先日、「オリパラでコロナ終息のシナリオ」
という記事を書いたとき、
オリパラは「できるか、できないか」じゃなくて、
「やるか、やらないか」だと言った。
外国メディアが「できるの?」と騒ぎだすと、
外圧に弱い日本はたちまち浮足立つ。
だけどIOCがやめると言わない限り、
僕はやっぱりやると思っている。
しかし、それは従来の華やかなオリンピックとは
かけ離れた形で開かれることだろう。
今の状況から見て、到底
「人類がコロナに打ち勝った証としての祭典」になりそうにない。
観客も外国からの選手もよくて半分程度。
悪ければ無観客、選手も1~2割の参加。
日本では大問題になっているが、
他の国は関係者以外、オリンピックなんてどうでもいい、
それこそ「不要不急」の最たるコンテンツだろう。
それでもどんな形でも
「オリンピックをやった」という事実を遺すことが大事なのだ。
未来に生き残るためにIOCは多分そう考えている。
「そんなのオリンピックじゃない!」という声が聞こえる。
そうなのだ、オリンピックはすでに
オワコン(終わったコンテンツ)になっている。
一昨年に「オリンピックをオワコンにするのは・・・」
という記事を書いたけど、図らずもコロナが
オリンピックを殺してしまった。
この先、2016年迄のような大会はもう開かれないのではないか。
感染症の危険、気象状況・自然災害の危険。
そうした危険を無視して大金を投じて開催することに
どれくらいの経済的メリットがあるのか?
今までは十分回収できたかもしれないが、
これからはどうなのか? 大丈夫なのか?
開催都市にとってあまりにもリスクが高すぎる。
2024のパリ、2028のロスは、今の東京を観て
どう思っているのだろう?
近代オリンピックの父であるクーベルタン男爵は、
「オリンピックの理想は人間を作ること、
つまり参加までの過程が大事であり、
オリンピックに参加することは人と付き合うこと、
すなわち世界平和の意味を含んでいる」
と考えていた。
そして1902年のロンドン大会における英政府主催の晩餐会で
「人生にとって大切なことは成功することではなく努力すること」
という趣旨のスピーチを行い、
「参加することに意義がある」という
オリンピックの理想を表現する名句が生まれた。
ところが、そうした理想など忘れて
近代オリンピックは、あまりに政治とカネもうけにまみれ過ぎた。
コロナ禍に襲われた東京2020を機に、
クーベルタンの唱えた理想・原点に戻るべきではないか。
この夏、開かれるであろう東京大会は
無観客だろうが、日本選手ばかりの大会だろうが、
イベントとして、お祭りとしてつまらなかろうが、
そうした新しいオリンピックの姿を見せるべきではないかと思う。
もう時代は変わってしまっている。
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