バナナを預金する。
そんな発想は現代人にはない。
昭和を語る僕にもない。
しかし、認知症患者の義母にはある。
昨日、近所の八百屋に一緒にいったら、
店頭にどっさりバナナが一山280円で売っていた。
Lサイズのでかいのが10本くらい。
よくスーパーで売っている「甘熟」系の
おいしそうなやつだ。
値段的にも量を考えたら大安売りである。
義母はそれを見て目をキラキラさせ、
「バナナたべたーい💛」と口走る。
記憶が刺激されるのだ。
彼女の目には安っぽい、
緑色のプラスチックのざるに盛られたバナナの山が
キラキラ輝く黄色いお宝の山に見える。
なぜかと言えば―ー
かつて、昭和40年代頃まで
バナナは高級フルーツで、
庶民にとっては高根の花だった。
現代の感覚で言えば、マスクメロンであり、
高級イチゴやシャインマスカットなどに匹敵するのだろう。
入院患者へのお見舞いのフルーツバスケットには
威風堂々、ど真ん中にありがたくドカッと鎮座していた、
らしい。
昭和40年代の子どもである僕にも今一つ、
「バナナ=高級品」という実感がないのだが、
まぁ今ほど頻繁に食べられなかったのは事実だ。
で、バナナLOVEの義母が
お喜びで食べるのかと思いきや、
いざ食卓に出すと手をつけない。
必ず「今は食べない」という。
ではいつ食べるのかというと、
永遠に食べない。
だって食べたらなくなってしまう。
そんなもったいないことはできない。
なので、紙にくるんで懐に入れ、
大事にタンスの奥にしまっておく。
言ってみれば「タンス預金」である。
しかし、そんな行動をとられてはたまらない。
2~3日後にはバナナはタンスの奥で
ドロドロに溶けている。
今の季節なら、あっという間に虫がわんさか湧いて
部屋がとんでもないことになってしまう。
お持ち帰りしようとするのを慌てて阻止し、
「これはちゃんとお義母さんのためにとっておきます」
と言って取り上げる。
ちょっと胸が痛むが、しばらく他のことをやっていると、
もうバナナのことなど忘れている。
視覚情報がなくなると、自然に記憶から抜け落ちるのだ。
執着心はないので助かる。
あとからカミさんに
バナナは薄くスライスしてヨーグルトなどに入れて
「加工」して出さないとだめだと言われた。
子ども時代から若い頃まで
滅多に食べられなかったバナナ。
甘くて栄養もあって、お腹も膨れるバナナを
昔の分までいっぱい食べてほしいと思うのだが、
どうもそんな僕の願いは、
義母の昭和精神にはそぐわないらしい。
一生消えないトラウマのような、
燦然と輝く高級フルーツ像を刻みつけたバナナ。
義母にはいつも昭和の心を学ばせてもらっている。
感謝を込めて、お残しした分は、僕がいただきます。
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