恐怖の巨匠・楳図かずお先生逝去

 

わが「恐怖」の原点。

かつて子どものマンガに確実に

「恐怖」というジャンルがあった。

その創始者であり、第一人者であり続けたのが、

楳図かずおだった。

 

小学校の低学年の頃、

わりとお金持ちの、仲の良い女友だちがいて、

その家によく遊びに行っていたのだが、

そこに楳図マンガが連載されていた

「少女フレンド」(だと思った)が揃っていて、

その置き場所には怖くて寄りつけなかった。

 

「リング」の貞子が

テレビの中から抜け出してきたように、

雑誌の中から「へび女」とか「ミイラ先生」が

這い出してくるのを想像していたのだろうと思う。

 

その後、少年漫画誌で「猫目小僧」とか、

「半魚人」とか「恐竜少年」とか、

いろいろな楳図製恐怖マンガを読んだが、

なぜか少女系のほうが圧倒的に怖かった。

「女は怖い」という、僕の感情のOSは、

楳図かずおによって生成されたのかもしれない。

 

うちの母親がもっと美人で優しかったら、

「この人、へび女にならないだろうな」

と思ったかも‥だが、幸か不幸か、

あんまりそういう雰囲気の人ではなかったので

助かった(?)

いっしょに住んでいた若い叔母は

ちょっとその方面の雰囲気を持っていたような気がする。

 

それにしてもあんな怖いマンガを

毎日、描きまくっていた、

当時の楳図かずおの頭の中は

いったいどうなっていたのだろう?

ご本人は「ぜんぜん怖くなんかないですよ」と

言っていたが、自分なら気が狂いそうだ。

 

その後、ギャグやSFの分野でも

とんがった才気を見せつけ、傑作を量産。

しかもそうした恐怖、怪奇、ギャグ,SF、

ファンタジーなど、それぞれの要素が

重層的にクロスオーバーし、

誰にもまねできない「楳図ワールド」を構築した。

 

そして、その核には「人間」がいて、

人間が奥底に持つカオスのようなものについて

考えさせられる。

 

楳図かずおは人間の深いところを、

その不可解で不可思議な在り方を、

とことん掘りまくることによって、

最も原始的な感情である「恐怖」をベースとした

独自の世界をつくり上げたのだ。

 

そういう意味で

「まことちゃん」は「猫目小僧」の弟であり、

「おろち」は「へび女」の娘であり、

「漂流教室」と「14歳」「わたしは真吾」などは、

同列に展開するパラレルワールドになっている。

 

個人的に最も胸に刺さったのは、

連作オムニバス「おろち」の「秀才」だ。

 

「おろち」は、不滅の存在である少女

(萩尾望都「ポーの一族」のバンパイアに似ている)が

時空を旅して、人間界のさまざまな時代・場所で、

人間同士の感情が絡み合って起こるドラマに

関わっていくという話。

 

「秀才」はそのかなの一遍で、

教育ママとその息子の物語だが、

それまで持っていた「オバケマンガ」の概念を破る

深い人間ドラマに驚愕した。

 

読んだのが小学校高学年で、

大人のドラマに興味を持ち始めた時期だったので、

よけい感動したのかもしれない。

 

「秀才」は今でも十分通じるドラマで、

現代社会における母親という存在の

愛の深さゆえの罪深さを描き出した傑作だ。

 

まちがいなく歴史に名を留める漫画家・芸術家。

日本のマンガ文化の重要なパーツとなる孤高の作家。

そして最後まで自分のぶっ飛んだ個性を貫き通した

楳図かずお先生。

人間の怖さ・驚くべき世界を見せてくれてありがとう。

ご冥福を祈ります。