週末の懐メロ122:ファーストカー/トレイシー・チャップマン

 

とてもシンプルでありながら、

あまりにも切なく美しいメロデイライン。

初めて聴いた時は本当に鮮烈だった。

1988年のヒット曲だが、

どこか1970年代の日本のフォークソングを彷彿とさせた。

 

正直、最初、歌だけ聴いたので

トレイシー・チャップマンが黒人女性だとは思わなかった。

 

黒人歌手はみんな歌い方がブルースっぽかったり、

ソウルフルだったり、ファンキーだったり、

ダンスフルだったりする。

そんな思い込みというか、偏見があった。

そして僕が知っている限り、ギター1本で歌う

プロの黒人シンガーソングライターは

1988年まで存在しなかった。

そういう意味で、トレイシー・チャップマンは

今でも特別なミュージシャンである。

 

しかし、この曲の内容はまさしくブルース。

アメリカ社会の底辺で働く、黒人女性の労働者の歌だ。

厳しくリアルなストーリーを歌っているのだが、

なぜか一編の寓話を語っているようにも聴こえる。

そして自然と浮かび上がる映画のようなシーン、

ストーリーは、ひどく胸に迫ってくる。

 

主人公の女は学校を辞めて、

スーパーやコンビニのレジ打ちをしながら、

貧困の中で飲んだくれの父親を支えている。

母親は、もうこんな生活は嫌だと言って

出て行ってしまったからだ。

 

そんな境遇の彼女が車を持っている男と出逢う。

高速道路を走ったらバラバラになってしまいそうなほどの

ポンコツだが、彼と一緒にドライブした彼女は狂喜する。

まるで空を飛ぶほどのスピードで走っているような

錯覚にとらわれる。

笑って運転する彼と一緒にいると、

それまでのみじめな自分を忘れることができる。

そう呟くのだ。

 

二人は一緒に暮らし始める。

いつかこの町の、この貧しい暮らしから

抜け出せることを夢見て。

 

子どもも生まれた。

幸せになりたいのだが、

いつの間にか彼は彼女の父親と同じように

無職の飲んだくれになっていってしまう。

 

けれども彼女はまだ夢を捨てていない。

貧しい生活の中で彼女は一縷の望みを抱えて

彼に問い続けるのだ。

ここで死ぬか、今夜飛び立つか・・・

あなたのあの速い車で。

 

 

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20世紀ポップミュージックの回想・妄想・新発見!

ブログ「DAIHON屋のネタ帳」で2020年10月から毎週連載している「週末の懐メロ」を本にしました.