昨夜、テレビのニュースを見ていたら
子どものキラキラネームについての話題をやっていた。
当て字にもほどがある。
個性的というより奇妙奇天烈。
マンガじゃないんだから。
宝塚じゃないんだから。
暴走族じゃないんだから。
なんて読めばいいのか、全然わからない。
今どきの若い親はアホやないか。
あんな名前を付けられた子供がかわいそう。etc・・・
非難ごうごうとまでは言わないけど、
上の世代からはネガティブに
とらえられがちなキラキラネーム。
でも親たちの話を聞くと、
そう悪くもない、アホでもない、
それなりに子どものことをあれこれ慮って
一見奇天烈な名前を考え出しているようだ。
いちばん感心したのは
「将来、セイが変わっても自分に違和感を持たないように」
という意見。
僕は最初、「姓」と勘違いしていて、
「ふーん、親が離婚して今の姓が変わっても
良い響きになるように、ということか」と思った。
じつは自分の息子にも、カミさんの姓になったとしても、
読んでも書いても問題ないように、ということは考えた。
しかし、僕は間違っていた。
そんなことは軽い問題だ。
そのお母さんの意図はもっとシリアスな、
その子の人生すべてに関わること。
彼女が言ったのは「姓」ではなく「性」。
つまりジェンダーの問題。
男の子として生まれてきたが女性になるかも。
女の子として生まれてきたが男性になるかも。
もし、その子が自分の意思でそう生きると決めたら——
ということまで想定して名前を付けたという。
目からウロコがペロッと落ちた。
子どもの名前を考えることは、
この先の時代、その子たちがいおとなになる社会の環境に
思いを巡らせること。
いまどきの若い親は、
劇的に変貌するかもしれない未来を見つめて、
これまでの常識や慣習にとらわれることなく、
思考のネットワークを広げているのだ。
当のキラキラネームの子どもたちも、
「お父さんやお母さんが一生懸命に
考えてつけてくれた名前だから好き」
と屈託ない。
なんていい子たち、なんてよい親子なんだ!
今までキラキラネームを
ちょっと馬鹿にしていたことを猛烈に反省した。
そして、上の世代は過去のことに拘泥していてはいけない
と改めて思い知らされた。
未来はどうなっていくのか、ちょっとまた楽しみになった。
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