先週まで渋谷ヒカリエでやってた「Deathフェア」は、
「よりよく生きるために死について考えよう」
という趣旨のイベントだった。
渋谷という場所がら、中高年だけでなく、
若い人も大勢集まってきた。
主催の人にインタビューしたところ、
(まだデータを集計していないが)
20代から90代までまんべんなく来場した、
という話だった。
たぶん中には10代も混じっていただろう。
若者が死について考えるのはおかしい、危険だ、
という人も少なくないが、
むしろ思春期のほうが成人してからより
死について思いを巡らすことが多いのではないかと思う。
それを単純に自殺願望などと結びつけ、
命の大切さを説きたいと思うおとながいて、
まわりであーだこーだ言うから
かえって生きることが息苦しくなってしまうのだ。
僕もよく死について考えた。
マンガも小説も映画も演劇も死に溢れていた。
逆に言えば、それは「生きるとは何か」
という問いかけに満ちていたということでもある。
いまの若者は・・・という言い方は好きでないが、
僕たちの時代以上に、
いい学校に行って、いい会社に就職して・・といった
王道的な考えかたに、みんが洗脳されている印象がある。
だから志望校に入れなかったら人生敗北、
志望した会社に入れなかったらもう負け組、
残った余生を負け犬としてどうやり過ごすか、
みたいな話になってしまう。
そうした展開の方が死に興味を持つより、
よっぽど危険思想ではないか。
人生計画を立てる、
キャリアデザインを構築するという考え方も
言葉にするときれいで正しいが、
若いうちからあまり綿密に
そういったデザインとかスケジュールにこだわると、
これまたしんどくなる。
人生、そんな思った通りになるわけがないし、
そのスケジュールの途中で、
AIやロボットが進化して仕事が消滅、
キャリアがおじゃんになることだってあり得る。
「Deathフェア」に来ていた若者は、
そうしたしんどさ・息苦しさ・
絶望感・不安感みたいなものを抱えて、
いっぱいいっぱいになってしまって、
「じゃあ、終わりから人生を考えてみようか」
と思って来てみた、という人が多いのではないか。
いわば発想の転換、
パラダイムシフトを試みているのだと思う。
それってものすごくポジティブな生きる意欲ではないか。
あなたが何歳だろうが死はすぐそこにある。
同時に「生きる」もそこにある。
社会の一構成員でありながら、
経済活動の、取り換え可能なちっぽけな歯車でありながら、
絶えず「自分は自分を生きているのか?」
と問い続けることは、とても大事なことだと思う。
たとえ答えが出せず、辿り着くところがわからなくても。
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