卒業シーズンなので、あちこちで
「卒業しました」という話を聞く。
と言っても、その人自身ではなく、息子や娘の話。
そうなのだ、卒業が感動的なのは、
多くの場合、子どもの卒業式に立ち会うから。
僕自身もそうだったが、
親になって卒業というセレモニーに初めてしみじみする。
息子が中学生の時、
仕事で卒業式に出られなかったことは一生の不覚だった。
50で死んだ僕の友だちは、
3人の子どもがいたが、
誰の入学式にも卒業式にも出なかった。
もちろん仕事で出られなったので、しかたないのだが、
自分の死を悟った時、
彼はひどくそのことを後悔していたように思う。
笑ってごまかしていたが胸が痛くなった。
子どもの皆さんは
お父さんやお母さんが卒業式や入学式についてくると、
鬱陶しいと感じるかもしれないが、
そのへんの人情をわかってあげて、
しっかり泣かせてあげてください。
そうしないと、いつまでも子離れできない親に
なってしまいますから。
自分自身も学校の卒業式なんて全然覚えていない。
そもそも高校の卒業式は出なかった。
東京に受験に来ていたからである。
受験とはいえ、プレッシャーなどほとんどなく、
東京に出ていけるのが嬉しくてしかたがなかった。
大都市なのに田舎街の当時の名古屋が嫌いだった。
それにもう終わった高校生活のことも、
卒業式も本当にどうでもよかった。
これから始まる新しい生活、新しい人生、
未来のことしか頭になかったのだ。
子どもというのは、そういうものだ。
という話も、いまや懐かしの思い出話である。
この間、「週末の懐メロ」で
森山良子の卒業ソング
「今日の日はさようなら」を紹介したが、
息子の森山直太朗も卒業ソングを歌っている。
親子で卒業ソングとは、
森山親子は日本の顔。
「さくら」はつい最近の歌だと思ってたけど、
リリースは2003年。
もう19年も経っている。
りっぱな懐メロだ。
さまざまな卒業ソングは、
桜の花が咲く季節を愛でる
日本人ならではの心情、
日本ならではの文化だと思う。
卒業・入学を欧米式だか世界標準に合わせるのは、
合理的なのだろうが、感動・感傷は半分以下。
日本の文化の喪失になるだろう。
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