1974年発表、アルバム「レッド」の最終曲。
計ったことはないが、キング・クリムゾンは、
おそらく僕がこれまで最も長い時間、
その演奏を聴いたミュージシャンである。
アルバムも1980年に発表されたものまでは
ライブ盤、ベスト盤を含めてすべて持っていた。
なぜそれほどハマったのか?
ほとんどビョーキだったとしか思えない。
今でいう「中二病」というやつだろうか。
●紅王との遭遇
「レッド」と出会った時は中三のだった。
忘れもしない、初めて買った音楽雑誌
「ミュージックライフ」のレコードレビュー欄に
新譜としてこのアルバムが紹介されていた。
そこにある情報はジャケット写真と曲名と、
100~200字程度の短いレビュー。
ツイッターで書ける程度の分量だったと思う。
脳髄に入り込んだのは 収録された全5曲の曲名の並び。
表題作のほかはすべて漢字で、
「堕落天使」「再び赤い悪夢」「神の導き」「暗黒」。
全部合わせてもわずか16文字。
カタカナ名の「レッド」を入れても19文字。
語彙の少ない当時の中学生が、
まだあまり目にすることのなかった
ダークで宇宙の深淵を感じさせるような
言葉の並びに
それまで持っていたロック、ポップスの概念が
破壊されるようなインパクトを受けた。
それと合わせて、暗闇にメンバー3人の顔が
浮がび上がるジャケ写真。
それだけで迷わず小遣いをはたいてレコードを買った。
レコードから出てきたのは、
これまで聴いたことのない「異様」としか
表現できないような音楽だった。
その時の感触は今でもよく憶えている。
特にメロディアスな部分を多く含む
「堕落天使」と「暗黒」には
完璧に心を支配された。
クリムゾンの音楽のすごさと魅力は
その過激なメリハリにある。
むき出しの暴力性と、
それを取りなすような優しさ・切なさ・美しさ。
地獄と天国、悪魔と天使との矛盾を
ギリギリのところで抱え込んだ圧倒的存在感が、
まさしくプログレの中のプログレ。
キング・オブ・プログレッシブロックだ。
僕が読んだ「ミュージックライフ」のレビューでは
5点満点で星4つ。
「そこそこいいよ」といったレベルだった。
そして1974年から75年頃、クリムゾン自体も、
プログレッシブバンドとしての人気は、
ELP、イエス、ピンク・フロイドの後塵を拝していた。
ところが半世紀近く経った今、
キング・クリムゾンはその名の通り、
依然としてプログレのキングとして君臨。
70年代最後のアルバム「レッド」は、
1969年のデビュー盤「クリムゾンキングの宮殿」と並ぶ
深紅の王の最高傑作として、
また、ロック史に輝く名盤として
世界中の人たちに評価され、寵愛されている。
そして曲名は日本人の英語力のレベルアップ?)に伴って、
「堕落天使➡フォールン・エンジェル」、
「再び赤い悪夢➡ワンモア・レッドナイトメア」
「神の導き➡プロヴィデンス」
「暗黒➡スターレス」
といった具合に、そのまんま原題のカタカナ名に、
たぶんアナログレコードからCDへの変わり目の時に
改名された。
ついでに言うと、
「21世紀の精神異常者」は「21世紀のスキッツォイドマン」に、
「放浪者」は「エグザイルㇲ」に、
「夜を支配する人」は「ザ・ナイトウォッチ」になった。
なんだかプロレス技の「岩石落とし」が「バックドロップ」に、
「人間風車」が「ダブルアーム・スープレックス」に、
いつの間にか変わったのと似ている。
1960~70年代と80年代以降の間に流れる深い河、
昭和と平成の間の感性のギャップを感じる。
●燃え尽きた紅王
僕が初めてクリムゾンの音楽に遭遇したアルバム「レッド」は、
彼らのラストアルバムだった。
その半年後に「U.S.A」というライブ盤が出たが、
収録は「レッド」のほうが後なので、
実質的にはこちらが最後と言っていいだろう。
その時、1960~70年代のクリムゾンの歴史は
いったん幕を下ろしたのだ。
「暗黒(スターレス)」はその有終の美を飾る大曲で、
集大成、燃え尽きるクリムゾン、などとも評された。
実際はこの曲はアルバムの他の曲よりも先にできていて、
1973~74年のヨーロッパやアメリカのツアーで
たびたび演奏されていた。
ライブ盤「U.S.A」にもアナログでは入っていなかったが、
CD化された時に収録されていた。
この映像で演奏されているのは、
その頃の、いわゆるアーリーバージョンで、
まだデヴィッド・クロス(バイオリン/キーボード)が
脱退する前の、4人の時に演奏されている。
「レッド」製作の際には、
これにイアン・マクドナルドやメル・コリンズなど、
初期の旧メンバーの管楽器群が加わって完成された。
この4人だけでもすごいのに、
マクドナルドらが参戦して、
後半は各楽器の圧倒的なバトルロワイヤルになって展開。
クライマックスでメインテーマに戻ってきて
エンディングに向かって激走する最後の1分間は、
まさしく集大成・燃え尽きる感じがして、
クリムゾンの音楽のすごさが凝縮されている。
●神秘のベールに包まれた紅王
10代から20代前半の頃は、どちらかというと、
「宮殿」に代表される初期のサウンドが好きだった。
最初のクリムゾンは、イアン・マクドナルドと
作詞家ピート・シンフィールドの個性が強く出た
まるでシェイクスピア劇のような荘厳な世界だった。
けれども齢を経るとともに、
「太陽と戦慄」から「レッド」にいたる
この頃のクリムゾンサウンドが好きになった。
その思いは今も変わらない。
クリムゾン史上最強のメンバー。
ロバート・フリップ(ギター/メロトロン)
ジョン・ウェットン(ベース/ヴォーカル)
ビル・ブラッフォード(ドラムス/パーカッション)
デヴィッド・クロス(バイオリン/メロトロン)
アルバム「太陽と戦慄」(これもすごい邦題!)で
集結したこの四人は、1973~74年にかけて
ヨーロッパ・アメリカで
長期のライブツアーを行い、膨大な音源を残した、
じつはこの時、
日本公演もスケジュールに組まれていたらしいが、
あまりのタフさにクロスが音を上げてバンドを脱退。
そして、フリップが限界を感じて解散を決めた。
そのために残念ながら来日公演は実現しなかった。
70年代のクリムゾンは音源は膨大にあるが、
映像はほとんどなく、後から加工されているとはいえ、
このスタジオでの収録風景の映像は
かなり貴重なものである。
ちなみに高校生の時、
行きつけのレコード屋のマスターからプレゼントされた
ワーナーパイオニア(レコード会社)のカレンダーに
各月それぞれ12組のロックバンドが載っていて、
確か9月だか10月だかがキング・クリムゾンだった。
そこで使っていた写真が、
このスタジオでの演奏シーンだった。
何と言っても、
まだ20代半ばの若きメンバーらの風貌がいい。
今は亡きジョン・ウェットンは
まるで映画俳優のような顔立ち。
デヴィッド・クロスも、とてもハンサムだ。
ビル・ブラッフォードのエキセントリックな表情もいい。
ちなみにビル・ブラッフォードは、
今は「ブルーフォード」と呼ぶらしい。
この当時は今と比べると情報量に
天と地ほどの開きがある。
特にクリムゾンの音楽活動に関しての情報は非常に乏しく、
音源以外の情報といえば、
レコードについているライナーノーツと
雑誌のわずかな論評のみ。
動画はおろか、カラー写真もないし、ステージ写真もない。
ビジュアルがほとんどない。
しかし、それが却って他のミュージシャンにはない、
神秘感を醸し出していた。
ライナーノーツや雑誌に載る
モノクロ写真のメンバーの姿は、
ロックミュージシャンというよりも
世界史の本に載っている
思想家とか哲学者・文学者を想起させた。
それもまた、僕の中でキング・クリムゾンが
別格の存在になった要因でもある。
そういえばレコードについている帯には
「神秘のベールに包まれた・・・」
といったカッコいいフレーズが謳われていた。
要するに情報が少なかっただけなのだが。
●1980年の来日公演
1974年のラストアルバムで罹患したクリムゾン病は
その後、どんどん進行していったが、
それと反比例するかのように、
70年代半ばをピークにプログレの人気は急降下し、
代わってパンク、続いてニューウェーブが台頭していく。
まるでクリムゾンの終焉が
プログレの時代の終わりを暗示していたかのように。
ところが80年代に入った途端、
なんと死んだはずのキング・クリムゾンは
「ディシプリン」というアルバㇺを出して生き返る。
これはロバート・フリップが、
ビル・ブラッフォードと再び組み、
ギター、ヴォーカルのエイドリアン・ブリュー、
ベースのトニー・レヴィンを入れて結成した
新しいバンドだった。
当初のバンド名は「ディシプリン」だったのだが、
フリップはこのバンドに再び
「キング・クリムゾン」の名を冠した。
フリップの意思だったのか、
マネージメント側やレコード会社の意向だったのか、
わからないが、
この時から「キング・クリムゾン」は
バンド名であるとともに、
音楽ビジネスのためのブランド名になった。
驚きと不安の中で聴いた「ディシプリン」。
それはかつてキング・クリムゾンとは
まったく別の音世界だった。
僕は混乱した。
それでも初の来日公演を行うというので、
チケットを手に入れないわけにはいかなかった。
来日公演について宣伝をしたり、
熱く語った覚えはないのだが、
なぜかプログレなんてほとんど聴いたこともない友だちが
「おれもいく」「あたしも行きたい」とか言い出し、
5、6人くらいで連れ立って会場へ向かった。
東京の会場は、今はなき浅草国際劇場。
「なんで浅草?」という違和感と
実際のステージを見た時の違和感は忘れらない。
ああ、やっぱり。
このキング・クリムゾンは、
僕が知っている、ぼくを病気にした
キング・クリムゾンではない。
「レッド」と「太陽と戦慄パート2」はやってくれたが、
暗黒も、堕落天使も、21世紀も、宮殿も、放浪者もない。
ディスコやニューウェーブの影響を受けた
「デイシプリン」のサウンドに、
60~70年代のクリムゾンのイメージに支配されていた
僕は脳も体もついていけなかった。
唯一、日本のあいさつを勉強してきたロバート・フリップが
お坊さんみたいに手と手を合わせて「アリガト」と
観客にお辞儀していたのが心に残った。
浅草からの帰り道、
本当にプログレッシブロックの時代は
終わってしまったんだとしみじみ感じた。
でも、その頃からロックとは、
音楽とはこういうものがいいんだ
という思い込みから解き放たれ、
より幅広い音楽を自由に楽しめるようになった気がする。
振り返ると、プログレのカテゴリーからは外れるが、
「ディシプリン」は今聴いても面白い、
時代の先端を先取りしていた、優れたアルバムだと思う。
ただし、僕がクリムゾンのレコードを買ったのは
ここまでだ。
●永遠の暗黒
その後、クリムゾンは何度か解散・再結成を繰り返し、
90年代以降はヘヴィメタみたいになってしまい。
6人編成になったり、8人編成になったりした。
オールドファンの要望に応えてか、
最近は60~70年代の曲もよくやっている。
そういえば今年もこれから来日公演をやるらしい。
おそらく御大ロバート・フリップが生きている限り、
活動を続けるのだと思うが、
僕はそんなに興味を避けなくなってしまった。
ただ、フリップ師には最近、ちょっとまた注目している。
独自の道を行くプログレ王であり、
厳格な求道者というイメージだったフリップ師は、
最近、キャラが激変。
奥さんのトーヤにそそのかされたのか、
コロナ禍でステイホームしている人たちを楽しませようと、
YouTubeでお笑いコスプレや、
ロック夫婦漫才みたいなことをやっているのだ。
まさかあのクリムゾンの総帥が、
お茶目で可愛いじいさんぶりをご披露してくれるとは
夢にも思わなかった。
時代は変わる、人間は変わる、人生は変わる。
しかし、これも長きにわたるクリムゾンの活動で、
自分が追求する音楽を成し遂げたという
余裕がなせる業なのかもしれない。
今やフリップが従来のイメージを自ら破壊しようとも、
キング・クリムゾンは
微動だにしない圧倒的な世界と物語を構築した。
もうこうなると古いとか新しいとかいった論評は
意味をなさない。
普遍的なロッククラック。
プログレッシブロックという名の孤高の文化。
「暗黒」――「スターレス」はそのバイブルとして、
永遠の生命力を持って聴き継がれ、
語り継がれると信じてやまない。
コメントをお書きください