両親が昭和ひとケタ生まれなので、
終戦記念日になると、
父と母がどのように終戦を迎えたのだろうかと
頭の中でトレースする。
二人とも16歳で名古屋で終戦を迎えた。
名古屋も空襲を受け、
父が働いていた軍需工場も爆撃された。
危ない目に遇い、亡くなった仲間もいたようだが、
父自身は幸運にもケガ一つしなかった。
それもあって母はよく父のことを
「運の良い人」と言っていた。
これから本格的に社会に出る前、
16歳で終戦になったことは、
軍国主義、戦前の価値観でがんじがらめにされずに済んだ、
自由に戦後を生きることができた、という点で、
ある意味、幸運だったのではないかと思う。
僕が子どもの頃は、二人とも自分たちの戦争体験や
食糧難体験をよく話して聞かせていた。
それは実際は悲惨なことではあったのだろうが、
豊かな暮らしを手に入れた安心からか、
なにか懐かしい、
牧歌的な昔ばなしのように僕には聞こえた。
けれども、まだそれはすぐ近くにあるものだった。
僕たちは軍歌を知っていたし、戦記マンガも読んでいた。
街には傷痍軍人もいて物乞いをしていた。
考えてみれば、そうした両親の話を聞いていたのは、
戦後20年から30年ちょっとの頃である。
人間、齢を取れば認知症にもなる。
戦後77年。国だって国民だって認知症になりがちだ。
かつて平和ボケと言われた日本は、
戦後ボケにもなってきたように見える。
戦争反対、平和祈願の理念も、
中身の伴わない空虚なお題目になっているように
感じるときがある。
今年、母が亡くなって、
僕の中でも戦後のリアリティが1枚ぺろっとは剥がれ落ち、
軽度認知症になった感じがする。
認知症の進行を食い止め、
戦後文化の記憶を保つには、
人間の本質、生きる本質を見ようと努め、
想像力を駆使するよう努める必要があると思う。
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