人間というのはとても複雑で面白い。
義母といると良い勉強になる。
基本的にこの人はあんまり生き物が好きではない。
ところが、なぜかそれを認めたがらない傾向があり、
時々、自分が飼っていたというイヌやネコの話をしたがる。
動物をかわいがる自己像を大事にしているのかもしれない。
そのせいか、散歩中の犬とすれ違うと、
たいてい「わぁ、かわいいワンちゃん」と大きな声を上げる。
100%本心ではなく、
連れている飼い主さんに気を遣っている部分が大きい。
しかし、多くの犬は「かわいい」という言葉がわかるので、
尻尾をふって寄ってくる。
そうすると、ビビッて引いてしまう。
しょうがないので代わりに僕がその犬を撫でてあげると、
義母と犬と飼い主さんの間で平和で安定した場が成り立ち、
なんとなく一つのエピソードが完結する。
それでたぶん、その飼い主さんから見ると、
義母は「イヌ好きな良い人」というイメージとして残る。
義母のほうはその場を離れたとたん、
犬のことも飼い主のことも忘れている。
それで橋を渡って折り返してくると、
同じ犬と飼い主さんに出くわすことがある。
すると、先ほどと同じシーンが繰り返される。
飼い主さんは顔で笑いながらも内心、
「さっきも同じことしたんだけど・・・」
と思っている。たぶん。
僕も敢えて「認知症なんで・・・」と説明することなく、
同じことを繰り返す。
なんだかシュールな野外劇のようだ。
ネコに対しては、飼い主さんがいないので、
「かわいいわね」と言いつつも、
僕が対話しに行くのを、ちょっと距離を置いて見ているだけ。
ソーシャルディスタンスを守っている。
そのくせ、離れるとまたもや
「私の家も子どもの頃はネコを飼っててね」と
言い出したりする。
この人、じつは幼い頃、女中さん・使用人がいる
目白のお屋敷で育ったお嬢様である。
とは言っても、それは4,5歳までのことで、
認知症になる前も、そんな記憶はほとんどなかったらしい。
けれども時おり、本当に、あ、そうだったのかなと思う時もある。
時々発症する「カエル病」も
そのお屋敷のイメージがどこかに残っていて、
魂がそこに帰ろうとするらしい。
そうすると、僕はさながら
おつきのじいやといったところかもしれない。
なんとなく「ちびまる子ちゃん」に出てくる
花輪君のおつきの「ひでじい」を思い浮かべる。
黒塗りのリムジンは運転できないが
そういう設定で面倒を見ると、
また面白くなる気がする。
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