アナログマジックの残暑お見舞いとデジタル発信の効用

 

古い友だちから残暑お見舞いの葉書が届いた。

もう10年近く会っておらず、

オンラインでもやりとりしていない。

年賀状だけは、ずっと交わしていたのだが、

この齢になると親が亡くなり、

喪中で出さない年も多くなる。

 

そうすると翌年、出すのを忘れてしまったり、

忘れてしまう程度のつながりなら、

半ば形骸化した関係なので

なくてもいいかと、喪中葉書をきっかけに

「年賀状じまい」をする人も増えてきた。

 

この友だちも昨年、父が亡くなり、

今年、母が亡くなったという。

僕一人に宛てたわけでもないと思うのだが、

「『元気でいるよ』とお知らせしたくて、お手紙しました」

という一文にはちょっと心を動かされるものがあった。

これはアナログのマジックと言えるのかもしれない。

 

2年続けて喪中で出さないと・・・

という危惧があったからだろうか?

それとは別に何かあったのだろうか?

本当に元気でいてくれているのなら何の問題もないのだが。

 

僕らの世代はまだオンラインのやりとりを

煩わしく感じる人が多い。

Facebookなども一時の流行りで始めたものの、

もうやっていない、ずっと休眠中という人が

周りに大勢いる。

 

僕は時々サボるけど、いちおう、ほぼ毎日、

ブログもFace boookも Twitterも更新しているよ。

電子書籍も出してます。

よかったら覗いてね~と書いて返事を出した。

 

相手がどう思うか、感じるかは二の次でいい。

自分の「いま」を、

いつでも表現して見せられるということ、

「俺は生きている」と発信し続けられることは、

心の安定と新たなエネルギーにつながる。

 

還暦を過ぎると、こういうことって、

けっこう重要になっていくのではないかと思う。