義母のワクチン反応熱は下がり、
すっかりよくなった。
ただ、しばらく家にいて歩いていなかったせいか、
散歩に出ると、すぐに疲れたといい、息切れして
30分ぐらいが限界。
先々週まであれほどガシガシ歩き回っていたのが
嘘みたいだ。
1日にトータルすると3時間もお供をさせられていたので、
仕事は六に出来ないし、内心辟易していたが、
こうなってしまうと逆にちょっと心配になる。
本当に年寄りはちょっと表に出ないと
すぐ弱くなってしまうのだ。
「寝たきり老人は作られる」というが、その通り。
おじいちゃん、おばあちゃんに
元気で健康であってほしいなら、
大事に安全にして上げ膳・下げ膳してたら
絶対だめだと思う。
足のほうは少しトレーニングすればまた元に戻るだろうが、
認知症になった頭のほうは戻らない。
でも残りの人生を楽しく生きられればいいと思う。
そう言えば漫画家・タレントの
蛭子能収(えびす・よしかず)さんも認知症だ。
それでいながら昨年8月、
「おぼえていても、いなくても」(毎日新聞出版)
というエッセイ集を出した。
蛭子さんらしい、トボけててイカすタイトルだ。
新聞や雑誌に連載していたものをまとめた本で、
マンガもいっぱい載ってて楽しめる。
特に第1章はめっちゃ面白い。
協定の話とか、昔やったバイトの話とか、
エロ雑誌とギャンブル雑誌と
間違えて原稿を送っちゃた話とか、
読んでて思わず笑ってしまった。
天然おとぼけキャラクターまる出しで、
漫画と同じくヘタウマ文章になっている。
ところが第2章はなんとなくテイストが違う。
わざと文体を変えているとかではなく、
最初は気付かないが、読み進めていくと
なんか違うな・・・といったレベルなのだ。
文章自体はこっちのほうがうまくて、
ちゃんとまとまっている感がある。
けれども行間から彼のキャラがにじみ出てこなくて、
イマイチ面白くない。
蛭子さんのようで、蛭子さんではないのだ。
文章って不思議なものだ。
うまけりゃいいってわけじゃない。
推察するに、第2章では認知症が進んで、
なかなか書けなくなったため、
口述筆記でゴーストライターが
以前のテイストに似せて書いているか、
あるいは、断片的なメモっぽいものを
なじみの編集者などがうまいこと
文章にまとめているのかもしれない。
あまり突っ込むつもりはないし、
周囲のスタッフのフォローを
ディスるつもりはない。
「認知症になっても楽しく生きてる蛭子さん」は、
世の中の人に勇気と元気と安らぎを与えている。
今後のことはちょっと心配だけど、
できるところまでがんばってほしい。
いまや蛭子さんは認知症の人たちの星なのだから。
コメントをお書きください