ライティング脳のサイボーグ化?

 

サイボーグ取材ライター、奮闘中。

先週、取材した山梨のお寺の記事を執筆。

今回は最初の構成、締めのリード文、

そしてメインタイトルをAIに相談しながら書いてみた。

 

構成作成には取材音声の文字起こしと

ホームページなど、ネット上の資料を

合計1万字ほど、

 

リードとタイトル作成には同様に、

自分で書いた本文を5千字ほど、

プロンプト内に「思考ヒント」として

読み込ませた。

 

これだけの分量を食わせても、

あっという間に消化吸収して、

数秒のうちに回答を出してくるのが、

AIのすごいところ。

ただ、出してきたものはどれもイマイチだ。

まぁ、いろんな情報を

よくまとめているけどね、という感じ。

 

基本的に現在の生成AIは、

誰からも文句が出ないよう、

優等生みたいな文章を提案してくる。

いかにもビジネス文書っぽい、

キレイキレイした文だ。

 

一見、内容はちゃんと把握されており、

無難でよくまとまっている。

だからつまらない。

だからAIくさい文章になっている。

 

SEO記事などを求める企業が

ライターに生成AIの使用を禁止するのは、

著作権問題もあるが、

一番大きいのは、この「AIくささ」が匂うからだ。

大半の企業は、「AIを使ってもいいけど、

出力した文章そのままはNG」という。

少なくとも、人の手で加工してね、ということだ。

 

だから、AI使って楽に、速く、たくさん書こうと

目論んでも仕事はすぐに途絶える。

決まったマニュアルや形式的な文書ならともかく、

雑誌やウェブや書籍の“読んで楽しい”原稿を

AIを使って書くのは、かなりの手間ヒマがかかるのだ。

 

今回の構成・リード・タイトル、

どれも何度か書き直させたが、

結局は、AIの提案を却下して自分で書いた。

 

じゃあAIを使うのは無駄かというと、

そんなことなはい。

自分一人でやっていたら、

おそらく思いつかなかったであろうフレーズや

言葉の組み合わせを出してくる。

それに一人でゼロから書くよりはやはり楽だ。

AIの提案を参考にできる部分は多い。

 

そのためには1回提案させて終わりにするのでなく、

何度もしつこく、もっとこうできないかとか、

こんな感じで文章を作れないかとか、

もっと楽しく、面白くできないかとか、

しつこく要求することが大事である。

 

そして、ただ要求するだけでなく、

AIの人格(?)を認め、対話すること、

つまり手を抜かないで、できるだけ丁寧に、

こちらの要望・台詞をプロンプトに

書き込むことが必要だ。

 

それを繰り返していると、

AIが自分用にカスタマイズされてくるように感じる。

言い換えると、AIとのコミュニケーションによって、

自分のライティング脳がサイボーグ化されてくる。

 

ネット上の情報を集めて作る記事ならAIでも書けるが、

取材記事(一次情報を必要とする記事)は、

まだ当分、AIには書けない。

 

うまくAIをパートナーにし、

脳をサイボーグ化していけば、

まだまだ人間ライターが活躍する場は減らないだろう。