「パーフェクトデイズ」 どうせ死ぬのに、なぜ一生懸命生きるのか? を考える映画

 

青く晴れわたった空を見ていると、

なぜか胸が切なくなり、涙が出てくる。

 

歌だったか、小説だったか、忘れてしまったが、

誰かがそんなことを書いていた。

ヴィム・ヴェンダーズ監督、役所広司主演の映画

「パーフェクトデイズ」の感想を一口で言うなら、

そんな映画だ。

 

たんにエンタメとして楽しませてくれるよりも、

いろいろなことを考えさせてくれるのがいい映画、

あるいは、きょうはそういう気分になっている

人にとっては、これほどいい映画はない。

 

役所広司演じる主人公は、トイレの清掃員・平山。

朝、夜明け前に起き出し、支度して仕事に出かけ、

終わると安い飲み屋で一杯ひっかけ、

夜はふとんで本を読んで寝る。

 

その単調な生活、同じような毎日の繰り返しを淡々と描く。

周囲の人たちとの、小さなエピソードはいくつかある。

そして、彼が毎朝、若木に水をやったり、

公園の木々の写真をフィルムカメラで撮ったりする描写も、

そうした命を愛する人だということを伝える。

 

しかし、それだけだ。

平山の生き方を変えてしまうような劇的な展開、

物語らしい物語はいっさいない。

テーマらしいテーマもないように見える。

 

でも、僕はこの映画の秘密めいたテーマを見つけた。

まだ序盤のあたり、同じ清掃員仲間の若い男が

平山の丁寧な仕事ぶりをちょっとくさすように、

「どうせ汚れるんですから」という。

トイレだから当然だ。

どうせ汚れるのに、汚されてしまうのに、

どうしてそんなに一生懸命になって掃除するんだ。

僕もそう思う。

きっと誰もが、若い男のセリフを借りれば、

「10人のうち9人は」、いや、もしかしたら10人が

そう思うと思う。

誰もが豊かで便利で平和に生活できる、この社会では。

 

「どうせ汚れるのに、どうして一生懸命掃除するのか」

これは言い換えれば、

「どうせ死ぬのに、どうして一生懸命生きるのか」

につながる。

平山はきっとそうしたことを考えながら、

毎日のトイレ清掃に励んでいる。

 

それがどんな仕事でも、

ていねいに仕事をすることは、

ていねいに生きることにながる。

ていねいに生きれば、一日一日がきれいに輝く。

そんなメッセージが流れている。

 

平山は現代社会に取り残されてしまったような人だ。

孤独だし、もう若くないし、カネも持っていなさそうだ。

スマホもパソコンも使わなければ、

ボロアパートの部屋にはテレビさえ置いていない。

車は持っているので、ラジオは聴くかもしれないが、

彼がラジオを聴くシーンは出てこない。

車内で聴くのはもっぱら古いカセットテープ。

1960年代から70年代の音楽だ。

 

彼の年齢は60歳前後と察せられる。

要は、学生だった40年ほど前の時代と

ほとんど変わらない生活を送っているのだ。

 

そんな取り残され、落ちこぼれた、

高齢者に近い孤独な男だが、

なぜか周囲の人たちを励まし、

元気づける存在になっている。

先述の若い男もそうだし、

その男が好きになった女も平山にキスをする。

 

極めつけは、中盤で彼のアパートにやってくる姪だ。

高校生らしき彼女は、伯父である平山を慕って、

仕事についてきたり、いっしょに銭湯に行ったりする。

 

この姪との会話のなかで、平山は、

「みんな一緒の世界に住んでいるようで、

じつは別々の世界に住んでいるんだ」

といった意味のことをいう。

 

彼のバックストーリーは一切語られないが、

この姪を連れ戻しに来た母親=彼の妹との短い会話は、

平山の人生を想像させる。

妹は高級そうな車に乗っており、

彼とは段違いの裕福風な暮らしを送っていることが

見て取れる。

また、彼の父親は高齢で認知症らしく、

施設に入っているようだ。

 

実家はかなりの資産家で、

長男である平山は、父の生き方に反発し、

家を出たまま、齢を重ねてしまったのかもしれない。

妹とは同じ家庭で育ちながら、

互いにまったく違う価値観を持った人間になってしまった。

けれども、きょうだい仲は悪くない。

姪の家出もそんなに深刻なものではなく、

母親に素直に従って帰っていく。

けれども彼女にとって、伯父の持っている世界は、

一種の憧れに満ちた世界として映っている。

 

この姪や、仕事仲間の男、そのガールフレンドらは、

みんな若く、軽やかに、

面白おかしく生きているように見える。

けれどもその裏側に漂う切なさは何だろう?

彼女らは、平山の存在に何を感じていたのだろう?

それはきっとこういう予見だ。

 

わたしも、おれも、いずれ齢を取り、死ぬ。

それまでどう生きればいいのか?

 

そうした思いにあまり齢は関係ないのかもしれない。

 

映画の終盤、彼が最後に励ますのは、

行きつけの飲み屋のママのもとを訪れた男である。

平山と同年代らしいこの男は、ママの元夫で、

ガンでもう寿命があまりない。

それで別れた妻に最後に会いに来たという経緯だ。

「結局、何もわからないまま終わっていく」

という男のセリフは胸に刺さる。

そんな男をやさしく励ます平山のふるまいは、

ひどく感動的だ。

 

平山の人生はこの先、劇的に展開する気配はなく、

きっと彼はこのアパートの一室の片隅で、

野良猫のように一生を閉じるのだろう。

 

社会に置き去りにされた、底辺のエッセンシャルワーカー。

高齢者に近い孤独で無口な男。

そんな彼の存在にも価値がある。

1本1万円で売れる、

聴きつぶした中古のカセットテープのように。

 

彼の人生は輝いている。

一日一日がパーフェクト・デイ=完璧な日だ。

 

このタイトルは、ルー・リードが、

1972年に発表した同名曲から取ったものだろう。

晴れわたった青空を想起させるような、

美しいが、ひどく物悲しい旋律に乗せて、

意味深な歌詞が繰り返される。

 

Just a perfect day 

ただただ完璧な一日

 

You just keep me hanging on 

君は僕をかろうじて生かしてくれている

 

You're going to reap just what you sow 

自分の蒔いた種は、すべて刈り取らなくてはいけない

 

2023年のカンヌ映画祭など、

世界的に評価された作品であることは

あまり意識せず、

素直にありのままの気持ちで見た方がいい。

そうでないと、この映画の真価は見えてこない。

 

ヴェンダースの作品はむかし何本か見たが、

若い頃の自分にとっては退屈だった。

たぶんヴェンダース映画を見るのがイケてる、

カッコいいといった意識が入っていたからだろう。

 

これはシニアの自分には面白く見られたが、

若い人には退屈かもしれない。

でも、自分の目で見てほしいと思う。

 

「ベルリン天使の詩」「パリ、テキサス」など、

かつてはつまらないと思ったヴェンダース作品も

齢を取った目でもう一度、見てみたいと思う。

新しい何かを発見できるかもしれない。