ハロウィーン近しと言うことで、ちょっとベタだけど、
何の説明もいらない、1982年発表の同名アルバムの
超ヒット曲。
マイケル・ジャクソンは10歳の頃から
ジャクソン5の一員として活躍しており、
全米のアイドルだったが、
このソロ第2作のアルバム「スリラー」で、
他の追随を許さない世界のビッグスターに駆け上がった。
めちゃくちゃ久しぶりにミュージックビデオの
フルバージョンを見た。
40年前は画期的なビデオだったが
映像技術が発達した現代の視点からは、
割とチープなつくりに見えてしまう。
そこがまた面白かったりもする。
チープなのは映像技術だけでなく、
マイケル・ジャクソンの芝居もだ。
裏とダンスはこの頃から超一流的だったが、
芝居はチープでへたくそで、そこがまた楽しい。
そして何と言っても、まだ若くて、と言うかガキっぽくて、
そのへんにいる女の子とイチャつくのが大浮きな
おにーちゃんという感じが、たまらなく良い。
彼がすでにこの世から旅立って10年以上経つ今、見ると、
こうしてオバケごっこをやっていた時代が、
マイケル・ジャクソンにとっても最も幸福で、
ミュージシャンとしても頂点だったんじゃないか
という気がしてくる。
この「スリラー」をきっかけに超大物になった彼は、
その後も歌とダンスに磨きをかけ、
世界一のエンターテイナーになった。
それはいい。
けれども黒い肌が白く変わり、
整形を繰り返していくさまは
とても痛々しくてまともに見ていられなかった。
当時、彼は白人になろうとしているなどと言われたが、
どうも肌が白くなるのは一種の病気だったらしい。
また、ステージや撮影中のケガなどによって
整形も余儀なくされていたようだ。
彼としては音楽の仕事に集中し、
持ち得る技をより高みに引き上げることが
唯一、自分自身を救う手段だったのではないか。
1990年代以降のマイケル・ジャクソンは、
つねに世界の人々の熱狂の渦の中にいて、
「キング・オブ・ポップ」の称号を手に入れた。
けれども、それと引き換えに
何かとても大切なものを失ってしまった。
いろんな事象が絡み合い、
自分ひとりでは抗えない、何か大きな世界の力、
ポップスターの神を求める人々の想念の渦みたいなものに
取り込まれてしまった。
そんな感じがする。
僕にはマイケル・ジャクソンを死へ追い詰めていった
世界の力、神を求める大衆の想念のほうが
「スリラー」に思える。
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「世界のEnding Watch」
10月27日(水)17:00~11月1日(月)16:59
ハロウィーンの原型となったメキシコの「死者の日」をはじめ、伝統的な風習から現代の各国のエンディング事情まで。
鎌倉新書発行の葬儀・供養の業界誌「月刊仏事」の連載をまとめたエッセイ集。
もくじ
・わたしを忘れないで(メキシコ)
・ラストドライブ 最後の旅(ドイツ)
・メモリアルベンチ(イギリス)
・安楽死できる国は幸福か?(オランダ)
・巣式ストリップショーに禁止令(中国)
ほか全23篇
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