子育てには卒業があるが、親の介護に卒業はない。
強いていえば、親が亡くなり看取ることか。
でも、あえて卒業を設けるべきではないかという気がする。
今の生活を始めて今年6月で5年になるが、
5年やったら、卒業資格を得てももいい。
誰もそんなことは言ってないし、認めてもくれないが、
これは自分(とカミさん)で決めた。
義母は先週、89歳になった。
90歳まであと1年。
体はまだまだ元気なので時々忘れてしまうが、
彼女は認知症という病気持ちである。
気になることはいくつかある。
まず、幻視・幻聴が増えていること。
今年になってから、
昨年の誕生日プレゼントにあげたネコちゃんと、
京都のお土産のお地蔵さん人形を返しに来た。
「話が合わない」とか
「部屋のなかにいてほしくない」といった理由を言う。
「どうせ次の日には忘れているよ」と
カミさんと示し合わせ、散歩に出ている時とか、
デイサービスに行って留守の時などに
部屋に戻しておくのだが、やっぱり何度も持ってくる。
そんなことが3回ほどあったので、
これは本気(?)だと思い、
しかたなく引き取ることにした。
そういえば、現実の世界でも
ネコやお地蔵さんは避けていたことを思い出した。
ちょっと怖いのかもしれない。
前にも書いたが、
義母は母譲りの霊能力らしきものを持っており、
それをずっと封印して生きてきた人である。
認知症になったことでその能力が徐々に解放され、
見えない世界と交流ができるようになり始めているらしい。
ちょっと冗談めかしてい書いているが、
認知症の症例を見ると、
幻視・幻聴で錯乱状態に陥ることが結構あるという。
今はまだ笑って受け止めらるレベルだが、
この1年くらいでこうしたことがかなり増えたので
エスカレートしないとも限らない。
そのほか、月に一度くらいの割でブラック化し、
普段とはまったく違うダークサイドを
垣間見せることもある。
老人はか弱き者というイメージがあるが、
認知症患者は脳のリミッターが働かず、
すごい力を出すこともあるらしい。
僕たちに肉体的・精神的なダメージを与えることがあれば、
即刻離れるべきだとも思っている。
多くの場合、施設に入れるのは別れを意味している。
僕が知る限り、住み慣れた家から施設に移った
老親の寿命はけっして長くない。
理由はたぶん二つ。
環境が変わって心も体も拒否反応を起こす。
そして面倒を見るのに限界があり、自由が奪われる。
ただ20年・30年前より、高齢者施設は各段に
良い環境になっており、面倒見もよくなっている。
けれどもスタッフは家族でも親友でもない。
(ごくまれに親友になるケースもあるかもしれない)
それほど献身的なケアをお願いするわけにはいかない。
そんなわけで親を施設などに移すのは罪悪感が伴う。
無責任に非難する人もいるだろう。
いま、二人でがんばっているのは、
「ここまでよくやった」という自己満足を得るためだ。
そして罪悪感を抱くことなく、
後悔を残すことなく、介護から卒業して、
新しい人生を歩みたいからだ。
だから5年で卒業資格。
その家族によって事情が違うので、
どのケースにも当てはめられるわけではないが、
限界ぎりぎりまで頑張って
自分の人生をつぶしてしまうべきではない。
もちろん、うちも義母が現状を維持でき、
変わらず楽しく暮らしていけるなら、
1年ずつ更新していく。
そうしたルールでやっていきたいと思っている。
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