「浦島太郎」のお話の始まりは、
太郎が浜辺でカメが子どもたちに
いじめられているのを助けるところから始まる。
勝手に解釈すると、イジメてたわけではなくて
捕まえて殺して食おうとしていたのだと思う。
昔はウミガメを捕まえて食うことなんて
海辺の村では日常茶飯事で、
この子どもたちも親たちから
「今夜のめしはカメ鍋にするから捕まえてこい」と
指図されたのだろう。
ひと家庭では食べきれないので、
村でパーティでもやる予定だったのかも知れない。
このカメは産卵するため浜辺に上がってきたところを
狙われたのだ。
これでは逃げようがない。
海辺の村人にとっては年に数少ない、
栄養満点のごちそうにありつく
絶好のチャンスだったのに違いない。
それを邪魔した浦島太郎は、子どもらのみならず、
ほとんど村全体を敵に回したと言っていいだろう。
そもそも彼はこの村の人間ではないのではないかと思える。
カメを助けるから動物愛護の精神に富んだ
いい人に思えるが、それは現代人の感覚で、
こんなことをしたら、子どもたちが親に言いつけて、
あとから村じゅうの人間から
袋叩きに逢うことは目に見えている。
結果的に彼はカメに竜宮城に連れて行ってもらい、
乙姫様と結婚して夢のような暮らしを送るので、
これだけの危険を冒したかいがあったということになる。
まさしくハイリスク・ハイリターン。
投資は大成功だ。
助けられるカメは、
現在では竜宮の使者ということになっているが、
一説では乙姫様が化けていたというものもある。
産卵しに上がってきたわけだからメス。
辻褄があっている。
ちなみにオスのウミガメが陸上に上がってくることは
ほとんどないようだ。
よく考えると、浦島太郎と乙姫様は
かなりミステリアスなキャラクターである。
夫婦だったのか?
愛人関係だったのか?
どうしてあっさり別れたのか?
玉手箱を持たせたのは乙姫の復讐だったのか?
太郎はじいさんになってどこへ行ったのか?
海が舞台ということもあり、
この物語には想像力を刺激される。
もしかしたら浦島太郎は
ちょっと過剰な動物愛護の精神を持った
現代のアメリカ人がタイムスリップしてきた
お話なのかもしれない。
今日、5月23日は「世界カメの日」。
カメに対する知識と敬意を高め、
カメの生存と繁栄のための
人類の行動を促すことを目的として、
2000年に米国カメ保護会によって制定された
記念日とのこと。
人新世(アントロポセン)という新たな地質学的時代、
カレンダーにはいつの間にか、
いろいろな動物の記念日が増えている。
「ナマケモノの日」とか
「ヤマアラシの日」なんてのもある。
急激に地球環境を変化さえてきた人類が、
単に保護するだけでなく、動物の声を聞き、
そこから新たな生き方を学ぼうとしているようにも思える。
コメントをお書きください