●ドイツ人はエヴァを見てどう思うのか
エヴァンゲリオンシリーズは、
アクション満載のロボットアニメである一方、
宗教的なモチーフをちりばめながら展開される
壮大な哲学心理ドラマの側面がある。
そこにはネルフ(NERV:生命)、ゼーレ(SEELE:魂)、
ヴィレ(VILLE:意思)、ヴンダー(VENDER:奇跡)など、
やたらとドイツ語が使われている。
ドイツと言えば、デカルト、カント、ニーチェなど、
今後の人類共有のデータベースになり得る
多数の哲学者輩出国。
ドイツ人はエヴァを見てどう思うのかと聞かれ、
こなふうに答えた人がいた。
「キャラクター自体が哲学的モチーフとして
妙な力を放っていたので、
私や周囲のドイツ学生たち
(のうちオタク適性がある者たち)は
議論の深みにハマりながら萌えまくっておりました」
●ドイツ人が見た『エヴァンゲリオン』のヒロイン像
そう言うマライ・メントラインさんは、
日本語ペラペラ、ちょっと若い時分のメルケル首相?
みたいな雰囲気を漂わせるドイツ人のお姉さんである。
昔、NHKのドイツ語講座に出ていたらしく、
いまもテレビのコメンテーターとして時々見かける。
本業は翻訳・物書き・テレビプロデューサーも
やっているらしい。
彼女は旧TVシリーズ版以来のエヴァファンだというが、
先日読んだ彼女の考察コラム
「ドイツ人が見た『エヴァンゲリオン』のヒロイン像。
アスカがしんどい」(女子SPA!)
https://joshi-spa.jp/1075690 は、
これまで読んだエヴァ関係の言説の中で
最もインパクトがあった。
“エヴァに登場する女性キャラクター造型の
何が凄いかといえば、
男性のエゴの中に存在する女性像を、
あきれるほど的確に描き抜いているという点です。
ゆえに男性視点とは何か、というテーマが
逆照射で奥底まで浮き彫りにもなる。
このへんは好き嫌い分かれるところかもしれませんが、
筆者は大好きです。”
●ドイツ的に真面目で真摯な変態性
続いて「綾波レイと碇ゲンドウの変態性」という一文では、
“で、いま改めて振り返ってみるに、
その中でも綾波レイというメインヒロインの独自性と
インパクトは空前絶後で、
時代性を超えて今後もいろんな
考察のコアになるだろうと思います。
彼女は「自立性のある良妻賢母」の権化たる
碇ユイ(故人)の
再来となるべく製造された存在で、
女性性というものを濃縮して体現するいっぽう、
「男性を安心させる」要素を決定的に欠くのが
大きなポイントでしょう。
俗世感覚では男性からも女性からも扱いに困る存在であり、
しばしば現世的に理想化されながら語られる古代宗教の
「大地母神」なるものの核心って
実はこんな感じなのではないか?
と思わせぬでもないあたりが素晴らしい。
また、亡き妻である碇ユイを復活させようとしながら
綾波レイをひたすら磨き上げ、
しかも大量に培養してしまう碇ゲンドウの
ある意味ドイツ的に真面目で真摯な変態性も素敵です。
まさに男性性と女性性の高次元での葛藤と融合。
綾波は神性と何かしら関係がありながら
クローン量産可能で、
個体ごとに多少の性格差があったりするらしいあたりも
生々しくまた切なくて良い。
疑似キリスト教的な小道具抜きに、
原始女神信仰的な何かを多角的にシミュレートできるのも
本作の大きな見どころといえるでしょう。”
この後もえんえんと続くのだが、
引用だらけになってしまうので、
全部読みたい人はリンクへどうぞ。
https://joshi-spa.jp/1075690
●男は女に対する幻想から一生卒業できない
女性だけあって、主人公のシンジではなく、
レイやアスカなどのヒロインたちに焦点を当てた論考は、
ひどく新鮮で刺激的だった。
確かに自分の中にも、現実の女性とか母親とは別に、
イメージとしての女というものがあり、
その幻想に支えられて生きているところがあるなと思う。
てか、そうした幻想があるから現実の女子の
しょーもない部分も許せたり、
可愛いと思えたりするのかも知れない。
女は人生のどこかで男に対する幻想から卒業するが、
男は女に対する幻想から一生卒業できない、たぶん。
ゲンドウはそうした男の弱くてしょーもない部分を
とことん突き詰めたキャラクターなんだろう。
最後まで見て、もう一度テレビ版を思い返すと、
彼のシンジに対する冷厳な態度に説得力が出てより面白い。
いろいろほじくり返すと
エヴァンゲリオンからは思ってもみなかった
第18以降の使徒が発掘できそうだ。
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