本日は月刊終活(旧・月刊仏事)の取材で
埼玉県川口市へ。
この木の匣はお墓であり、終活であり、
遺品であり、生前整理であり、
遺言であり、自分史である。
商品名は「ひとめぐり」という。
9月のエンディング産業展でのブース展示を見て、
ミステリアスな衝撃を受けた。
中には直観的にその本質を悟り、
泣き出した女性もいたという。
今日はそのミステリーを解くための取材である。
墓地の建設やリノベーションを手掛ける
川本商店・みんてら事業部が、
建築と福祉事業の鹿鳴堂、
そして京王電鉄の支援を受けて
「ありかた」という名のプロジェクトを発動。
お寺を介して自分の想いを
遺したい人と受け取る人とを繋ぐ、
新しい継承の形の提案だ。
なんだかよくわからいけど、
新しいものはわからなくて当然。
僕たちがよく知っている、
世の常識だと思ってること・
思わされていることの多くは、
じつは大して深い歴史・永続性があるわけではなく、
せいぜい150年。長くて幕末・明治から。
大半は戦後から。
例えばお墓を建てるのは
一部の特権階級のやることで、
庶民もこぞって立てだしたのは明治以降の話。
葬儀屋が葬式を取り仕切るようになったのも
戦後からだから、せいぜい70年余り。
時代の変化とともに死の概念も変わる。
あと10年すれば、
この「ひとめぐり」が供養の在り方として
普通のものになっているかもしれない。
人間はこれからどこへ行くのだろう?
僕たちの死生観はこれからどうなるのだろう?
メタバースとか、テクノロジーの分野とは
違った意味で、
自分が生きる未来の世界がわからなくなる。
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