「10代が!」と連呼する大人の気持ち悪さと 「母親になる可能性を持った身体」について

 

「10代が!」

パリ五輪のスケートボード競技で

日本勢が大活躍。

それも選手は中高生の10代ばかり。

 

それで中継アナウンサーも、キャスターも、

コメンテーターも、いろんなマスコミも、

「10代が!」の連呼になる。

 

もちろん、その後には、

「躍動」とか「羽ばたいた」とか「恋した」とか、

ポジティブなボキャブラリーを駆使して称賛する。

 

どうもそれが

「どうせ俺たちゃトシなんで~」

という大人の自信のなさと、

「子供なのにがんばってるね~」

という上から目線と、

「あとはあんたらに任せたよ~」

という無責任さが混じり合った

複雑怪奇なニュアンスが感じられて

どうにも気持ち悪い。

 

「10代が!」というけれど、

見ていると、日本だけでなく、

どの国の選手もほとんど10代。

つまり、この競技は軽やかな身のこなしができる子ども、

子どもが言い過ぎなら、まだ大人になり切っていない

10代ならではのものではないのか?

 

男子の場合はちょっと事情が違うが、

女子の場合は10代も上のほうになると、

胸やお尻が大きくなり、脂肪もついてきて

女性らしい体型に変わってくる。

 

体操やフィギュアスケートもそうだが、

そうした女性体型になると、

身体が地球の重力になじみ(簡単に言うと重くなり)、

あれだけ難易度の高い技やキレのある技を

軽やかにこなすことは

難しくなるんじゃないかなと思う。

 

あれはまだ女性の身体が完成しない、

少年体型の少女だからできることで、

大人になってきたらあそこまで危険な技に

チャレンジできないんじゃないだろうか。

 

それは恐怖心ともかかわっている。

肉体のみならず、精神的にも「女性」になってくると

身体を防衛するための恐怖心が芽生えて、

チャレンジするのが怖くなると思う。

 

その恐怖心は個人的なものではなく、

「母親になる可能性を持った身体」を守る

種としてのアラートみたいなものだ。

人間にもそういうモノが心の奥底に備わっている。

好む・好まざるに関わらず、

女性は産む性であり、

子孫繁栄の役割りを担う存在だ。

自分の身体は自分だけのものではなく、

未来の子供たちのものでもある。

 

実際、メダルを獲ったあの子たちは

練習中に大けがを経験しているという。

スポーツにけがは付き物だが、

自分で自分がやっていることの責任を、

まだ負えない小学生の頃から

ハードなトレーニングをし過ぎて、

後の人生に影響は出ないのか?

 

親をはじめ、周囲の大人は過度な期待をしていないか?

オリンピックというステージは、

そうしたこともドラマや美談にすり替えてしまう。

メダルの獲得の栄光や喜びよりも

僕はそっちの方が気になってしかたがない。

 

もともと都会の子どもたち・若者たちの

自由な遊びだったスケボーが、

オリンピック競技になったことは本当によかったのか?

 

国の威信に関わるイベントの種目になったことで、

大人の利権やら欲望やら、

いろいろな思惑がベタベタ絡みついてくる。

あの「10代が!」の連呼には

そんな裏事情のニュアンスも潜んでいる気がして、

かなり複雑な心境になってしまうのだ。