父もむかし子どもだった

 

今日は父の96回目の誕生日だった。

といっても、もう16年前に亡くなっている。

生きている間はまったく意識したことなかったが、

亡くなってから

昭和3(1928)年8月30日という誕生日が

気になるようになった。

 

親も昔は子どもだったという不思議。

あたりまえのことだけど、

子どもの頃は、大人ははじめっから大人で、

父や母に子ども時代があったなんて夢にも思わなかった。

そういうことを考えるようになったのは、

亡くなってからだ。

 

父は東日本大震災も、令和という元号も、

コロナ禍も知ることはなかった。

その代りに、太平洋戦争や高度経済成長や、

昭和から平成の金満日本を体験した。

 

ただの庶民、ただの肉体労働者で、

政治活動・思想活動などとは縁がなかったけど、

10代の多感な時期に終戦を迎えたせいか、

戦後の大人たちの裏切りに腹を立てていて、

子どもだった僕に、よくそういう話をしていた。

 

とくに説教じみた話じゃなかったけど、

やはり父はすでに大人だったので、

子ども心にはリアリティがイマイチで、

「またか」という気持ちで聴いていた。

本当はもっとちゃんと聞いておくべきだったんだよな。

せめて生きている間に。

 

親孝行とは、母の日や父の日にプレゼントしたり、

温泉旅行に招待したりすることじゃない。

 

父も母も昔は子どもだったということを想像して、

大人になった姿と結びつけることだ。

でないと、まともにコミュニケーションできないまま、

親子関係は終わってしまう。

大切な時間のはずだけど、

人生においてそうした時間はあまりに少ない。