アメリカンドリーマーだった叔母の話

 

仕事が一段落し、しばし猛暑から解放されたので、

義母を連れて阿佐ヶ谷をぶらぶらしに行く。

 

アンティーク雑貨店のショーウィンドウに

全身アメリカンファッションのマネキンを見て、

義母と同い年(昭和10年=1935年生まれ)の

叔母のことを思い出した。

 

小学校の低学年の頃まで数年間、一緒に住んでいて、

甥である僕をずいぶん可愛がってくれた。

アメリカ大好きな人で、

結構ハイカラな考え方・ライフスタイルを持っている

叔母だった。

 

彼女がティーンエージャーだった時代、

日本はGHQ=ほぼアメリカの占領下だった。

ただし彼女が若い頃は、まともな日本人の女は、

もちろんこんな格好はできなかった。

 

GHQが去り、高度経済成長が始まって、

彼女は新しく生まれた自由な戦後世代を

羨望の目を持って見ていたイメージがある。

ガキだった僕を相手に

「わたしももう10年遅く生まれていれば・・・」と

呟いていたことをいまだに憶えている。

 

小学校の高学年になる頃には、

もう離れて住むようになっていたし、

両親もあまり彼女のことを話さなかったので、

その後の叔母の人生はよく知らない。

 

僕は漠然と、

いずれ彼女はアメリカに移住するのだろうと思っていたが、

まだ一般庶民がそう簡単に海外に行ける時代ではなかった。

その代り、というわけではないが、

中年になってちょっとお金持ちのおっさんの後妻になった。

 

その叔母は兄である父より先、15年ほど前に亡くなった。

亡くなった時は独身だった。

結婚はあまりうまくいかなかったのか?

 

その辺の事情は結局わかかずじまいだ。

わかっているのは彼女にとって、

憧れていたアメリカは最期まで遠い地だった、

ということだけだ。

 

自分も大人になってわかったが、

まだチビの甥や姪というのは、自分の息子・娘と違って、

割と無責任に甘やかし、可愛がれる、

オモチャやペットのような存在だ。

 

たぶん僕の中にはあの叔母に甘やかされたことが、

のちの女性観にも影響しているのではないかな、

と思うことがある。

思いがけず面影がよみがえったこの叔母の供養のために、

何か彼女をモデルにした話を書こうと思っている。