この間の母の葬式で司会者の人に
「お母様はどんなごはんを作ってくれましたか?」
と聞かれた。
司会ナレーションとしては、
「母が息子のために作った手料理」は
最も普遍的、かつ、感動に持っていきやすいネタだ。
だけど、故人が父親だったら、
事前アンケートで「(父の)趣味は料理」と書かない限り、
いきなりこんな聞き方はしない。
母=料理・家事 父=仕事
長年、日本社会に染みついたこういう図式は
まだまこれから先も数十年は有効だ。
お父さんが料理して、お母さんが稼いでくる家庭だって
たくさんあると思うが、
そういうご家庭のお葬式のときは、
「うちはちょっと違うパターンですよ」と
事前に葬儀屋さんにお断わりしておいた方が
いいかもしれない。
それはともかく、
うちは通常パターンに則った家庭だったので、
「母の料理で好きだったのはハンバーグです」
と素直に答えた。
「おふくろの味と言えば肉じゃが」というのは
遠い過去の話。
ほとんど昭和のおとぎ話である。
そもそも僕の母親は肉じゃがなんて好きじゃなかったので、
ろくに作ったことがなかった。
だから、僕にとっておふくろの味はハンバーグである。
そう言うと司会者の人は、
なにか「マザーズスペシャル」があったのかと、
しつこく聞いてきたが、特別仕様はなく、
ネタは普通の合いびき肉と炒めたタマネギ。
ソースも普通のウスターか中濃とケチャップを
まぜまぜしただけのもの。
そもそも母親は別段料理が得意なわけでもなく、
好きだったわけでもない。
ただ昔は、今と違ってあまり外食するところもなかったし、
スーパーでいろいろな惣菜が買えるわけでもないし、
レンチンもないので、しかたなく作っていただけである。
僕が小学校の低学年のころまでは大家族だったので、
毎日めしを作るのはかなり苦役だったらしく、
僕が台所を覗きに行くとイラついて、
「じゃまだからあっちへ行ってろ!」とよく怒られた。
と、さんざん悪口を書いてしまったが、
それでも母の作るハンバーグはめっちゃうまかった。
人生経験の浅い、舌の肥えてない子どもだったので、
のちのちまでその味が深層心理に
響いているだけだと思うが、
うまかったという思いは永遠に残る。
いつごろから作っていてくれていたかは思い出せない。
日本の家庭にハンバーグが普及し始めたのは
高度成長期の昭和30年代後半(1960~)らしいが、
たぶん家を新築して以降だと思うので、
小学校高学年(1970~)の時ではないだろうか。
それまで肉料理は苦手だったが、
このハンバーグには目がなく、
中高生の頃はおにぎりサイズのやつを
いっぺんに5,6個平気で食っていた。
母は「ようさん食うねぇ、あんたは」とあきれていたが、
嬉しそうに笑っていた。
とは言っても、おふくろの味に固執することなく、
東京に来て一人暮らしを始めてからは、
付き合う女の子といっしょに必ずハンバーグを作った。
逆に言えば、今のカミさんもそうだが、
いっしょにハンバーグを作った女性とは長続きした。
ついでにいうと「肉じゃが大好き」なんていう女は
一人もいなかった。
だから僕の人生において、肉じゃがは酒のつまみに食べる
居酒屋の食い物だった。
母の作るハンバーグを最後に食べたのはいつだったのか、
ぜんぜん思い出せない。
20代の後半、ロンドンから帰ってきた後、
3か月くらい一時的に実家にいたことがあったので、
多分その頃だと思うが、記憶には残っていない。
だから「もう一度、あのおふくろの味が食いたかった」
と感傷に浸ることもない。
母親は子どもに、どれだけ心に残るものを食わせたか、
を世間から問われるシーンが多いと思うが、
これからはあんまり気にしないほうがいい。
めしを作って食うことは人生の基本である。
子どもはある程度成長したら、
自分のめしは自分で作るべきだ。
そうでないといつまでも自立できない。
僕も実際はどうなるかわからないが、
できれば最後まで自分のめしは自分で作って
自分で食いたいと思っている。
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