認知症への理解を深めるイベントと、蛭子能収さんの話、 そして「with弱者」の社会の実現について

 

昨日(2月12日)、

認知症への理解を深めてもらおうというイベントが

東京・世田谷区で開かれた。

そこで認知症を公表した漫画家の蛭子能収さんが

「仕事を続けているのが自分らしさだ」と

みずからの体験を語った。

 

この催しは、世田谷区が認知症に対して

深い関心を持てる地域の実現を目指そうと開いたもの。

そのなかのトークショーに

3年前に認知症を公表した漫画家の

蛭子能収さんが登壇した。

 

蛭子さんは直近のことを覚えられないといった

症状がありながら、

家族や周囲の支えを受けて仕事を続けている。

その成果とも言えるエッセイ

「おぼえていても、いなくても」は、

めっちゃ面白い本である。

 

また、その内容とは別に、

どうやって家族や周囲がサポートしているのか、

とても興味深い本になっている。

 

蛭子さんは今回の講演で生きがいについて聞かれると

「何か得意なことを見つけることが大切です。

私は認知症になってもイラストの仕事もテレビの仕事も

受けているのが自分らしさで、ずっと生きてやるぞ、

という思いでいます」と話したという。

 

認知症の症状は人それぞれだし、蛭子さんは有名人なので、

「皆さんも彼のようにポジティブに行きましょう」とは

一概には言えない。

それでも希望を与えてくれることは確かだ。

とは言え、

本人と家族だけがどれだけ頑張ったって限界がある。

そのためには社会の理解がぜひ必要になってくるのだ。

 

うちの義母はべつに公表はしていないし、

親しい人やケアしてくれる人以外に

「認知症なので・・・」と、わざわざ説明しないが、

これだけ認知症というものが一般的に認知されてくると、

わかる人にはそれとわかるようだ。

明るく振舞っているせいもあり、

べつにそれであからさまに蔑視されるようなことはない。

 

それどころか「じつは認知症で・・・」と、

こっそり打ち明けたりすると、

「あ~、やっぱりぃ。うちの親もそうなんですよぉ~」

とか言って笑う人もいる。

 

少なくとも、かつて「ボケ」とか「痴呆症」とか

呼ばれていた頃の

ネガティブなイメージは確実に弱まっていると感じる。

困ったことになるのは変わりないが、

かと言って、この世の終わり、人生終わり、

みたいな絶望感は抱く必要はないのでは、と思う。

 

「withナンチャラ」とは最近、よく聞く言葉だが、

近々、「with認知症」の時代になる可能性は高い。

認知症なんかになったら

すべてを諦めなければならなかった昭和の頃と比べて、

今はこうした病気や障がいを持った社会的弱者も

共に楽しく生きられる可能性が出てきている。

 

貧しかった時代は、生産性のない人たち、

もっと言ってしまうと社会の役に立たない人たちは、

打ち捨てられるしかなかった。

けれども今はそうではないのだ。

そうした人たちの価値も認めていっしょに生きる――

それが豊かな社会、先進国家の証である。

 

社会の進化、豊かな社会とは、

大勢の人が金持ちになって贅沢するために

実現したのではなく、

このために成し遂げられたものなのだ。

 

いつもSNSなどで一生懸命になって、

自分のサクセスストーリーを自慢している人、

私は年収○千万です、

○億円ですとか発信している人たちは、

ぜひこうした方面に目を向けて、

「with弱者」の社会の実現に努めてほしい。

 

おりべまこと電子書籍:

認知症介護エッセイ

「認知症のおかあさんといっしょ」

https://www.amazon.co.jp/dp/B0BR8B8NXF

できれば笑って楽しく向き合いたい。家族でも自分でも、認知症を過度に恐れ、人生に受け入れ難いと言う、すべての人に読んでほしい本です。