美輪明宏とヨイトマケと太宰治

 

一昨日、「週末の懐メロ」で

美輪明宏の「ヨイトマケの唄」を紹介した。

白状すると、その際にいろいろ調べて

やっと「ヨイトマケ」って何のことだか知った。

じつは僕は一昨日までヨイトマケとは、

何かの種まきのことだと思っていて、

農作業の一種だと思っていたのである。

 

この齢になるまで知らなかったなんて、

お恥ずかしい限りだが、

どんなに遅くても知ってよかった。

まさしく懐メロさまさま・美輪様さまさまである。

 

じつはこのヨイトマケという言葉は、

美輪明宏の歌以外にも有名な文学作品に使われている。

それが太宰治の「斜陽」である。

 

筋肉労働、というのかしら。このような力仕事は、私にとっていまがはじめてではない。私は戦争の時に徴用されて、ヨイトマケまでさせられた。いま畑にはいて出ている地下足袋も、その時、軍のほうから配給になったものである。地下足袋というものを、その時、それこそ生れてはじめてはいてみたのであるが、びっくりするほど、はき心地がよく、それをはいてお庭を歩いてみたら、鳥やけものが、はだしで地べたを歩いている気軽さが、自分にもよくわかったような気がして、とても、胸がうずくほど、うれしかった。戦争中の、たのしい記憶は、たったそれ一つきり。思えば、戦争なんて、つまらないものだった。

 

上流階級のお嬢様だった主人公が、

戦後、没落して肉体労働をしているとき、

ふとヨイトマケのことを思い出し、

ヨイトマケのおかげで体も丈夫になったし、

生活に困ったらヨイトマケをして生きていこう、

と呟くのである。

 

20歳ごろ、三島由紀夫と太宰治を乱読しており、

「斜陽」も読んだ記憶があるが、

そんなことすっかり忘れていた。

 

この出だしの部分の文章は、

たまたまネット上でお目にかかったのだが、

美輪さんの歌を聴いた後、今こうして読んでみると、

この主人公に温かさ・健気さ・可愛さみたいなものを感じる。

 

ヨイトマケとは「よいっと巻け」という

掛け声から来た呼び名。

まだ建設機械が普及していなかった時代、

建築現場で地固めを行う時に、

縄で滑車に吊るした重い槌を、

数人がかりで引っ張り上げて落とす作業、

あるいはその作業を行う日雇い労働者のことを指している。

作業の時の掛け声が「よいっと巻け」で

「ヨイトマケ」というわけ。

昭和の半ばごろまで使われていたようだが、

僕も実際にこんな作業しているところは見たことがない。

 

厳しい肉体労働だったと思うが、皆でやれば大丈夫、

みたいな労働者同士の連帯感的な気持ちもあっただろう。

この主人公の場合は、生きる自信の根っこというか、

精神的な「地固め」にもなっていたようだ。

 

もしかしたら、年がら年中、

アラウンドうつ病だった太宰治自身も

こうしたヨイトマケなどの肉体労働に

憧れを抱いていた部分もあったのではないか、と思う。

 

昔はよかったとは言わないし、

貧しくても幸せだったとも言わない。

辛くて危険な肉体労働を礼賛するつもりはまったくない。

 

ただ、最近のように、精神がおかしくなるほど、

みんなが情報過多で混乱したり、

ネット世界、バーチャル世界に

はまり込んだりするのを見ていると、

いつも何かしら身体を動かして働いていたほうが

いいのではないかと思う時があるのだ。

 

もちろん、スポーツやトレーニングもいいが、

自分の身体を動かすことで

人の役に立つ、社会の役に立つ、

そして金を稼いで生きるのだという

リアルな実感を得ることが、

いくつになっても、どんな時代になっても、

必要なのではないだろうか?

 

豊かな社会になって以降、

肉体労働とか労働者という言葉は、

ネガティブなオーラをまとうことが多くなった。

しかし今後、AIの発達で

確実にホワイトカラーの仕事は減っていき、

肉体労働が人間に残る。

ロボットが活躍できるのはまだもう少し先だろう。

 

「ヨイトマケの唄」や「斜陽」の世界と同様、

肉体労働・労働者というものは、

人間らしさと同義で語られるようになるかもしれない。

 

 

音楽エッセイ

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