人魚はメルヘンであり、ファンタジーであり、
ホラーであり、モンスターである。
ついでにかなりセクシーでもある。
アンデルセンの「人魚姫」の下半身が魚から
人間の脚に変わるのは、
女性の性的成長を表すメタファーである、という解説を
ある本で読んだときは、
まさしく目から魚のウロコが落ちた。
というわけで古今東西、人魚に恋する者は後を絶たず、
世界各地に人魚伝説が残されることになった。
ヨーロッパには、人魚姫のイメージを覆す
人魚が船乗りの男どもをおびき寄せて
食っちゃうという話がある。
(というか、逆にアンデルセンがこの怖いイメージを覆して、
可愛く、美しいイメージを創り上げたんだけど)
対して日本では人魚を食べちゃった、という話がある。
オバマ大統領の時、大いに盛り上がった福井県小浜市。
そのオバマの地に伝えられている「八百比丘尼」の話は
日本の民話の中でも異常に人気が高い。
昔、若狭国小浜(わかさのくにおばま)に
高橋権太夫という長者が住んでいた。
ある日、舟を出して遊んでいると嵐が起こり、
見知らぬ島に流されてしまった。
そこで彼は思わぬもてなしを受けることになる・・・
という感じで始まるこの話、このタカハシさんはこの土地の
お偉いさん、お金持ちで、彼が贅沢な会食をするのは
いろんなバージョンがある。
しかし、その後はどのバージョンも共通している。
その贅沢な会食の食卓に上るのは人魚の肉なのである。
(タカハシさんが厨房で人魚がさばかれるのを
目撃してしまうというバージョンもある)
タカハシさんは金持ちのくせにセコいのか、
少年のように好奇心旺盛なのか、
この人形の肉をこっそりテイクアウトして、
家の戸棚に隠しておく。
お刺身だったのか、塩焼きだったのか、ムニエルだったのか
わからないが、いずれにしても
冷蔵庫のない時代、そんなところに入れておいて
腐らないのかと心配になるが、
腐る前に家族の者が見つけて食べてしまった。
そのつまみ食いの犯人が、
みめ麗しい年ごろのタカハシさんちの娘だったのである。
肌の白い美しいその娘は、
それ以後、まったく齢を取らなくなった。
人形の肉を食べたせいで不老不死の体になったのである。
夫も家族も友人も死に絶え、時代が変わっていっても、
彼女は若いまま生き続ける。
やがて彼女はその長い生に倦み、村を出て、
尼さんとなって全国を遍路する。
そして人々を助け神仏への信仰を説き、
行く先々で白い椿を植えたという。
(杉の木を植えたなど、違うバージョンもある)
ちなみに八百比丘尼は正確には不死だったわけでなく、
800歳でこの世を去ったということだ。
だけど十分過ぎるほど生きた。
魚食文化を持つ日本人にとって、
そう遠くない過去--昭和の貧しい時代まで、
魚は不老長寿の薬、とまではいかないにせよ、
病気を治し、健康を保つ薬だった。
そういえば僕も子どもの頃に、
産後の肥立ちが悪い母親とか、病気の大人に、
タイやコイを食わせろーーという話を聞いたことがある。
この間、取材した島根県の坊さんは、
このあたりでは戦前まではオオサンショウウオ
(現在、特別天然記念物の地球最大の両棲類)を
捕まえて食っていた。
オオサンショウウオは半分に裂いても死なないほど
生命力が強いことから「ハンザキ」の異名がある。
おそらく滋養強壮剤として食べられていたのだと想像する。
これも実際は両棲類だが「山椒魚」というくらいだから、
昔の人は魚の一種だと考えていたのだろう。
オオサンショウウオを食べて不老長寿を獲得する―ー
そういう人がただの一人もいなかった、とは言い切れない。
それにしても、八百比丘尼の話は、
人魚を殺して肉にする。
それを若い娘が喰う。
不老不死になる。
旅に出て、花や木を植える。
モンスター、ホラー、ファンタジー、メルヘン、
そして考えようによってはセクシーも。
すべての要素を一つの物語に凝縮したかのようだ。
そのおかかげで現代のマンガや映画、小説、アートなど、
いろいろなカルチャーのモチーフになっている。
そういえばコロナ退散祈願のアマビエも人魚っぽい。
僕は800歳になった八百比丘尼は死んだのではなく、
人魚になって海に帰っていったのではないかと思うのだが、
いかがだろうか?
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