週末の懐メロ28:残酷な天使のテーゼ/高橋洋子

 

「エヴァンゲリオン」がここまで人の心に食い込んだのは、

作品の内容はもちろんだが、テーマ曲の存在も大きい。

「残酷な天使のテーゼ」の歌詞は、

とてつもなく美しくドラマチックだ。

 

作詞の及川眠子がこの曲を書く際に与えられたオーダーは

「哲学的であること」「難解であること」。

それに対し、萩尾望都の漫画「残酷な神が支配する」を

元ネタにして2時間で書き上げたという。

 

そうして生まれたこの曲はエヴァ人気とあいまって

前世紀から常に人気カラオケ曲のトップ10に入る名曲となった。

アニメを観たことない人でも、

この歌は知っているという人は多いのではないか。

 

カヴァーもやたらと多い。

外国語バージョンも英語はもとより、10か国はくだらない。

 

それでもやはり高橋洋子のオリジナル版がいい。

このビデオは歌に合わせて、

テレビ版と旧劇場版、

つまり20世紀の旧シリーズのストーリーを

曲の尺4分に編集している。

 

新シリーズの完結編である「シン・エヴァ」を観た後だと、

絵もちょっと懐メロっぽい。

でも、そこがまたいい。

 

そして曲名どおり、

旧シリーズは本当に残酷だったなぁと感じる。

そう感じるのは、苛烈で凄惨なシーンが多いせいもあるが、

一番の要因は、女性の登場人物の運命があまりに過酷だからだ。

 

かつて映画の世界では、

劇中であっても女と子どもは殺してはならないという

不文律があった。

半世紀以上前の話で「女は守られるべき存在」という

一種の差別の表れでもあるのだけど。

 

しかし、自分が男のせいか、たとえ虚構の中とはいえ、

女が死んだり殺されたりするところを見るのは、

心が切り裂かれるような痛みを感じる。

 

旧シリーズでは、レイもアスカもミサトもリツコも、

主要な女キャラがみんな死んでしまった。

それもかなり無残で惨い死に方だった。

 

物語自体も最終的に狂気の世界に突っ込んでいき、

通常のロボットアニメ、

ヒロイックファンタジーとはかけ離れた、

前衛的なアート作品のようなエンディングになった。

 

そして、エヴァ人気が一種の社会現象としても扱われた。

1990年代の世紀末観、オカルトじみた事件の数々、

従来の社会常識の液状化、

人間の心の暗黒面の発見といったことも

影響してたのだろう、

 

それに比べて、新シリーズが

とても優しく温もりのある終焉に感じられたのは、

彼女らの命が無残に潰えることなく、救われたからだと思う。

ただ一人の死も崇高な「英雄死」だった。

 

庵野監督が新シリーズを旧シリーズほど

残酷な物語にしなかったのは、

齢を取って丸くなったせいもあるが、

女を殺し過ぎたことに対する

罪ほろぼしの意識があったからだろうと推測する。

男の心には必ずそういう贖罪の季節が訪れる。

 

この曲とこのアニメは、ある世代、

具体的には1995年から97年の

テレビアニメ放映~旧劇場版上映の時期に

ティーンエージャーだった人たち(現在の40代)にとって、

一つの原風景になった。

 

巨大なトラウマであり、一生消えない感動と傷跡。

幸か不幸か、僕は大人になってから出逢ったので、

適度な距離を置いて見ることができたけど、

耽溺した人を少し羨ましく思う時もある。

 

エヴァの素晴らしいところは、

自分の想像力でストーリーを補完し、

ひとりひとりの心の中に

「マイ・エヴァンゲリオン」をつくれるところにある。

 

エヴァンゲリオン補完計画発動。

四半世紀にわたった新旧シリーズが完結し、

「残酷な天使のテーゼ」が懐メロになった今、

世界中で無数の新たなマイ・エヴァが起動する。

 

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