昨日の続き。お盆なので父をしのぶパート2。
父が生まれた昭和3年には、のちにB29を日本の空に送り込む米国から
世界的アイドル・ミッキーマウスが生まれ、
そのアニメ映画第1号「蒸気船ウィリー」が公開された。
この年の東京市の死亡者は3万人弱だが、そのうちの約3分の1である1万人強が0歳から5歳までの乳幼児とのことだ。当時の子どもの死亡率がいかに高かったか分かる。
父は戸籍上は次男だが、兄が幼くして病気で亡くなってしまったため、事実上の長男として成長した。
姉が2人、弟が3人、妹が1人。この時代には珍しくない〈貧乏人の子だくさん〉で、ごく当たり前のように生活は苦しかった。
学校では一番上の姉と並んでかなりの優等生だったそうで、読書好きなことでも知られていた。
しかし、食べることに精一杯だった家には本など買うお金はなく、専ら新聞小説を何度も繰り返し読んでいたという。
家計を助けるため、いろいろ内職(今で言うアルバイト)もやっていたようで、雇い主のおとなからよく「一銭を笑う者は一銭に泣く」という教訓(?)を聞かされた、と話していた。昭和前期のつましい庶民の暮らしが垣間見えるようである。
成績がいいので、今どきの親なら「ぜがひでも上のいい学校へ」「お金がなければ奨学金制度を使ってでも」となるところだが、この時代はそんな常識などなく、最初から諦めモード。
生前聞き損ねてしまったので、本人が上の学校、つまり今で言う高校・大学に行きたいと思っていたかどうかは不明だ。
そういうわけで尋常高等小学校を卒業後は素直に就職。
昭和18年。時代が戦争一色に染まっていたこともあり、
父は件の軍需工場の工員となった。
その際のエピソードが面白い。
単に就職するだけでなく、その会社の吹奏楽団に入ってほしい、と要望されたというのだ。しかも、パレードの先頭でラッパ(トランペットか?)を吹くことを要請されたらしい。軍需に関わる会社として士気を上げるため、独自に楽隊を組織していたというのも興味深いことだが、それ以上に父が音楽活動をしていたというのは意外だった。
生前、父が楽器を演奏する様子など見たことがない。
また、そんなイメージなどかけらも見受けられなかった。
おそらく、ちょっとラッパが吹ける程度だったのだろう。
それでも「楽団の先頭に」という要請があったのは、
新卒の中でも優等生として信頼されていたからなのかもしれない。
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