坊ちゃんとマドンナと清さん

 

夏目漱石の「坊ちゃん」を初めて読んだのは

小4か小5のときだった。

以来、何度か読んで、

最後はいつだったのか思い出せないが、

多分、高校生の時以来だろう。

 

ご存じ、江戸っ子口調の名調子。

これほど痛快で印象的な一人称の語り口は、

この作品とサリンジャーの

「ライ麦畑でつかまえて」ぐらいだ。

 

図書館のヤングアダルト文庫の棚で

ふと目にすると、あのべらんめえ文体が脳裏によみがえり、

手に取って読みたくなったのだ。

 

★なぜマドンナが表紙を飾るのか?

 

表紙にはマンガっぽいイラストで

主人公の坊ちゃんとマドンナが描かれている。

近年、なぜか「坊ちゃん」というと

表紙にマドンナが登場するパターンが多い。

 

内容を知らない人、

あるいは昔読んだがよく憶えていないという人は、

赴任先の松山で、名家のお嬢さんであるマドンナと

坊ちゃんが出会い、憧れ、恋をする、

というストーリーを思い描くかと思う。

 

ところがこれはまったくの誤解で、

主人公はマドンナに何の感情も持たない。

むしろ「うらなりから赤シャツに寝返った女」として

あまり良い感情を抱かないと言ってもいいぐらいだ。

 

出版社は「明治の青春小説」と銘打っているし、

明治ファッションの女性は飾りになるので、

ほとんど活躍の場がないマドンナを

表紙に載せたがるのだろう。

誤解するのは読者の勝手というわけだ。

 

昭和以降、特に戦後の青春小説・青春マンガには

この「マドンナ」という、男の女性幻想をかたちにした

偶像が頻繁に登場するようになった。

 

果ては歌謡曲のタイトルになったり、

アメリカの歌手が自分でそう名乗ったりしたので、

一般的にすっかり定着したが、

明治の頃は西洋画に精通した人以外、

マドンナなんて初めて聴く言葉で、

意味など知らないという人が大半だったと思われる。

 

だから日本人にマドンナの

「聖母・聖女=清く、美しく、愛し尊敬すべき女性」という

イメージを植え付けたのは、

漱石作品の中でも最も人気が高い

この小説だと言っても過言ではないだろう。

 

★マドンナは清さん

 

しかし、この定義からすれば、

坊ちゃんから見るマドンナは、

子供の頃から可愛がってくれ、

惜しみない愛情で支えてくれた清さんの方である。

 

そう言えば、僕が小学生の時に初めて読んだ本の表紙には、

坊ちゃんが見上げる空の向こうには、

ちょっとだけ微笑む和服姿の清さんが描かれていた。

 

しかし、清さんは若くてきれいなお嬢様ではなく、

坊ちゃんの家の下女、住み込みのお手伝いさんで、

しかもけっこう年寄りである。

 

この小説の登場人物は、主人公をはじめ、

一人も年齢が特定されていないが、

物語の舞台が発表時の

明治39年(1906年)あたりだとすると、

ほとんどは明治生まれ・明治育ちの人たちである。

 

ただ一人、清さんは明治維新を体験した人だ。

武士の名家の出身らしいが、

「瓦解(明治維新)の時に零落して、

ついに奉公までするようになった」というから、

おそらく50代後半~60代前半である。

いまと違ってもう立派なお婆さんだ。

しかも人生の辛酸をなめた元・お嬢さまの。

 

子ども頃から可愛がってもらっているのだから、

母や祖母のように慕うのはわかるが、

坊ちゃんの清さんへの感情は、

そうした家族に対するものとはまたちょっと違う。

 

さりとて恋愛でもない。

もっと齢が近ければ、そうなり得たかもしれないが、

あまり生々しさを伴わない、尊敬の念を交えた、

女性という偶像に対する愛情が混じっている。

 

子供の頃は母以上に彼を可愛がった清さんは

坊ちゃんの将来に夢を託し、

おとなになったら面倒を見てもらおうと思っている。

 

そういう意味では彼女の愛もけっして純粋なものではなく、

ギブアンドテイクの関係と言えなくもない。

ただし、成長した坊ちゃんは、

自分に期待を託す彼女の言うことは、かなりおかしく、

贔屓の引き倒しで、現実離れしていることに気付く。

 

「こんな婆さんに逢ってはかなわない。

自分の好きな者は必ずえらい人物になって、

嫌いな人はきっと落ちぶれるものと信じていた」

 

「婆さんは何も知らないから、年さえとれば

兄の家がもらえると信じている」

 

「(学校を)卒業すれば金が自然とポケットの中に

湧いてくると思っている」

 

などと冷静に分析し、

“もとは身分のある者でも、

教育のない婆さんだから仕方がない”清さんの

無知ぶり・夢みる少女ぶりにあきれ果てている。

 

それでも坊ちゃんは清さんを嗤ったりは絶対しない。

彼にとって、知識量・情報量は、

人間的な価値とは決して比例しないのだ。

 

子供の頃、読んだときは気が付かなったが、

この二人のやりとりは本当に面白く、笑えて哀しく、

清さんはめっちゃ可愛い。

 

松山で教職に就き、不快な目に会うたびに坊ちゃんは、

そんな清さんの人間的な気品・尊さに思いを巡らせるが、

痛快なストーリーの裏側で、

こうした女性への愛とリスペクトの念があるからこそ、

この小説を単なる面白ばなしでなく、

奥行きと味わいの深いものにしている。

 

★時代に取り残される坊ちゃん

 

「坊ちゃん」の読み方の一つとして、

「時代に適応できる者とできない者の物語」

という視点がある。

前者は、話の中で悪人とされる赤シャツや野だいこであり、

後者はとっちめる側の正義の坊ちゃんや山嵐だ。

 

マドンナも、坊ちゃんからは

うらなりから赤シャツに寝返った、

およそマドンナらしくない女と見做されるが、

彼女は若かりし頃の清さんと同じ立場にある。

 

この時代の女性の社会低地位は低く、

生き方は今と比較にならないほど制限されていた。

 

没落寸前の名家の娘として、

いくら身分があるとはいえ、

世渡り下手・自己主張ベタ・まじめなだけで面白くない

許嫁のうらなりよりも、

既に教頭職を得て、将来有望、しかも話術に長けていて

楽しませてくれそうな赤シャツのほうになびくのも

しかたがないところだろう。

 

下手をすれば清さんと同じく、

零落の道に転がり落ちることになるので必死なのだ。

マドンナとあだ名をつけられて、

男性の夢を壊さないよう、ホホホとおとなしく

笑っているわけにはいかない。

 

マドンナファンには申し訳ないが、

もしかしたら、彼女の方が赤シャツに目を付け、

誘ったのではにかとさえ思える。

 

楽しくて痛快な「坊ちゃん」だが、

この明治後期、時代は変わり、

価値観も急速に変わっていた。

よく読むと、それを表現するかのように、

この物語は別れの連続だ。

 

母が死に、父が死に、生れ育った家は人手にわたり、

兄とも別れ、いわば天涯孤独の身の上になる。

 

松山ではうらなり(坊ちゃんは彼を人間的に

上等と評価している)を見送り、

赤シャツ・野だいこを叩きのめして訣別するが、

相棒で親友になった山嵐とは新橋で別れる。

 

ちなみに幕府軍として

明治政府と最後まで戦った会津出身の山嵐は、

江戸時代のサムライ精神の象徴とも取れる。

 

そして帰って来た彼を涙ながらに出迎えてくれた

マドンナ清さんも、

それからいくらも経たないうちに肺炎で死んでしまう、

坊ちゃんは本当にひとりぼっちになってしまうのだ。

 

★坊ちゃんは何歳なのか?

 

今回、読み返してみて、最大の疑問として残ったのは、

この物語を語っている時の坊ちゃんは、

いったい幾つなのだろうということ。

 

東京に帰って来た彼は街鉄(電車)の技手になり、

清さんと一緒に暮らし始めたもののが、

最後に清さんは「今年の2月に死んでしまった」とある。

 

ニュアンス的に、仕事に慣れ、生活も落ち着いてきた矢先に

亡くなってしまったと読めるから、

新しい仕事に就いてから1,2年後くらいだろうか。

 

そしてそれから半年ほど経ってから、

自分の人生を振り返った時、

松山での経験と、清さんという存在の大きさを

語ってみたくなったということだろう。

 

だとしても、坊ちゃんはまだ20代の溌剌とした若者だ。

その後、彼がどうしたのか、

兄や山嵐と再会する機会はあったのか、

結婚して家庭を持ったのか、興味津々である。

でもきっと、どれだけ年をとっても

この物語のような名調子は消えなかっただろう。

 

坊ちゃんという人物は、時代に適応できない者の代表格で、

自分の価値観に固執するあまり、教職を失ったが、

それでも新しい職を得て、一人でも生きる道を見出した。

 

★死ぬまで続く名調子

 

この頃と同じく、

最近も時代に合わせる

必要性・適応する柔軟性が強調されるが、

人間だれしも、

生まれながらの「自分のリズム」を持っている。

それをないがしろにして、周囲に合わせようとすると、

やっぱりろくなことにならないのではないか。

 

たとえ得になる生き方だとしても、

損をしない人生だとしても、

それが自分のリズム・語り口・文体と相いれないものなら

気持ち悪くて、長続きなどしない。

 

世間に通用してもしなくても、

坊ちゃんのように自分のべらんめえを並べ立てて

生き抜いた方がうんと気持ちいいのではないだろうか。

 

気分が凹んだときの活力剤として、

「坊ちゃん」は、はるか1世紀を超えた過去から

今でも僕たちにいろんなことを教えてくれていると思う。