6月23日に母が亡くなりました。
たくさんのお悔やみの言葉をいただき、
ありがとうございます。
今後、皆さんも高齢の親御さんなど、
親族の最期に立ち会う機会があるかと思います。
エンディングライターの仕事もやっているので、
3回ほどにわたって母の死の過程や、
自分が喪主を務めた葬式のことなどについて書きます。
もちろん、まったく同じケースなど
あるはずはありませんが、
何かの参考になれば幸いです。
母の死因は老衰。
93歳と5ヵ月でした。
名古屋の実家で妹の家族と一緒に暮らしていました。
6年ほど前からだいぶ老いてきたなと思っていましたが、
90歳を迎えた頃から衰えが顕著になり、
自宅で面倒を見るのが困難になってきました。
結局、2020年の2月に肺の機能が
一時的に落ちて入院したのをきっかけに、
同年3月末から特養老人ホームに入居して、
そこで2年3ヵ月暮らしていました。
僕はコロナでなかなか面会に行けず、
電話で話すばかりでしたが、
いつも「元気だよ、大丈夫だよ」と言っていました。
施設へは昨年10月にやっと行けたのですが、
一目会って見て
「ああ、この人はもうそんなに長くこの世にいない」
とわかりました。
ちょっと大げさに表現すると、
この世の煩悩が抜けた、半分観音様にみたいに見えました。
その後、何回か面会に行きましたが、
6月9日に息子(彼女の孫)といっしょに、
カミさんの手紙とプレゼントの花を持って行ったのが
最後になりました。
死の前日の午後、実家の妹から
「血圧が下がっている」と連絡がありました。
夕方、直接施設に電話したところ、
どうなるかわからないという話だったので、
とりあえず仕事を済ませ、
翌日朝から向かったのですが、
途中で妹から「亡くなった」とメールが来ました。
後から聞いたところ、前日から眠ったままの状態になり、
朝、職員が見た時は呼吸が極端に弱くなっており、
9時過ぎぐらいには止まってしまったようです。
その後、医師が来て10時過ぎくらいに
死亡を確認したとのことでした。
冬場に肺の機能が落ちること以外、
特に目立った内蔵疾患などはなく、
自然に衰弱していったことなのだろうと思います。
認知症というよりボケが入っていて、
今年になってから時おり意識が飛ぶことがあったようで、
一度、施設の職員から
「病院に行ってCTなどで検査してもらいますか?」
と聞かれたことがありましたが、
苦痛・ストレスを与えるだけだと思い、
妹も僕も断固断りました。
延命措置も最初から断っていました。
ちなみに高齢社会を反映して
「死因:老衰」は最近増えているようで、
90歳を超えた人で特定の病気がわからない人には
老衰という診断を下すようです。
ネットである医師の記事を見ると、
老衰の定義というのはかなりあいまいで、
言ってみれば「非科学的な死因」らしいです。
それもあって高度成長期以降、
いわゆる「病院死」が多かった時代は、
ずっと老衰という死因は減り続けていたようです。
それがこの10年ほどでまた増えて来たようです。
ただ、遺族の中には「老衰」という診断を下すと
怒り出す人もいるようです。
なぜかは僕にはわかりませんが、
ちゃんとした科学的な死因(病名)がつかないと困る人
(お金がらみ?)もいるのでしょうか。
今年になってからすごく食が細くなってきて、
最期の数日はぜんぜん食べなかったようです。
母は僕の知らない若い頃は別にして、
ずっと太めのおばさんだったのですが、
亡くなった時はほぼ半分以下にスリムに、
小さくなっていて、顔も細長くなっており、
まるで別人のようでした。
と書くと、とても痛々しい印象を受けるかと思いますが、
人間、自然に死ぬときは
こういうものではないかと思います。
人生おしまいにするのだから、
もうエネルギーを補給する必要もない。
だから食べずに、小さく小さく縮んでいく。
比喩でなく、本当に肉体的にも子どもに還っていくのです。
ボケていましたが、電話の時も面会の時も
「おまえの声はすぐわかる」と言って、
僕の声や顔はクリアに認知していたようです。
そして、息子に対しては最後の最期まで
「元気だよ。大丈夫だよ」としか言いませんでした。
亡くなった今も僕はそのセリフを鵜呑みにしています。
本人ではないのでもちろん本当にところはわかりませんが、
特に苦しい思いをすることなく、
自然に安らかに旅立ちました。
おかしな言い方に聴こえると思いますが、
そんな亡くなり方をしてくれて嬉しい。
正直、自分の中では悲しさよりも
嬉しい、良かったという思いが勝っていました。
ありがとう。
あちらで先だって亡くなった父(夫)と逢うこと、
そして幸福であることを祈っています。
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田口頼子 (月曜日, 27 6月 2022 15:29)
お久しぶりです。いつも文章を楽しく拝読せていただいてます。
我が家にも90になる義理の母がおりますので、他人事ではなく、何かの参考にさせていただこうという気持ちで読ませていただきました。
本当のところはわかりませんが、穏やかな最期でらっしゃったと私も思います。こちらとあちらの境目がぼやけてきて、寝ているのか起きているのか、生きているのか死んでいるのか、そういうもろもろの境目という境目がぼやけて、馴染んで肉体を離れて旅立たれたように思います。そして、私もそういう旅立ち方を手助けできたらと思うようになりました。