1300年前の仏像がもたらした日本のワイン文化

 

先日、取材で訪れた山梨県甲州市勝沼の

“ぶどう寺”大善寺。

ここの本尊の薬師如来は、

手にぶどうを持っている。

この像が最初に作られたのが1300年前の奈良時代。

現存しているのは作り直されたものだが、

それでも1200年前の平安時代初期というからすごい。

 

それほど昔からこの土地には

ぶどうが豊富に実っていた、ということを意味する。

 

江戸時代に甲州街道の宿場町となった勝沼では、

今ごろの季節になると、街にぶどうが出回り、

江戸へお土産に買っていく人も多かった。

 

「勝沼や 馬子も葡萄を喰いながら」

という俳句も残っており、

これは江戸時代中期の俳人「松木珪琳」の句だが、

長らく松尾芭蕉の作品だと伝えられてたらしい。

むかしは(今でもだが)、俳句と言えば、一般人は

松尾芭蕉しか知らないので、

そうしておいたほうがブドウが売れる、

という商売人の知恵だろう。

 

 

ただ、ワインを飲む習慣が日本人の間に根付くには、

明治の勃興期から100年の年月を要した。

明治・大正・昭和の日本人は、

ビールやウイスキーは飲んでも、

ワインを飲む人なんて、ほんのわずかだっただろう。

 

日本人が好んでワインを口にするようになったのは、

豊かさが定着した始めた80年代、

もしくはバブル期以降と言ってもいいかもしれない。

 

それまで日本人の多くはワインと言えば、

「赤玉ポートワイン」に代表される、

砂糖を混ぜたような甘ったるい酒だった。

僕も中学生の頃、

友だちとクリスマスパーティーで飲んで、

ひどい目にあったことがある。

 

一般庶民が気軽に海外へ旅行に出かけるようになり、

フランス産やイタリア産のワインを口にして、

ちょっとスノッブな気分でうんちくを語るようになった。

その頃はまだワインと言えば、輸入ワインで、

やっぱりヨーロッパ産に人気が集まった。

 

 

山梨県で作る「甲州ワイン」に脚光が浴びるのは、

その後の和食ブームから。

ヨーロッパ産のワインは、基本的に肉料理や乳製品、

魚介類でも濃厚なソースを使った

料理に合うよう作られている。

アメリカやオーストラリア、南米産も同様だ。

 

だから、すしや刺身に合わない。

いっしょに口にすると、魚が生臭く感じらてしまうのだ。

そこで、おとなしい、さっぱりした味わいの

国産ワインが人気になった。

 

そういう意味では勝沼がワインの産地として

注目されるようになったのは、ごく最近のこと。

まさに大善寺の「ぶどうを持った薬師如来」が、

1300年の時を超えて、

この土地に新たな恵みをもたらしてくれている。

お寺を大事にしてきた住民たちへの御利益と言えそうだ。