渋谷のヒカリエで「Death Fes」が
明日18日まで開かれている。
「死のフェスティバル」という名からは
想像できないほどのポップさ・楽しさ。
こんなイベントを文化発信地・渋谷のど真ん中でやるのは
本当に画期的なことだ。
来場者も特に年代によって大きな偏りがあるわけでなく、
20代から90代までまんべんなく訪れ、
土日は大いに盛り上がったようだ。
「月刊終活」の記事にするので、
今日は主催者である一社「デスフェス」の
代表二人にインタビューした。
二人とも起業家の女性。
「月刊終活」の仕事をしていて思うのは、
エンディングに関わる仕事を始めるのは、
なぜか女性が多いということ。
もちろん、歴史のある葬儀社・お寺・石材店などの業界は
もろに男の世界だが、近年スタートアップしたところ、
イノベーティブな製品・サービスのプロデュース、
ユニークな活動をしている会社・団体は
圧倒的に女性が多く、活躍している印象が強い。
日本だけでなく、
アメリカ発の「堆肥葬(遺体を堆肥化して土に戻す)」や
スウェーデン発の「フリーズドライ葬
(こちらは遺体をフリースドライ化)」を開発し、
普及に努めているのも女性CEOである。
2022年5月、二子玉川で行われた「END展」でも
女性のキュレーターが主導し、
来場者の3分の2は女性だった。
もちろん、死は男女平等に訪れるものだが、
死に関心を持ち、深く追求するのは女性が多い。
「なぜだろう?」と主催者のお二人にも質問して、
思うところを答えて戴いた。
理由は複数ある。
一つは長らく続いた男性中心の家制度が終わりを迎え、
個人単位の社会に変わりつつあること。
そういえば30年ほど前に僕たちの母親世代が、
夫(の家)と同じ墓に入りたくないという議論が
マスメディアを通じて話題になった。
従来の社会制度に異を唱えるのは女性であり、
彼女らのほうが発想も自由で柔軟性・革新性がある。
母親世代でできなかったことを
娘世代が果たそうと今、がんばっているということか。
もう一つ、これは僕の見解だが、
命を産む性であることが関わっているように思う。
男はどう逆立ちしても子どもは産めないが、女は産める。
産めるがゆえに肉体の変化も大きく、
初潮・出産・閉経など、
いわば人生のなかで何度も「死」に近い経験をし、
その都度、少女から女へ、女から母へ、
母からまた新たな女へ生まれ変わる。
また、社会人として仕事をすれば、
妊娠・出産で仕事を辞める・辞めないの選択、
それ以前に子どもを産む・産まないの選択など、
ドラマチックな決断を迫られる。
だから死を最後のライフイベントと捉え、
最後まで人生を楽しみたい、
一生懸命生きたご褒美として
楽しく美しく弔ってほしいという気持ちが湧く。
そこからいろいろな想像力が働くのだろう。
言葉を変えると、
男より女のほうが生きることに貪欲なのかもしれない。
場内の展示の一つに、
ウエディングドレスをリメイクして
金婚式や銀婚式、還暦や古希のお祝いや、
最期の衣装として納棺時にも着用できる
「イルミネートドレス」なるものがあった。
これまで純白のドレスを着るには一生に一回、
結婚式の時だけのはずだったが、
これからはそうでなくなりそうだ。
試着した人たちは皆、幸福そうに笑っている。
死を変えることによって人生も変わる。
こんな喜びがあるのなら、病気も老いも死も怖くない?
そう考える女性が増えるかもしれない。
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