季節が変わり、空気が変わって急に涼しくなると、
脳内の景色も変わる。
久しぶりに死んだ友だちのことを思い出した。
昨日、彼の墓参りに行ったことを書いたが、
13年前、肺がんで50歳で死んだのだ。
発見のとき、すでにステージ4で余命半年と宣告された。
そのあと頑張って10カ月生きたのだが、
その間、毎日ブログを書きまくっていた。
これはあくまで僕の想像だが、
彼にとって最も恐怖だったのは、
人生を閉じるに当たって
「何も遺せないこと」だったのだと思う。
ほんのひとこと数十字のものから
千字を超えるものまで、1年足らずのうちに
おそらく千本以上は書いただろう。
そのブログは結果的にひとつの闘病記として
優れたものになっていた。
真面目なもの・深刻なものはむしろ少なめで、
ふざけた冗談めかした文章が多かったのだが、
後年それを読んで、背景に痛いほどの
後悔・焦りの気持ちを感じとれた。
彼は20代の頃、僕らの劇団の演出家だった。
表現することが好きだった男である。
その後は食うために舞台の裏方仕事をやり、
家族を作り、表現者としての自分は眠らせていた。
けれども、それはいつか目覚めるものなのだ。
「いつかまた」という思いは胸のなかにあったのだろう。
しかし自覚するのが遅すぎた。
突然、終わりが来ることを知って、
何の準備もしていなかったことを
ひどく悔やんだのだと思う。
結局、その発露はブログしかなかった。
それはそれでがんばったが、もっと時間があれば、
本当に表現したいことは他にあったのかもしれない。
「生きた証」なんて大げさなものでなくていい。
他人や社会に承認されるものである必要もない。
いわば自己満足で十分なのだが、
人はこの世を去ると分かった時、
何か人に伝えるメッセージを遺さずにはいられない。
いつ終わりが来るのかわからない。
表現しておきたいことがあると自覚したら、
あなたが何歳でもすぐに行動した方がいい。
ほかの誰かのためでなく、自分のために
何かを遺すべきだと思う。
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