1979年リリース。
「テクノポリス」「ライディーン」と並ぶYMOの代表曲。
ファーストアルバムに収められており、
ライブでも中盤のハイライトやエンディングを飾っていた。
1979年と80年、2回のワールドツアーの演奏の数々は、
今でもオールドファン、そして新しいファンをうならせる
彼らのベストパフォーマンスだ。
YMOの正式メンバーは、
リーダーでベーシストの細野晴臣。
当時まだ、ほとんど無名のスタジオミューシャン、
ここから「世界のサカモト」に昇華した
キーボードの坂本龍一、
サディスティックミカバンドのドラマーで、
英国でのライブ、レコーディングも経験していた
高橋幸宏の3人。
高橋はリードヴォーカルも担当するほか、
衣裳デザインなど、
アートディレクター的な役割も担っていた。
この3人にサポートメンバーとして、
ギターに渡辺香津美、のちに大村憲司。
シーナ&ロケットの鮎川誠も入ったことがある。
キーボードとヴォーカルに矢野顕子。
このツアーの中盤には必ず彼女の歌う
「在広東少年」を演奏し、大人気だった。
さらにシンセサイザープログラマーの
松武秀樹。
まさに当時の最強の布陣で取り組んだ
このツアーの音源はたくさんあるが、
同じ曲でも一度として同じ演奏はなく、
バラエティ豊かな即興性を楽しめる。
「東風」はこのバージョンが、
最も疾走感・アグレッシブさを感じる。
YMOは1970年代に後の日本のポップス、
ニューミュージックの原型を創り上げた
「はっぴえんど」「ティン・パン・アレー」という
2大バンドの中心メンバーとして活躍した細野晴臣が創設。
細野は「エキゾチカ」と称されるジャンルの音楽
――西洋人が解釈する東洋の音楽――に影響を受けて、
これをシンセサイザーなどの電子楽器を駆使し
てやってみたらどうか?
という野心的な試みを抱いて
YMOのコンセプトを練り上げた。
ただし、たんなる実験で終わることなく、
インターナショナルな商業的成功を目指し、
坂本・高橋と共に独自のサウンドを追求した。
細野としては1970年代を通して、
日本のポップミュージックが
英米に劣らないレベルまでスキルアップしたことを確信し、
世界に打って出ようという強い意思があったのだろう。
彼の目論見は功を奏し、
YMOは日本のバンドとして
最も大きな世界的成功を収めた。
国内では社会現象を巻き起こし、
僕もこの頃、長髪をやめてテクノカットにしたり、
シャツのボタンを喉もとまできっちり締めたりしていた。
彼らの登場は新たに「テクノポップ」という、
それまでにない音楽ジャンルを産んだ。
近代ポピュラー音楽史のエポックメイキングになり、
当時はもちろんだが、
YMOはむしろ近年のほうが評価が上がっている感がする。
いま聴いても抜群に新鮮でキレのある演奏
(特に細野ベースと高橋ドラムの凄さ!)から、
あの時代の空気と共に、
若々しかったメンバーらの熱いエネルギーが伝わってくる。
エッセイ集:音楽
ポップミュージックを
こよなく愛した
僕らの時代の妄想力
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