1975年リリース。
昭和の天才詩人・寺山修司のシュールな歌謡曲を
歌ってデビューしたカルメン・マキが、
ジャニス・ジョプリンのレコードに出逢って
ロック歌手に転向。
春日博文らのバンド・OZ(オズ)の演奏を
バックに絶唱する日本のハードロックの金字塔。
1969(昭和44)年、17歳のカルメン・マキの
「時には母のない子のように」は
子ども心にトラウマを残すような歌だった。
僕はまだ10歳にもなっていなかったが、
テレビから流れてくる、
長い髪をしたエキゾチックな若い女
(子どもだったのでずいぶん大人に見えた)の雰囲気、
そして他の歌謡曲にもフォークソングにもない、
その異様な歌詞に胸がざわめいたことを
今でも覚えている。
作詞が詩人・劇作家の寺山修司、
そして、カルメン・マキが彼の主宰する
演劇実験室「天井桟敷」の一員だったことを知るのは
後に高校生になってからのこと。
その頃、すでに彼女は当時の日本で随一の
ロック歌手に変貌していた。
当時はまだ、ジャニス・ジョプリンを除いて、
こんな激しいシャウトができる女性ヴォーカルは、
アメリカにもイギリスにもいなかったように思う。
「私は風」は70年代ロックの総ての要素を盛り込んだ
ドラマティックな展開を見せる大曲で、
OZの代名詞、ジャパニーズ70'Sの代表曲でもある。
そしてよく聴き込んでみると、
この歌の主人公の女は、
「時には母のない子のように」で
海を見ていた少女であるかのように思える。
少女は大人になり、愛した男と別れて
新しい旅に出ていく——-
そんなストーリーが流れている。
それもまた「私は風」が他のOZのレパートリーと
一線を画す特別な曲になっているように感じる。
聴けば聴くほどすごい歌と演奏だ。
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