1970年リリース、サンタナの名盤「天の守護神」の挿入歌。
オリジナルはニューヨーク出身の音楽家で「マンボの王様」
と言われたティト・ブエンテの楽曲。
ジャンルとしてはキューバ発祥の音楽
チャチャチャの曲だったが、
サンタナが斬新なアレンジを施してカバー。
ラテンロックという新たなジャンルの代表曲として、
世界中で聴かれるようになった。
サンタナは、ギタリスト
カルロス・サンタナをリーダーとするバンド名だが、
このグループの楽曲には思い出がある。
初めて東京に出てきた1978年の夏から秋にかけて、
生まれて初めて水商売のバイトをした。
池袋西口の繁華街・ロマンス通りの「ロサ会館」
というビルの地下にあった「サムシング」という店だ。
当時はバーでもスナックでも、
店にウィスキーのボトルをキープ(マイボトル)することで
自分の行きつけの店を作り、というか、
店側のシステムに乗っけられて酒を飲むのがトレンドだった。
なので酒飲みのおっさんたちはみんな、
自分がどれだけマイボトルを持っているか
自慢し合っていた。
ここもそうしたボトルキープの店で、
僕は黒服を着てウェイターをやっていたが、
あまり水商売らしくない店長と、
いかにも水商売やってます風の副店長と、
キツネ型とタヌキ型の女の子コンビと、
5人で回す日が多かった。
マイボトルに関する裏話は面白いが、
またの機会に。
名称はパブ「サムシング」。
パブと言っても英国のパブとは大違いで、
ちょっとした食事もできる、
やや大きめのバーのことを
当時の日本ではそう呼んでいたのだ。
特徴としては、ディスコというほどではないが、
10人程度なら踊れる、ミラーボール付きの
小さなダンスホールがあった。
何と言っても70年代、昭和後期の池袋なので、
ちょっと怪しい客が多く、
この店には演歌の世界に出てくるような
わけありカップルが大勢来ていて、
よくチークダンスを踊っていた。
女を酔っぱらわせて、そのまんま近所のラブホに
連れ込む男もほぼ毎日いたと記憶している。
もう一つの特徴は、専属のバンドがいて、
30分おきに生演奏を披露していたこと。
このバンドのレパートリーの半分くらいがサンタナだった。
この曲を初め、
「君に捧げるサンバ」「ブラックマジックウーマン」
「哀愁のヨーロッパ」(チークタイムの定番!)などを
いつも演奏しており、未だに耳に残っている。
なのでサンタナを聴くと、あの店の客やスタッフのこと、
そこで起こったいろいろな出来事を思い出すのだ。
働いていたのは3カ月か4ヵ月程度だったが、
いろいろ社会勉強・人生勉強をさせてもらって、
今では感謝の気持ちを持って思い出す。
というわけで、
実際のサンタナとは全然ちがう話になってしまったが、
この映像はオンラインで世界各地の音楽家を結ぎ、
みんなで名曲を協奏するというプロジェクト
「プレイング・フォー・チェンジ」によるバージョン。
サンタナのロックテイストにプラス、
オリジナルであるチャチャチャのニュアンスも
色濃く出ていて、めっちゃカッコいい。
「僕のリズムを聴いとくれ」という邦題がぴったりだ。
もちろん、南国の空に響き渡る
カルロス・サンタナのギターソロは圧巻。
あのサムシングのバンドリーダーは、
今もまだサンタナを聴いてギターを弾いているのだろうか?
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