歌の中で、映画の中で、物語の中で、
海を目指す主人公は多い。
海は広い。限りない。
海は彼や彼女の内側にある可能性、
と同時に帰るべき場所のメタファーだ。
僕も演劇をやっていた頃、
海を目指す男の物語を書いたことがある。
けれども彼がたどり着いたのは仮想現実の海だった。
あの男は結局、仮想現実の海で溺れてしまい、
箱の中から外に出ていくことができなかった。
なんでそんな話を書いたのかよく思い出せないが、
海賊やら、人魚姫やら、詩人のランボーやら、
ギリシャ神話やら、
当時、自分が好きなものをぶち込みまくったので、
支離滅裂な話になってしまった。
それでも役者は楽しんで演じてくれたし、
数百人のお客さんも楽しんでくれた。(と思う)
だけど自分で納得がいかず、
そのうち何かの形でリベンジしようと思っていて、
あっという間に年月が経った。
人生は短い。
昨年出した「ピノキオボーイのダンス」という小説で、
少しそのリベンジの片鱗を入れた。
じつはこれも完成形にするまでに10年くらいかかった。
でもやっぱりまた海を目指す男(女でもいい)の話を
書きたいなぁと思い始めた。
僕がかつて描いたあの男は、
今度はどうやって仮想現実の海が広がる
箱舟から抜け出すのか?
そもそもどこかにリアルな海があるということを
信じられるのだろうか?
人生はますます短くなる。
実は海にたどり着くことより、
海を目指して歩くことに意味があるのだ。
歩き続けるためには海があると信じること。
自分を信じ続けること。
自分自身であり続けること。
テーマは美しい。
海は美しい。
だけど、とても遠い。
せめて街の雑音が消えて、
潮騒が耳に届くあたりまで行ければいいなぁと思う。
短い人生の中で。
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