U.K.は1978年に結成された
“最後の”プログレッシブロックバンドである。
プログレッシブロックの歴史の始まりが、
1960年代後半のビートルズの
「リヴォルバー」や「サージェントペパーズ」だとすれば、
終焉はU.K.の3枚目にして最後のアルバム
「ナイト・アフター・ナイト
(U.Kライブ・イン・ジャパン)」だった。
僕は1979年のこの日本公演を見た。
東京で2公演が行われ、
5月30日の中野サンプラザのステージに行った。
同年発表されたこの曲ももちろん演奏され、
クリスタルに輝くエレクトレックバイオリンを弾きまくる
エディー・ジョブスンの姿が今でも目に浮かぶ。
「ナイト・アフター・ナイト
(U.Kライブ・イン・ジャパン)」は演奏修了後、
オーディエンスの「U.K.コール」が鳴り響き、
それがエコーアウトするという
すごくカッコいい終わり方をする。
しかし、収録は僕が見た後の6月4日の
日本青年館での公演を録音したものだったので、
レコードを聴いた時、
U.K.コールに参加できなかったことを
地団駄踏んで悔しがった。
そのライブアルバムが出たのは
確か同年の終わりごろだったが、
翌年になってU.K解散のニュースが伝えられた。
つまり、プログレッシブロックの歴史は
1970年代とともに終わったのである。
――と言うと、異論を唱える人がいるのは知っている。
U.K.を率いていたジョン・ウェットンは解散後、
イエスのスティーヴ・ハウや
ELPのカール・パーマーらと
エイジアを結成し、世界的な大ヒットを飛ばした。
メンバーチェンジをして生まれ変わった
イエスやジェネシスも
全米ヒットチャートを賑わせる
超人気グループに駆け上がった。
それはそれでいい。
売れたのが悪いわけではない。
けれども、それらはもうプログレッシブロックとは
異なる音楽だった。
その後、40年余りにわたってこれらのバンドは
解散しては再結成を繰り返してきたけど、
オーディエンスがリクエストと喝采を送るのは、
全米で売れた80年代のヒットナンバーではなく、
それ以前の70年代に彼らが生み出した、
今思えば奇跡のような、野心と抒情と哲学と、
大いなる世界の幻想に溢れたプログレの名曲群なのである。
1978年はパンクロックが音楽界に旋風を巻き起こし、
プログレ人気が凋落の一途を辿っていた時期だった。
そこへ舞い込んだビッグニュース。
ジョン・ウェットン(ベース/ヴォーカル)と
ビル・ブラッフォード(ドラム)が新バンドを結成!
しかもバンド名は、
United Kingdamというイギリスの正式国名。
これに数多のプログレファンの胸は高鳴った。
何と言っても二人は1975年に一度解散した
キング・クリムゾンのベーシストとドラマーだ。
そこにロキシーミュージックの元メンバーで、
クリムゾンのセッションに参加したこともある
キーボード&バイオリンのエディー・ジョブスン、
そして元ソフトマシーンのギタリスト、
アラン・ホールズワースが加わる。
U.K.の登場はキング・クリムゾンの再来、再結成と
受け取られた。
しかし、U.K.に対する当時の世間的評価は
あまり芳しくなかった。
クリムゾンファンの期待が大きすぎたせいか、
デビューアルバム「憂国の四士」は、
「クリムゾンにしてはスケール小さい」
「いまいちエッジが立ってない」などと言われた。
メンバーチェンジしてトリオ編成になって出した
セカンドアルバム「デンジャーマネー」は
「プログレなのにポップ過ぎる」という評価だった。
いま改めて聴いてみると、
1枚目は、確かにクリムゾンの影が残っているものの、
アヴァンギャルド的な部分よりも、
メロディアスな部分を強調していて聴きやすい。
2枚目は半分プログレ、
半分ポップなハードロックという感じで、
のちのエイジアに繋がる要素が垣間見える。
けれどもそれはもちろん、
クリムゾンでもエイジアでもなく、
U.K.というバンドでしか生み出せなかった楽曲群だ。
U.K.は活動期間も短く、
遺したアルバムもスタジオ盤2枚、ライブ盤1枚の
3枚のみで、レパートリーも20曲に満たない。
けれどもその充実度はすばらしく、
僕はどの曲も大好きだったし、
初めてプログレを聴く人にも親しみやすいと思う。
プログレの頂点に立つのは、一般的には4大バンド
(キング・クリムゾン/ピンク・フロイド/
イエス/エマーソン・レイク&パーマー)、
あるいはこれにジェネシスを加えた
5大バンドと言われているが、
僕はキャメルとU.K.を加えて
7大バンドということにしている。
そして唯一、
リアルタイムでライブを体験できたU.Kに対しては
愛着ひとしおなのだ。
あの40年以上前の日本公演で印象に残ったことがもう一つ。
プログレを聴くのは男ばかりと思っていたのだが、
オーディエンスには意外と女の子も多かった。
それはたぶん、
表に立つジョン・ウェットンとエディー・ジョブスンが
二人ともかなり美形だったことが大きいと思う。
ちょっとクイーンファンっぽいノリだったのだろう。
たしかにウェットンがベースをブンブン鳴らす横で、
ジョブスンが、今でいうならまるで羽生結弦のように
華奢な身をくねらせながらバイオリンをきらめかせ、
ギュンギュン言わせるビジュアルは、
本当に美しく、かっこよかった。
女子たちは、周りにいる
「聖域を荒らすミーハー許すまじ」みたいな、
プログレファンの男たちの気位の高さを察してか、
ジョンとかエディーとか呼ぶのではなく、
「ウェットン!」「ジョブスン!」と声をかけていた。
そのおとな対応が、いま思い返すとちょっと面白い。
2011年以降、ウェットンとジョブスンはU.Kを再結成し、
日本公演も行った。
映像を見たが、齢を取って二人の美貌は衰えたものの、
演奏は素晴らしく充実しており、
“最後の”プログレッシブロックバンドは
なおも光り輝いていた。
けれどもウェットンは2017年にこの世を去り、
ジョブスンも音楽の世界から身を引いたという。
さようならU.K.
歴史は永遠に閉じられた。
それでも僕はやっぱり死ぬまで
プログレを聴き続けるだろう。
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