1963年のヒット曲で、
60年代アメリカンポップスの人気ナンバー。
僕は四半世紀前に、ザ・ピーナッツを模した
双子の女の子歌手のショーの台本を頼まれて
書いたことがある。
彼女たちはオールディーズポップス
(50年代後半から60年代前半)
を歌うデュエットだったが、
最も得意としていたレパートリーが、
この「涙のバースディ・パーティ」だった。
その双子デュオの印象が残っているので、
「可愛い歌」「可愛い歌手」というイメージが強かったが、
この曲をヒットさせたレスリー・ゴアは、
ちょっときつそうなヤンキーねえちゃんという感じ。
中学の英語の教科書に出てくる
アメリカンファミリーのお母さんみたいな髪型を
していて、ちょっとおばさんっぽいのだが、
この頃はまだ10代だったという。
これはカバーだが彼女のデビュー曲で、
同時に、かの大プロデューサー、
クインシー・ジョーンズの若き日の
初プロデュース曲でもあった。
歌詞のストーリーは、
誕生日パーティーで恋人のジョニーがいなくなり、
一度消えて再び姿を現したジュディという女の子が
「彼の指輪をはめている」。
なんてこと!
それで「これは私のパーティー、泣きたくなったら泣くわ」
とリフレイン。
この時代の日本のレコード会社は、
女性歌手が歌っていれば、
内容に関わらず、なんでもかんでも
「悲しき○○」「涙の○○」「天使の○○」
という邦題をつけたがる傾向があった。
でもまぁ、この歌は確かに
「涙のバースディ・パーティ」だよねと納得。
女の子の失恋ソングだが、
クインシー・ジョーンズは、それを頭からノリノリの
明るいポップナンバーにアレンジ。
後世の人々が愛してやまない名曲に仕上げた。
ちなみに欧米でも、
誕生日をパーティーで祝う習慣が出来たのは、
20世紀に入ってからだという。
日本ではおそらく戦後から始まった習慣で、
まだ100年にもならない。
そう言えば僕も友だちが集まって
ワイワイやることはあったが、
家族に誕生日パーティーなんて
やってもらったことはなかった。
クリスマスとおんなじで、
「お誕生日おめでとう!」なんて言われると、
いまだにお尻がもぞもぞしてしまう。
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