さらばチャーリー・ワッツ、ブラウンシュガー、 そしてローリング・ストーンズ

 

★チャーリー・ワッツの死

 

今年も大勢の人がこの世を去ったが、

8月にローリング・ストーンズのドラマー、

チャーリー・ワッツが亡くなって、

一時代が終わった感がした。

 

ミック・ジャガーとキース・リチャーズが健在な限り、

ローリング・ストーンズの歴史は続くのだろうが、

僕にとってはチャーリー・ワッツの

ハートビートを失ったストーンズは、

もはやストーンズではない。

 

彼らの初来日公演が実現した1990年、

最も印象的だったのは、

演奏中、メンバーの誰もが随所で

ワッツのドラムを頼りにしていたことだ。

 

彼が刻むハートビートがなければ、

ジャガーの派手なパフォーマンスも、

リチャーズのギタープレイもあり得ないことの象徴だった。

 

最後のアンコールで5人が手をつないだ時、

真ん中にいたのはワッツだった。

なんだか、みんなして彼をねぎらい、盛り立て、

やたら気を遣っていたのが目に焼きついている。

 

よく憶えてないが、あの頃、

ワッツがストーンズを脱退するか?とかいう騒ぎがあり、

それでやめられたら困るということで、

ジャガーもリチャーズも彼を持ち上げていたのかもしれない。

それくらいワッツのドラムは欠かせないものだった。

 

かつてレッド・ツェッペリンは、

ドラマーのジョン・ボーナムの死によって

解散を余儀なくされた。

活動を続けるために、

ボーナムのドラムを失ったことは致命的と判断したためだ。

 

ただ、ツェッペリンの例は特殊かもしれない。

ロックバンドやポップバンドでは

ドラムを重要視しているバンドは少なく、

80年代に打ち込みマシンが使われるようになって以降、

ドラマーの存在感はますます薄くなっていった。

 

けれども、リズムの礎となるドラムが

しっかりしていないバンドの音楽は、

やはりどこか薄っぺらであり、生命感に乏しく、

バンド自体も短命である。

 

ローリング・ストーンズがこれほど長い期間、

ロックの王者として君臨し、

第一線で活躍し続けられたのも、

ドラマー・ワッツがゆるぎないビートを刻んで

サウンドを支えてきたからである。

 

以前、ベースのビル・ワイマンが抜けた時も

正規のベーシストを入れない

このバンドの在り方に疑問を抱いたが、

ワッツが去った後、

正規のドラマーのいないローリング・ストーンズは

はたしてまだ「ローリング・ストーンズ」と言えるのか?

「ジャガー・リチャーズ&ロン・ウッド」でいいのではないか?

そこまでブランドにこだわる必要があるのかと思う。

 

★名曲「ブラウンシュガー」の死

 

そんなふうに思うのは、もう一つ理由がある。

あの超名曲である「ブラウンシュガー」が

封印されてしまったことだ。

 

これは僕が知らなかっただけで、

しばらく前から、スートンズはライブで

「ブラウンシュガー」を

演奏していなかったようだ。

 

この歌の歌詞が、かつての奴隷制を題材にしており、

黒人女性を侮辱し、人種差別を助長するものと

人権団体から糾弾されたのが、その原因だ。

 

「ブラウンシュガー」という言葉自体が、

黒人女性の性器や麻薬などを隠喩する

スラングであるらしい。

 

しかし、この曲はけっして黒人差別の歌ではない。

彼らの音楽のルーツであるブルースを生み出した

おぞましい歴史の事実・悲劇を、

ストーンズ流の猥雑さとワルっぽさと批評眼を交えて

詩的に、刺激的に描いた傑作である。

黒人音楽に対するリスペクトを表現した歌でもあるのだ。

 

それゆえ、1970年の発表以来、

ストーンズの5本の指に入る代表曲として

半世紀にわたって愛されてきた。

 

なんといってもカッコいい

「これぞストーンズ!」というキレまくりのグルーブで、

ライブのハイライトシーンで演奏されてきた曲だ。

 

あまり情報も出ていないので、詳しい事情はわからないが、

ストーンズ側は団体の糾弾に対して

「あまりこの件で揉めたくない」と弱気な姿勢を示し、

抵抗できずに諦めた感じだ。

 

団体の言っていることは、世界的ロックバンドの半世紀の実績さえも

抑え込む正当性があるのだろう。

時代は変わってしまい、今や正義は人権団体側にある。

 

現代にあっては「奴隷制」という言葉や性的な隠語を使って

エンタメすること自体が悪であり、

差別行為になってしまうのかもしれない。

 

反道徳的な表現は、そのまま反道徳的と受け止められてしまう。

その裏に込めた意味や感情や批判精神が

理解されることはあまりに少ない。

 

1960年代・70年代のようなロック的表現、

ロックの精神はもう通用しない。

なんだか寂しい話だが、

社会が進化するということはそういうことなのだろうか。

 

今はまだ「ブラウンシュガー」は

配信でもディスクでも聴けるが、

いずれそれもNGになるのかもしれない。

 

チャーリー・ワッツの死とブラウンシュガーの死。

それはローリング・ストーンズの終焉、

そしてロックの時代の完全な終わりを

象徴しているように思えてならない。

 

チャーリー・ワッツ氏のご冥福を祈ります。