小説は感情の記憶 誰にでも書ける

 

11月の花はリンドウ。

行きつけの花屋さんをモデルにした小説を書いてる。

1万字~1万5千字程度の短編にしようと

夏の暑くなり始めた頃から書き出したのだが、

いろいろ話が展開し、

途中で止まったりして、かれこれ4カ月。

2万5千字を超えたところで

やっと完成のめどが立ってきた。

年内には何とか出版できそうだ。

 

今年は春先に長編を1本書き上げたので、

あとは短編を2~3本書こうと思っていたが、

かなり苦戦した。

ちょっとと体力が落ちて疲れやすくなり、

感情の流れの混乱がうまく収拾できないことが増えた。

 

小説は普段書いている文章と違って、

事実を綴ったり、理屈をこねたりするだけでなく、

それらと合わせて

自分の感情を掘り起こす作業だと思っている。

 

ぜひ表現してみたい感情があって、

それを登場人物のセリフにするために、

ストーリーや場面設定を作る場合もある。

 

逆に思いついたストーリーに引きずられて、

すっかり忘れていた感情がよみがえったり、

まったく思いもかけなかった感情が

登場人物のセリフに乘って現れたりする。

 

どっちも面白いが、根気よく書き続けないと出てこない。

アスリートと同じで、

つねに体のコンディションを整えていないと、

自分の感情と格闘できないのだ。

 

最近は最初のプロットを作る段階で、

AIと会話してヒントを得たりする。

感情を引き出せるストーリー作りのためなら

AIに手助けしてもらうのもよし。

そうして作ったものを何本か塩漬けしてある。

 

僕たちは日々、

自分の感情をあまり表に出さないように

コントロールしながら生活している。

読む相手がいる限り,SNSでも

感情全開でぶちまける、というわけにはいかない。

 

感情を抑えつつうまくやっていくためには

いろいろな方法があるが、

小説というフィクションの形にして

表現するという仕事は、

ひとりでできるし、場所も問わないし、金もかからない。

 

小説はただ感情をぶちまけるのでなく、

ストーリーやキャラクターとともに

一つの作品として形にするので、

よりクリアな記録して、貴重な人生の記憶として

遺すことができる。

 

今、小説は誰にでも書ける。

文才なんていらない。

僕がそのいい例である。

自分で面白いと思えるアイデアがあれば、

AIの助けを借りて、

オリジナルストーリーを作ってみればいい。

それが人にウケるかどうか、

読んでもらえるかどうかは、また別の話だけど。