部氏の下士に分けるという独特の差別システムまで発想します。

 そうして土佐にきてわずか5年で病に倒れ、亡くなってしまった一豊。寿命だったのかもしれませんが、僕には土佐統治によるストレスで命を縮めたとしか思えないのです。

 

 「カツオのたたき」は、食中毒になる危険を慮った一豊が「カツオ生食禁止令」を出したが、土佐の人々はなんとかおいしくカツオを食べたいと、表面だけ火であぶり、「これは生食じゃのうて焼き魚だぜよ」と抗弁したところから生まれた料理――という話が流布しています。

 しかし、そんな禁止令が記録として残っているわけではありません。やはりこれはどこからか生えてきた伝説なのでしょう。

 けれども僕はこの「カツオのたたき発祥物語」が好きです。それも一豊を“民の健康を気遣う良いお殿様”として解釈するお話でなく、「精神的プレッシャーで恐怖と幻想にとりつかれ、カツオの生食が、おそるべき野蛮人たちの悪食に見えてしまった男の物語」として解釈してストーリーにしました。

 

 随分と長くなってしまいましたが、ここまで書いてきたバックストーリーのニュアンスをイラストの方が、短いナレーションとト書きからじつにうまく掬い取ってくれて、なんとも情けない一豊が画面で活躍することになったのです。

 一豊ファンの人には申し訳ないけど、カツオのたたきに負けず劣らず、実にいい味出している。マイ・フェイバリットです。

 

2016年6月3日


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「歴人めし」徳川家康提唱、日本人の基本食

 

 

 歴人めし第7回は「徳川家康―八丁味噌の冷汁と麦飯」。

 「これが日本人の正しい食事なのじゃ」と家康が言ったかどうかは知りませんが、米・麦・味噌が長寿と健康の基本の3大食材と言えば、多くの日本人は納得するのではないでしょうか。エネルギー、たんぱく質、ビタミン、その他の栄養素のバランスも抜群の取り合わせです。

 ましてやその発言の主が、天下を統一して戦国の世を終わらせ、パックス・トクガワ―ナを作った家康ならなおのこと。実際、家康はこの3大食材を常食とし、かなり養生に努めていたことは定説になっています。

 

  昨年はその家康の没後400年ということで、彼が城を構えた岡崎・浜松・静岡の3都市で「家康公400年祭」というイベントが開催され、僕もその一部の仕事をしました。

そこでお会いしたのが、岡崎城から歩いて八丁(約780メートル)の八丁村で八丁味噌を作っていた味噌蔵の後継者。

 かのメーカー社長は現在「Mr.Haccho」と名乗り、毎年、海外に八丁味噌を売り込みに行っているそうで、日本を代表する調味料・八丁味噌がじわじわと世界に認められつつあるようです。

 

 ちなみに僕は名古屋の出身なので子供の頃から赤味噌に慣れ親しんできました。名古屋をはじめ、東海圏では味噌と言えば、赤味噌=豆味噌が主流。ですが、八丁味噌」という食品名を用いれるのは、その岡崎の元・八丁村にある二つの味噌蔵――現在の「まるや」と「カクキュー」で作っているものだけ、ということです。

 

 しかし、養生食の米・麦・味噌をがんばって食べ続け、健康に気を遣っていた家康も、平和な世の中になって緊張の糸がプツンと切れたのでしょう。

 がまんを重ねて押さえつけていた「ぜいたくの虫」がそっとささやいたのかもしれません。

 

 「もういいんじゃないの。ちょっとぐらいぜいたくしてもかまへんで~」

 

 ということで、その頃、京都でブームになっていたという「鯛の天ぷら」が食べた~い!と言い出し、念願かなってそれを口にしたら大当たり。おなかが油に慣れていなかったせいなのかなぁ。食中毒がもとで亡くなってしまった、と伝えられています。

 でも考えてみれば、自分の仕事をやり遂げて、最期に食べたいものをちゃんと食べられて旅立ったのだから、これ以上満足のいく人生はなかったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

2016年6月2日


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歴人めし「篤姫のお貝煮」と御殿女中

  絶好調「真田丸」に続く2017年大河は柴咲コウ主演「おんな城主 直虎」。今年は男だったから来年は女――というわけで、ここ10年あまり、大河は1年ごとに主人公が男女入れ替わるシフトになっています。
 だけど女のドラマは難しいんです。なかなか資料が見つけらない。というか、そもそも残っていな。やはり日本の歴史は(外国もそうですが)圧倒的に男の歴史なんですね。


 それでも近年、頻繁に女主人公の物語をやるようになったのは、もちろん女性の視聴者を取り込むためだけど、もう一つは史実としての正確さよりも、物語性、イベント性を重視するようになってきたからだと思います。

 

 テレビの人気凋落がよく話題になりますが、「腐っても鯛」と言っては失礼だけど、やっぱ日曜8時のゴールデンタイム、「お茶の間でテレビ」は日本人の定番ライフスタイルです。

 出演俳優は箔がつくし、ゆかりの地域は観光客でにぎわうって経済も潤うし、いろんなイベントもぶら下がってくるし、話題も提供される・・・ということでいいことづくめ。
 豪華絢爛絵巻物に歴史のお勉強がおまけについてくる・・・ぐらいでちょうどいいのです。(とはいっても、制作スタッフは必死に歴史考証をやっています。ただ、部分的に資料がなくても諦めずに面白くするぞ――という精神で作っているということです)

 

 と、すっかり前置きが長くなってしまいましたが、なんとか「歴人めし」にも一人、女性を入れたいということで、あれこれ調べた挙句、やっと好物に関する記録を見つけたのが、20082年大河のヒロイン「篤姫」。本日は天璋院篤姫の「お貝煮」でした。

 

 見てもらえればわかるけど、この「お貝煮」なる料理、要するにアワビ入りの茶碗蒸しです。その記述が載っていたのが「御殿女中」という本。この本は明治から戦前の昭和にかけて活躍した、江戸文化・風俗の研究家・三田村鳶魚の著作で。篤姫付きの女中をしていた“大岡ませ子”という女性を取材した、いわゆる聞き書きです。

 

 

 明治も30年余り経ち、世代交代が進み、新しい秩序・社会体制が定着してくると、以前の時代が懐かしくなるらしく、「江戸の記憶を遺そう」というムーブメントが文化人の間で起こったようです。
 そこでこの三田村鳶魚さんが、かなりのご高齢だったます子さんに目をつけ、あれこれ大奥の生活について聞き出した――その集成がこの本に収められているというわけです。これは現在、文庫本になっていて手軽に手に入ります。

 ナレーションにもしましたが、ヘアメイク法やら、ファッションやら、江戸城内のエンタメ情報やらも載っていて、なかなか楽しい本ですが、篤姫に関するエピソードで最も面白かったのが飼いネコの話。

 最初、彼女は狆(犬)が買いたかったようなのですが、夫の徳川家定(13代将軍)がイヌがダメなので、しかたなくネコにしたとか。

 


 ところが、このネコが良き相棒になってくれて、なんと16年もいっしょに暮らしたそうです。彼女もペットに心を癒された口なのでしょうか。

 

 そんなわけでこの回もいろんな発見がありました。

 続編では、もっと大勢の女性歴人を登場させ、その好物を紹介したいと思っています。

 

2016年6月1日


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「永遠なる『傷だらけの天使』を読む

 

本放送から50年を経たショーケン(萩原健一)主演の

探偵ドラマ「傷だらけの天使」。

僕らのように、リアルタイムで出会った世代にとって、

このドラマは、いわばビートルズのような、

シンボルカルチャー的存在だが、

新たな世代のファンもけっこういるらしい。

 

その「傷だらけの天使」について解説した本が1年前、

2024年1月に出版されていた。

 

●貴重な資料集

 

制作の舞台裏、さまざまなエピソードについて書かれており、

関係者の貴重な証言が盛りだくさん――

と言いたいところだが、もう50年も前のドラマなので、

関係者の多くはもうこの世にいない。

 

それでも、主演の萩原健一の自伝「ショーケン」のなかで、

彼が「傷天」について語ったコメントを取り上げ、

その裏を取る形で、当時、制作現場に携わったスタッフ

(のなかでまだ健在な人たち)に取材。

どのようにこの名作ドラマが作られたのか、

丹念に探究しており、当時の現場の記憶の証言集・

貴重な資料集として読める。

 

●当時の名監督らが参戦

 

1970年代半ばは、まだテレビドラマは

映画より格下と見られていた時代だが、

「傷天」には、深作欣二や恩地日出夫など、

映画の世界で名をはせていた名監督らが参戦。

テレビドラマでありながら、

映画としてのヤバさを前面に打ち出した、

「テレビ映画」という新しいジャンルを開拓した。

 

そうした挑戦的で、冒険心に富んだ企画ゆえに、

テレビをばかにしていた映画通からも

リスペクトされていた作品なのである。

 

主演のショーケン自身も企画段階から携わっており、

ここでは、そのあたりの開発ストーリーと、

監督、脚本家、プロデューサーらが、

この企画にいかに情熱を注いでいたかなど、

スタッフにまつわるエピソードが詳しく書かれており、

とても読みごたえがある。

 

そうしたスタッフの意気込みをフルに反映した、

スタート時の数本には、カオスのような熱気が込められており、

コミカルでありながら、戦後の影を引きづった、

ダークで意味深な社会背景、

若者の夢を描く反面、現実の残酷さを刃物のようにつきつける、

独特のトーンがあって、すごく面白い。

 

また、同じく開始初期はやたらとセクシーシーンが多いのだが、

監督らがいかにゲスト女優をあおって脱がせたかなど、

今なら完全にセクハラ・パワハラで、

レッドカードとなるエピソードもいろいろ書かれている。

 

とはいえ、テレビに似つかしくない、

先進的すぎるつくりが災いして、

また、セクシーシーン、暴力シーンが

テレビサイズではヤバすぎて、

視聴者からひんしゅくを買ったため、

ショーケン人気に乗じた割には視聴率は伸びず、

本放送時の評判はさんざんだったようだ。

 

さらに深作監督らが撮った最初の7本くらいで

予算をかなり使ってしまい、

途中から路線を変更せざるを得なくなってしまった。

しかし、それが弟分アキラ(水谷豊)の存在感を

クローズアップすることにつながり、

このドラマの最大の魅力となる、

オサムとアキラのコンビネーションによる

独特のノリが生まれたのだと思う。

 

伝説の最終回・衝撃のラストはどう生まれたのか?

ただ、残念なのは、

あの伝説の最終回に関する記述が少ないことだ。

最終回「祭りのあとにさすらいの日々を」の脚本を書いたのは、

メインライターだった市川森一。

市川はオサムとアキラのキャラクターや、

物語の設定を作り、全26話のうち、7話を手掛けた。

(この本の中では、そのあたりの経緯もちゃんと紹介している)

 

僕は手元にその市川が1983年に出した

脚本集「傷だらけの天使」(大和書房刊)を持っているが、

最終回のラストシーンは、どしゃ降りの雨の中、

死んだアキラを背負って、

ペントハウスの階段を下りてきたオサムが、

「まだ墓場にゃいかねえぞ!」と叫ぶところで終わっている。

 

それがどこでどうやって、アキラの遺体をリヤカーに乗せて夢の島

(当時は、現在の整備された街からは想像もできない、

大都会・東京の巨大なゴミ捨て場)に棄てて、

いずこともなく去ってゆく――という、

僕らの胸に一生のトラウマを残す、あの、苦く切ない、

衝撃的な幕切れに変ったのか、

そこを丹念に掘り返してほしかった。

 

最終回の撮影現場を語れる萩原健一も、

工藤栄一監督も鬼籍に入ってしまったが、

まだ一人、重要人物が現役バリバリで活躍している。

アキラ役の水谷豊だ。

 

アキラ:水谷豊の不在

 

この本には水谷豊の証言がないのも、大きな穴に思える。

著者もメインキャストのなかで唯一健在の彼に対して、

当然、アプローチはしたと思うが、

取材を拒まれたのかもしれない。

 

聞くところによると、水谷は「傷天」については

ほとんど語りたがらないという。

アキラ役が嫌いだったとも聞く。

 

しかし、それは嘘だろう。

彼はクレバーな人なので、いまだに多くの人が「傷天」を、

アキラを愛していることを知っている。

いまだにアキラこそ、

水谷のベストパフォーマンスという人も少なくない。

彼としてはその後、役者として生きていくために

アキラの幻影を振り払う必要があり、

あえて「傷天」について語ることを封印したのだと思う。

 

けれども、あの野良犬のような惨めなアキラの死から、

その後、半世紀にわたって、ドラマ・映画で大活躍する名優・

水谷豊が誕生したのは間違いない事実。

彼があの役を愛していないわけはない。

 

改めて「傷天」を通して見ると、

アキラという一見とぼけた少年のようなキャラクターの奥深さ、

それを見事に表現し、独自のものにした

水谷豊の芸達者ぶりに舌を巻く。

それについてはまた、別の機会に書いていきたいと思う。

 

なぜ今、まだ「傷天」なのか?

 

もう一つだけ不満を言わせてもらうと、本の紹介文のなかで、

「なぜ『傷だらけの天使』は、

いまだわたしたちの心に残り続けるのか、

その理由と価値を問う。」

とあるのだが、これに匹敵する著者の考察は、

まとまった形で綴られておらず、

肩透かしされた思い、物足りなさを感じる。

それとも、今回はあくまで資料集・証言集の域でとどめて、

考察はまた別の機会で、ということなのだろうか?

 

それならそれで楽しみだが、

いい機会なので、僕も自分でも一丁考察して、

自分なりの「傷だらけの天使」の本を

書いてみようかと思っている。

 

 


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かさこ交流会で感じた「人生後半の奮闘」

 

一昨日、横浜・鶴見で開かれた

かさこさん主催の交流会に行きました。

 

カメラマン・ライター・Kindle作家のかさこさんは、

ネット発信のエキスパートであり、

ネット集客などの課題に悩む

個人事業主のアドバイザーでもあります。

 

世の中にはたくさんのフォロワーを集める、

インフルエンサーと呼ばれる発信者がいますが、

そのなかでもかさこさんは、

最も信頼できる発信者の一人だと思っています。

 

交流会に集まったなかでは、自分を含め、

人生後半を奮闘する人たち、

アラカンや還暦超えてがんばる人たちがたくさんいました。

 

もちろん、みんな、いろいろトライして結果を出したい、

好きなことをやって稼ぎたい、食っていきたいわけだけど、

こうして自分で仕事を始めて、

ジタバタやっていること自体が、

いいね、すごいなと思うのです。

 

僕の両親や、認知症になってしまった義母(90)の世代は、

敗戦によってペッシャンコになってしまった日本を復興させ、

豊かな社会を築くことを共通目標としていました。

 

しかし、僕の世代になると、両親らのような

誰もが共有できる目標は、もはやありません。

それに代わって、僕たちひとりひとりが、

生きる目標や生きがいを

設定しなければならない状況が訪れています。

 

何らかの形でその設定ができないと、

人生において幸福感を得るのは難しい。

経済的に食えないと生きていけないし、

経済や仕事や情報の奴隷になって、

精神が壊れても生きられない。

 

「人生百年」と謳われる未知の世界は、

豊かで便利で情報がいっぱいあるにも関わらず、

どうにも未来に希望を見出しにくく、不安があふれる世界です。

 

ここでは還暦は、

かつてのような定年退職後の余生ではなく、

新しく生き始める年代、と同時に、

人生の終わりも考えなきゃいけない、

かなり複雑な年代といえるかもしれません。

そう簡単に「逃げ切り」はできません。

いろんな面白い人と会って、そんなことを考えました。

 

みんな、今までも十分がんばってきたかもしれないが、

まだまだがんばろう。

 


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AI・ロボットが“理想的・人間的な認知症介護”を実現する

 

AIと認知症を結び付けて考えたことがある。

正確にはAIでなくてロボットだ。

施設で暮らす老人の気持ちを、ロボットの介護士が汲み取り、

ルールを破って、彼の脱走を幇助してしまう。

若い頃にそんなストーリーを思いつき、

ドラマのシナリオや小説に書いた。

 

どれだけAIやロボットが社会に普及しても、

介護の分野はあくまで人間にしかできない仕事。

そう考える人、そう願う人、

そうでなくてはいけないと考える人は多いと思うが、

昨今のAIの進化状況を見ていると、

あながちそうでないかもと思えてくる。

もしかしたらAIやロボットに任せてしまったほうが、

いろいろな面でうまくいくのではないか。

 

認知症の義母は、ふだんは穏やかでにこやか。

人当たりもよく、ぜんぜん知らない人でも、

道ですれ違うとあいさつを交わす。

ある意味、社交性に富んでいるのだが、

最近、僕たちやデイサービスのスタッフなど、

ケアする相手を手こずらせる問題行動が、だんだん増えてきた。

 

もともとへそを曲げると頑固になるところがあるのだが、

特に昨年夏に肺炎っぽくなって1週間あまり入院した後は、

子供の「いやいや」みたいなことを頻繁に起こすようになった。

 

歯を磨かない、爪を切らせない、お風呂に入らない、

薬を飲まない、検温させない、送迎の車から降りない・・・

 

そういう時にふと考えるのは、

これがケアする相手が、僕たち人間でなくロボットだったら、

こんなに強く拒否するだろうか?

諦めてもっと素直に従うのではないかと思うのだ。

 

その人の個人データを取り込んで、パーソナリティを把握すれば、

ロボットのほうがもっと優しく、

うまく対処できるのではないかという気がしている。

(もちろんセキュリティ上の問題、倫理上の問題はあるが)

 

なぜなら比較した場合、機械より人間のほうがリスクが大きい。

少なくとも機械は、人間のように、

互いに嫌悪や憎悪を抱いたり、

ケアする相手に虐待や差別をすることがあったり、

暴言を吐き、暴力をふるったりして、

肉体・精神を痛めつけるようなことはしないだろう。

 

患者のほうも慣れてしまえば、

むしろ機械のほうがいいと思うかもしれない。

人間のケアラーだったら拒絶する夢想・妄想にも、

機械はうまく合わせて対応してくれる可能性が高い。

また、いっしょに暮らす家族も

苦しい思い・悲しい思いをせず、ストレスを減らせる。

 

実際、アメリカでは終活相談を、

人間ではなくAIとしたいという人が増えているらしい。

なぜなら、AIは人種や社会的身分、

経済状態などで相手を差別することなく、

平等に扱ってくれるからだという。

 

「AIのほうが人間よりも人間的

」という逆転現象も起こりうるのだ。

というか、部分的にはもう起こっているといえそうだ。

 

ちょっと前なら「おまえはSFの見過ぎ・読み過ぎ」と

鼻で笑われていたことが、

この数年のうちに実現するのかもしれない。

AI・ロボット関連の技術にまつわる常識も、

人間の寿命やライフスタイルに関する常識も、

毎日、劇的に変わり続けている。

 

義母の場合、前兆として、

ちょっと高齢者うつっぽい時期があったようで、

そこから数えると、認知症歴はかれこれ20年。

世の中の標準値では、今のところ、

認知症患者の余命は発症後5~12年となっているので、

それはもうはるかに超えている。

今後、義母のように認知症を患いながら、

長く生きる人は、ますます増えてくるだろう。

 

認知症の人たちと一緒に生きる社会、

それなりに寄り添える社会をつくっていくためには、

AI・ロボット関連の技術はきっと必要不可欠になるだろう。

彼らのサポートを借りずに、

人間らしさも保てないし、

人間の尊厳は成り立たない。

そんな時代がもう来ているのではないか。

人間と機械が競い合ったり、対抗したりする時代は、

じつはもう終わっているのかもしれない。

 

3月24日(月)16:59まで無料キャンペーン実施中。

 

残り1日。まだ間に合います。

ぜひ、この機会にお手持ちのデバイスに入れてください。

読むのはあとからでもOKですよ。

 


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おりべまこと電子書籍:3月の無料キャンペーン開催

 

本日3月19日(水)17:00~24日(月)16:59 6日間

 

2019年6月に義母を引き取り、いっしょに暮らすようになった。

以来、認知症が僕のライフワーク(?)になった。

彼女は少なくとも認知症15年選手。

彼女に寄り添おうとすると、

日常生活が容易に非日常の世界にすり替わる。

こうしたケアも一つの人生経験。

ということで日々の格闘の様子を時折ブログに書いている。

エッセイ集はそれをまとめたもの。

それと同時に認知症をネタにした小説も書くようになった。

 

こんな風に言うと怒られるかもしれないが、
認知症は面白い。
失礼があってはいけないが、
もっと面白がって、いっしょに泣いたり、笑ったり、

怒ったりしていい。

 

どちらも第2弾を準備中ですが、

ぜひ、あなたもこの2冊で認知症の世界を冒険してください。

 

認知症のおかあさんといっしょ

 

認知症の義母との暮らしを楽しくつづる介護エッセイ

 

認知症を知り、認知症から人生を考え、人間を学ぶ。

 

 

ざしきわらしに勇気の歌を

 

ロボット介護士に支えられて余生を送っている

認知症の寅平じいさん。

彼がある日、林の中を散歩していると不思議な子どもに出逢う。

 その子を追って木の穴に潜り込むと、

奥には妖怪の国が広がっていた。

認知症×ロボット介護士×妖怪戦争の近未来ファンタジー小説。

 


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おりべまこと電子書籍:3月の無料キャンペーン予告!

 

明日3月19日(水)17:00~24日(月)16:59 6日間

 

認知症のおかあさんといっしょ

認知症の義母との暮らしを楽しくつづる介護エッセイ

 

「いいの、手なんか握って?」

「だって手をつながないと危ないよ」

「いいの本当に? 奥さんはいらっしゃるの?」

「はい、いますけど(あなたの娘ですよ)」

「わあ、どうしよう? 奥さん、怒らないかしら?」

「だいじょうぶです。公認ですから」

「わあ、うれしい。こうしたこと一生忘れないわ」

「喜んでもらえて何よりです」

そんな対話から始まった義母の介護の日々を綴った面白エッセイ。

認知症を知り、認知症から人生を考え、人間を学ぶ。

 

 

 

ざしきわらしに勇気の歌を

認知症×ロボット介護士×妖怪の近未来ファンタジー小説

 

ロボット介護士に支えられて余生を送っている

認知症の寅平じいさん。

彼がある日、林の中を散歩していると不思議な子どもに出逢う。 その子を追って木の穴に潜り込むと、

奥には妖怪の国が広がっていた。

子どもの正体はざしきわらし。

ざしきわらしは最強の妖怪“むりかべ”の脅威から

人間を守るために闘うので、応援してほしいと寅平に頼む。

寅平はこれぞ自分のミッションと思い、

闘うざしきわらしのために勇気の出る歌を歌う。

 


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なぜ日本ではカエルはかわいいキャラなのか?

 

 「かえるくん、東京を救う」というのは村上春樹の短編小説の中でもかなり人気の高い作品です。

 主人公がアパートの自分の部屋に帰ると、身の丈2メートルはあろうかというカエルが待っていた、というのだから、始まり方はほとんど恐怖小説。

 ですが、その巨大なカエルが「ぼくのことは“かえるくん”と呼んでください」と言うのだから、たちまちシュールなメルヘンみたいな世界に引き込まれてしまいます。

 

 この話は阪神大震災をモチーフにしていて、けっして甘いメルヘンでも、面白おかしいコメディでもないシリアスなストーリーなのですが、このかえるくんのセリフ回しや行動が、なんとも紳士的だったり、勇敢だったり、愛らしかったり、時折ヤクザだったりして独特の作品世界が出来上がっています。

 

 しかし、アメリカ人の翻訳者がこの作品を英訳するとき、この「かえるくん」という呼称のニュアンスを、どう英語で表現すればいいのか悩んだという話を聞いて、さもありなんと思いました。

 

 このカエルという生き物ほど、「かわいい」と「気持ち悪い」の振れ幅が大きい動物も珍しいのではないでしょうか。

でも、その振れ幅の大きさは日本人独自の感覚のような気もします。

 

 欧米人はカエルはみにくい、グロテスクなやつ、場合によっては悪魔の手先とか、魔女の使いとか、そういう役割を振られるケースが圧倒的に多い気がします。

 

 ところが、日本では、けろけろけろっぴぃとか、コルゲンコーワのマスコットとか、木馬座アワーのケロヨンとか、古くは「やせガエル 負けるな 一茶ここにあり」とか、かわいい系・愛すべき系の系譜がちゃんと続いていますね。

 

 僕が思うに、これはやっぱり稲作文化のおかげなのではないでしょうか。

 お米・田んぼと親しんできた日本人にとって、田んぼでゲコゲコ鳴いているカエルくんたちは、友だちみたいな親近感があるんでしょうね。

 そして、彼らの合唱が聞こえる夏の青々とした田んぼの風景は、今年もお米がいっぱい取れそう、という期待や幸福感とつながっていたのでしょう。

 カエル君に対するよいイメージはそういうところからきている気がします。

 

 ちなみに僕の携帯電話はきみどり色だけど、「カエル色」って呼ばれています。

 茶色いのも黄色っぽいもの黒いのもいるけど、カエルと言えばきれいなきみどり色。やっぱ、アマガエルじゃないとかわいくないからだろうね、きっと。

 雨の季節。そういえば、ここんとこ、カエルくんと会ってないなぁ。ケロケロ。

 


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家族ストーリーを書く仕事② 個の家族

 

  「これから生まれてくる子孫が見られるように」

 ――今回の家族ストーリー(ファミリーヒストリー)を作った動機について、3世代の真ん中の息子さん(団塊ジュニア世代)は作品の最後でこんなメッセージを残しています。

 彼の中にはあるべき家族の姿があった。しかし現実にはそれが叶わなかった。だからやっと安定し、幸福と言える現在の形を映像に残すことを思い立った――僕にはそう取れます。

 

 世間一般の基準に照らし合わせれば、彼は家庭に恵まれなかった人に属するでしょう。かつて日本でよく見られた大家族、そして戦後の主流となった夫婦と子供数人の核家族。彼の中にはそうした家族像への憧れがあったのだと思います。

 

 けれども大家族どころか、核家族さえもはや過去のものになっているのでないか。今回の映像を見ているとそう思えてきます。

 

 団塊の世代の親、その子、そして孫(ほぼ成人)。

 彼らは家族であり、互いに支え合い、励まし合いながら生きている。

 けれど、その前提はあくまで個人。それぞれ個別の歴史と文化を背負い、自分の信じる幸福を追求する人間として生きている。

 

 むかしのように、まず家があり、そこに血のつながりのある人間として生まれ、育つから家族になるのではなく、ひとりひとりの個人が「僕たちは家族だよ」という約束のもとに集まって愛情と信頼を持っていっしょに暮らす。あるいは、離れていても「家族だよ」と呼び合い、同様に愛情と信頼を寄せ合う。だから家族になる。

 

 これからの家族は、核家族からさらに小さな単位に進化した「ミニマム家族」――「個の家族」とでもいえばいいのでしょうか。

 比喩を用いれば、ひとりひとりがパソコンやスマホなどのデバイスであり、必要がある時、○○家にログインし、ネットワークし、そこで父・母・息子・娘などの役割を担って、相手の求めることに応じる。それによってそれぞれが幸福を感じる。そうした「さま」を家族と呼称する――なかなかスムーズに表現できませんが、これからはそういう家族の時代になるのではないでしょうか。

 

 なぜなら、そのほうが現代のような個人主義の世の中で生きていくのに何かと便利で快適だからです。人間は自身の利便性・快適性のためになら、いろいろなものを引き換えにできます。だから進化してこられたのです。

 

 引き換えに失ったものの中にももちろん価値があるし、往々にして失ってみて初めてその価値に気づくケースがあります。むかしの大家族しかり。核家族しかり。こうしてこれらの家族の形態は、今後、一種の文化遺産になっていくのでしょう。

 好きか嫌いかはともかく、そういう時代に入っていて、僕たちはもう後戻りできなくなっているのだと思います。

 

 将来生まれてくる子孫のために、自分の家族の記憶を本なり映像なりの形でまとめて遺す―― もしかしたらそういう人がこれから結構増えるのかもしれません。

 

 

2016・6・27 Mon


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家族ストーリーを書く仕事① 親子3世代の物語

 

 親子3世代の物語がやっと完成一歩手前まで来ました。

 昨年6月、ある家族のヒストリー映像を作るというお仕事を引き受けて、台本を担当。

足掛け1年掛かりでほぼ完成し、残るはクライアントさんに確認を頂いて、最後にナレーションを吹き込むのみ、という段階までこぎつけたのです。

 

 今回のこの仕事は、ディレクターが取材をし、僕はネット経由で送られてくるその音源や映像を見て物語の構成をしていきました。そのディレクターとも最初に1回お会いしただけでご信頼を頂いたので、そのあとはほとんどメールのやり取りのみで進行しました。インターネットがあると、本当に家で何でもできてしまいます。

 ですから時間がかかった割には、そんなに「たいへん感」はありませんでした。

 

 取材対象の人たちともリアルでお会いしたことはなく、インタビューの音声――話の内容はもとより、しゃべり方のくせ、間も含めて――からそれぞれのキャラクターと言葉の背景にある気持ちを想像しながらストーリーを組み立てていくのは、なかなかスリリングで面白い体験でした(最初の下取材の頃はディレクターがまだ映像を撮っていなかったので、レコーダーの音源だけを頼りにやっていました)。

 

 取材対象と直接会わない、会えないという制限は、今までネガティブに捉えていたのですが、現場(彼らの生活空間や仕事空間)の空気がわからない分、余分な情報に戸惑ったり、感情移入のし過ぎに悩まされたりすることがありません。

 適度な距離を置いてその人たちを見られるので、かえってインタビューの中では語られていない範囲まで自由に発想を膨らませられ、こうしたドキュメンタリーのストーリーづくりという面では良い効果もあるんだな、と感じました。

 

 後半(今年になってから)、全体のテーマが固まり、ストーリーの流れが固まってくると、今度は台本に基づいて取材がされるようになりました。

 戦後の昭和~平成の時代の流れを、団塊の世代の親、その息子、そして孫(ほぼ成人)という一つの家族を通して見ていくと、よく目にする、当時の出来事や風俗の記録映像も、魂が定着くした記憶映像に見えてきます。

 これにきちんとした、情感豊かなナレーターの声が入るのがとても楽しみです。

 

 

2016・6・26 Sun


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ゴマスリずんだ餅と正直ファンタじいさん

 

おもちペタペタ伊達男

 

  今週日曜(19日)の大河ドラマ「真田丸」で話題をさらったのは、長谷川朝晴演じる伊達政宗の餅つきパフォーマンスのシーン。「独眼竜」で戦国武将の中でも人気の高い伊達政宗ですが、一方で「伊達男」の語源にもなったように、パフォーマーというか、歌舞伎者というか、芝居っけも方もたっぷりの人だったようです。

 

 だから、餅つきくらいやってもおかしくないのでしょうが、権力者・秀吉に対してあからさまにこびへつらい、ペッタンコとついた餅にスリゴマを・・・じゃなかった、つぶした豆をのっけて「ずんだ餅でございます」と差し出す太鼓持ち野郎の姿に、独眼竜のカッコいいイメージもこっぱみじんでした。

 

 僕としては「歴人めし」の続編のネタ、一丁いただき、と思ってニヤニヤ笑って見ていましたが、ファンの人は複雑な心境だったのではないのでしょうか。(ネット上では「斬新な伊達政宗像」と、好意的な意見が多かったようですが)。

 

 しかし、この後、信繁(幸村=堺雅人)と二人で話すシーンがあり、じつは政宗、今はゴマスリ太鼓持ち野郎を演じているが、いずれ時が来れば秀吉なんぞ、つぶしてずんだ餅にしてやる・・・と、野心満々であることを主人公の前で吐露するのです。

 で、これがクライマックスの関ヶ原の伏線の一つとなっていくわけですね。

 

裏切りのドラマ

 

 この「真田丸」は見ていると、「裏切り」が一つのテーマとなっています。

 出てくるどの武将も、とにかくセコいのなんのttらありゃしない。立派なサムライなんて一人もいません。いろいろな仮面をかぶってお芝居しまくり、だましだまされ、裏切り裏切られ・・・の連続なのです。

 

 そりゃそうでしょう。乱世の中、まっすぐ正直なことばかりやっていては、とても生き延びられません。

 この伊達政宗のシーンの前に、北条氏政の最後が描かれていましたが、氏政がまっすぐな武将であったがために滅び、ゴマスリ政宗は生き延びて逆転のチャンスを掴もうとするのは、ドラマとして絶妙なコントラストになっていました。

 

 僕たちも生きるためには、多かれ少なかれ、このゴマスリずんだ餅に近いことを年中やっているのではないでしょうか。身過ぎ世過ぎというやつですね。

 けれどもご注意。

 人間の心とからだって、意外と正直にできています。ゴマスリずんだ餅をやり過ぎていると、いずれまとめてお返しがやってくるも知れません。

 

人間みんな、じつは正直者

 

 どうしてそんなことを考えたかと言うと、介護士の人と、お仕事でお世話しているおじいさんのことについて話したからです。

 そのおじいさんはいろんな妄想に取りつかれて、ファンタジーの世界へ行っちゃっているようなのですが、それは自分にウソをつき続けて生きてきたからではないか、と思うのです。

 

 これは別に倫理的にどうこうという話ではありません。

 ごく単純に、自分にウソをつくとそのたびにストレスが蓄積していきます。

 それが生活習慣になってしまうと、自分にウソをつくのが当たり前になるので、ストレスが溜まるのに気づかない。そういう体質になってしまうので、全然平気でいられる。

 けれども潜在意識は知っているのです。

 「これはおかしい。これは違う。これはわたしではな~い」

 

 そうした潜在意識の声を、これまた無視し続けると、齢を取ってから自分で自分を裏切り続けてきたツケが一挙に出て来て、思いっきり自分の願いや欲望に正直になるのではないでしょうか。

 だから脳がファンタジーの世界へ飛翔してしまう。それまでウソで歪めてきた自分の本体を取り戻すかのように。

 つまり人生は最後のほうまで行くとちゃんと平均化されるというか、全体で帳尻が合うようにできているのではないかな。

 

自分を大事にするということ

 

 というのは単なる僕の妄想・戯言かも知れないけど、自分に対する我慢とか裏切りとかストレスとかは、心や体にひどいダメージを与えたり、人生にかなりの影響を及ぼすのではないだろうかと思うのです。

 

 みなさん、人生は一度きり。身過ぎ世過ぎばっかりやってると、それだけであっという間に一生終わっちゃいます。何が自分にとっての幸せなのか?心の内からの声をよく聴いて、本当の意味で自分を大事にしましょう。

 介護士さんのお話を聞くといろんなことを考えさせられるので、また書きますね。

 

 

 

2016/6/23 Thu


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死者との対話:父の昭和物語

 

 すぐれた小説は時代を超えて読み継がれる価値がある。特に現代社会を形作った18世紀から20世紀前半にかけての時代、ヨーロッパ社会で生まれた文学には人間や社会について考えさせられる素材にあふれています。

 

その読書を「死者との対話」と呼んだ人がいます。うまい言い方をするものだと思いました。

 

僕たちは家で、街で、図書館で、本さえあれば簡単にゲーテやトルストイやドストエフスキーやブロンテなどと向かい合って話ができます。別にスピリチュアルなものに関心がなくても、書き残したものがあれば、私たちは死者と対話ができるのです。

 

 もちろん、それはごく限られた文学者や学者との間で可能なことで、そうでない一般大衆には縁のないことでしょう。これまではそうでした。しかし、これからの時代はそれも可能なことではないかと思います。ただし、不特定多数の人でなく、ある家族・ある仲間との間でなら、ということですが。

 

 僕は父の人生を書いてみました。

 父は2008年の12月に亡くなりました。家族や親しい者の死も1年ほどたつと悲しいだの寂しいだの、という気持ちは薄れ、彼らは自分の人生においてどんな存在だったのだろう?どんなメッセージを遺していったのだろう?といったことを考えます。

 

父のことを書いてみようと思い立ったのは、それだけがきっかけではありませんでした。

死後、間もない時に、社会保険事務所で遺族年金の手続きをする際に父の履歴書を書いて提出しました。その時に感じたのは、血を分けた家族のことでも知らないことがたくさんあるな、ということでした。

じつはそれは当り前のことなのだが、それまではっきりとは気が付いていませんでした。なんとなく父のことも母のこともよく知っていると思いすごしていたのです。

実際は私が知っているのは、私の父親としての部分、母親としての部分だけであり、両親が男としてどうだったか、女としてどうだったか、ひとりの人間としてどうだったのか、といったことなど、ほとんど知りませんでした。数十年も親子をやっていて、知るきっかけなどなかったのです。

 

父の仕事ひとつ取ってもそうでした。僕の知っている父の仕事は瓦の葺換え職人だが、それは30歳で独立してからのことで、その前――20代のときは工場に勤めたり、建築会社に勤めたりしていたのです。それらは亡くなってから初めて聞いた話です。

そうして知った事実を順番に並べて履歴書を作ったのですが、その時には強い違和感というか、抵抗感のようなものを感じました。それは父というひとりの人間の人生の軌跡が、こんな紙切れ一枚の中に納まってしまうということに対しての、寂しさというか、怒りというか、何とも納得できない気持ちでした。

 

父は不特定多数の人たちに興味を持ってもらえるような、波乱万丈な、生きる迫力に満ち溢れた人生を歩んだわけはありませんい。むしろそれらとは正反対の、よくありがちな、ごく平凡な庶民の人生を送ったのだと思います。

けれどもそうした平凡な人生の中にもそれなりのドラマがあります。そして、そのドラマには、その時代の社会環境の影響を受けた部分が少なくありません。たとえば父の場合は、昭和3(1928)に生まれ、平成元年(1989)に仕事を辞めて隠居していました。その人生は昭和の歴史とほぼ重なっています。

 

ちなみにこの昭和3年という年を調べてみると、アメリカでミッキーマウスの生まれた(ウォルト・ディズニーの映画が初めて上映された)年です。

父は周囲の人たちからは実直でまじめな仕事人間と見られていましたが、マンガや映画が好きで、「のらくろ」だの「冒険ダン吉」だのの話をよく聞かせてくれました。その時にそんなことも思い出したのです。

 

ひとりの人間の人生――この場合は父の人生を昭和という時代にダブらせて考えていくと、昭和の出来事を書き連ねた年表のようなものとは、ひと味違った、その時代の人間の意識の流れ、社会のうねりの様子みたいなものが見えてきて面白いのではないか・・・。そう考えて、僕は父に関するいくつかの個人的なエピソードと、昭和の歴史の断片を併せて書き、家族や親しい人たちが父のことを思い起こし、対話できるための一遍の物語を作ってみようと思い立ちました。

本当はその物語は父が亡くなる前に書くべきだったのではないかと、少し後悔の念が残っています。

生前にも話を聞いて本を書いてみようかなと、ちらりと思ったことはあるのですが、とうとう父自身に自分の人生を振り返って……といった話を聞く機会はつくれませんでした。たとえ親子の間柄でも、そうした機会を持つことは難しいのです。思い立ったら本気になって直談判しないと、そして双方互いに納得できないと永遠につくることはできません。あるいは、これもまた難しいけど、本人がその気になって自分で書くか・・・。それだけその人固有の人生は貴重なものであり、それを正確に、満足できるように表現することは至難の業なのだと思います。

 

実際に始めてから困ったのは、父の若い頃のことを詳しく知る人など、周囲にほとんどいないということ。また、私自身もそこまで綿密に調査・取材ができるほど、時間や労力をかけるわけにもいきませんでした。

だから母から聞いた話を中心に、叔父・叔母の話を少し加える程度にとどめ、その他、本やインターネットでその頃の時代背景などを調べながら文章を組み立てる材料を集めました。そして自分の記憶――心に残っている言葉・出来事・印象と重ね合わせて100枚程度の原稿を作ってみたのです。

 

自分で言うのもナンですが、情報不足は否めないものの、悪くない出来になっていて気に入っています。これがあるともうこの世にいない父と少しは対話できる気がするのです。自分の気持ちを落ち着かせ、互いの生の交流を確かめ、父が果たした役割、自分にとっての存在の意味を見出すためにも、こうした家族や親しい者の物語をつくることはとても有効なのではないかと思います。

 

 高齢化が進む最近は「エンディングノート」というものがよく話題に上っています。

「その日」が来た時、家族など周囲の者がどうすればいいか困らないように、いわゆる社会的な事務手続き、お金や相続のことなどを書き残すのが、今のところ、エンディングノートの最もポピュラーな使い方になっているようだ。

もちろん、それはそれで、逝く者にとっても、後に残る者にとっても大事なことです。しかし、そうすると結局、その人の人生は、いくらお金を遺したかとか、不動産やら建物を遺したのか、とか、そんな話ばかりで終わってしまう恐れもあります。その人の人生そのものが経済的なこと、物質的なものだけで多くの人に価値判断されてしまうような気がするのです。

 

けれども本当に大事なのは、その人の人生にどんな意味や価値があったのか、を家族や友人・知人たちが共有することが出来る、ということではないでしょうか。

そして、もしその人の生前にそうしたストーリーを書くことができれば、その人が人生の最期の季節に、自分自身を取り戻せる、あるいは、取り戻すきっかけになり得る、ということではないでしょうか。

 

 


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赤影メガネとセルフブランディング

 ♪赤い仮面は謎の人 どんな顔だか知らないが キラリと光る涼しい目 仮面の忍者だ

赤影だ~

 というのは、テレビの「仮面の忍者 赤影」の主題歌でしたが、涼しい目かどうかはともかく、僕のメガネは10数年前から「赤影メガネ」です。これにはちょっとした物語(というほどのものではないけど)があります。

 

 当時、小1だか2年の息子を連れてメガネを買いに行きました。

 それまでは確か茶色の細いフレームの丸いメガネだったのですが、今回は変えようかなぁ、どうしようかなぁ・・・とあれこれ見ていると、息子が赤フレームを見つけて「赤影!」と言って持ってきたのです。

 

 「こんなの似合うわけないじゃん」と思いましたが、せっかく選んでくれたのだから・・・と、かけてみたら似合った。子供の洞察力おそるべし。てか、単に赤影が好きだっただけ?

 とにかく、それ以来、赤いフレームのメガネが、いつの間にか自分のアイキャッチになっていました。自分の中にある自分のイメージと、人から見た自分とのギャップはとてつもなく大きいもの。

 独立・起業・フリーランス化ばやりということもあり、セルフブランディングがよく話題になりますが、自分をどう見せるかというのはとても難しい。自分の中にある自分のイメージと、人から見た自分とのギャップはとてつもなく大きいのです。

 とはいえ、自分で気に入らないものを身に着けてもやっぱり駄目。できたら安心して相談できる家族とか、親しい人の意見をしっかり聞いて(信頼感・安心感を持てない人、あんまり好きでない人の意見は素直に聞けない)、従来の考え方にとらわれない自分像を探していきましょう。

 


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ベビーカーを押す男

 

・・・って、なんだか歌か小説のタイトルみたいですね。そうでもない?

 ま、それはいいんですが、この間の朝、実際に会いました。ひとりでそそくさとベビーカーを押していた彼の姿が妙に心に焼き付き、いろいろなことがフラッシュバックしました。

 BACK in the NEW YORK CITY。

 僕が初めてニューヨークに行ったのは約30年前。今はどうだか知らないけど、1980年代のNYCときたらやっぱ世界最先端の大都会。しかし、ぼくがその先端性を感じたのは、ソーホーのクラブやディスコでもなでもなく、イーストビレッジのアートギャラリーでもなく、ブロードウェイのミュージカルでもなく、ストリートのブレイクダンスでもなく、セントラルパークで一人で子供と散歩しているパパさんたちでした。

 

 特におしゃれでも何でもない若いパパさんたちが、小さい子をベビーカーに乗せていたり、抱っこひもでくくってカンガルーみたいな格好で歩いていたり、芝生の上でご飯を食べさせたり、オムツを替えたりしていたのです。

 

 そういう人たちはだいたい一人。その時、たまたま奥さんがほっとその辺まで買い物に行っているのか、奥さんが働いて旦那がハウスハズバンドで子育て担当なのか、はたまた根っからシングルファーザーなのかわかりませんが、いずれにしてもその日その時、出会った彼らはしっかり子育てが板についている感じでした。

 

 衝撃!・・というほどでもなかったけど、なぜか僕は「うーん、さすがはニューヨークはイケてるぜ」と深く納得し、彼らが妙にカッコよく見えてしまったのです。

 

 

 そうなるのを念願していたわけではないけれど、それから約10年後。

 1990年代後半の練馬区の路上で、僕は1歳になるかならないかの息子をベビーカーに乗せて歩いていました。たしか「いわさきちひろ美術館」に行く途中だったと思います。

 向こう側からやってきたおばさんが、じっと僕のことを見ている。

 なんだろう?と気づくと、トコトコ近寄ってきて、何やら話しかけてくる。

 どこから来たのか?どこへ行くのか? この子はいくつか? 奥さんは何をやっているのいか?などなど・・・

 

 「カミさんはちょっと用事で、今日はいないんで」と言うと、ずいぶん大きなため息をつき、「そうなの。私はまた逃げられたと思って」と。

 おいおい、たとえそうだとしても、知らないあんたに心配されたり同情されたりするいわれはないんだけど。

 

 別に腹を立てたわけではありませんが、世間からはそういうふうにも見えるんだなぁと、これまた深く納得。

 あのおばさんは口に出して言ったけど、心の中でそう思ってて同情だか憐憫だかの目で観ている人は結構いるんだろうなぁ、と感じ入った次第です。

 

 というのが、今から約20年前のこと。

 その頃からすでに「子育てしない男を父とは呼ばない」なんてキャッチコピーが出ていましたが、男の子育て環境はずいぶん変化したのでしょうか?

 表面的には イクメンがもてはやされ、育児関係・家事関係の商品のコマーシャルにも、ずいぶん男が出ていますが、実際どうなのでしょうか?

 

 件のベビーカーにしても、今どき珍しくないだろう、と思いましたが、いや待てよ。妻(母)とカップルの時は街の中でも電車の中でもいる。それから父一人の時でも子供を自転車に乗せている男はよく見かける。だが、ベビーカーを“ひとりで”押している男はそう頻繁には見かけない。これって何を意味しているのだろう? と、考えてしまいました。

 

 ベビーカーに乗せている、ということは、子供はだいたい3歳未満。保育園や幼稚園に通うにはまだ小さい。普段は家で母親が面倒を見ているというパターンがやはりまだまだ多いのでしょう。

 

 そういえば、保育園の待機児童問題って、お母さんの声ばかりで、お父さんの声ってさっぱり聞こえてこない。そもそも関係あるのか?って感じに見えてしまうんだけど、イクメンの人たちの出番はないのでしょうか・・・。

 

2016年6月16日


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インターネットがつくるフォークロア

 

インターネットの出現は社会を変えた――ということは聞き飽きるほど、あちこちで言われています。けれどもインターネットが本格的に普及したのは、せいぜいここ10年くらいの話。全世代、全世界を見渡せば、まだ高齢者の中には使ったことがないという人も多いし、国や地域によって普及率の格差も大きい。だから、その変化の真価を国レベル・世界レベルで、僕たちが実感するのはまだこれからだと思います。

それは一般によくいわれる、情報収集がスピーディーになったとか、通信販売が便利になったとか、というカテゴリーの話とは次元が違うものです。もっと人間形成の根本的な部分に関わることであり、ホモサピエンスの文化の変革にまでつながること。それは新しい民間伝承――フォークロアの誕生です。

 

“成長過程で自然に知ってしまう”昔話・伝承

 

最初はどこでどのように聞いたのか覚えてないですが、僕たちは自分でも驚くほど、昔話・伝承をよく知っています。成長の過程のどこかで桃太郎や浦島太郎や因幡の白ウサギと出会い、彼らを古い友だちのように思っています。

 

家庭でそれらの話を大人に読んでもらったこともあれば、幼稚園・保育園・小学校で体験したり、最近ならメディアでお目にかかることも多い。それはまるで遺伝子に組み込まれているかのように、あまりに自然に身体の中に溶け込んでいるのです。

 

調べて確認したわけではないが、こうした感覚は日本に限らず、韓国でも中国でもアメリカでもヨーロッパでも、その地域に住んでいる人なら誰でも持ち得るのではないでしょうか。おそらく同じような現象があると思います。それぞれどんな話がスタンダードとなっているのかは分かりませんが、その国・その地域・その民族の間で“成長過程で自然に知ってしまう”昔話・伝承の類が一定量あるのです。

 

それらは長い時間を生きながらえるタフな生命エネルギーを持っています。それだけのエネルギーを湛えた伝承は、共通の文化の地層、つまり一種のデータベースとして、万人の脳の奥底に存在しています。その文化の地層の上に、その他すべての情報・知識が積み重なっている――僕はそんなイメージを持っています。

 

世界共通の、新しいカテゴリーの伝承

 

そして、昔からあるそれとは別に、これから世界共通の、新しいカテゴリーの伝承が生まれてくる。その新しい伝承は人々の間で共通の文化の地層として急速に育っていくのでないか。そうした伝承を拡散し、未来へ伝える役目を担っているのがインターネット、というわけです。

 

ところで新しい伝承とは何でしょう? その主要なものは20世紀に生まれ、花開いた大衆文化――ポップカルチャーではないでしょうか。具体的に挙げていけば、映画、演劇、小説、マンガ、音楽(ジャズ、ポップス、ロック)の類です。

 

21世紀になる頃から、こうしたポップカルチャーのリバイバルが盛んに行われるようになっていました。

人々になじみのあるストーリー、キャラクター。

ノスタルジーを刺激するリバイバル・コンテンツ。

こうしたものが流行るのは、情報発信する側が、商品価値の高い、新しいものを開発できないためだと思っていました。

そこで各種関連企業が物置に入っていたアンティーク商品を引っ張り出してきて、売上を確保しようとした――そんな事情があったのでしょう。実際、最初のうちはそうだったはずです。

だから僕は結構冷めた目でそうした現象を見ていました。そこには半ば絶望感も混じっていたと思います。前の世代を超える、真に新しい、刺激的なもの・感動的なものは、この先はもう現れないのかも知れない。出尽くしてしまったのかも知れない、と……。

 

しかし時間が経ち、リバイバル現象が恒常化し、それらの画像や物語が、各種のサイトやYouTubeの動画コンテンツとして、ネット上にあふれるようになってくると考え方は変わってきました。

 

それらのストーリー、キャラクターは、もはや単なるレトロやリバイバルでなく、世界中の人たちの共有財産となっています。いわば全世界共通の伝承なのです。

僕たちは欧米やアジアやアフリカの人たちと「ビートルズ」について、「手塚治虫」について、「ガンダム」について、「スターウォーズ」について語り合えるし、また、それらを共通言語にして、子や孫の世代とも同様に語り合えます。

そこにボーダーはないし、ジェネレーションギャップも存在しません。純粋にポップカルチャーを媒介にしてつながり合う、数限りない関係が生まれるのです。

 

また、これらの伝承のオリジナルの発信者――ミュージシャン、映画監督、漫画家、小説家などによって、あるいは彼ら・彼女らをリスペクトするクリエイターたちによって自由なアレンジが施され、驚くほど新鮮なコンテンツに生まれ変わる場合もあります。

 

インターネットの本当の役割

 

オリジナル曲をつくった、盛りを過ぎたアーティストたちが、子や孫たち世代の少年・少女と再び眩いステージに立ち、自分の資産である作品を披露。それをYouTubeなどを介して広めている様子なども頻繁に見かけるようになりました。

 

それが良いことなのか、悪いことなのか、評価はさておき、そうした状況がインタ―ネットによって現れています。これから10年たち、20年たち、コンテンツがさらに充実し、インターネット人口が現在よりさらに膨れ上がれば、どうなるでしょうか? 

 

おそらくその現象は空気のようなものとして世の中に存在するようになり、僕たちは新たな世界的伝承として、人類共通の文化遺産として、完成された古典として見なすようになるでしょう。人々は分かりやすく、楽しませてくれるものが大好きだからです。

 

そして、まるで「桃太郎」のお話を聞くように、まっさらな状態で、これらの伝承を受け取った子供たちが、そこからまた新しい、次の時代の物語を生みだしていきます。

 

この先、そうした現象が必ず起こると思う。インターネットという新参者のメディアはその段階になって、さらに大きな役割を担うのでしょう。それは文化の貯蔵庫としての価値であり、さらに広げて言えば、人類の文化の変革につながる価値になります。

 

 

2016年6月13日


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地方自治体のホームページって割と面白い

 

 

 ここのところ、雑誌の連載で地方のことを書いています。

書くときはまずベーシックな情報(最初のリード文として使うこともあるので)をインターネットで調べます。

 これはウィキペディアなどの第3者情報よりも、各県の公式ホームページの方が断然面白い。自分たちの県をどう見せ、何をアピールしたいかがよくわかるからです。

なんでも市場価値が問われる時代。「お役所仕事云々・・・」と言われることが多い自治体ですが、いろいろ努力して、ホームページも工夫しています。

 

 最近やった宮崎県のキャッチコピーは「日本のひなた」。

 日照時間の多さ、そのため農産物がよく獲れるということのアピール。

 そしてもちろん、人や土地のやさしさ、あったかさ、ポカポカ感を訴えています。

 いろいろな人たちがお日さまスマイルのフリスビーを飛ばして、次々と受け渡していくプロモーションビデオは、単純だけど、なかなか楽しかった。

 

 それから「ひなた度データ」というのがあって、全国比率のいろいろなデータが出ています。面白いのが、「餃子消費量3位」とか、「中学生の早寝早起き率 第3位」とか、「宿題実行率 第4位」とか、「保護者の学校行事参加率 第2位」とか・・・
 「なんでこれがひなた度なんじゃい!」とツッコミを入れたくなるのもいっぱい。だけど好きです、こういうの。 

 取材するにしても、いきなり用件をぶつけるより、「ホームページ面白いですね~」と切り出したほうが、ちょっとはお役所臭さが緩和される気がします。

 

 「あなたのひなた度は?」というテストもあって、やってみたら100パーセントでした。じつはまだ一度も行ったことないけれど、宮崎県を応援したくなるな。ポカポカ。

 

2016年6月12日


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タイムマシンにおねがい

 

 きのう6月10日は「時の記念日」でした。それに気がついたら頭の中で突然、サディスティック・ミカ・バンドの「タイムマシンにおねがい」が鳴り響いてきたので、YouTubeを見てみたら、1974年から2006年まで、30年以上にわたるいろいろなバージョンが上がっていました。本当にインターネットの世界でタイムマシン化しています。

 

 これだけ昔の映像・音源が見放題・聞き放題になるなんて10年前は考えられませんでした。こういう状況に触れると、改めてインターネットのパワーを感じると同時に、この時代になるまで生きててよかった~と、しみじみします。

 

 そしてまた、ネットの中でならおっさん・おばさんでもずっと青少年でいられる、ということを感じます。60~70年代のロックについて滔々と自分の思い入れを語っている人がいっぱいいますが、これはどう考えても50代・60代の人ですからね。

 でも、彼ら・彼女らの頭の中はロックに夢中になっていた若いころのまんま。脳内年齢は10代・20代。インターネットに没頭することは、まさしくタイムマシンンに乗っているようなものです。

 

 この「タイムマシンにおねがい」が入っているサディスティック・ミカ・バンドの「黒船」というアルバムは、1974年リリースで、いまだに日本のロックの最高峰に位置するアルバムです。若き加藤和彦が作った、世界に誇る傑作と言ってもいいのではないでしょうか。

 中でもこの曲は音も歌詞もゴキゲンです。いろいろ見た(聴いた)中でいちばんよかったのは、最新(かな?)の2006年・木村カエラ・ヴォーカルのバージョンです。おっさんロッカーたちをバックに「ティラノサウルスおさんぽ アハハハ-ン」とやってくれて、くらくらっときました。

 

 やたらと「オリジナルでなきゃ。あのヴォーカルとあのギターでなきゃ」とこだわる人がいますが、僕はそうは思わない。みんなに愛される歌、愛されるコンテンツ、愛される文化には、ちゃんと後継ぎがいて、表現技術はもちろんですが、それだけでなく、その歌・文化の持ち味を深く理解し、見事に自分のものとして再現します。中には「オリジナルよりいいじゃん!」と思えるものも少なくありません。(この木村カエラがよい例)。

 この歌を歌いたい、自分で表現したい!――若い世代にそれだけ強烈に思わせる、魅力あるコンテンツ・文化は生き残り、クラシックとして未来に継承されていくのだと思います。

 

 もう一つおまけに木村カエラのバックでは、晩年の加藤和彦さんが本当に楽しそうに演奏をしていました。こんなに楽しそうだったのに、どうして自殺してしまったのだろう・・・と、ちょっと哀しくもなったなぁ。

 

2016年6月11日


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「歴人めし」おかわり情報

 

 9日間にわたって放送してきた「歴人めし」は、昨日の「信長巻きの巻」をもっていったん終了。しかし、ご安心ください。7月は夜の時間帯に再放送があります。ぜひ見てくださいね。というか、You Tubeでソッコー見られるみたいですが。

 

 

https://www.ch-ginga.jp/movie-detail/series.php?series_cd=12041

 

 この仕事では歴人たちがいかに食い物に執念を燃やしていたかがわかりました。 もちろん、記録に残っているのはほんの少し。

 源内さんのように、自分がいかにうなぎが好きか、うなぎにこだわっているか、しつこく書いている人も例外としていますが、他の人たちは自分は天下国家のことをいつも考えていて、今日のめしのことなんかどうでもいい。カスミを食ってでの生きている・・・なんて言い出しそうな勢いです。

 

 しかし、そんなわけはない。偉人と言えども、飲み食いと無関係ではいられません。 ただ、それを口に出して言えるのは、平和な世の中あってこそなのでしょう。だから日本の食文化は江戸時代に発展し、今ある日本食が完成されたのです。

 

 そんなわけで、「おかわり」があるかもしれないよ、というお話を頂いているので、なんとなく続きを考えています。

 駿河の国(静岡)は食材豊富だし、来年の大河の井伊直虎がらみで何かできないかとか、 今回揚げ物がなかったから、何かできないかとか(信長に捧ぐ干し柿入りドーナツとかね)、

 柳原先生の得意な江戸料理を活かせる江戸の文人とか、明治の文人の話だとか、

 登場させ損ねてしまった豊臣秀吉、上杉謙信、伊達政宗、浅井三姉妹、新選組などの好物とか・・・

 食について面白い逸話がありそうな人たちはいっぱいいるのですが、柳原先生の納得する人物、食材、メニュー、ストーリーがそろって、初めて台本にできます。(じつは今回もプロット段階でアウトテイク多数)

 すぐにとはいきませんが、ぜひおかわりにトライしますよ。

 それまでおなかをすかせて待っててくださいね。ぐ~~。

2016年6月7日


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歴人めし♯9:スイーツ大好き織田信長の信長巻き

 

信長が甘いもの好きというのは、僕は今回のリサーチで初めて知りました。お砂糖を贈答したり、されたりして外交に利用していたこともあり、あちこちの和菓子屋さんが「信長ゆかりの銘菓」を開発して売り出しているようです。ストーリーをくっつけると、同じおまんじゅうやあんころもちでも何だか特別なもの、他とは違うまんじゅうやあんころもちに思えてくるから不思議なものです。

 

 今回、ゆかりの食材として採用したのは「干し柿」と「麦こがし(ふりもみこがし)」。柿は、武家伝統の本膳料理(会席料理のさらに豪華版!)の定番デザートでもあり、記録をめくっていると必ず出てきます。

 現代のようなスイーツパラダイスの時代と違って、昔の人は甘いものなどそう簡単に口にできませんでした。お砂糖なんて食品というよりは、宝石や黄金に近い超ぜいたく品だったようです。だから信長に限らず、果物に目のない人は大勢いたのでしょう。

 中でもは干し柿にすれば保存がきくし、渋柿もスイートに変身したりするので重宝されたのだと思います。

 

  「信長巻き」というのは柳原尚之先生のオリジナル。干し柿に白ワインを染み込ませるのと、大徳寺納豆という、濃厚でしょっぱい焼き味噌みたいな大豆食品をいっしょに巻き込むのがミソ。

 信長は塩辛い味も好きで、料理人が京風の上品な薄味料理を出したら「こんな水臭いものが食えるか!」と怒ったという逸話も。はまった人なら知っている、甘い味としょっぱい味の無限ループ。交互に食べるともうどうにも止まらない。信長もとりつかれていたのだろうか・・・。

 

 ちなみに最近の映画やドラマの中の信長と言えば、かっこよくマントを翻して南蛮渡来の洋装を着こなして登場したり、お城の中のインテリアをヨーロッパの宮殿風にしたり、といった演出が目につきます。

 スイーツ好きとともに、洋風好き・西洋かぶれも、今やすっかり信長像の定番になっていますが、じつはこうして西洋文化を積極的に採り入れたのも、もともとはカステラだの、金平糖だの、ボーロだの、ポルトガルやスペインの宣教師たちが持ち込んできた、砂糖をたっぷり使った甘いお菓子が目当てだったのです。(と、断言してしまう)

 

 「文化」なんていうと何やら高尚っぽいですが、要は生活習慣の集合体をそう呼ぶまでのこと。その中心にあるのは生活の基本である衣食住です。

 中でも「食」の威力はすさまじく、これに人間はめっぽう弱い。おいしいものの誘惑からは誰も逃れられない。そしてできることなら「豊かな食卓のある人生」を生きたいと願う。この「豊かな食卓」をどう捉えるかが、その人の価値観・生き方につながるのです。

 魔王と呼ばれながら、天下統一の一歩手前で倒れた信長も、突き詰めればその自分ならではの豊かさを目指していたのではないかと思うのです。

 

2016年6月6日


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歴人めし♯8 山内一豊の生食禁止令から生まれた?「カツオのたたき」

 

 「豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だったころ、琵琶湖のほとりに金目教という怪しい宗教が流行っていた・・・」というナレーションで始まるのは「仮面の忍者・赤影」。子供の頃、夢中になってテレビにかじりついていました。

 時代劇(忍者もの)とSF活劇と怪獣物をごちゃ混ぜにして、なおかつチープな特撮のインチキスパイスをふりかけた独特のテイストは、後にも先にもこの番組だけ。僕の中ではもはや孤高の存在です。

 

 いきなり話が脱線していますが、赤影オープニングのナレーションで語られた「琵琶湖のほとり」とは滋賀県長浜あたりのことだったのだ、と気づいたのは、ちょうど10年前の今頃、イベントの仕事でその長浜に滞在していた時です。

 このときのイベント=期間限定のラジオ番組制作は、大河ドラマ「功名が辻」関連のもの。4月~6月まで断続的に数日ずつ訪れ、街中や郊外で番組用の取材をやっていました。春でもちょっと寒いことを我慢すれば、賑わいがあり、かつまた、自然や文化財にも恵まれている、とても暮らしやすそうな良いところです。

この長浜を開いたのは豊臣秀吉。そして秀吉の後を継いで城主になったのが山内一豊。「功名が辻」は、その一豊(上川隆也)と妻・千代(仲間由紀恵)の物語。そして本日の歴人めし♯9は、この一豊ゆかりの「カツオのたたき」でした。

 ところが一豊、城主にまでしてもらったのに秀吉の死後は、豊臣危うしと読んだのか、関が原では徳川方に寝返ってしまいます。つまり、うまいこと勝ち組にすべり込んだわけですね。

 これで一件落着、となるのが、一豊の描いたシナリオでした。

 なぜならこのとき、彼はもう50歳。人生50年と言われた時代ですから、その年齢から本格的な天下取りに向かった家康なんかは例外中の例外。そんな非凡な才能と強靭な精神を持ち合わせていない、言ってみればラッキーで何とかやってきた凡人・一豊は、もう疲れたし、このあたりで自分の武士人生も「あがり」としたかったのでしょう。

 できたら、ごほうびとして年金代わりに小さな領地でももらって、千代とのんびり老後を過ごしたかったのだと思います。あるいは武士なんかやめてしまって、お百姓でもやりながら余生を・・・とひそかに考えていた可能性もあります。

 

 ところが、ここでまた人生逆転。家康からとんでもないプレゼントが。

 「土佐一国をおまえに任せる」と言い渡されたのです。

 一国の領主にしてやる、と言われたのだから、めでたく大出世。一豊、飛び上がって喜んだ・・・というのが定説になっていますが、僕はまったくそうは思いません。

 なんせ土佐は前・領主の長曾我部氏のごっつい残党がぞろぞろいて、新しくやってくる領主をけんか腰で待ち構えている。徳川陣営の他の武将も「あそこに行くのだけは嫌だ」と言っていたところです。

 

 現代に置き換えてみると、後期高齢者あたりの年齢になった一豊が、縁もゆかりもない外国――それも南米とかのタフな土地へ派遣されるのようなもの。いくらそこの支店長のポストをくれてやる、と言われたって全然うれしくなんかなかったでしょう。

 

 けれども天下を収めた家康の命令は絶対です。断れるはずがありません。

 そしてまた、うまく治められなければ「能無し」というレッテルを貼られ、お家とりつぶしになってしまいます。

 これはすごいプレッシャーだったでしょう。「勝ち組になろう」なんて魂胆を起こすんじゃなかった、と後悔したに違いありません。

 

 こうして不安と恐怖、ストレスで萎縮しまくってたまま土佐に行った一豊の頭がまともに働いたとは思えません。豊富に採れるカツオをがつがつ生で食べている連中を見て、めちゃくちゃな野蛮人に見えてしまったのでしょう。

 人間はそれぞれの主観というファンタジーの中で生きています。ですから、この頃の彼は完全に「土佐人こわい」という妄想に支配されてしまったのです。

 

 「功名が辻」では最後の方で、家来が長曾我部の残党をだまして誘い出し、まとめて皆殺しにしてしまうシーンがあります。これは家来が独断で行ったことで、一豊は関与していないことになっていますが、上司が知らなったわけがありません。

 

こうして不安と恐怖、ストレスで萎縮しまくってたまま土佐に行った一豊の頭がまともに働いたとは思えません。豊富に採れるカツオをがつがつ生で食べている連中を見て、めちゃくちゃな野蛮人に見えてしまったのでしょう。

 人間はそれぞれの主観というファンタジーの中で生きています。ですから、この頃の彼は完全に「土佐人こわい」という妄想に支配されてしまったのです。

 

 「功名が辻」では最後の方で、家来が長曾我部の残党をだまして誘い出し、まとめて皆殺しにしてしまうシーンがあります。これは家来が独断で行ったことで、一豊は関与していないことになっていますが、上司が知らなったわけがありません。

 

 恐怖にかられてしまった人間は、より以上の恐怖となる蛮行、残虐行為を行います。

 一豊は15代先の容堂の世代――つまり、250年後の坂本龍馬や武市半平太の時代まで続く、武士階級をさらに山内家の上士、長曾我部氏の下士に分けるという独特の差別システムまで発想します。

 そうして土佐にきてわずか5年で病に倒れ、亡くなってしまった一豊。寿命だったのかもしれませんが、僕には土佐統治によるストレスで命を縮めたとしか思えないのです。

 

 「カツオのたたき」は、食中毒になる危険を慮った一豊が「カツオ生食禁止令」を出したが、土佐の人々はなんとかおいしくカツオを食べたいと、表面だけ火であぶり、「これは生食じゃのうて焼き魚だぜよ」と抗弁したところから生まれた料理――という話が流布しています。

 しかし、そんな禁止令が記録として残っているわけではありません。やはりこれはどこからか生えてきた伝説なのでしょう。

 けれども僕はこの「カツオのたたき発祥物語」が好きです。それも一豊を“民の健康を気遣う良いお殿様”として解釈するお話でなく、「精神的プレッシャーで恐怖と幻想にとりつかれ、カツオの生食が、おそるべき野蛮人たちの悪食に見えてしまった男の物語」として解釈してストーリーにしました。

 

 随分と長くなってしまいましたが、ここまで書いてきたバックストーリーのニュアンスをイラストの方が、短いナレーションとト書きからじつにうまく掬い取ってくれて、なんとも情けない一豊が画面で活躍することになったのです。

 一豊ファンの人には申し訳ないけど、カツオのたたきに負けず劣らず、実にいい味出している。マイ・フェイバリットです。

 

2016年6月3日


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「歴人めし」徳川家康提唱、日本人の基本食

 

 

 歴人めし第7回は「徳川家康―八丁味噌の冷汁と麦飯」。

 「これが日本人の正しい食事なのじゃ」と家康が言ったかどうかは知りませんが、米・麦・味噌が長寿と健康の基本の3大食材と言えば、多くの日本人は納得するのではないでしょうか。エネルギー、たんぱく質、ビタミン、その他の栄養素のバランスも抜群の取り合わせです。

 ましてやその発言の主が、天下を統一して戦国の世を終わらせ、パックス・トクガワ―ナを作った家康ならなおのこと。実際、家康はこの3大食材を常食とし、かなり養生に努めていたことは定説になっています。

 

  昨年はその家康の没後400年ということで、彼が城を構えた岡崎・浜松・静岡の3都市で「家康公400年祭」というイベントが開催され、僕もその一部の仕事をしました。

そこでお会いしたのが、岡崎城から歩いて八丁(約780メートル)の八丁村で八丁味噌を作っていた味噌蔵の後継者。

 かのメーカー社長は現在「Mr.Haccho」と名乗り、毎年、海外に八丁味噌を売り込みに行っているそうで、日本を代表する調味料・八丁味噌がじわじわと世界に認められつつあるようです。

 

 ちなみに僕は名古屋の出身なので子供の頃から赤味噌に慣れ親しんできました。名古屋をはじめ、東海圏では味噌と言えば、赤味噌=豆味噌が主流。ですが、八丁味噌」という食品名を用いれるのは、その岡崎の元・八丁村にある二つの味噌蔵――現在の「まるや」と「カクキュー」で作っているものだけ、ということです。

 

 しかし、養生食の米・麦・味噌をがんばって食べ続け、健康に気を遣っていた家康も、平和な世の中になって緊張の糸がプツンと切れたのでしょう。

 がまんを重ねて押さえつけていた「ぜいたくの虫」がそっとささやいたのかもしれません。

 

 「もういいんじゃないの。ちょっとぐらいぜいたくしてもかまへんで~」

 

 ということで、その頃、京都でブームになっていたという「鯛の天ぷら」が食べた~い!と言い出し、念願かなってそれを口にしたら大当たり。おなかが油に慣れていなかったせいなのかなぁ。食中毒がもとで亡くなってしまった、と伝えられています。

 でも考えてみれば、自分の仕事をやり遂げて、最期に食べたいものをちゃんと食べられて旅立ったのだから、これ以上満足のいく人生はなかったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

2016年6月2日


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歴人めし「篤姫のお貝煮」と御殿女中

  絶好調「真田丸」に続く2017年大河は柴咲コウ主演「おんな城主 直虎」。今年は男だったから来年は女――というわけで、ここ10年あまり、大河は1年ごとに主人公が男女入れ替わるシフトになっています。
 だけど女のドラマは難しいんです。なかなか資料が見つけらない。というか、そもそも残っていな。やはり日本の歴史は(外国もそうですが)圧倒的に男の歴史なんですね。


 それでも近年、頻繁に女主人公の物語をやるようになったのは、もちろん女性の視聴者を取り込むためだけど、もう一つは史実としての正確さよりも、物語性、イベント性を重視するようになってきたからだと思います。

 

 テレビの人気凋落がよく話題になりますが、「腐っても鯛」と言っては失礼だけど、やっぱ日曜8時のゴールデンタイム、「お茶の間でテレビ」は日本人の定番ライフスタイルです。

 出演俳優は箔がつくし、ゆかりの地域は観光客でにぎわうって経済も潤うし、いろんなイベントもぶら下がってくるし、話題も提供される・・・ということでいいことづくめ。
 豪華絢爛絵巻物に歴史のお勉強がおまけについてくる・・・ぐらいでちょうどいいのです。(とはいっても、制作スタッフは必死に歴史考証をやっています。ただ、部分的に資料がなくても諦めずに面白くするぞ――という精神で作っているということです)

 

 と、すっかり前置きが長くなってしまいましたが、なんとか「歴人めし」にも一人、女性を入れたいということで、あれこれ調べた挙句、やっと好物に関する記録を見つけたのが、20082年大河のヒロイン「篤姫」。本日は天璋院篤姫の「お貝煮」でした。

 

 見てもらえればわかるけど、この「お貝煮」なる料理、要するにアワビ入りの茶碗蒸しです。その記述が載っていたのが「御殿女中」という本。この本は明治から戦前の昭和にかけて活躍した、江戸文化・風俗の研究家・三田村鳶魚の著作で。篤姫付きの女中をしていた“大岡ませ子”という女性を取材した、いわゆる聞き書きです。

 

 

 明治も30年余り経ち、世代交代が進み、新しい秩序・社会体制が定着してくると、以前の時代が懐かしくなるらしく、「江戸の記憶を遺そう」というムーブメントが文化人の間で起こったようです。
 そこでこの三田村鳶魚さんが、かなりのご高齢だったます子さんに目をつけ、あれこれ大奥の生活について聞き出した――その集成がこの本に収められているというわけです。これは現在、文庫本になっていて手軽に手に入ります。

 ナレーションにもしましたが、ヘアメイク法やら、ファッションやら、江戸城内のエンタメ情報やらも載っていて、なかなか楽しい本ですが、篤姫に関するエピソードで最も面白かったのが飼いネコの話。

 最初、彼女は狆(犬)が買いたかったようなのですが、夫の徳川家定(13代将軍)がイヌがダメなので、しかたなくネコにしたとか。

 


 ところが、このネコが良き相棒になってくれて、なんと16年もいっしょに暮らしたそうです。彼女もペットに心を癒された口なのでしょうか。

 

 そんなわけでこの回もいろんな発見がありました。

 続編では、もっと大勢の女性歴人を登場させ、その好物を紹介したいと思っています。

 

2016年6月1日


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「永遠なる『傷だらけの天使』を読む

 

本放送から50年を経たショーケン(萩原健一)主演の

探偵ドラマ「傷だらけの天使」。

僕らのように、リアルタイムで出会った世代にとって、

このドラマは、いわばビートルズのような、

シンボルカルチャー的存在だが、

新たな世代のファンもけっこういるらしい。

 

その「傷だらけの天使」について解説した本が1年前、

2024年1月に出版されていた。

 

●貴重な資料集

 

制作の舞台裏、さまざまなエピソードについて書かれており、

関係者の貴重な証言が盛りだくさん――

と言いたいところだが、もう50年も前のドラマなので、

関係者の多くはもうこの世にいない。

 

それでも、主演の萩原健一の自伝「ショーケン」のなかで、

彼が「傷天」について語ったコメントを取り上げ、

その裏を取る形で、当時、制作現場に携わったスタッフ

(のなかでまだ健在な人たち)に取材。

どのようにこの名作ドラマが作られたのか、

丹念に探究しており、当時の現場の記憶の証言集・

貴重な資料集として読める。

 

●当時の名監督らが参戦

 

1970年代半ばは、まだテレビドラマは

映画より格下と見られていた時代だが、

「傷天」には、深作欣二や恩地日出夫など、

映画の世界で名をはせていた名監督らが参戦。

テレビドラマでありながら、

映画としてのヤバさを前面に打ち出した、

「テレビ映画」という新しいジャンルを開拓した。

 

そうした挑戦的で、冒険心に富んだ企画ゆえに、

テレビをばかにしていた映画通からも

リスペクトされていた作品なのである。

 

主演のショーケン自身も企画段階から携わっており、

ここでは、そのあたりの開発ストーリーと、

監督、脚本家、プロデューサーらが、

この企画にいかに情熱を注いでいたかなど、

スタッフにまつわるエピソードが詳しく書かれており、

とても読みごたえがある。

 

そうしたスタッフの意気込みをフルに反映した、

スタート時の数本には、カオスのような熱気が込められており、

コミカルでありながら、戦後の影を引きづった、

ダークで意味深な社会背景、

若者の夢を描く反面、現実の残酷さを刃物のようにつきつける、

独特のトーンがあって、すごく面白い。

 

また、同じく開始初期はやたらとセクシーシーンが多いのだが、

監督らがいかにゲスト女優をあおって脱がせたかなど、

今なら完全にセクハラ・パワハラで、

レッドカードとなるエピソードもいろいろ書かれている。

 

とはいえ、テレビに似つかしくない、

先進的すぎるつくりが災いして、

また、セクシーシーン、暴力シーンが

テレビサイズではヤバすぎて、

視聴者からひんしゅくを買ったため、

ショーケン人気に乗じた割には視聴率は伸びず、

本放送時の評判はさんざんだったようだ。

 

さらに深作監督らが撮った最初の7本くらいで

予算をかなり使ってしまい、

途中から路線を変更せざるを得なくなってしまった。

しかし、それが弟分アキラ(水谷豊)の存在感を

クローズアップすることにつながり、

このドラマの最大の魅力となる、

オサムとアキラのコンビネーションによる

独特のノリが生まれたのだと思う。

 

伝説の最終回・衝撃のラストはどう生まれたのか?

ただ、残念なのは、

あの伝説の最終回に関する記述が少ないことだ。

最終回「祭りのあとにさすらいの日々を」の脚本を書いたのは、

メインライターだった市川森一。

市川はオサムとアキラのキャラクターや、

物語の設定を作り、全26話のうち、7話を手掛けた。

(この本の中では、そのあたりの経緯もちゃんと紹介している)

 

僕は手元にその市川が1983年に出した

脚本集「傷だらけの天使」(大和書房刊)を持っているが、

最終回のラストシーンは、どしゃ降りの雨の中、

死んだアキラを背負って、

ペントハウスの階段を下りてきたオサムが、

「まだ墓場にゃいかねえぞ!」と叫ぶところで終わっている。

 

それがどこでどうやって、アキラの遺体をリヤカーに乗せて夢の島

(当時は、現在の整備された街からは想像もできない、

大都会・東京の巨大なゴミ捨て場)に棄てて、

いずこともなく去ってゆく――という、

僕らの胸に一生のトラウマを残す、あの、苦く切ない、

衝撃的な幕切れに変ったのか、

そこを丹念に掘り返してほしかった。

 

最終回の撮影現場を語れる萩原健一も、

工藤栄一監督も鬼籍に入ってしまったが、

まだ一人、重要人物が現役バリバリで活躍している。

アキラ役の水谷豊だ。

 

アキラ:水谷豊の不在

 

この本には水谷豊の証言がないのも、大きな穴に思える。

著者もメインキャストのなかで唯一健在の彼に対して、

当然、アプローチはしたと思うが、

取材を拒まれたのかもしれない。

 

聞くところによると、水谷は「傷天」については

ほとんど語りたがらないという。

アキラ役が嫌いだったとも聞く。

 

しかし、それは嘘だろう。

彼はクレバーな人なので、いまだに多くの人が「傷天」を、

アキラを愛していることを知っている。

いまだにアキラこそ、

水谷のベストパフォーマンスという人も少なくない。

彼としてはその後、役者として生きていくために

アキラの幻影を振り払う必要があり、

あえて「傷天」について語ることを封印したのだと思う。

 

けれども、あの野良犬のような惨めなアキラの死から、

その後、半世紀にわたって、ドラマ・映画で大活躍する名優・

水谷豊が誕生したのは間違いない事実。

彼があの役を愛していないわけはない。

 

改めて「傷天」を通して見ると、

アキラという一見とぼけた少年のようなキャラクターの奥深さ、

それを見事に表現し、独自のものにした

水谷豊の芸達者ぶりに舌を巻く。

それについてはまた、別の機会に書いていきたいと思う。

 

なぜ今、まだ「傷天」なのか?

 

もう一つだけ不満を言わせてもらうと、本の紹介文のなかで、

「なぜ『傷だらけの天使』は、

いまだわたしたちの心に残り続けるのか、

その理由と価値を問う。」

とあるのだが、これに匹敵する著者の考察は、

まとまった形で綴られておらず、

肩透かしされた思い、物足りなさを感じる。

それとも、今回はあくまで資料集・証言集の域でとどめて、

考察はまた別の機会で、ということなのだろうか?

 

それならそれで楽しみだが、

いい機会なので、僕も自分でも一丁考察して、

自分なりの「傷だらけの天使」の本を

書いてみようかと思っている。

 

 


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かさこ交流会で感じた「人生後半の奮闘」

 

一昨日、横浜・鶴見で開かれた

かさこさん主催の交流会に行きました。

 

カメラマン・ライター・Kindle作家のかさこさんは、

ネット発信のエキスパートであり、

ネット集客などの課題に悩む

個人事業主のアドバイザーでもあります。

 

世の中にはたくさんのフォロワーを集める、

インフルエンサーと呼ばれる発信者がいますが、

そのなかでもかさこさんは、

最も信頼できる発信者の一人だと思っています。

 

交流会に集まったなかでは、自分を含め、

人生後半を奮闘する人たち、

アラカンや還暦超えてがんばる人たちがたくさんいました。

 

もちろん、みんな、いろいろトライして結果を出したい、

好きなことをやって稼ぎたい、食っていきたいわけだけど、

こうして自分で仕事を始めて、

ジタバタやっていること自体が、

いいね、すごいなと思うのです。

 

僕の両親や、認知症になってしまった義母(90)の世代は、

敗戦によってペッシャンコになってしまった日本を復興させ、

豊かな社会を築くことを共通目標としていました。

 

しかし、僕の世代になると、両親らのような

誰もが共有できる目標は、もはやありません。

それに代わって、僕たちひとりひとりが、

生きる目標や生きがいを

設定しなければならない状況が訪れています。

 

何らかの形でその設定ができないと、

人生において幸福感を得るのは難しい。

経済的に食えないと生きていけないし、

経済や仕事や情報の奴隷になって、

精神が壊れても生きられない。

 

「人生百年」と謳われる未知の世界は、

豊かで便利で情報がいっぱいあるにも関わらず、

どうにも未来に希望を見出しにくく、不安があふれる世界です。

 

ここでは還暦は、

かつてのような定年退職後の余生ではなく、

新しく生き始める年代、と同時に、

人生の終わりも考えなきゃいけない、

かなり複雑な年代といえるかもしれません。

そう簡単に「逃げ切り」はできません。

いろんな面白い人と会って、そんなことを考えました。

 

みんな、今までも十分がんばってきたかもしれないが、

まだまだがんばろう。

 


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AI・ロボットが“理想的・人間的な認知症介護”を実現する

 

AIと認知症を結び付けて考えたことがある。

正確にはAIでなくてロボットだ。

施設で暮らす老人の気持ちを、ロボットの介護士が汲み取り、

ルールを破って、彼の脱走を幇助してしまう。

若い頃にそんなストーリーを思いつき、

ドラマのシナリオや小説に書いた。

 

どれだけAIやロボットが社会に普及しても、

介護の分野はあくまで人間にしかできない仕事。

そう考える人、そう願う人、

そうでなくてはいけないと考える人は多いと思うが、

昨今のAIの進化状況を見ていると、

あながちそうでないかもと思えてくる。

もしかしたらAIやロボットに任せてしまったほうが、

いろいろな面でうまくいくのではないか。

 

認知症の義母は、ふだんは穏やかでにこやか。

人当たりもよく、ぜんぜん知らない人でも、

道ですれ違うとあいさつを交わす。

ある意味、社交性に富んでいるのだが、

最近、僕たちやデイサービスのスタッフなど、

ケアする相手を手こずらせる問題行動が、だんだん増えてきた。

 

もともとへそを曲げると頑固になるところがあるのだが、

特に昨年夏に肺炎っぽくなって1週間あまり入院した後は、

子供の「いやいや」みたいなことを頻繁に起こすようになった。

 

歯を磨かない、爪を切らせない、お風呂に入らない、

薬を飲まない、検温させない、送迎の車から降りない・・・

 

そういう時にふと考えるのは、

これがケアする相手が、僕たち人間でなくロボットだったら、

こんなに強く拒否するだろうか?

諦めてもっと素直に従うのではないかと思うのだ。

 

その人の個人データを取り込んで、パーソナリティを把握すれば、

ロボットのほうがもっと優しく、

うまく対処できるのではないかという気がしている。

(もちろんセキュリティ上の問題、倫理上の問題はあるが)

 

なぜなら比較した場合、機械より人間のほうがリスクが大きい。

少なくとも機械は、人間のように、

互いに嫌悪や憎悪を抱いたり、

ケアする相手に虐待や差別をすることがあったり、

暴言を吐き、暴力をふるったりして、

肉体・精神を痛めつけるようなことはしないだろう。

 

患者のほうも慣れてしまえば、

むしろ機械のほうがいいと思うかもしれない。

人間のケアラーだったら拒絶する夢想・妄想にも、

機械はうまく合わせて対応してくれる可能性が高い。

また、いっしょに暮らす家族も

苦しい思い・悲しい思いをせず、ストレスを減らせる。

 

実際、アメリカでは終活相談を、

人間ではなくAIとしたいという人が増えているらしい。

なぜなら、AIは人種や社会的身分、

経済状態などで相手を差別することなく、

平等に扱ってくれるからだという。

 

「AIのほうが人間よりも人間的

」という逆転現象も起こりうるのだ。

というか、部分的にはもう起こっているといえそうだ。

 

ちょっと前なら「おまえはSFの見過ぎ・読み過ぎ」と

鼻で笑われていたことが、

この数年のうちに実現するのかもしれない。

AI・ロボット関連の技術にまつわる常識も、

人間の寿命やライフスタイルに関する常識も、

毎日、劇的に変わり続けている。

 

義母の場合、前兆として、

ちょっと高齢者うつっぽい時期があったようで、

そこから数えると、認知症歴はかれこれ20年。

世の中の標準値では、今のところ、

認知症患者の余命は発症後5~12年となっているので、

それはもうはるかに超えている。

今後、義母のように認知症を患いながら、

長く生きる人は、ますます増えてくるだろう。

 

認知症の人たちと一緒に生きる社会、

それなりに寄り添える社会をつくっていくためには、

AI・ロボット関連の技術はきっと必要不可欠になるだろう。

彼らのサポートを借りずに、

人間らしさも保てないし、

人間の尊厳は成り立たない。

そんな時代がもう来ているのではないか。

人間と機械が競い合ったり、対抗したりする時代は、

じつはもう終わっているのかもしれない。

 

3月24日(月)16:59まで無料キャンペーン実施中。

 

残り1日。まだ間に合います。

ぜひ、この機会にお手持ちのデバイスに入れてください。

読むのはあとからでもOKですよ。

 


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おりべまこと電子書籍:3月の無料キャンペーン開催

 

本日3月19日(水)17:00~24日(月)16:59 6日間

 

2019年6月に義母を引き取り、いっしょに暮らすようになった。

以来、認知症が僕のライフワーク(?)になった。

彼女は少なくとも認知症15年選手。

彼女に寄り添おうとすると、

日常生活が容易に非日常の世界にすり替わる。

こうしたケアも一つの人生経験。

ということで日々の格闘の様子を時折ブログに書いている。

エッセイ集はそれをまとめたもの。

それと同時に認知症をネタにした小説も書くようになった。

 

こんな風に言うと怒られるかもしれないが、
認知症は面白い。
失礼があってはいけないが、
もっと面白がって、いっしょに泣いたり、笑ったり、

怒ったりしていい。

 

どちらも第2弾を準備中ですが、

ぜひ、あなたもこの2冊で認知症の世界を冒険してください。

 

認知症のおかあさんといっしょ

 

認知症の義母との暮らしを楽しくつづる介護エッセイ

 

認知症を知り、認知症から人生を考え、人間を学ぶ。

 

 

ざしきわらしに勇気の歌を

 

ロボット介護士に支えられて余生を送っている

認知症の寅平じいさん。

彼がある日、林の中を散歩していると不思議な子どもに出逢う。

 その子を追って木の穴に潜り込むと、

奥には妖怪の国が広がっていた。

認知症×ロボット介護士×妖怪戦争の近未来ファンタジー小説。

 


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おりべまこと電子書籍:3月の無料キャンペーン予告!

 

明日3月19日(水)17:00~24日(月)16:59 6日間

 

認知症のおかあさんといっしょ

認知症の義母との暮らしを楽しくつづる介護エッセイ

 

「いいの、手なんか握って?」

「だって手をつながないと危ないよ」

「いいの本当に? 奥さんはいらっしゃるの?」

「はい、いますけど(あなたの娘ですよ)」

「わあ、どうしよう? 奥さん、怒らないかしら?」

「だいじょうぶです。公認ですから」

「わあ、うれしい。こうしたこと一生忘れないわ」

「喜んでもらえて何よりです」

そんな対話から始まった義母の介護の日々を綴った面白エッセイ。

認知症を知り、認知症から人生を考え、人間を学ぶ。

 

 

 

ざしきわらしに勇気の歌を

認知症×ロボット介護士×妖怪の近未来ファンタジー小説

 

ロボット介護士に支えられて余生を送っている

認知症の寅平じいさん。

彼がある日、林の中を散歩していると不思議な子どもに出逢う。 その子を追って木の穴に潜り込むと、

奥には妖怪の国が広がっていた。

子どもの正体はざしきわらし。

ざしきわらしは最強の妖怪“むりかべ”の脅威から

人間を守るために闘うので、応援してほしいと寅平に頼む。

寅平はこれぞ自分のミッションと思い、

闘うざしきわらしのために勇気の出る歌を歌う。

 


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AIとのコラボをenjoy

 

AIは無料バージョンで十分。

もちろん、AIを使って何をするかによって違いますが、

文章生成の分野に限っては、どれも無料版でいいと思います。

 

現在、仕事で使うためにGemini、Claude、ChatGPTと、

アシスタントを3人雇用。

これがその日によって、かなりコンディションが違っていて、

どれが一番いいとは言えません。

 

あえて言うと、割とまじめな事務系文章はChatGPT。

そつがないけど、いかにもAIです、という感じの文章。

 

ちょっとユニークで面白い文章を出してくるのはClaude。

Claudeが出してくる文章は、ちょっと人間っぱい匂いというか、

ぬくもりがあります。

もちろん、プロンプト次第ですが。

 

「もっとくだけて、柔らかくして」と指示すると、

かなりズッコケながらも、

ちゃんと使えるようにそれなりにまとめてくるところが偉い。

 

Geminiは特徴が言いづらいけど、

前者二つの中間みたいな感じ。

こちらは柔らかい文章を要求すると、

本当にグダグダのを出してきて使い物になりません。

 

ただ、いちばんタフなのはGeminiで、

取材のメモ・音声起こしなどを資料としてぶちこむ際、

他の2種だと多すぎて受け付けてくれないことがあるけど、

Geminiはかなりの分量でもOK。

それになんといっても付き合いの長いGoogle製なので、

使う頻度はいちばん多いかも。

 

適材適所で、こういう仕事はChatGPTで、

こういうのはClaudeで・・・と決めようかと思ったけど、

あえてはっきり区分けせず、その時のカンを働かせて、

これはClaude、これはChatGPT、これはGeminiと、

とっかえひっかえ使っています。

 

もしかしたら、どれかメインを決めて

有料版を使ったほうが捗るのかもしれないけど、

僕はそれぞれに個性があって面白いと思っているので、

あえて絞らず、3人のアシスタントとのコラボを楽しんでいます。

 

それともう一人、第4のアシスタントが、

GensPark(ジェンスパーク)。

これはリサーチ専用のスペシャリスト。

 

もうググるのは古い。

検索テーマが決まっていれば、GensParkが次から次へと

めっちゃ効率的に、目的に到達するための情報を出してくれます。

 

しかも、その情報がどこのサイトにあるのかも

一緒に出してくれるので、ありがたい。

しかもしかも、最近は出した情報を一つにまとめて

レポートにして提示するという芸当をはじめたので、

ただの便利な検索エンジンの枠を超えようとしています。

 

てなわけで楽しいAIとのコラボだけど、

あくまでみんなアシスタントさんなので、

出されたものは参考文献。

 

それをちょこっとリライトしてOKのこともあれば、

ほとんど無視して自分で書いてしまうこともあります。

いずれにしてもAIをどう運用していくのかは、

これから仕事を続けていく上での避けられない課題です。

 

給料は出せないけど、仕事をしてくれたら、

ちゃんと「ありがとう」とお礼をします。

すると皆、ちゃんと誠実に返してくれるのです。

たとえ相手が機械でも結構うれしいし、

疲れが取れる感じがします。

これ、メンタル的にけっこう重要ですよ。

AI、侮るなかれ、粗末に扱うなかれ。

 


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卒業の時は「じゃあまたな」

 

3月は卒業シーズン。別れの季節。

おとなはやたらと別れを美化し、

その意義を「人間の成長」と結び付けて語りたがる。

でも、子供にとってはちんぷんかんぷんだ。

 

昭和のころ。

少なくとも僕は小中の卒業式ではそうだった。

ちょっとしみじみしたのは、その少し前の2月ごろ、

卒業文集を作っていた時だ。

クラスのみんなの作文を読むのは好きで、

あいつ、こんなこと書いたのかと、

面白がったり、じんとしたりしていた。

 

しかし、そのあとがいけなかった。

卒業式の「練習」をやたらとやらされて、

ほとほと嫌になり、早く卒業したいと思ってた。

そんなわけで、晴れのその日のお式が終わって校門を出たら、

「ヤッホー!」と叫び出したいくらい

うれしかったことを覚えている。

(実際には叫ばなかったが)

 

男子で泣いてる奴なんて一人もいなかった。

女子はもしかしたらいたかもしれないが、記憶にない。

あなたはどうでしたか?

 

卒業式が終わった後は友達の家に集まって遊んでいたと思う。

なにせ、そこからは宿題も何もない春休みだ。

公立の小中だったので、小6から中1になるといっても、

クラスの大半の連中は同じ学校だった。

私立の学校に行くやつが、クラスで数人いたと思うが、

そいつらはちょっと寂しそうな顔をしていた。

 

そんなわけで、春休み中、

それまでと全然変わりなくグダグダ遊んでいて、

夕方帰る時は「じゃあな」「またな」と言って別れた。

 

だけど、それでも、これから自分たちは変わるんだろうな、

今までとは違っちゃうんだろうな、

もう子供ではいられないんだろうな

――という漠然とした予感だけは、みんな持っていた気がする。

 

僕に残されている「卒業」は、もう人生からの卒業だけだ。

仕事で葬儀屋などの取材をするので、

「永遠のお別れ」とか「さようならがあったかい」とか、

やたらと美しいフレーズを耳にする。

 

もちろん、それにケチをつけるつもりはないが、

そこはかとなく、

小学校の卒業式の堅苦しさを思い出してげんなりする。

おおげさなのは嫌だ。

あの解放感あふれる春休みの時のように、

「じゃあな」「またな」と言ってお別れするのが希望だが、

そううまくはいかないのかもしれない。

 


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美しい60歳(70歳)が増えると、日本は変わる

 

かつて化粧品のコマーシャルで

「美しい50歳が増えると、日本は変わる」

というキャッチコピーがあった。

(正確かどうか自信ないが、そういった趣旨のフレーズです)

 

確か、もう30年近く前だ。

そんな時代はとっくに過ぎ去り、

今やこれを60歳・70歳と言い換えても、なんら違和感がない。

 

「美しい60歳(70歳)が増えると、日本は変わる」

 

なんでそんなことを思いついたかというと、

先日、知り合いの女性と話す機会があって、

彼女が去年から年金をもらっていると聞いて驚いたからである。

 

えー、あの人、僕より年上だったの!?

 

彼女はさっぱりした性格で、はっきりものをいうが、

おばさんにありがちな、ずけずけという感じではない。

失礼ながら特に美人というわけではないのだが、

何よりもスタイルがいい。

 

まじまじ観察したことはないが、

ぱっと見た目、スラリと背が高く、脚も長く、適度にスリム。

そして、いつもスポーティーな服装(ときに革ジャン)で、

カッコよく中型のバイクをかっ飛ばしている。

 

意識しているのかどうかわからないが、

降りてヘルメットを外すときに長い髪がバサッとこぼれる。

映画でマンガで、女性ライダーのこのしぐさに

心臓ズキュンされた男は少なくないはずだ。

 

うわさによると、もとレディース(暴走族)。

だったかどうかは定かでないが、

ライダースタイルはあまりにもサマになっている。

 

そんな人が「高齢者」と呼ばれ、年金をもらう。

自分もそうなのに「こんな世界に足を踏み入れているのか」と、

動揺を隠せない。

そりゃ日本も変わるぞ。

よく変わるのか、悪く変わるのかはわからんが。

 

ただ、60代・70代になると周囲で亡くなったり、

体が効かなくなったりする同世代が増えるのも事実。

あくまで主観だが、元気を保ち続ける人と、

急速に衰える人とのギャップが大きくなる。

 

ちなみにライダーの彼女は、

エッセンシャルワーカーとして働いていて、

当分、辞めるつもりはないようだ。

何度かケガもしているはずだが、

やっぱり体を動かしているのがいいのだろうか?

 

何が元気の維持と衰退との分かれ目になるのかはわからない。

とりあえず、いま現在、健康で頭も体も働くことに感謝しつつ、

日々を生きる。

 


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魔都・横浜から遠く離れて

 

1975年のドラマ「傷だらけの天使」の最終回では、

修(萩原健一)が、姿をくらましたボス・

綾部貴子(岸田今日子)を探しに

横浜・中華街を訪れるシーンがある。

 

映像に映し出された、当時の中華街は、

いかにもヤバそうな街で、あちこちに密航の手続きを請け負う、

中国人のアンダーグランドビジネスの巣窟がありそうな、

魔都のにおいがプンプンしていた。

 

50年後の今、中華街はきれいに整備された観光地となり、

子供も大人も、日本人も外国人もみんな、

豚まんやら、月餅やら、チキンを平たく伸ばした台湾から上げやら、

イチゴとマスカットのミックス飴やらを食べ歩きして、

わいわい楽しさと賑わいにあふれている。

50年前のドラマの世界と現実とのギャップは大きい。

 

洗練された街、そして、

それを作り守っている地元の人たちに

ケチをつけようなんて気はさらさらない。

けれども、やっぱり、こうした見かけの繁栄と、

幸福感が希薄な日本人の内なる現実との

ギャップを考えると、もやもやした疑念が胸に湧き上がってくる。

「50年前よりほんとにこの国はよくなったのか?」と。

 

人も街も、化粧することが上手になった。

汚いものを包み隠すのがうまくなった。

それがいいこと何か悪いことなのか、わからないが、

食べ歩きをしている人の中にも、

いろいろ問題を抱えている人、

それだけでなく、精神にダメージを負い、

本当に「傷だらけの天使」になっている人がたくさんいるはずだ。

 

この国では20人に一人が心を病んでいると伝えられている。

観光地を行く外国人旅行者のほとんどは、

そんな話は信じられないだろう。

 

外からやってきた彼らから見れば、

日本は、平和で安全で、食い物も、おもちゃも、

いろいろな楽しみも豊富な、21世紀の世界における、

一種の理想郷に見えるのではないだろうか。

 

僕たちが到達したユートピアでは、

「私たちは見かけほど、豊かでも幸福でもないんだよ」

という顔をして街を歩いてはいけない。

楽しさ・賑やかさの裏から、

そんな無言の圧がかけられているような気もしてくる。

 


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「傷だらけの天使」完食

 

最終回「祭りの後にさすらいの日々を」で、やっぱり号泣。

AmazonPrimeで「傷だらけの天使」を全26話見た。

 

大好きなドラマだったが、実はちゃんと見たのは3分の1くらい。

3分の1は断片的に覚えているシーンもあるが、

3分の1は全く見てなかった。

 

だから今回、50年の年月を経て、初めて完食。

長生きしてよかった!と思ってしまった。

この時代まで生き延びて幸福だ。

 

その「傷天」、この間も書いたけど、

今の基準で見ると、かなりひどい出来。

最近の映画やドラマの悪口を言う人は多いが、

30年前にラジオドラマの脚本賞を

取らせていただいた人間の目から見ると、

今の脚本・演出・演技、

すべて30年前よりはるかに高いレベルにあると思う。

少なくともテクニック的には。

だから50年前のこの作品が、

稚拙で雑なつくりに見えるのは当然かもしれない。

 

でもね。

面白いかどうかとなると話は別。

うまけりゃいいってものじゃない。

ちゃんと伏線があって、きれいにストーリーがつながって、

オチがついてりゃいいってもんじゃない。

 

本当にめちゃくちゃだけど、

このノリはどうだ。この勢いはどうだ。

ショーケンと水谷豊はもちろんいいのだが、

両岸田をはじめとする脇役のすばらしさ。

脚本家、監督をはじめ、製作スタッフの息遣いが伝わってくる。

喫煙シーン、暴力シーン、セックスシーン満載で、

コンプラなんてくそくらえ。

何よりも、あの70年代の東京の空気が

あまりにも鮮やかに封じ込められている。

 

戦後まだ29年、30年の世界。

ここで描かれているのは、29歳・30歳の若い日本。

新宿も渋谷も横浜も、かなりヤバい街に見える。

今の日本は、いいにつけ悪いにつけ、

おとなになって老成した80歳なのだと痛感する。

 

キャストもスタッフも大部分がこの世を去り、

もはやリメイクは不可能だが、

なんと作家の矢作俊彦が、

ショーケンとメインライターだった市川森一に許可を取って、

2008年にリメイク小説を書いていたと知って、びっくり。

きょうはとても冷静に書けないが、

これからまた、この昭和の名作「傷だらけの天使」について

いろいろ書いていきたいと思います。

 


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アメリカがくれた長い夢の終わり

 

生まれてこの方、

つねにアメリカがトップリーダーを務める世界で生きてきた。

けれども、その世界が終わってしまったことを

先日のトランプ×ゼレンスキー会談で痛感。

 

「今さら何ねぼけたこと言ってるの?

そんなの、とっくの昔に終わってたじゃん、ばーか!」

 

と言われそうだが、どんなに横暴でも、パワハラ的でも、

やっぱりアメリカは民主主義の総本山であり、

文化的価値観の中心地だという思いは変わらなかった。

 

おかしな言動も目立つけど、

いい映画、いい音楽をいっぱい作っているし、

コンピューター、インターネット利用でも

ずいぶんお世話になっているし、

最後には世界をまとめ、

人類を望ましい方向に持っていってくれるのだろう。

そうした尊敬すべき面を持った国のはず。

 

だからというわけじゃないけど、

属国扱いも我慢する必要があるんじゃないか。

CとかRとかNKとか、

ヤクザな国が暴れ出したら止めてくれそうだし・・・

と、心の中でなかば願いのようなものを抱いていた。

だけど、もうおしまいDeath。

 

あの大統領には、国づくりの理念も哲学もなく、

他の国と協調しようとか、世界の秩序を保とうとか、

そんな考えはまったくない。

あるのはビジネスのノウハウと

「おれたちゃ偉いんだ」というプライドのみ。

 

カードがどうのこうのって、

まるでゲームやギャンブルをやっているかのようだ。

自分の国がどうすりゃもうかるか、得するか、

ってことしか頭にない。

 

でも、これは大統領とその取り巻き連中だけの指向性ではない。

少なくともアメリカ人の過半数が同じように考えているのだ。

 

こっちだって生活きびしいんだから、

民主党みたいなきれいごと並べて、

ほかの国の面倒見てる余裕なんてないんだよ。

こっちが得しなきゃ、もうやめやめ。

 

というわけで、もはや尊敬されよう、

気高くあろうなんて気もさらさらなく、

ぶっちゃけカネかねカネ。

まぁ、日本人も五十歩百歩かもしれないが。

 

いずれにしても、これまでの世界地図はビリビリになった。

80年前、アメリカに負け、アメリカに救ってもらった、

われらが日本。

 

その思いが強すぎて、僕たちは、

世界がこのまま何世紀も続くんだろうという、

長い長い夢を見ていたのかもしれない。

 

じゃあいったいどうすりゃいいかなんて、わからない。

とりあえず、グルメとアニメと平和ボケを売りにして、

ニッポン良いとこ、一度はおいで~ 

と、独自の文化の発信に励み、

ジャパンファンを世界中に広げておく、

といったことをやっていくしかなさそうだ。

 


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人形供養はクールジャパンの原点

 

3月3日。昨日までのうららかな春の到来から一転、
真冬に逆戻りになったひな祭りの日。

「この時期から5月の子どもの日を過ぎるころまでが、
一番たくさん、お人形さんがいらしゃいます」

そう話すのは、都内でも人形供養で有名なお寺のご住職です。
やはり、お節句になると、子どもが巣立った家では、
ひな人形や五月人形が押し入れで
冬眠していることを思い出すのでしょう。

思い出深い人形だけど、
もう出番がないのにいつまでもしまっておくわけにはいかない。
ぼちぼち終活で、生前整理もしなきゃいけなし・・・
と、そんな気持ちが働きますが、
そのままゴミとして捨てるのは胸が痛みます。
いや、そんな生易しいものじゃなく、
張り裂けそうになるかもしれません。
それで信頼できるお寺、魂を静めてくれる、
人形供養のお寺に駆け込むのです。

べつに極度にセンチメンタルな人の話ではありません。
それが通常の日本人ならではのマインドというものですよね。
これをお読みのあなたも納得できるのではないでしょうか。

海外目線ではStrange

同じ日本人としては、ごく自然な心の働きなのですが、
海外の人には、こうした人形供養、
ひいては針供養とか、道具の供養とか、
モノに対する供養の習慣が、ものすごく奇異に映るそうです。

きょう取材したご住職のもとにも、
海外メディアの取材がちょくちょくあるらしく、
「どうして日本人は人形供養をするのか?
他の国では、テディベアが壊れたり汚れたりしても、
教会に持ち込むことなんてしない。
バザー用に売りに出したりはするけど」
てなことを言われるそうです。

生き物でないモノに魂が宿るという感性、
その宿った魂と別れるとき、
きちんとお別れをしたいという気持ちは、
日本民族特有のものなのかもしれません。
そしてまた、宗教者がその気持ちを受けて、
きちんと儀式を行うという文化を持っているのは、
これまた、世界広しといえども、日本だけなのでしょう。

供養の心が現代の日本カルチャーを生み出す

モノをモノとしか見ない外国人から見れば、
おかしな文化・習慣でしょうが、
こうしたことが、彼らを魅了する
日本のグルメ、アニメ、キャラクターなど、
ユニークなジャパニーズカルチャーに
つながっているのではないか、と思います。

動物にしても、精魂込めて牛や豚を育てて、
おいしい肉にして、亡くなった後はちゃんと動物供養をする。
といったストーリーは、
やっぱり外国の人は素直に納得できないでしょう。
「だって食べるために育ててるんじゃん」って。

人間の世界に違和感なく入り込み、
平等な友達になるアトムやドラえもんのようなロボットも、
「人形供養・モノ供養がある国」だから生まれた
ファンタジーです。

ただ、意外だったのは、
人形供養を行うお寺は全国でも数少ないということ。
僕はけっこうあちこちのお寺で
やっているものだと思っていました。

檀家さんに頼まれて、あるいは桃の節句や端午の節句の時だけ
行うところはあるかもしれませんが、
そのお寺ではほぼ毎日、全国から受け付けており、
受け取ったら翌朝には供養しているといいます。

ただ受け取って、お経を上げて終わりでなく、
あちらへ旅立たせるためには、
かなり手間も暇も費用も掛かるようです。

ゴミの分別を思い出してもらえればわかりますが、
中には、素材ごとにばらばらにしなくてはならないものもあり、
最近は環境問題で厳しい規制があるので、
専門の産廃業者とコラボして事に当たっているそうです。

歴史・文化の土壌で花咲くクールジャパン

この話を聴いて、
かわいい人形が「産業廃棄物」になるなんて――
と、内心、行き場のない悲しみやら、憤りやら、
切なさ、やるせなさを覚えたあなたは、
とてもまっとうな日本人マインドを持った人だと思います。

そうした和のマインドは、料理、ファッション、家屋、
各種のコンテンツなど、
生活のいたるところに溶け込んでいる気がします。
やはり現代の、有形無形の「クールジャパン」の数々は、
長らく培った日本の歴史・文化の土壌があるからこそ
咲ける花々なのでしょう。


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認知症になっても人生は続くか?

 

日、ある介護士の方のSNS投稿で、

喫茶店で高齢者たちが

「認知症になったら人生終わりだよね」と

会話しているのを聞いて、

心穏やかではいられなくなった、というものがありました。

 

彼は施設で認知症患者の人たちの面倒を見ています。

他の投稿でその奮闘ぶりをレポートしていますが、

これがまた凄まじい。

読むと、うちの義母の奇行・妄想・へそまげ・おもらしなんて、

まだまだかわいいものだなと思ってしまいます。

 

この介護士の方は、ひどい目に遭いつつも、

患者さんたちの純真な人間性に触れることで、

教えられたり救われたりするというのです。

 

ちょっときれいごとっぽいけど、

僕も義母と一緒に暮らしていて、

彼と同じようなことを感じるときがあります。

それは幼い子供と接しているような感覚です。

 

彼ら・彼女らは社会人という枠組みから抜け落ち、

子供に還っています。

いろいろおかしな言動は、

ストレスなく日常生活を送りたい僕たちにとっては

困りものですが、

子供と同じと解釈すれば、ある程度は大目に見れます。

 

でも、自分が認知症になったら・・・と考えると、

「人生終わりだよね」には、半分は同意せざるを得ません。

 

僕も息子を育てましたが、はじめは何もできなかった赤ん坊が、

だんだん自分でなんでもできるようになっていくのを見るのは

感動的でした。

本人も、あれもできる、これもできると、

日々実感していくのは、大きな喜びだったでしょう。

 

しかし、老いることはその逆の道をたどることです。

だんだん自分一人では何もできなくなっていく。

これは怖い。

僕は死ぬことにも、老いることにも

そんなに恐怖心を持っていませんが、

自分一人で何もできなくなるということには

大きな恐怖を感じます。

喫茶店のおばあさんたちも、

きっと僕と近い気持ちを持っているのでしょう。

 

「認知症になったら人生終わり」

それは自分のプライド・アイデンティティを失う恐怖であり、

社会から見捨てられる恐怖を表す言葉とも受け取れます。

 

でも、件の介護士さんのように

「そうじゃない」という人の意見が共感を得て、

認知症の人は日常生活はうまくできないけど、

あの人たちがいるとうれしい、楽しいという人、

だから助けになろうという人が増えれば、

この社会はまた変わってくるかもしれません。

 

これから先、認知症の人も障害を持った人も

豊かに楽しく暮らせる社会になるのか、

欲とエゴと嫉妬心むき出しの、

ラットレース社会がますます進展するのか、

その端境期が来ているのかもしれません。

 

認知症になって過去のことなど忘れても、

毎日生まれ変わったような気持ちで人生を続けられる。

とりあえず1日3分、そういう世界を想像してみようと思います。

 


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ありがとうの2月


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おとなも楽しい少年小説

 

「おとなも楽しい少年小説」はライフワーク。

書くべき物語がたくさん自分のなかに眠っているのは、

幸福なことだと思います。

あなたも僕も、どこまで人生が続くか、わからないけど、

一度、探偵になって自分の内側を掘り起こしてみましょう。

金の林檎みたいな、思わぬ宝物が出てくるかも。

 

おとなも楽しい少年少女小説 2タイトル 

無料キャンペーン: 2月26日(水)16:59まで実施中。

レビューもお寄せくださいね。  

 

茶トラのネコマタと金の林檎

https://amazon.com/dp/B084HJW6PG

 

私立探偵の健太は、山荘に住む富豪のネコマタマダムの依頼で、黄金の林檎の探索に。

そこで見つけたものは?人生で大切なものは何か、

探しているあなたに贈る

コミカルでファンタジックな探偵小説。

 

叔母Q

 https://amazon.co.jp/dp/B0CKWZKZJF

 

叔母の温子はロサンゼルスの下町のアパートで

孤独のうちに死んだ。

リトルトーキョーの小さな葬儀屋の一室で

彼女の遺骨を受け取った甥の「わたし」は供養のために、

可愛がってくれた叔母と昭和の家族についての話を

葬儀屋に語る。

 


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おりべまこと電子書籍2月無料キャンペーン「叔母Q」

 

おりべまこと電子書籍2月無料キャンペーン

2月26日(水)16:59まで実施中。

 

僕の叔母は生きていれば90歳を出たところ。いま、社会で活躍している30代・40代の女性の祖母にあたる年代です。

多感な少女期に終戦を迎え、日本が戦後、

アメリカの擁護を受けながら、

新たな国家として復興するのと同じ歩みで大人になりました。

 

その時代、さしたる家柄にも才能にも美貌にも

恵まれていない女性の生き方は、かなり制限されていました。

20代半ばまでに結婚できた人は幸福とされましたが、

その後、自分を殺し、家族に尽くす長い人生が待っています。

一方、かわいいお嫁さんになれなかった人は、

世間から冷遇されるか、憐みや蔑みの目で見られるなかで

生きる道を選ばなくてはなりませんでした。

 

もちろん、例外はたくさんあって、

注目すべきイケてる女性の活躍は、

マスメディアで紹介されたり、

小説・映画・ドラマなどのモデルにもなったりしています。

 

しかし、叔母はそんな華やかな舞台に立つこともなく、

ありのまま自由に生きることもなく、

それでも喜びに満ちた人生への憧れ・欲求は人一倍あって、

それを抱えたまま、一生を過ごしたのではないかと思います。

 

本人の本当の気持ちはわかりませんが、

傍目には残念無念な女の一生。

けれども彼女のような、無数の昭和庶民の女性の、

満たされることのなかった憧れや欲求が、

現代の孫世代の女性らに受け継がれ、

活動力のエネルギーになっているような気がします。

 

亡くなって早や20年近く経ちますが、

なぜだか彼女は僕の心のどこかに棲み続け、

両親とは違った形で僕の人生を支え続けています。

 

生きている間に話を聴けなかったので、この作品における事実(と自分で思っている箇所)はせいぜい2~3割。

だから小説として、大部分は想像して書いたのですが、

フィクションの中にも、確かにこの世で生きた、

叔母の記憶を刻み込めたことに満足感を覚えています。

昭和の名もなき女性がどう生きたかの物語をお楽しみください。

 


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探偵小説「茶トラのネコマタと金の林檎」のご紹介

 

おりべまこと電子書籍無料キャンペーン

2月26日(水)16:59まで実施中。

 

都会の片隅でかろうじて生きている、しがない探偵は、

いつも仕事に、カネに飢えている。

けれどもカネのためだけで働くには、

やつも、やつの相棒もお人好し過ぎた。

夢見る女のために奮闘する心やさしき男たちの物語。

あなたの連休のおともに。

 

 

若き私立探偵の健太のもとにホームページ経由で、開業以来、最高のギャラが発生する難事件の依頼が飛び込んだ。

山中に埋められた、時価数億円に上る金の林檎の捜索だ。 

健太は相棒である便利屋の中年男・六郎を連れて現場に飛ぶ。 

そこに現れたのは茶トラのネコみたいなオレンジ色の髪をし、

魔女のような真っ黒な服に身を包んだミステリアスな高齢女性。 

健太はその依頼人に“茶トラのネコマタ”というあだ名をつける。

 

ネコマタの目撃談によれば、10月の第3日曜日の夕暮れ時、

黒い服の4人組の男たちがこの山にやってきて、

どこかから盗み出してきた大量の金の林檎を埋めていったという。 

しかし明らかに彼女の話はおかしい。

これはかつて女優だったという女の空想か?幻想か?妄想か?

健太と六郎は、その話を信じたふりをして、

山中の雑木林に入ってスコップを振るい、

肉体労働に精を出すことになった。

 はたしてこの難事件はどんな“解決”に至るのか?

それぞれ心に傷を負った若者、中年、年寄りが織りなす、

コミカルでファンタジックな探偵小説。

 


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おりべまこと2月の電子書籍無料キャンペーン

2月21日(金)17:00~26日(水)16:59

コミカル探偵小説「茶トラのネコマタと金の林檎」

昭和家族小説「叔母Q」

短編小説2作を無料でご購読いただけます。

寒波が居座る3連休のおともにどうぞ。

 

 

茶トラのネコマタと金の林檎

 

20代半ばで独立起業し、6畳一間のアパートの自分の部屋で探偵事務所を開いた私立探偵・飛田健太(とびた・けんた)。

その健太のもとにホームページ経由で、開業以来、最高のギャラが発生する難事件の依頼が飛び込んだ。

山中に埋められた、時価数億円に上る金の林檎の捜索。

健太は相棒である便利屋の中年男・六郎を連れ、“なんちゃってホームズ”のいでたちで現場に飛ぶ。

そこに現れたのは茶トラのネコみたいなオレンジ色の髪をし、魔女のような真っ黒な服に身を包んだミステリアスな高齢女性。 健太はその依頼人に“茶トラのネコマタ”というあだ名をつける。

ネコマタの目撃談によれば、10月の第3日曜日の夕暮れ時、黒服・黒メガネの4人組の男たちがこの山にやってきて、どこかから盗み出してきた大量の金の林檎を埋めていったという。

しかし明らかに彼女の話はおかしい。

これはかつて女優だったという女の空想か?幻想か?妄想か?

健太と六郎は、その話を信じたふりをして、山中の雑木林に入ってスコップを振るい、肉体労働に精を出すことになった。

はたしてこの難事件はどんな“解決”に至るのか?

それぞれ心に傷を負った若者、中年、年寄りが織りなす、コミカルでファンタジックな探偵小説。短編。2万4千字。

 

叔 母 Q

 

叔母の温子(ながこ)はロサンゼルスの下町のアパートで孤独のうちに死んだ。

リトルトーキョーの小さな葬儀屋の一室で彼女の遺骨を受け取った甥の「わたし」は供養のために、

可愛がってくれた叔母と昭和の家族についての話を葬儀屋に語る。

「わたしも叔母のことが好きでした」

そう口にするとあの口もとのホクロを思い出した。

家族だった彼女は恋人でもあった。

生まれて初めて意識した大人の女だった。

子供だった「わたし」と、

戦後の時代を生きた叔母との記憶の断片をつなぎ合わせた物語。

短編。2万2千字。

 


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「傷だらけの天使」は昭和の天使の物語

 

「傷だらけの天使」は、

おそらく現在の60代から70代前半の男性の多くが、

ディープにハマったドラマだろう。

 

1974年10月から75年3月まで半年間、

毎週土曜日、日本テレビで放送された。

 

主役の小暮修(オサム)は、

表の社会と裏社会とを行き来しつつ、

やばい仕事で荒稼ぎをする「綾部調査事務所」の調査員。

と言えば聞こえはいいが、

実態はチンピラ探偵といったような風体の若い男。

これをショーケンこと萩原健一が演じる。

そしてその弟分であり、仕事の相棒・乾享(アキラ)の役が、

人気ドラマ「相棒」の杉下右京=水谷豊だ。

 

この半世紀前のドラマが、

AmazonPrimeで配信されているので見ている。

作品紹介は以下の通り。

 

ビル屋上のペントハウスに住み、

探偵事務所の下働きをする修(萩原健一)と、

彼を「アニキィ!」と慕う亨(水谷豊)。

修の貧乏生活を知る探偵事務所のボス、

貴子(岸田今日子)とその手下、辰巳(岸田森)は、

金をエサに彼らに毎回無茶苦茶な仕事を押しつける。

割に合わないと思いつつも、

がむしゃらな修は命懸けで危険な仕事に飛び込んでいくのだが、

根っからの善人で単細胞なゆえに、

仕事も思わぬ方向へ暴走してしまう。

笑いあり、涙あり、お色気ありで展開するストーリーには、

息をもつかせぬスピード感がみなぎっている。

 

どうやらコロナの時期から配信していたらしいが、

気が付かなかった。

またハマったらどうしようと思って恐る恐る見たが、

やっぱりハマってしまった。

 

脚本も演出も撮影も演技もメチャクチャで、

聞き取れないセリフもいっぱいいある。

だけど、やっぱり面白いし、イカしている。

泣いてしまうし、考えさせられる。

そして、「ああ、おれはやっぱり死ぬまで

傷天の世界から抜け出せない」と再認識した。

 

決してノスタルジーを感じたわけではない。

むしろ逆で、50年たった令和の今見るからこそ、

違った傷天の魅力が見えるのだ。

これについては、とても1回や2回では書けないので、

これからしばらく折に触れて書いていこうと思う。

 

今日、一つだけ書いておく。

今までこのドラマのタイトルを意識したことがなかったが、

今回、昭和から遠く離れた地点から見ると、

オサムとアキラは、

まんま「傷だらけの天使」なんだなということがわかる。

二人は人間世界に降りてきたエンジェルであり、

あのバカかげんは、

人間世界における天使のふるまいなのだ。

 

そういう視点で見ていくと、

ハードボイルドともコメディとも昭和残酷物語ともとれる、

この探偵ドラマが、一種のヒューマンファンタジーとして、

新鮮な輝きを帯び始める。

そして、なんで俺はこんな世界で生きているのだろうと、

大いなる疑問にとらわれるのだ。

 

「なんのこっちゃ?」と思うでしょうが、

また、おいおい書いていきます。

 


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認知症の問題解決にアルバム認知症の問題対応にアルバム効果   心療回想士がつくった「人生まるごと回想アルバム」

 

東京ビッグサイトで12日から14日まで開催されている

「ギフトショー」に行ってきました。

太田区のブースの一角で「人生まるごと回想アルバム」を

紹介しているのは、株式会社テコデコドリーム研究所です。

 

アルバム本来の役割を見直す

 

アルバムに並んだ写真を見て、

過ぎ去りし日々を楽しむというのは、ごくありふれた行為で、

どこの誰でも実践していることのように思えます。

けれども、実はちゃんと写真を整理整頓し、

他者が見ても分かるよう管理できている高齢者はごく少数。

また、それが子供世代との間でコミュニケーションツールとして

活用されている例はさらに少ないようです。

 

「人生まるごと回想アルバム」は

そうしたアルバムが本来持つ役割を見直し、

可能性を伸ばすことによって生まれた商品です。

 

医療・介護の分野で注目の「回想法」

 

このアルバムは回想法で利用するシーンを

想定して作られています。

回想法とは1960年代初期に

アメリカの精神科医が開発したもので、

回想し過去の記憶をよみがえらせることで脳を活性化。

さらにその記憶を他者と共有し、

分かち合うことでより元気を出せるという精神療法です。

 

ご存じのようにこの10年ほどの間、

超高齢社会の進展に伴って認知症患者が激増。

それによってすでに相続などの分野で

様々な問題も起こっています。

そんな状況のなかで回想法は、認知症に対する予防効果、

あるいは症状の緩和・改善が期待できる非薬物療法として、

医療現場や介護施設、自治体の介護事業、

地域コミュニティーなどにも注目されています。

 

心療回想士のスタッフが開発

 

テコデコドリーム研究所ではスタッフ全員が

この回想法の基礎を学び、

心療回想士の資格を取得。

素材として写真を用い、

その写真を編集して作るアルバムに焦点を合わせました。

 

どうすれば親世代(高齢者)にとって、

より楽しく記憶をよみがえらせるものにできるか、

子供世代・孫世代とのコミュニケーションに

役立つツールにできるかを考えた上で設計し、

他にはないユニークな特徴と機能を持たました。

 

親子で楽しめるアルバムづくり

 

最も大きな特徴は、マグネット式アルバムを採用したこと。

家族みんなで閲覧しようという時、

アナログの分厚く重いアルバムを手に取るのは億劫で、

一人一人気軽に回して見るのに適していません。

 

また、スマホやタブレットのようなデジタル端末の画面上で

写真のデータを見るというスタイルだと、

みんなで見ている、家族で親の人生を共有している、

という感覚が持てません。

1ページずつ取り外しができるマグネット式アルバムは

そうした課題をクリアし、

家族で集まれば、自由に広げてみんなで見ることができ、

ページ追加も簡単にできるといいます。

 

また、記憶を呼び起こすためには“可視化”が重要。

家の中で目につく場所に写真があると、

ふとしたきっかけで大事なことを思い出したり、

家族への感情が深まることがあります。

 

通常、アルバムはしまっておくと中身が見えませんが、

ここでもマグネット式の利点を生かし、

お気に入りの写真があるページを

スチール製の壁や冷蔵庫に貼りつけて見ることができます。

また、アルバムそのものを360度開いて

そのままフォトスタンドとして使うこともできるといいます。

 

子供が親のためのアルバム編集者に

 

こうした特徴・機能を活かして同社では

「子供世代が高齢の親にためにアルバム編集者なること」

を推奨しています。

フィルムカメラの時代は、撮影後、

現像してプリントしなければ、写真を見られませんでした。

そのため、親世代が保存している写真の量・アルバムの量は

膨大であるケースが多く、

本人が亡くなった後は、(悲しいことではありますが)

そのほとんどを破棄しなくてはならないのが現実です。

 

それを踏まえて、テコデコのスタッフは、

子供世代が自分で見て貴重だと思える写真、

親のことを知らない子供や縁者の人たちが見ても

楽しめるような写真などを選び出し、

この「人生まるごと回想アルバム」を使って、

世代を超えて共有できるアルバム、

親孝行のツールとなるアルバムを作ってほしいと話していました。

 

施設のスタッフが心のケアにも手を伸ばせる

 

また、このアルバムは親が

介護施設で暮らすことになった場合にも

効果を発揮します。

介護施設のスタッフは、

親を「入居者=高齢の人」としか認知できないので、

毎日の食事や排泄の世話など、身体機能面でのケアはしますが、

感情面でのケアは天気のこと・庭の花のことなど

についてしか話せません。

 

生まれながらの高齢者など一人もおらず、

誰しも何十年という人生の道程、

無数の喜怒哀楽を経験してそこにたどり着くのですが、

スタッフはその一つとして想像するすべがないのです。

 

そんな時、このアルバムで子供時代や青春時代など、

親の人生のわずかな断片でも知ることができれば

「かわいいですね」「楽しそうですね」など、自然と会話が弾み、

心の介護・感情面のケアにも手を伸ばせるのではないか。

テコデコ研究所ではそうした期待も抱いています。

 

ちなみに、「回想法」の効果的な会話のポイントとして

「ほめ言葉は過去形にしないで現在形で話す」そうです。

 

還暦スタッフの第2のスタートアップ

 

テコデコドリーム研究所は、

もともとキャラクターと音楽コンテンツを

メイン事業とする会社で、

かつては各種アミューズメント施設やイベントなどで

若者や家族連れの人気を集めていましたが、

いずれも家庭の主婦を兼任していた3人のスタッフが

家族の介護に専念するために一時企業活動を休止していました。

 

その間、代表の池尾里香さんが施設に入居した

独身の叔母の家の整理をした際に、

それまで見たことのなかった若い叔母の

いきいきした姿の写真を大量に発見。

その中から自分の目で選んで一冊にまとめたアルバムを

本人に見せたところ、認知症気味だった叔母が大いに喜び、

互いに思い出を共有できたといいます。

 

同社の3人は、中小企業振興公社主催の

「事業家チャレンジ道場」で約2年間、

ものづくり・最新のマーケティング技術を勉強する中、

介護経験と回想法を活かした今回の事業を考案しました。

誕生日、母の日、父の日、施設の訪問時、

米寿や喜寿のお祝い事などに、

子から親への真心こもったプレゼントに使ってほしいというのが

彼女らの提案です。

 

永続的な親孝行の実現をサポート

 

「人生まるごと回想アルバム」は、

葬儀の遺影や式場の思い出コーナーの写真などに

使えることはもちろん、

その後の法事の場でも集まった人たちに

親の人生を偲んでもらうこと、

また、孫やその後の世代に伝えていく

「ファミリーヒストリー」としても

役立てることができるといいます。

 

池尾さんと、実の姉である綿井さんは、

両親の法事の席で親戚一堂にこのアルバムを見てもらったところ、

たいへん盛り上がり、皆、新鮮な感動を受けたといいます。

それがまた両親に対する供養に繋がるのでしょう。

これは単にアルバムを販売するビジネスでなく、

アルバムづくりを通して、

永続的な親孝行の実現をサポートする事業

といえるかもしれません。

 

もしギフトショーに行かれる方は、

ビッグサイト南館にある大田区のブースで、

ぜひ実物を手に取ってみてください。

また、このアルバムのサイトはこちらです。

 

https://tekodekorecollection.com/


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虚と実が融合する映画「八犬伝」

 

「南総里見八犬伝」は

江戸時代の作家・滝沢馬琴が書いた長編小説。

1814年に始まって、

1842年の完結まで28年かかって世に出された、

世界に誇れる傑作エンタメファンタジーです。

 

運命に導かれて集まった仲間が

力を合わせて敵と戦うという勧善懲悪パターンは、

神秘的かつ痛快で、この活劇をモチーフにした

コンテンツが200年の間に続々と作られました。

今日の日本のマンガ・アニメ文化の基盤を築く

一要素になったことは、疑いようがありません。

 

僕の八犬伝との出会いは、

小学生の時に見たNHKの人形劇でしたが、

それ以後も「八犬伝」から

いくつもの映画やマンガが生まれるのを見てきました。

 

いちばん最近のものは、

昨年秋に劇場公開された映画「八犬伝」でしょう。

僕は見逃していたので、先日、アマプラの配信で視聴。

公開の時は評判はイマイチだったようですが、

とても楽しめました。

 

虚と実、二つの世界がパラレルで進む構成で、

虚はご存じ、八犬伝の活劇世界です。

原作に忠実なのはいいのですが、

ストーリーの上っ面をサーっと撫でているという感じで、

今一つ物足りないのですが、

それでもやっぱり面白いのは、さすが八犬伝。

名刀・村雨を持つ犬塚信乃、女装の犬坂毛野、

少年剣士の犬江親兵衛などはとてもイケメンで、

画面も派手で美しい。

 

それに対する実の世界では、

作者・滝沢馬琴と絵師・葛飾北斎、

二人のむさいジジイの対話で進みます。

これに「東海道四谷怪談」の戯作者・鶴屋南北が絡んだりして、

彼らの創作に対する考え方・思いが伝わってきて味わい深く、

このむさいじいさん・おっさんたちから

ああした華麗な物語や絵画が生まれたのが面白い。

 

まるで現代人のような、滝沢馬琴の家庭の事情

(一人息子がニート状態)も描かれていて、

これも考えさせられます。

 

いよいよ最終章、物語がクライマックスに差し掛かったところで

馬琴は失明。目が見えなくなり、執筆できなくなります。

「八犬伝」は未完の大作に終わるかと思われたときに、

代筆者として名乗りを上げたのが息子の嫁でした。

 

この嫁は無学で字もろくに書けない女性なのですが、

義父である馬琴が字を教えながら、二人三脚でがんばり、

わずか8か月で残りを仕上げ、物語を完成させます。

 

すごく感動的なエピソードですが、

この嫁がどうして馬琴に尽くし、代筆をやろうと思ったのか?

夫を先になくして寂しかったから?

義父のことを好きだったから?

「八犬伝」が好きだったから?

 

そのあたりがドラマとして描かれていないので、

どうも腑に落ちないのですが、それでも物語は最期を迎え、

馬琴の仕事は成就しました。

そして、まるで最近の

ファンタジー系アニメやマンガのお約束事のように、

戦いで命を落とした犬士たちも生き返るのです。

 

僕も小説などを書いているので、虚実が融合し、

馬琴と八犬士が遭遇するラストシーンには、

涙を抑えきれませんでした。

 

不平・不満はありますが、やっぱり八犬伝は面白いし、

創作の舞台裏も描かれたこの映画には、

単なるエンタメを超えた奥深さがあると思います。

 


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「ちょっと死について考えてみたら怖くなかった」ってホント?

 

思わず聞き返したくなるような、このタイトル。

いやいやいや、やっぱ死ぬのは怖いですよ。

そうなの? じゃあチョット江東区森下までいらっしゃいよ。

ママといっしょに、あなたらしい生と死について考えましょうよ。ってなことを言っちゃうのが、

この本の著者・村田ますみさんです。

 

森下にあるのは「めめんともり」という、

1年前にオープンした、たぶん日本初の終活スナック。

「カラオケないけどカンオケあります」をキャッチフレーズに、

夜な夜な大人が集まって、

一杯やりながら「生きるとは?」「死ぬとは?」と語り合い、

それぞれの死生観を養っているところです。

 

「メメント・モリ(Memento Mori)」

=ラテン語で「死を思え」。

年齢にかかわらず、君も僕も明日死んでしまうかもしれない。

その可能性を忘れずに、今を大事にして生きろ。

悔いがないよう、好きなことをやって生きろ。

そんなメッセージとともに、

最近、わりとよく耳にする言葉ではありませんか?

自分はどう生きるのか?=どう死ぬのか?

といった哲学的な思考を、世代を問わず、

みんながいっせいに始めたのかもしれません。

 

そうした時代の空気から

終活スナック「めめんともり」は生まれたわけですが、

なんと、今月には早くも2号店が沖縄・那覇にオープンしました。村田さんはこの2つの終活スナックのオーナーで、

夜ごとお客さんの話を聞き、

自分の考えをまとめながら、

この本を書いたようです。

内容概略(もくじ)は下記の通り。

 

第1章 なぜ終活スナック?めめんともり開業のルーツを辿る

第2章 あなたの理想の死は?

第3章 棺桶に入って生まれ変わる!?

第4章 自分らしい最期を大切に

第5章 多様な選択ができることで、死の捉え方がかわる

第6章 自分らしい最期を迎えるために必要なこと

 

とても楽しく読めるエッセイなので、

ぜひ手に取ってみてください。

2月27日発売予定です。

 

ちなみに村田ますみさんは、

日本における海洋散骨のパイオニアでもあります。

以前、僕がテレビの情報番組の仕事に携わっていたころ、

多くの女性が「夫の家のお墓に入りたくない」

という声を上げ始めていました。

 

それから30年あまりがたち、娘世代になると、

こうした従来の葬儀供養のあり方に異を唱える

女性がますます増えています。

そして、前の世代と違うのは、

彼女らは単に不平を言うだけでなく、

勇気をもって自ら行動し、

これまでの葬儀供養にまつわる

常識・社会通念を変えようとしています。

 

村田さんもその一人で、

彼女の言動に共感した多くのフォロワー事業者が現れ、

あれよあれよという間に、海洋散骨は、

すっかり葬送の選択肢の一つになった感があります。

 

時代が変われば、生き方も、死に方も、葬送も変わる。

終活スナック開業の背景から、

理想の最期について考えるヒント、

入棺体験を通じた「生まれ変わり」のプロセス、

そして、終活の実践的なアドバイスまで、

いつか死を迎えるあなたや僕に向けて語りかけてきます。

死は恐れるものではなく、生き方を見つめ直すもの。

でも、ホントに怖くないですか、村田さん?

 

 

 


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今夜もいい夢を

 

「昨夜よりもっといい夢を見る方法」
無料キャンペーンは終了しました。
ご購入いただいた方、ありがとうございました。
面白かったら、ぜひ、Amazonへレビューをお寄せください。
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興味がございましたら、ぜひご利用ください。
それでは、あなたが今夜もよい夢を見られますように。

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つまらない大人にならない

 

自分の中で特にヒーロー視する人物はいませんが、

佐野元春さんだけには注目しています。

 

かつて「つまらない大人にはなりたくない」

と歌っていた佐野元春ももう70に近い齢。

口だけでなく、本当につまらない大人にならなかった。

齢をとれば取るほどカッコよくなっていることは、

コヨーテバンドを率いて演奏する

彼の姿を見れば、誰もが認めるところです。

 

現代を生きる人間として、ある種の理想的。

He has aged badly.

座標となる「ポーラスター」です。

 

その佐野元春が、昨年はコヨーテとともに

「ヤングブラッズ」を、

今年は「ガラスのジェネレーション」をリメイク。

どちらも元気の出るご機嫌なロックナンバーでしたが、

いまの彼が歌うと、少し切なさを帯びた、

とても深みのある歌に聴こえてきます。

 

ここでニューバージョンを作ったのは、

オールドファンへのサービスなのか?

若い世代へメッセージを送ろうとしているのか?

いや、もしかしたら同世代のシニアたちに、

もう一度、「荒ぶる胸の思いをよみがえらせろ」

「つまらない大人になるな」と

鼓舞しようとしているのかもしれません。

 

個人的には自身のニューヨーク体験を

サウンド化した「ヴィジターズ」(1984年)が好きなので、

あのアルバムの曲をリメイクしてほしいと思っています。

特に40年前、日本人として初めてヒップホップを導入した

「コンプリケーション・シェイクダウン」。

あのクールな傑作を、

新しい歌詞で再現してくれるとうれしい。

 

♪フィジカルなダンス メンタルなダンス

システムの中のディスコティック

というサビの歌詞は、40年前よりむしろ現代こそ響く言葉。

佐野元春の歌を聴くと、僕もまだまだこれからだ、

時代の流れに抗って生き続けるべきだと思うのです。

 

 

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2月3日(月)16:59まで

昨夜よりもっといい夢を見る方法

 

「生きる」をテーマにしたエッセイ第6集。

人生の半分は夜。だったらもっといい夢みなきゃな。そう思ったら読んでみてほしい。

生きるのが楽しくなる36のエッセイ。


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きらめく都会や死の国を旅する「星の王子さま」

 

小さな劇場の何もない舞台は、想像力が刺激される、

自由で可能性に満ちた空間です。

今日はここで「星の王子さま」の舞台を見ました。

 

原作はもちろん、サン・テグジュペリの童話。

壁面全体にしわをつけたベージュの模造紙を張り付け、

あの物語の舞台になる砂漠のイメージを表現しています。

 

内容は原作をなぞるものではなく、

生演奏やダンスが随所に交じる、

音楽劇風・イメージコラージュ風の構成。

前半は、王様、実業家、のんべえ、点灯夫など、

へんな大人がいる星をめぐる旅など、

原作に出てくるエピソードを仮面劇で見せたり、

後半は王子様とキツネがともに

パリと東京を合わせたような、

きらびやかな都会の街を探索したり、

地下にある死の国をめぐり歩く

オリジナルのエピソードを取り入れたりと、

自由自在な展開で、不思議な世界に引き込まれました。

 

王子様役の女性はクラシックバレエの心得があるようで、

随所で王子の心情をダンスで表現します。

彼女のビジュアルは、絵本のイラストそっくりでありながら、

不思議なエロシティズムと、

物語全体を包む切なさ・寂しさが感じられて魅力的でした。

上演したのは、

カミさんの仕事仲間である鍼灸師の奥さんが主宰する

「クリスタルレイク」というグループ。

この奥さんというのは、もともと新劇俳優で、

劇団新人会のメンバーだった人だそうです。

大ベテランですが、キツネ役として登場した

彼女の動きはキレがよく、

せりふ回しもクリアで「生涯現役」を感じさせました。

 

僕たちはこうした小劇場演劇に感化された世代ですが、

昨今の舞台演劇は、

やる側も見る側もシニア世代のものになりつつあるようです。

これも時代の趨勢なのでしょうが、

若い人たちにも、こうした変幻自在の小さな空間で描かれる

リアルでアナログな演劇の空気を、

若い人たちにも、ぜひ体験してほしいと思います。

 

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2月3日(月)16:59まで

昨夜よりもっといい夢を見る方法

 

「生きる」をテーマにしたエッセイ第6集。

人生の半分は夜。だったらもっといい夢みなきゃな。そう思ったら読んでみてほしい。

生きるのが楽しくなる36のエッセイ。


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愛妻の日:伴侶ネグレストにならないために

 

今日、1月31日は「愛妻の日」です。

「日本愛妻家協会」なる団体が

1(アイ)・31(サイ)という、

かなり苦しい語呂合わせから生み出した記念日です。

 

これをネタにした

「愛妻家・愛夫家は人生の成功者?」という

エッセイを2年前に書きました。

拙著「昨夜よりもっといい夢を見る方法」の

最初に採録しています。

 

人生の成功と言えば、大金を稼いで大金持ちとか、

仕事で大活躍とか、有名になったとか、

たくさんの人に認められたとか、

社会的に高い地位に就いたとか、

通常語られるのはそうしたことです。

若い時代には、おそらくそこに

「恋愛の成就」「結婚」というものも

含まれると思います。

 

しかし、これはいったん手にして齢を取ると、

かつての輝きを失って色あせてしまうことが多いようです。

そして進行すると、妻ネグレスト、夫ネグレストになります。

それでも互いの利害のためにするずる関係を続けるのは、

人生全体から見ると、

離婚より始末が悪いことになりかねません。

 

最近は投資ばやりですが、

このエッセイで書いたのは、

いつまでも妻を愛せる、夫を愛せることは、

人生において、最大のリターンが見込める、

最高の投資ではないか―ーということです。

 

器用でどんな仕事も楽々こなせる人と、

不器用で何をやっても下手な人とがいるように、

モテモテなのに、誰ともうまく関係が結べない人と、

モテないけど、苦もなくよい恋愛・結婚関係を

結べる人とがいるようです。

 

異性としての魅力に加え、人間性、相性、

運・タイミングなど、多様な要素が絡むので難しいのですが、

最近の若い衆は自分のライフプランにこだわりすぎたり、

周囲の情報に振り回されすぎではないかと思います。

 

恋愛・結婚こそ、人生最大の勘どころ。

ひとの意見やアドバイスを取り入れるのが

全部ダメとは言いませんが、

あくまで自分の直観力を信じて、

相手とともに迎える未来を想像しながら

 

挑むべきではないでしょうか。

 

 

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2月3日(月)16:59まで

昨夜よりもっといい夢を見る方法

 

「生きる」をテーマにしたエッセイ第6集。

人生の半分は夜。だったらもっといい夢みなきゃな。そう思ったら読んでみてほしい。

生きるのが楽しくなる36のエッセイ。

 


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「昨夜よりもっといい夢を見る方法」無料キャンペーン

あなたの心にゆらぎを送り、

あなたの人生をほんのり照らす。

「生きる」をテーマにした

おりべまことエッセイ第6集。

 

本日より2月3日(月)16:59まで

無料キャンぺーン実施中!

 

人生の半分は夜。だったらもっといい夢みなきゃな。

そう思ったら読んでみてほしい。

生きるのが楽しくなる36のエッセイ。

ブログ「DAIHON屋のネタ帳」

2022年9月から23年末のなかから抜粋。

 

もくじ

・愛妻家・愛夫家は人生の成功者?

・「芝浜」と女落語家

・名古屋の母と母校の話

・入学祝いはやっぱり桜

・百年生きるホモサピの世界はこれから

・リンゼイ・ケンプのダンスの記憶

・これからどうやって旅に出るか?

・自分の未来、世界の未来、子どもの未来

・母の日・父の日に感謝のプレゼントなんかいらない

・ときにはダンゴより花

・4630万円の振り込み

・なぜ宝くじに当たるとほとんどの人が破産するのか?

・井上ひさしと笑いについて

・人生は長くて短い

・「南の島でのんびり」なんてFIREしなくてもすぐできる

・潮騒の音楽を楽しむための海

・アナログマジックの残暑お見舞いとデジタル発信の効用

・いい夢を見る方法

・なぜ30年前のトレンディードラマには お彼岸が出てこなかったのか?

・親より先に死んではいけません

・余命7年で行こう

・女じゃなくなる恐怖

・おとなの言うことなんか聞かなくても 人生、春は来る。

・おすすめ本「なんで家族を続けるの?」

・こっそりカメ走

・人生は地中に埋もれた化石のようなもの

・アーカイブ世代のクロニクル研究

・なぜ名古屋人は福井・鯖江産の純金製メガネを買うのか?

・ロンドンライフと労働・カネ・芸術の話

・9月15日はロージンの日?

・お祭リベンジ

・同窓会の話

・地球の重力に逆らうべからず

・地球家族の「争族」を辞めさせるための宇宙人待望論

・京都で考えた観光立国ニッポンの生き方

・美しきニューヨークのカレンダー

 


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生きるとは死ぬまで幻想を抱き続けること

 

認知症の義母は、夫(義父)の遺影を見ると、

いつも「この人だれ?」ときいてきます。

何十年も夫婦としていっしょに暮らしてきたのに、

まったく覚えていないのです。

 

ある仕事で人生相談の相談文を頼まれたので、

このことをネタにして女性(娘)の悩みを書いてみました。

「あんなに仲の良い夫婦だったのに、

父のことをすっからかんに忘れてしまった母が

憎いやら、悲しいやら、やるせないやら・・・」

と、えんえん自分の心情を吐露し、

「結局、愛し合うってどういうことなのでしょう?

どうして人と人とは愛し合うのでしょうか?」

と、相談者に問いかける文章です。

 

20世紀・21世紀生きる僕たちは、

生まれてから、テレビ、映画、マンガ、小説、ゲームなど、

毎日いろいろなコンテンツに触れているので、

「永遠の愛」とか「不滅の絆」なんて

ドラマチックなものを信じてしまいがちです。

しかし、実はそれは作られたもので、

人間の真実の姿とは

かけ離れたものではないかと思うのです。

 

すっかり子供みたいになってしまった

義母の相手をしていると、つくづくそう感じます。

 

結局、寒くもなく暑くもない、

適度に衛生的で快適な環境に身を置いて、

毎日うまいものを食べて、

面倒を見てくれる誰かがそばにいれば、万事OK。

幸福に、満ち足りて眠りに落ちる。

 

それが人間の本質なのだと、

義母には教えてもらっているようです。

 

けれどもみんながそんな本質的な部分だけで生きていたら、

人間の社会生活はままなりません。

というか、そもそも人間社会というもの

が成り立たなくなります。

 

僕たちには、愛とか夢とか自由とか理想とか、

そういう美しい幻想が必要です。

それは個人的なものでなく、

むしろ社会的な要求です。

 

生きるとは、ひとりひとりが

死ぬまでそうした幻想を抱き続けること。

僕も願わくば、最期までそうありたいので、

そのために毎日、

こうしていろいろな

文章をこねくりまわしているような気がします。

 

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1月30日(木)17:00~2月3日(月)16:59

昨夜よりもっといい夢を見る方法

 

「生きる」をテーマにしたおりべまことエッセイ第6集。人生の半分は夜。だったらもっといい夢みなきゃな。そう思ったら読んでみてほしい。

生きるのが楽しくなる36のエッセイ。

ブログ「DAIHON屋のネタ帳」2022年9月から23年末のなかから抜粋。


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「まちがった万能感」は捨てられない

 

10時間超のフジテレビの会見。

全部見ていたわけではありませんが、

僕にとっては遠藤副会長の

「間違った万能感を植え付けられた」

という言葉がとても印象に残りました。

 

昨日、壇上に上がって記者会見を行った役員は、

フジテレビ黄金時代をつくり上げた

ディレクター、プロデューサーの皆さんです。

 

35年ほど前、僕はADやリサーチャーをやっていて、

テレビ番組の制作現場にも少し携わっていましたが、

当時は「フジテレビの仕事に携わっている」というだけで

誇らしいこと、優越感を持てることでした。

彼らはいわば業界人のリスペクトを集める敏腕クリエイター、

まさに万能神だったのです。

 

それがあんなさらし者にされるとは・・・。

昨日の記者会見は、

輝いていたテレビ界の落日を見るかのようでした。

 

そして同時に、ひどい矛盾も感じました。

これだけみんながカネ、カネ、カネと言っている

世の中でありながら、

「カネもうけより人権が大事」??

どんな業界の会社にもそれが求められているというのです。

 

でも、本当にそれが実現されている日本の会社は、

フジテレビに限らず、まだほとんどないでしょう。

昭和末期から平成前期、

「カネもうけより人権が大事」なんて言おうものなら

笑いものにされました。

「大事にしてほしけりゃ、面白いもの、

ウケるものを作ってみろ」

そういうなかで勝ちあがってきたのが、あの役員さんたちです。

変わろうにも変われるはずがありません。

 

新刊の「昨夜よりもっといい夢を見る方法」には

「なぜ30年前のトレンディードラマには

お彼岸が出てこなかったのか?」

という一編があります。

まだあの時代を懐かしがっています。

残念ながら、僕もフジテレビの役員さんたち同様、

あの時代の残像に支配され、

まだ頭がちゃんとアップデートされていないようです。

 

過去を清算し、頭をクリーンアップするためにも、

この際、しばらくの間、

彼らが作ったフジテレビ黄金時代の番組を

地上波で一挙に放送してみてはどうでしょう?

出演者の権利問題もあるので、可能な分だけですが。

人が変わるのは、とても難しい。

人が集まって作る組織が変わるのは、さらに難しい。

フジテレビだけじゃありません。

どこの会社も明日は我が身です。

 

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昨夜よりもっといい夢を見る方法

 

「生きる」をテーマにしたおりべまことエッセイ第6集。人生の半分は夜。だったらもっといい夢みなきゃな。そう思ったら読んでみてほしい。

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ブログ「DAIHON屋のネタ帳」2022年9月から23年末のなかから抜粋。


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映画「怪物」と脚本家の来歴、フジテレビのドラマについて

 

是枝裕和監督の映画「怪物」を見た。

息子を愛するシングルマザー、

生徒思いのまじめな小学校教師、

そして無邪気な子どもたちが送る平穏な日常。

それがある小さな事件がきっかけでガラガラと崩れる。

その背後にいるのは、正体不明の怪物。

ひとことで言えば、

タイトルの「怪物」とは誰か?何か?を追究する物語だ。

 

それは親なのか? 教師なのか? 

学校という組織なのか?

それとも子供たちなのか? 

いったい何なのか?

 

前半は学校と家、地域を舞台とした、

リアルでドキドキするサスペンス。

そして後半からクライマックスは、

それが一種のファンタジーにまで昇華する。

 

還暦を超えても全く衰えを感じさせない

是枝監督のクリエイティビティに舌を巻く。

 

音楽は最晩年の坂本龍一。

坂本龍一と言われなければ、

わからないくらい主張は少ないが、

随所でとてもいい味を出している。

 

そして脚本は坂元裕二。

いまや日本を代表する脚本家だが、

彼は1987年に初めて行われた

「フジテレビヤングシナリオ大賞」の受賞者。

つまり、フジテレビが発掘した才能だ。

1991年の、あのフジ・トレンディドラマの代表作

「東京ラブストーリー」の脚本を手掛けた人でもある。

 

坂元氏はその後、テレビ業界が嫌になり、

一時的にテレビドラマの脚本を書かなかったこともあり、

最近はもうプロフィールにも

「東京ラブストーリー」については触れられていない。

 

そんな大昔のことなど持ち出す必要もなく、

クオリティの高い作品をコンスタントに手がけ、

充実した活動を展開しているからだろう。

この作品は、第76回カンヌ国際映画祭の

コンペティション部門で脚本賞も受賞している。

 

そんな坂元氏を輩出した1990年代のフジテレビは、

恋愛を中心としたトレンディから

先鋭的なサイコサスペンスまで、

ドラマの制作能力がとても高く、

TBSと競い合うように傑作・問題作を次々と放送していた。

 

それはもうすっかり過去の話だが、

そうしたコンテンツ制作の資産は残っているはずだ。

サザエさんや、ちびまる子ちゃんや、

ガチャピン&ムックもいる。

このままダメになるのは、あまりに惜しい。

 

けれども再出発のためには今いる、

過去の栄光に浴した経営陣営陣ではダメなことは明らか。

なんとか改革して、また優れたコンテンツ、

動画配信をしてほしいと願う。

 

フジテレビの話に傾いてしまったが、

是枝映画「怪物」はほんとに傑作。

カンヌで認められた、なんて話はどうでもいいので、

ぜひ、このドラマの奥に潜む怪物を

自分の目で発見してほしい。

 


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