長年書き続けた理由を尋ねると
「分からないことに立ち向かうためです」と言い切った。
一昨日、亡くなった唐十郎さんが
記者に向かって言ったセリフ。
カッコいい。
わかっているから書く、のではなく、
わからないことを自分に問い、文字にする。
わからないから書き続ける、創作し続ける。
すると脳の奥深くにある泉から物語が湧き出てくる。
また、別の記事では、
「僕は書きながら考えていくんです。
テーマ、モチーフを決めないで、
1点だけ入り口を見つけて、あとはペンが走るまま」。
天才だからそうやってできたのだ、
と言えばそれまでだが、
作品のレベルは違えど、
僕にもそういうふうに書けることがある。
誰でも自分の中に表現するための水脈を持っている。
要は掘り進める勇気と技術があるかだ。
どこをどう掘れば水脈に当たるか。
唐さんは熟知していたのだろう。
その脳の奥にある泉は広く、深く、
自分を掘りまくって膨大な作品を残した。
芥川賞をはじめ、数々の文学賞を獲りまくったが、
小説もエッセイも映画もテレビも
唐さんにとってはオマケみたいなもの。
メインの仕事、主戦場は、
あくまで自分が主宰する紅テントの芝居—ー
状況劇場・唐組で上演する戯曲であり、
演出であり、出演で、
最後までいっさいブレることはなかった。
大学教授などもやったが、それも人生の付録みたなもの。
自分では教授役を演じている、
といった意識だったのではないだろうか。
華やかな場所や国際的な名声にも興味がなかったようで、
とにかく死ぬまで芝居をやり続けられられれば満足、
幸せだったのだと思う。
唐さんの訃報を聴いた後、
どうも落ち着かず、仕事も進まない。
きょうは少し昼寝をしたら、
状況劇場の芝居を観に行ったときの夢を見てしまった。
年内に唐作品のオマージュのようなものを書きたい。
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