ヒロシマ・ナガサキ。
今年もいくつか原爆関連のニュースを見た。
たいへん失礼な言い方になるかもしれないが、
ここ数年、特にコロナ禍が始まった一昨年以降、
かなりトーンダウンしてきたような印象がある。
昭和の頃の原爆記念日はとても熱いものがあった。
テレビで平和式のニュースの一端を見て、
みんなで平和を祈り、核廃絶を唱えていれば、
それがやがて世界中に広がるだろう。
いつか僕らがおとなになり、
50歳・60歳を超える頃は
核兵器が一掃され、
世界平和が実現するのではないか。
たしかにそう思えた。
けれども現実はそんなに甘くなかった。
考えてみれば、当たり前のことだけど。
平成になり、令和になり、
昭和の頃に感じた
平和祈願・核廃絶祈願のエネルギーは、
徐々に減衰した。
みんな、ただ祈願しても無力だ、
ということがわかってしまった。
言葉に出しては言わないけど、心の中で諦める。
おとなになったのだ。
これもまた、考えてみれば、
当たり前のことだけど。
体験を持つ人も高齢化している。
気力・体力も衰える。
亡くなる人も増えている。
そして改めて思うのが、
(これもまた怒られるかもしれないけど)
被爆者であることを
自分のアイデンティティの一部にして
生きていかなくてはならないのは、
ひどく辛いことなのではないかと思う。
被爆者の人たちは、いやがおうでも
「世界平和」や「核廃絶」というスローガンを
背負って歩かなければならない。
それもやっぱり辛いことだと思う。
何と言っても体験してしまったいるのだから、
被害者なのだから、
僕たちのように飽きたら投げ出す、
というわけにはいかないのだ。
加えて今年はロシアのウクライナ侵攻を
見てしまった。
平和祈願・核廃絶祈願がぶっとぶほどの
インパクトだ。
それに乗じて中国も不穏な動きを見せている。
やっぱりロシアや中国が
「話せばわかる」国だとは信じがたい。
いくら日本が世界平和・核廃絶を叫んでも、
あいつらが「行動」してしまったら、
もうそんなことは言っていられなくなる。
それでも日本は反戦・反核を
唱え続けるべきだと思う。
でもその一方で万一の時のために
備えておく必要もある。
日本も核を保有して抑止力にするべき――
そう考える人が出て来るのもしかたがないだろう。
日本が核兵器を保有することは
99パーセントないとは思うが、
ロシアなり中国なりから侵略の脅威に
晒されたら・・・と考えると、
今までのように落ち着いてはいられない。
政治家の皆さんは
アホなことをやっているように見えるが、
それでも国防はちゃんと考えていて、
トップシークレットの奥の手は
持っているのではないだろうか。
国民も何もせず黙っていても
今の平和、今の幸福が、
未来永劫続くんだとは思わず、
もしまた戦争になりそうになったら、
巻き込まれそうになったら・・・ということは
想定しておくべきではないかと思う。
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