パート2.麟風寺の遺産①
「ガチか?イッピコ、おまえヤバイんでねぇの?」
川西大善の口からはおよそ僧侶とは思えない
俗っぽいセリフが飛び出す。
「なんで事前に相談しなかったのさ?」
「一度連絡しただろ。けどプーちゃん、忙しそうだったし」
大善は、はたと自らを振り返る。
「そういやそうだった。けっこうテンパってたかもね」
麟風寺の住職になって半年。
大善は先代住職の父から引継ぎで、
なんやかんやとバタバタしていたことを思い起こした。
愛称は「ダイちゃん」でなく「プーちゃん」。
麟風寺のプーから来ているのだが、
そこに彼の持ち味であるのんきな性格も加味されている。
大学を出た後はそれこそプータローとして、
2年ほど外国を放浪していた。
「坊主にはならねえ」が子どもの頃からの口癖だったが、
結局、頭を丸めて修行に出たあと、
実家に戻り、坊主稼業を継ぐことに決めた。
麟風寺は故郷にあるお寺で、
その若い住職は一彦の幼なじみであり親友だった。
「いや、そりゃ帰ってきてくれたのはうれしいけどさ、
せっかく東京でちゃんとした会社に就職したのに・・・」
「もったいないってこと?」
「そう思うでしょ、誰だって」
「おまえが人生相談で言ってることと違うな」
大善はインターネットの「お坊さんに相談しよう」
というサイトで人生相談に応じている。
「プー坊主」というのは彼の売りだ。
「悩んだら自分に正直になりましょう。
心の声を聞きなさい。
好きなことを優先しましょう、とか」
「まあ、そうだけど」
「先のことを考えすぎです。今を生きましょう、
とかなんとか」
「いや、それとこれとはべつで」
「そんなの無責任だろ」
「だってさ、おれはおまえが羨ましかったわけ」
そう言って大善は子ども時代と変わらないまなざしで
一彦を見た。
麟風寺の宗派では頭を剃る戒律はない。
修行を終えて戻ってきてからは普通に髪を伸ばし、
袈裟も着ていないので、大善はまったく僧侶には見えない。
二人は本堂に隣にある住居の一室で話をしている。
ここも二人が子どもだった頃のまま、
ほとんど変わっていない。
「おれは跡取りだからさ、
ここから離れられなかったんだ。
660年の歴史がこう、ずしっとのしかかってな」
大善は重い荷物を背負うようなお道化たしぐさを見せた。
「こう言っちゃなんだけど、
親父はいい時に仏様の世界へ行ったよ。
やれやれ、これからどうすりゃいいのやら」
「ひどい住職がいたもんだな。
そのセリフをお檀家さんたちに聞かせてあげたいよ」
「どうぞお好きに。お檀家さんもめっきり減っちゃってね、
もうお布施も集まらなくて」
二人の故郷はすごい勢いで過疎化が進んでいる。
自然の恵みに溢れた美しい村なのだが、
ここで生まれ育った多くの子どもたちにとっては
そうではない。
それぞれの家はきれいで新しい住宅に建て替えられ、
電化製品が行きわたり、豊かで便利な生活を送っている。
にも関わらず、いまだに昔ながらの差別意識と
おかしな因習が残る閉塞的な暗いムラなのである。
だからみんな成長し、
中学や高校を卒業するとさっさと都会へ出て行ってしまう。
大学に入れば、そのまま大都市圏の会社に就職だ。
そうでなければフリーターをやりながら
自分の好きなことをやったり起業をめざす。
一彦はそれなりの規模の旅行会社に就職したものの、
2年と経たないうちにもう退職と起業を考え出した。
起業して自分の会社を持つという漠然とした夢が
日に日に膨らみ、週末ごとに起業サークルに通い始めた。
最初はいろんな仲間がいて面白かった。
けれども何回か通ううち、じつはみんな、
大して本気じゃないことに気付いた。
口当たりのいい自己啓発書を読み漁ってヴィジョン、
言い換えれば自分に都合の良い“妄想”を膨らませ、
「起業家」「経営者」という名の職業に就こうとしている。
だから何か手っ取り早く稼げる仕事はないか。
あわよくばその稼ぎを投資に回して
資産を作って早期リタイアできないか――
そんなことばかり考えて、
いわゆるビジネスチャンスを探しまわっている。
何よりも彼らには、仕事に対する愛情が
決定的に欠落していた。
市場のニーズと言えば聞こえがいいが、
今、儲かりそうならどんな仕事でいい。
効率よくやって効率よく金を稼ぐ。
それで成功している人を見ると、
自分にもたやすくできそうな気がしてくる。
しかし、そうなるためにはやはり特別な才能がいるのだ
ということにも気がついた。
仕事に対する愛情の欠落――
つまり好きなこと、やりたいことがないことは
自分もまったく同じだった。
一彦は割と器用で、
何をやってもだいたいのことはうまくできた。
人間関係もどう立ち居ふるまえばいいか
頭が素早く回転した。
女にだってそこそこモテる。
傍目にはわりかし優秀な人間・スマートな男と
映っているはずだ。
しかしそれだけだ。
その分、がんばってやり抜きたいと思うことは何もない。
この女のためなら何でもすると思うこともない。
すべてそこそこで、ほどほどで、
このままいけば平均的な日本人はこうあるべき、
みたいな人生を歩めるだろう。
人は彼を見て、これこそ幸福と思い、
中には羨む人もいるかもしれない。
だけど、それが何なんだ?
うすっぺらいペラペラな人生。
彼の胸にはぽっかりと大きな穴が開いていた。
起業サークルに通って学べば学ぶほど、
その穴はどんどん大きくなっていった。
それは怖ろしいことだった。
この先、何十年も続く人生を
いったいどうやって生きていけばいいのか
見当がつかなかった。
マイケルのサイトに出会ったのはちょうどそんな時だった。
特に恐竜が大好きというわけでもなかったが、
彼のサイトを目にするうち、
からからに乾いた心が潤い、
みるみる小さなオアシスが育っていく。
しだいに心の中に夢が芽生えた。
自分の故郷で、現代の恐竜伝説を創る。
それによって旅行客を呼び寄せ、新たな観光名所にする。
おれみたいな人間が、どうしてそんな荒唐無稽な話、
幼稚な妄想をマジになって考えているんだ?
最初のうち、自分が自分を信じられなかった。
しかし、これはただの夢物語ではない。
なぜなら根拠がゼロではないからだ。
つづく
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